『これが沖縄の生きる道』
PUFFYの歌を思い出す書名。あの曲のように、明るく軽やかに読まれてほしいということだろうか。扱われているテーマはどれも重く厳しいけれど、本当はあの曲のようなポジティブさをもっと出したいんだよね、ということなら分かる。
この本を読みながら、時にふと過ぎる内省のようなことが、何度も繰り返しやってきた。この本の主張は、「内地の失敗経験を検分すべき」(宮台真司)ということなのだけれど、そう言われたときにも過ぎるものだ。
たとえば、1940年に日本民芸協会の柳宗悦が沖縄の標準語励行運動について、「やりすぎじゃないか」と苦言を呈したのに対して、沖縄県の学務部が県民が卑屈、引っ込み思案になるのは「自己の意思発表に欠くる結果」だから、標準語励行は「全県民の切実なる問題である」と、彼らを追い返してしまうという、あのやるせない事件。
本書でも仲村が引いている事例なのだが、このときの県の回答は底が浅かった。引っ込み思案なのは、標準語が使えないからというのは表面的なことで、その淵源には、海の向こうからやってきた者を生者か死者か分からず、神とさえ見なした心性が横たわっている。そこからみれば、文字も漢字も標準語も、神のような絶大な力を持って立ち現われたに違いない。
ようするに、貧しかったところに突然近代がやってきたような感じなんですよね。復帰後もものすごいスピードで古い村社会は解体しました(仲村清司)。
ここの「貧しかったところに」というところを言い換えてみれば、古代に突然近代がやってきたような感じと言っても、誇張とは言い切れないものがある。自分のこととして言えばそれは、人づき合いのなかで、交渉ごとは苦手であるとか、色んな人がいるよねという鷹揚さが足りないとか、損得勘定をもとに立ちまわれないというか、世慣れしないというか、うまく言えないのだが、自分には何かが大きく欠落しているのではないかと、というような実感として降りてくる。そしてこの大半は自分の欠点として済ませていいのだが、ひょっとしてそれだけではなく幾分かは、島人が、日本にいう中世、近世という蓄積を経てきていないからではないだろうか。うまく対象化できていないので、整理した言葉にもならない、あいまいなぼんやりとした感じなのだけれど。
言ってしまえば、島人の極度の人見知りとお人好しだ。人見知りは日本人の特質かもしれないから、ここでは極度の、と形容してみる。人見知りは、芸能などの舞台があれば、その時だけ違う風に演じられる。お人好しは、反転すれば、利得しか考えないことと同じになりうる。この、極度の人見知りとお人好しは、反転はあっても変形されることなく手渡されてきたことが、ことの根っこにはあるのではないだろうか。
欠落をマイナスと捉えて、これから中世と近世を身につけようというのではもちろんない。それに世代交代があっという間に解消してしまうことかもしれない。けれど、できうれば、これを美質としてそのままに生きる道がほしいというのは、PUFFYの曲のようにいきたい願望とともにある。
すると、それには世界史の先端に超出するしかないという途方もない考えに導かれる。けれど、本当に途方もないのか。
沖縄と日本は一六〇九年の薩摩の琉球支配の時代から、四〇〇年にもわたる腐れ縁が続いています。そろそろこの腐れ縁的な関係を変える覚悟を決める時期に来ています(仲村清司)。
だから、独立、と直結せずに、できるだけ細やかにしなやかに考えること。歯切れは悪いけど、仲村の発言を反芻しながら、そういう根っこのところに終始思い至る本だった。
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