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2014/10/08

埋める埋めない

 メラネシア、ニューギニアにおいては、地下他界、埋葬、頭蓋崇拝そして、一部には祖先崇拝が結びついていた。ここで、遷居、つまり家を捨てる行為に目を向けると、メラネシア、ニューギニアだけでなく、その西方の東南アジア諸島まで分布が広がる。

 そしてスマトラ島のクブ族やルソン島のイスネック族のように他界観念がない場合もあれば、ニューブリテン島のスルカ族のようにあちこちにある場合、ニューギニアのツベツベ島では、近くの島の洞窟から海の下に入って、いくつかの通路を経て山に行くという場合、ワグワガ族は西方の海の下、マライ半島のサカイ族では地下あるいは果物の島、ケンタ族では西方の死者の国、と他界観念はさまざまである。つまり、家を捨てる行為は特定の他界観念に結びついたものではない。

 これは他界観念という以前に、死や死者に対する態度の一系譜に属するものなのだ。もう少し言えば、死者による対幻想の欠損への対処である。家を持たなくても、アボリジニでも死者が出ると、その野営地を去った。対幻想の欠損を埋める、再編するには、その場を去る必要があったのである。それは、対幻想と自己幻想、共同幻想が明瞭に分離できなかったことを示している。

 埋めない葬法のひとつは、この、家を捨てる行為から発生している。それはやがて家を持つ段になると、対幻想は家という形で形態化され、そこを去る観念を生む。そして次第に、対幻想が共同幻想に対して立ち位置を持つようになると、死者を家の外に出すという様式になる(cf.「無他界論 メモ」)。

 もうひとつの埋めない埋葬は、埋められない埋葬ということだ。つまり、隆起珊瑚礁の環境は、埋める場所を容易に見つけ出すことができなかった。その場合は、叢林や洞窟にその場を求めざるを得なかった。その中には、地下他界への入口として光と闇が交錯する場所を選んだ場合もあったはずである。 

 「埋める」ことと「埋めない」ことに含まれる観念は、明瞭に対立せず、両者は交わりの部分を持つ。「埋めない」叢法には、死を機に家を捨てる習俗の流れがあり、「埋める」叢法には、地下他界観念などの流れがある。しかし、埋めないからといって地下他界観念ではないとは言えないし、「埋める」からといって家を捨てないとは限らない。埋める、埋めないは本質的な分け方ではないということだ。


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