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2014/10/07

葬儀の三角形

 古代琉球弧の葬儀は、埋めることと埋めないことをめぐっていたように見える。埋めるとは文字通り、埋葬のことであり、埋めないとは風葬と呼びならわしてきたように、風に晒して骨化させることだ。

 ぼくたちは洞窟や叢林での人骨を目にしてきているので、これは容易に了解することができる。風葬をしてそれきりの場合は、右上の頂点に位置する。ただ、それだけではなくて考古学上、埋葬された人骨も発掘されているから、左上の頂点もあったのだ。

 この二つの類型だけではないのは、何らかの葬法のあと、洗骨をしてきたからだ。すると、未開の琉球弧にぽいて、「埋めること」、「埋めないこと」、「洗うこと」の三つを頂点とした葬儀の三角形を描くことができる。

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 洗骨は、風葬の後の洗骨も、埋葬の後の洗骨も両方、あった。亀甲墓に納めたあと洗骨する場合は、「埋めない」から、右上の頂点から下の頂点に向かうことになる。埋葬の後に洗骨する場合は、左上の頂点から下の頂点に向かう。

 『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』において、棚瀬襄爾は、オセアニアにおいて事例も少なく洞窟葬が独立した葬法なのか判断できないとして、台上葬や樹上葬と同じ乾燥葬の一種ではないかと見なしていた。琉球弧でもっとも一般的だったと思われる風葬、洞窟葬がオセアニアでは広い分布を示さず、これは乾燥葬のひとつと考えられた。

 ところで台上葬や樹上葬の特徴には再生信仰が伴うことだった。すると、琉球弧の再生信仰は、乾燥葬の一種としての風葬、洞窟葬に由来すると考えることもできるが、そう単純ではないと思える。再生信仰と風葬、洞窟葬がセットで語られたことはないからだ。

 一方、メラネシアにおいては、地下他界、埋葬、頭蓋保存、死穢がセットである習俗が濃密に現れている。おまけに来訪神儀礼がよく出てくるのもメラネシアだ。頭蓋保存は、埋葬後、頭蓋のみを取り出し保存するものだが、これは洗骨の際、とりわけ頭蓋を重視する琉球弧とも似ている。すると、「埋めること」から「洗うこと」に向かうベクトルは、琉球弧の元型のひとつとして見なすことができるように思える。

 本来、「埋めること」と「埋めないこと」には、対立する思考があるはずだが、琉球弧の場合、それが明瞭に現れてこない。琉球弧にも樹上葬は認められるがこれは祝女だけが行ったもので、ふつうの島人に拡張して考えることはできない。なぜ、洞窟であり叢林だったのか。これはもしかしたら、「埋めない」葬法なのではなくて、「埋められない」葬法だったのではないか。仮にそうなら、琉球弧の葬儀は三角形を構成せず、傘を閉じるように、「埋めること」と「洗うこと」の線分で表すことになる。

 「埋める」ことが本来的であったとして、トロブリアンド諸島の例をみれば、再生信仰は埋葬という葬法からも発生しうるわけだ。

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 仮に風葬や洞窟葬が、本来的な葬法ではなく、「埋められない」埋葬だとしたなら、洞窟や叢林に置いたことは、地下他界への入口としてそうしたのではないかと考えることができる。

 洞窟葬とは何だったのか。もっと突き詰めなければならない。

 洞窟葬は、家を捨てる遷居葬の系譜において、家を捨てなくなり死者を外に出した場合は、洞窟葬のみになる。それとは別に、「埋められない」から洞窟においた場合は、「埋める」埋葬と同じ態度でこの場合は、洗骨を伴った。洞窟葬にはこの両者が混在しているのではないか。

 そして琉球弧の再生信仰は、トロブリアンド諸島と同様、母系社会の強さがそれを生んだ。象徴的にいえば、おなり神信仰だ。

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