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2014/10/05

来訪神と人間としての再生信仰

 分たれたこの世とあの世を時を定めてつなぎ直すために来訪神が出現するとしたら、それは再生信仰とどのような関係にあるだろうか。

 秘密結社のなかの成人儀礼において、仮面仮装で神話を演じるマリンド・アニム族は、死霊は昼は鴉の形をとるとされるが、より一般的には「死んで動植物に転生するという信仰が広く行われている」(p.311『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』棚瀬襄爾)。これはマヨの祭儀において、マヨの母(娘)を穀物の再生を託して殺害するのだから、当然だ。

 タミ族については、仮面仮装の儀礼がどんな内容かをぼくは知らないが、死後は来世を送った後、蟻や蛆になるという転生信仰を持っている。

 不死のトゥブアンと毎年死ぬドゥクドゥクの仮面仮装儀礼を行うニューブリテン島では、現世と酷似する来世の信仰がある。死後、霊魂は各種の「動物に入りうる」(p.164)としている。

 来世で過ごした後、同じ母系の誰かとなって再生するという明確な信仰を持つトロブリアンド島では、仮面仮装の来訪神は観察されていない。ただ、収穫祭のミラマラにおいて祖霊の来訪は意識されている。

 そもそもマヨ祭儀において、少女が穀母として殺害されるのは、植物としての再生信仰がなければ行えない。来訪神の共同祭儀化が明確なトゥブアンとドゥクドゥクを行うニューブリテン島では、すでに植物への転生信仰はなくなっている。植物の生育と人間の成育の時間的な流れのちがいを意識化するということは、植物と人間の違いを意識化することでもある。そこで植物への転生信仰は断たれる。

 ところで人間としての再生信仰を持つトロブリアンド島では、仮面仮装の来訪神は現れていない。不可視の祖霊がやってくるのみだ。人間としての再生信仰にいたるには、人間と植物、動物との違いが明瞭に意識され、他の存在から区別されている。ということは、スピリットたちの世界からも遠ざかるから、表象する術を無くしているのではないだろうか。人間としての再生信仰の強化は、来訪神の不可視化と相関を持つのかもしれない。あるいは、来訪神を祖霊的なものとしてしか表象できなくなるということかもしれない。


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