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2014/09/02

再生論 メモ

 人は死んだらどうなるのだろう。琉球弧において、それはどのように思考されてきたのだろう。酒井卯作の『琉球列島における死霊祭祀の構造』は、このテーマにおいても接近が試みられている。

 酒井は、「骨噛み」の習俗として取り上げている。葬儀に際して死者の骨を食べるというものだ。けれど、その奥に控えているのは、食人である。

昔は死人があると、親類縁者が集って、其肉を食べた。後世になって、この風習を改めて、人肉の代りに豚肉を食ふやうになったが、今日でも近い親類のことを真肉親類(マツシシオヱカ)といひ、遠い親類のことを脂肪親類(ブトブトーオヱカ)といふのは、かういふところから来た云々。(伊波普猷「南島古代の葬制」)
死体食肉の風は同族親近を表徴し今尚宮古、国頭、糸満地方にありては原始食人の慣行口碑に遺れり。「婆を焼いて嗅もかぐことできぬ程縁遠き者よ」といへるあり。又糸満にありては葬式後豚を屠りて血族に其の骨を頒り、縁者は必ず戸外に出で、之を齧る慣行二三十年前迄事実として行はれり(仲地紀晃氏実験談)。国頭地方には今尚豚を屠り葬送の意を「婆(又はヂヂ)を食って来たか」と称せるあり」(田村浩「琉球共産村落の研究」)
「西表与那国二島の土民人肉を食ひし事」。「屠躯を見れば群集して之を嗜食し餘肉を遺さず」、「凡そ四百年以前迄は全く之を脱却するに至らず」、という背景から、慶田城が人道に反するを説いて改めさせた(田山花袋篇「琉球名勝地誌」)

 いずれも伝承化されたものだが、「琉球名勝地誌」のように時代を設定しているものもある。「凡そ四百年以前」というのは、16世紀に当っている。琉球弧において国家が成立し、中央集権体制が整う頃までということだ。

 実際の食人の伝承以外にも、豊富なのは「葬式に行く」ことを示す比喩のなかだ。

 シシカミに行く(徳之島天城)、プニシズ(骨をしゃぶる、宮古島)、ピトカンナ(人を噛みに行く、八重山)、ピトゥクンナ(人を食いに行く、八重山)。

親類に死人の出たことを老人に告げると「アンスカ・ムム・ファリンサカメ(それでは、股、食べられるね)と言われたものである(石垣島、池間栄三『与那国島の歴史』)

 「肉を食べる夢をみると親族の誰かが死ぬ(新城島)」というように、この習俗がお告げとなる夢として伝えられているところもある。

 これを見ると、かなり率直にあけすけに言われていて、禁忌感とは程遠い印象を受ける。また、新城島の「肉を食べる夢をみると親族の誰かが死ぬ」という俗信は、実際の習俗を背景にしたことを伺わせるものだ。

 この習俗が豚や牛へ変わった経緯を語る言い伝えも残っている。

 事例1.昔死者を食べたといわれ、文明が進んで自分の親兄弟を食べるのは大変だといって四つ足に変わった(池間島)。

 事例2.人が死んだら縁者が集まって死人を焼いたり、あるいは生で食う風習があったが、後世になってこれを牛馬の肉に変えたという(八重山)。

 事例3.昔下方(島尻郡を指す)では死人があると、山羊と一所に煮て食ったさうだ。然るに中世或る孝行者が生れ、親の死体を食べるのは如何にも情に於て忍びなかったので、牛を屠って、皆に此を提供し、「親の代りに此を食べて下さい」と云った。それ以来屍を食ふ代りに葬式に牛豚等を屠って、此を会葬者に御馳走する風俗が始まったとのことである(佐喜真興英「南島説話」)

 また、民話化した場合も残っている。

 事例1.昔与那国島では老人を殺して食べる習俗があった。若者は、「次は誰を殺して食べようか」などと話し合った。親思いの若者がいて、島にもちあがった難題を親に解かせ、以来、村人は老人の大切さを知り、それ以後は豚肉をもって代用するようになった(崎原恒新「南島研究」8号)

 事例2.昔、ミニタヤマというヨウニ(阿呆)がいた。父親はそこで、村一番の賢い嫁をもらうことにした。ある日、ヤマの親戚の家で牛が死んだ。牛をどうしたものかと言われ、妻に教わった通りに、「肉は売って金に替え、骨は親戚に配るといい」と答えると、親戚は「それはいい考えだ」と感心し、ヤマを褒めて帰った。その後、こんどは親戚の婆さん(パーパー)が亡くなった。親戚がヤマにどうしたらよいかと尋ねると、妻が留守だったので先日褒められたことを思い出して、「肉は売って金に替え、骨は親戚に配るといい」と答えてしまい、親戚からひどい目にあった(与論島)。

 与論島のミニタヤマの例は、すでに昔話になっているが、この民話が醸し出す怖さは、食人の記憶を背景に置くと、リアルに感じられてくる。西表島、与那国島の伝承のように他者からの説得と、島尻の「親の死体を食べるのは如何にも情に於て忍びなかった」という子からの懇願とはどちらも説話のプロットというより、実際の経緯であったろうと思わせるものだ。

 食人とは、どういう習俗だろうか。

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、南太平洋における骨噛みの習俗を挙げてみると、オーストラリアを中心に十余りの例に出会う。

 事例1.アタフ(ヂュークオブヨーク)島(ニュー・ブリテン島東北沖)。ラグーンの深所に水葬するのが一般的。敵意を有する者の死体を引きあげて食うこともある。一方では死者の家に埋葬することもある。

 事例2.ニューギニア中央部の諸族(山岳住民)。殺した敵の肉を食う。自部族の場合は、小さい筏に乗せてセピク河に流す(p.334)。

 事例3.マラ族(北部オーストラリア)。住居から離れた叢林のなかで焼かれる。母の兄妹の子が行う。死んだ人によって食べる人も決まっている。ムンガライ族も同様。

 事例4.グナンジ族(北部オーストラリア)。倒した敵を食べる。また、自部族の死者をも食べるという(p.104)。

 事例5.ビンビンガ族(北部オーストラリア)。死体は死の直後、異半族の者が、全関節を切断。地面に穴を掘って、火を焚き、石を熱し、切断した死体を置き、緑の小枝で覆い、その上に、土を積んで焼く。異半族の者が食べる。

 事例6.北部オーストラリアヨーク岬半島東岸の諸族。死体の各部は親族に分配される。心臓、肝臓は、最近親が食べる。食肉を与えるのは、同一氏族、同一半族に属するもの。死者の特別な徳や能力(たとえば、ヤム芋の採集)を獲得するため(p.111)。

 事例7.マリボロー周辺の諸族(東部オーストラリア)。食人の際は、骨は直ちに集める。埋葬、火葬、台上葬(p.92)。

 事例8.アンタキリンジャ族(南部オ-ストラリア、オールデア地方)。死産児は、近き将来の再生を確保するために母が食べる(p.117)。

 事例9.ディエリ族(南部オーストラリア)。父方の男の娘の子または母方の祖父が墓中に入り、顔、大腿、腕、胃についている脂肉を切り取り、親族に食べさせる。食べる者は親族関係が決まっている。この食肉はもはやそれ以上、悲しまないためであるという(p.95)。

 事例10.タンガラ族(オーストラリア、場所不明)。死者の遺骸を袋に入れて持ち歩き、死者に対して悲しみを覚えると肉を食い、ついに骨のみにする。骨は粉にして大水の時に投ずる(p.95)。

 これをみると、ニューギニアにおいては敵を食べる行為としてあり、近親の死者を食するのはオーストラリアで見られる。いずれも狩猟採集の生活民でかつ、埋葬は行っていない。ディエリ族、タナガラ族では悲しみを和らげるためであり、ヨーク半島岬の例に見られるように、死者の徳や能力を引き継ぐためであるとされる。

 ここには、肉体と霊魂の明瞭な分離が行われていないと思える。明瞭な二元論を持てば、霊魂を本質とし、肉体に「徳や能力」が宿るとは考えないからである。

 葬法とともに、他界観念が挙がっている事例を挙げてみる。

 事例1.ムンガライ族(オーストラリア)。太古の祖先たちが、わが身を打つと、トーテムに属する精霊児が出て、人間となった。死者の霊魂は、父祖の地に行き、やがて再生するが、再生ごとに性を変える(p.57)。

 事例2.ビンビンガ族(北部オーストラリア)。死霊は骨や火の上を彷徨う。儀礼を終えると、死者の霊魂は神話時代の祖先の地に帰り、しばらく歩きまわって再生する。

 事例3.アンタキリンジャ族(南オ-ストラリア、オールデア地方)。死後、死体から毛髪を切り取り、これで髪の毛の輪をつくると、死者の霊魂はそこに入り、トーテムサイトに行き、虹の蛇に飲まれる(p.60)。

 事例4.ディエリ族(南部オーストラリア)。死者の霊魂は睡眠者の夢のなかで訪れる。このような夢をみると、呪医に告げ、呪医が真実の幻覚であると判断すると、墓に食べ物を持っていって、火を点けるように命じる。死霊は天に昇る。一方、地上をさまようとも考えられている(p.52)。

 いずれも他界観念を発生させており、したがって霊魂は肉体から分離するという観念も持っている。ということは、他界観念を発生させていても、明瞭な霊肉二元論ではなかったことを意味するだろう。そして、ビンビンガ族とムンガライ族では、再生信仰を認めることができる。ここでいう再生信仰とは、死者が再生するという意味だが、食人の直接的な動機は、「悲しみを和らげるため」であったり、「死者の徳や能力を引き継ぐため」であるという、死者よりも生者の観点が強く、生者の中に死者を蘇らせる行為だと考えられる。

 オーストラリアのアボリジニでは、食人は行われていないが、埋葬後、死者のを骨を取りだす例がある(『アボリジニの世界』)。

 埋葬団一行は、大声で泣き叫びながら、死者の骨を掘り起こす。墓から取り出された骨は、きれいに拭かれ、埋葬者たちの身体に擦り付けられる。こうすることで、遺骸に宿る最後の「エッセンス」が埋葬者一人一人の身体に染み込まれてゆくのだ。死者の連れ合いは、頭蓋骨を使って同じようなことをする(P.475)。

 これなども食人ではないが、同じ意図が込められていると見なせるものだ。折口信夫が言うように、「食人習俗の肉を腹に納めるのは、之を自己の中に生かそうとする所から、深い過去の宗教心理がうかがはれる」ものだ(「民族史観からみた他界観念」)。


 酒井は、血の習俗への接近も行っている。親の骨に子どもの血を滴らせて親子の判定をする滴血の信仰だ。

 事例1.(洗骨において-引用者注)最も近親のもの湯を以て其骨を洗ひ、悉く之を瓶(内地の水瓶に類して蓋に小孔数多あるもの)に入れ、若し其骨数不足の時は女子或は父母の指頭を刺血し、近傍の骨に点附し之を探求するなり(是れ親子兄弟お血液は其骨に浸染するとの言伝へによる)。(林若吉「宮古島の洗骨」1895年)

 事例2.右手の人差指を切って血が骨につくと自分たちのご先祖だと分かる。(崎原恒新の記録。沖縄島与那原、1977年)

 滴血は、人間の血を離れ、動物になると、場面に広がりが出てくる。

 改葬

 改葬の時、鶏をとって焼いてからその墓に振り散らした。墓石を建てる際もそうした(喜界島羽里)。
 改葬の際、鶏を一羽屠り、その血を門におき、肝臓を焼く。改葬が終わると庭に筵を敷いて、その肝臓を小さく切って共食する(喜界島中間)。
 改葬や墓石を新たに建てる時は鶏を殺して墓の入口にその血を撒いて、料理して食べた。これを「成就祝い」という(喜界島川峯)。

 重病人

 重病人がいると、動物を殺して身代わりにした(与路島)。
 厄払いの時に身代わりに動物を殺した(請島)。
 重病人がいると、動物を殺して、その血と肉を東方に向けて供える。肉は重病人に与える(喜界島志戸桶)。

 儀礼

 ハラタミ儀礼において、子牛を殺して、骨肉の七切をそこに吊るし、残りは内臓に至るまで各戸に分配し、老人たちは集まって酒盛りしながら共食する。牛の血は木の枝に塗って各家の門の両脇にさした(喜界島手久津久)。

 イッサンボ(首の長い藁人形で、神の使者だと信じられている)は、稲を雀や猪害から守るために田に立てられ、注連縄をはり、動物の血や内臓を塗りつける(徳之島犬田布)。

 葬列に使われる天蓋にまず鶏の血をぬる(座間味島)。
 石敢当を建てる時に鶏を殺して生血を門口に撒いた(喜界島先内)。
 骨を墓に移すとき、鶏を殺して墓の後方に埋める(石垣島)。
 家の新築のとき、ユタが祈願する前に、建主は鶏を主要な柱に打ちつけて血を流し、この鶏はあとで共食する。「新家(みいや)拝(ふが)み」という(沖永良部島)。

 人間の生命の証である血を死者の骨に塗るという行為に、酒井は霊魂の蘇生あるいはセジ(霊)づけを見るのだが、滴血においては、死者の再生という側面を認めることができる。

 『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、同じように南太平洋の例を抽出してみる。

 事例1.タミ族(ニューギニア)。死者の肉が腐り去ると、死者の骨を掘り出し、岱赭(たいしゃ)で赤く塗り、これを束にして、二、三年家の中に保存してから埋葬する。最後に埋葬すると、墓には厳重に木の垣を結び、植える。しかし、年が経って記憶が薄れると、墓には構わなくなる(p.325)。

 事例2.ヤビム族(ニューギニア)。死者が愛児や重要人物の場合は、埋めずに包んで、腐るまで家の中に置き、しかる後に頭蓋、腕骨、脚骨に油を塗り、赤く染めて若干期間保存することがある。まま木乃伊にすることもある(p.326)。

 事例3.マリンド・アニム族(ニューギニア)。死者を家の中の、日常、座ったところ、寝所、炉辺を選び埋葬する。1年後、墓を掘り出し、岱赭(たいしゃ)で赤く塗る。頭蓋を洗って赤く塗る。そして再び墓に納めるが、このとき胸の上にサゴを載せる(p.340)。

 事例4.カカドウ族(オーストラリア北部)。墓が完成しかかると、近親者は死体の側で自分の頭を切り、血を顔や身体にしたたらせる。墓に注ぐ(p.107)。

 事例5.ビンビンガ族(オーストラリア北部)。食人のあと、腕骨の一つに岱赭(たいしゃ)を塗り、これを革紐で縛り、さらに石灰をぬる。死者の母の兄弟の息子が持って、最終儀礼の触れに持ち歩く。

 ここでは、人間の血を骨に塗る事例はみつからず、顔料の岱赭(たいしゃ)が登場している。色の赤は共通しているのを見ると、これはむしろ琉球弧の方が古層を指していて、もともとは人間の血を使ったものであるかもしれない。オーストラリアのカカドウ族では、近親者の血を墓に注いでいるが、これは動物の血を注ぐ琉球弧の事例に対して古層を指すだろう。

 ビンビンガ族は、食人のあとに骨を赤く染めている。これらの事例が意味するものを掴むために彼らの他界観念を参照してみよう。

 事例1.タミ族(ニューギニア東部のタミ島はじめ小島群)。人は長い霊魂と短い霊魂を持つ。長い霊魂は影と同一視。睡眠中、身体を離れ、覚める時、帰ってくる。胃にある。人が死ぬと長い霊魂は、死体を離れて遠方の友人に死去を知らせる。その後、ニューブリテン島西岸を経て、北岸の村に行く。短い霊魂は死後のみ離れて、しばらく死体の付近を彷徨ってから地下界、ランボアムに行く。ランボアムは現世と酷似するが、現世より美しくより完全。ランボアムに行った霊魂は、蛇形でときに現世に帰来する。この時、シューシューという音を立てるだけだが、この音を解釈する者(主に女)がいて何を話しているか判断する。また、死霊に尋ねる能力のある者(主に女)がいて、これは世襲。ランボアムで死んだ霊魂は、蟻や蛆になる(p.289)。

 事例2.ヤビム族(ニューギニア東部)。死霊は、あの世では影のごとく、この世の延長の生活をする。他界はシナ諸島のひとつにある。一方、死者の霊魂は動物に転生するとの観念もある。ひとつは水鏡に映る映像、一つは陸に映る影で、シアン島に行くのは前者、後者は転生する(p.290)。

 事例3.マリンド・アニム族(ニューギニア南部)。霊魂は死後まで存在する。霊魂は死ぬと口から抜け出る。そのため口に竹を差し込んでおく習俗がある。他にも、大きな蠅の形をして、臍から出ると考える。しばらくは墓に留まる。霊魂は、夜は幽霊として、昼は鳥(鶴)および鴉(カラス)の姿を取る(p.301)。

 事例4.カカドウ族(オーストラリア北部)。国は元来、人々と精霊児に満ちていて、絶えず再生を続けている。霊魂、ヤムル(yamuru)は、しばらくするとヤムルとその影のようなイワイユ(iwaiyu)に分かれる。ヤムルが再生したくなると、遺骨を離れ、叢林で食べ物を探しに来た人を見つけると、ヤムルはイワイユを蛙の形にして食べ物に付ける。人がこの食べ物を取ると、イワイユは逃げる。何も知らない人が家に帰り寝静まると、ヤムルとイワイユは男と女の寝所に入る。イワイユは男を女を嗅ぎ、女に入る。ヤムルは再び自分の宿所に帰るが、女が子供を持つと、夜、夫にその子の名とトーテムを告げる。ヤムルは子供が生まれ、生長し、老いるまで保護の役をなし、いよいよ老いると、その人間のイワイユに新しき子供とトーテムの準備について語る。そこでヤムルは任務を終え、イワイユが新しいヤムルになる。子供は祖先のなかの特定の人の代表者と見られる(P.58)。

 事例5.ビンビンガ族(オーストラリア北部)。死霊は骨や火の上を彷徨う。儀礼を終えると、死者の霊魂は神話時代の祖先の地に帰り、しばらく歩きまわって再生する。

 驚くことに、いずれの事例も動物への転生、人間への再生信仰が見られる。人間の血、あるいはそれに代替した顔料、あるいは動物の血を塗るという行為に琉球弧の再生信仰を見る酒井の見立ては、的を外していないと思われる。


 酒井は、食人、血、の他に「水」という視点からの接近も行っている。

 蛇のように脱皮してすでる、つまり生まれ変わる力を持たない人間が、それによってすでる力を得ようとしたのが、孵で水(しぢ水)、若水だった。水は、琉球弧のなかでことのほか大きな意味を持っている。

 琉球弧の島人には帰属すべき水があった。家が所属する井泉(かわ)があった。井戸ができた後は、それに代わる。その帰属性が露わになるのは、家の移転、婚姻、出産においてである。

 たとえば、宮古島では、家の移転の際、元の家の井戸に祈願をし、その一部を取り、移転した家の最初の茶湯として飲むことによって移転完了の呪術とした。以前は、内地へ移転する時も、元の家の水を持参し、内地の家の最初茶湯に使い、飲んだ。帰属する水を断たなかったのだ。

 沖縄島知念では、婚姻の際、家を出る時、松明を灯し、臼を倒して親との別れの水盃を交わす。ついで婚家に着くと、その家の水を新夫婦が飲むことによって入り家の式が完了した。琉球弧は長く母系社会であってみれば、夫が妻方の井泉を拝むことになるのが普遍的だったはずだ。

 沖縄島喜如嘉では、出産の際、部落発祥の時から先祖が使っていたタマタ川から産水を汲んだ。宮古島平良でも、家系によって代々使われている生まれ井戸があって、産水はそこから汲む。それをシラ湯よと呼ぶ。八重山でもシラ水と呼ぶところが多い。シラは出産を意味している。

 宮古島砂川では産後数日めに子どもの親井戸から水を汲み、湯を沸かせて産児を浴びせる。浜比嘉島では産井(うぶかあ)から汲んできた産水(うぶみず)を湯にして浴びるか、その水を額につける。これが井泉(かわ)下りだ。

 琉球弧において、出産、婚姻、家の移転というライフステージにおいて、水、しかもその島人の帰属する水とのつながりが不可欠なものとして重視されているのが分かる。しかし、こうした例を挙げて、酒井が考察するのは、ライフステージの終局である死においての水の果たす役割についてである。

 沖縄では、死者の遺体を洗う湯灌をアミチャージと呼ぶが、これを産井から汲む例が、普遍的ではないが、多い。たとえば、那覇市小禄がそうだ。井戸水になってからは、産井の水に祈願を加えて井戸に加えた。名護市屋我部では、正月の若水も産水も古い井戸のものを使い、死んだ時も必ずここの水を使う。

 井泉や各戸にひとつできる前の井戸は数が少なかったのだから、必然的に同じ水を使わざるをえない。しかし、ここには、川の場合は上流を産水、下流を死水として汲む場所を分ける。井泉の場合は、死者の場合、二人で汲みに行ったり、桶ではなく木の葉で汲んだりして方法を変える、などの所作によって違いが意識されている事例がある。

 しかし、違いが意識されるのであれば、死者の場合は、「すでる力」を得ようとするのとは違う意味を持ちうるのではないか。酒井は自問のなかで生まれる問いに対して、いくつかの例を挙げている。

 事例1.産井から産水を取り、湯灌もそこから水を取る。これをウイミジと呼ぶ。ウイミジとは産水のことだと考えられる。洗骨の時もこの産井から水を汲む(伊是名島)。

 事例2.湯灌のことを「すで水浴びし」と呼ぶ(池間島)。

 事例3.湯灌用の水はなるべく遠くの井泉から汲んでくる。水汲人とそれを受け取る人との問答。
 受取人 「その水は何水か」
 水汲人 「これは死水です」
 受取人 「その水は何水か」
 水汲人 「これは死水です」
 受取人 「その水は何水か」
 水汲人 「クンミジィヤ スィディルミィジィ(この水は生き返る水だ)」
 この答えを聞いて初めて水を受け取る(奄美大島竜郷、赤尾木の渡重彦翁)。

 事例4.死水を浴びせるものは、「果報の人」を選ぶ(西表島祖納)。

 事例5.湯灌(アミチュウジ)をするのは、二人の姉妹(うなり)である(宮城島)。

 事例6.喪屋のことをシラヤと呼ぶ(沖縄島与那)。

 事例7.井戸を亀甲墓に似せて作っている。古老たちは、墓に似せて作るように教わったという(沖縄島大里、村井)。

 産水を意味する「ウイミジ、ミジウブ」を湯灌にも用い、洗骨にも用いることもある。湯灌を「すで水浴びし」と、生き返る水を浴びせると呼び、その役を「果報の人」や「をなり神」に託す。喪屋のことを、出産を意味するシラの言葉でシラヤと呼ぶ所がある。こうした例で酒井が追究しているのは、死に際しても、帰属する水を用いるが、そこには、すでる、再生する信仰があるからではないかということだ。

 井戸を墓に似せる例に触れて酒井は書いている。

 井戸をことさらに墓に擬して作る理由は、もう説明するまでもないと思う。かつて琉球王朝が先祖の水を拝んだように、人びとは先祖に回帰しようという意味で井戸を墓の形に擬して作る。その先祖の水が生児の産水となり、やがて死水ともなるわけである。ここには水を媒介として、死から祖霊へ、祖霊からまた生へと還元されていく信仰の一端を垣間みることができる。

 この再生への祈願は、死水の水汲人が、水を受け取ってもらうために、二回の問答の後に言う、「クンミジィヤ スィディルミィジィ(この水は生き返る水だ)」という言葉が鮮やかに示している。酒井も、「なんという素晴らしい会話であろうか」として、「ここではもう、死と生の時間的な距離はほとんど存在しないのである」と書くのだが、ぼくもまた、この点に目が惹きつけられる。添寝で見られたのも、霊魂の即時的な転位の所作だったからだが、そこでは死者の霊魂が生者へと転位する所作を見た。しかし、ここでは、その死者もまた、即時的に生へと還元されるのである。

 ぼくたちは、骨噛み(食人)における再生は、死者自身の再生というより、生者のなかに死者の能力が取り込まれる形態を見、滴血においては、南太平洋の部族に、血ではなく岱赭(たいしゃ)で赤く塗る部族のなかに再生信仰があるのを見てきたが、食、血、水まできて、死者の再生への確かな手応えを掴むに至るように思える。

 ぼくたちが酒井の挙げる例と考察を追ってきたのは、再生ということを明確な信仰の形で耳にすることがなかったからだが、ここまで来ると、再生信仰の明瞭な様式を持っていることに気づかされる。童名である。

 生後、名付け祝いとともに授かる童名は、身近であり、特に近親者のなかでは、戸籍上の名より使われることが多かったものだ。いま、現在でも童名をつけている島として与論島の例を挙げてみる。東恩納寛惇の「琉球人名考」を参照して、当てられた漢字に関わらず、元の意味を考えられるものはそれを付記する。

 男女共通
 ウシ(牛)、マチ(松)、カミ(亀)、ハナ(カナ、愛)、ハマドゥ(カマドゥ、竈)、ナビ(鍋)、チュー(千代)

 男のみ
 マニュ、マサ、トゥク、ジャー、ハニ、トゥラ(虎)、ヤマ(山)、サブル(三郎)、グラ、ダキ、タラ(太郎)、 ウシャ、ムトゥ、ハンドゥ、ビチャ

 女のみ マグ、ムチャ、ウトゥ、タマ(玉)、ウンダ、クル(黒)、アートゥ、アキ、チル(鶴)

 これを見ると、牛、亀、松など、トーテム的な動植物として選ばれたもの、三郎や太郎など大和言葉の男性呼称を拝借したもの、黒という色など、用法の広がりが見られるが、童名とはつまり霊魂(マブイ)の名を意味するものと考えられる。

 それは、奄美大島では山中で迷子になっても、けっしてその人の童名を呼ばない。もし童名で呼べば、ケンムンに知られてとりかえしがつかなくなると言われていた。また、沖縄では危篤の病人の魂呼ばいをする時は、老人であっても必ず童名で呼んだ。酒井が挙げるこうした例からも、そのことは了解できる。

 こうしてぼくたちは再生信仰は、どの段階で琉球弧に存在してきたのかという問いに導かれる。考えられるのは、家を捨てるという段階では、少なくとも動物への転生ではなく、人間への再生という観念は発生しないのではないかということだ。『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』によると、死者の死後、数年のあいだは、死者の名前を、氏族員や親族は口にすることができない。死者の名前の由来となるトーテムの動植物や土地の名称も変えなくてはならない。死者の名前と似た響きを持つ言葉すら、別の呼び名に変えられてしまう。妻にいたっては、沈黙の誓いを立て、数ヶ月から数年、沈黙を守り、その間は身振り言語で会話するのだ。そして名前だけではない。死者の生誕の場所も死の場所も、数年間は回避の対象になり、彼らには家屋の概念はないが、野営地に近寄ることができないのだ。この理由には、死者への不敬に当るということと、死者の霊が現世に留まりかねないという説明が当てられている。

 この場合、死が妻の対幻想に欠損が生じるというだけではなく、名前において氏族員全体の世界に対する関係性の組み換えが行われている。これは、対幻想と共同幻想は、わかちがたく結びついているので、死が妻の対幻想の欠損というに留まらず、氏族の共同幻想の再編成に及ぶのを見ることができる。

 再生という観念が発生するには、対幻想が共同幻想に対して独自の位相を持ち、そこに永続性が託されていなければならないと思える。琉球弧のように、掘り下げることによってではなく、強固な観念体系として再生信仰を持つ島人としてトロブリアンド諸島の例を挙げることができる。

 トロブリアンド諸島では、死者の霊魂は、実在のツマ島で新しい生を生きるが、戻りたくなると、流木、木の葉、樹皮、かれた海藻、海の泡沫など、海に浮かぶ媒介物によって島に戻り、「精霊児」として女性に宿っていた。生まれてくる子は、母系の氏族員の誰かの霊魂だと考えられているが、はっきりは分からない。時に、妊娠した女性に祖先が現れ、誰の霊魂であるかを告げることはある。
 
 このトロブリアンドの母系社会では、兄弟姉妹の関係を軸に、家族と共同幻想を同一視して、「われわれは一体である」という信憑を成立させていた。この対幻想の永続観念が、再生という観念を生んだ基盤なのではないだろうか。しかし、このとき、ぼくたちはたとえばニライ・カナイに移った霊魂が再び戻ってきて再生するという信仰を聞いたことはない。手元にあるのは、祖父母の童を授かるという習俗である。これは、記憶の範囲にある確実な名前が二世代前という現実的な要因もあるのかもしれない。しかし、膝抱き人(チンシダチャー)に、霊魂の即時的な転位という仕草を見る視線から言えば、ここでも再生は即時的に行われることが観念されていた痕跡を見ることができるのではないだろうか。


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