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2014/09/10

霊魂論 メモ

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から南太平洋の例を見ると、霊魂について、「影」という言葉に頻繁に出会う。それはまず、「霊魂」という言葉が「影」の意味も持つことである。

事例1.ショートランド島。人間の霊魂はnununa(影の意を有す)と呼ばれる(P.168)

事例2.トレス海峡西部諸島。死者の霊魂はmariと呼ばれ、これは影ないし反映を意味する。(P.282)

事例3.ソロモン諸島のエディストン島人。死者またはその一部、死体、頭蓋、遺骨などをtomateと呼び、霊魂をgalagalaと呼ぶ。ガラガラは影を意味し、反映を意味し、また写真を意味する。(P.168)

事例4.ニュージーランドのマオリ族。人間の霊魂を指す語が二つある。一つはwairuaであり、他はhauである。Wairuaはよりしばしば用いられる語で、また影、非実質的な像、鏡などに映る顔のごとき映像を意味するから、これが元来の言葉の意味であろう。Hauは人間の『生命の本質ないし生命原理』で、元来は風を見したようである。(P.401)

事例5.ブーゲンビル海峡のモノ(Mono)島人。各人一つの霊魂(nunu)を持つとしている。Nunuは(1)人間存在の継続的原理ないし本質、(2)影、(3)水に映る映像の3意を持っている。Nunuは常接尾語を附してnu-nugu(私霊魂)のごとく使われる。(P.164)

 霊魂を表す言葉は同時に「影」の意味も持っている。これは、霊魂を指す比喩として「影」という言葉を使ったのだと考えられる。これは霊魂がイメージ化される最初の段階に当るものだと思われる。

 次に、霊魂の言葉の意味のなかに「影」が含まれるのではなくて、霊魂と影が同一視される場合が出てくる。

事例6.ソロモン諸島東北にあるオントンジャワ島。総ての生ける人はgeingaとkipuaの二つの霊魂を持つとする。Geingaは影に現れ、生存中はおぼろげな守護の役目をするが、生者から離れる実体ではない。Geingaは人が死ぬと直ちに存在しなくなるが、もう一つのkipuaは、不滅で死後に残る人格の唯一の部分である。(P.381)

事例7.ニューギニア東部の小島群のタミ族。人間は誰しも長い霊魂と短い霊魂を所有していると考えられている。長い霊魂は影と同一視され、所有者との関係は緩く、睡眠中、身体から離れ、覚める時に帰って来る。それが本来ある所は胃である。(P.289)

 どちらも人間には複数の霊魂があるとされ、その一つは影であるとしている。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』を見ると、影が人間の霊魂と同一視された段階では、霊魂は影に影響されるものになる。

 アンボンとウリエーズという二つの島では、「赤道近くであるため、正午になるとほとんど影ができない。このため、正午に家から出ではならないという掟がある。外に出ようものなら、ひとは自分の魂である影を失ってしまう」。ここでは影が無くなることは霊魂を失うことと同義に見なされている。ウェタール島では、「呪術師は、影を槍で突いたり剣で切り刻むなどして、人を病気にすることができる」し、ババル諸島では「悪霊は人間の影を強く掴んだり、殴ったり傷つけたりすることで、人間の魂を支配する」と考えられた。また、メラネシアにあるいくつかの石は、「人間の影がそこに落ちると、石の悪霊がその人の魂を抜き取る」とされた。いずれも霊魂と影が同一視されることによって、影が擬人化されて対象化されている。

 さらに霊魂のイメージ化が進んだ場合、それは「水に映った映像」になる。それは既に霊魂の意味の広がりのなかに、「影」とともに登場しているものだった。

事例8.ダントルカストー諸島中部のドブ島人。霊魂は水たまりに映る映像であるとし、また土人は明確に定義することを拒むけれども、ある意味で、影に関係を持っている。ときによると、土人は影がBwecwesoへ行くということがある。Bwebwesoはノルマンビー島にある死者の霊魂の山である。時によると影と霊魂とは異なるとしているが、影は霊魂のとるかもしれない形態である。(P.283)

事例8.サンクリストヴァル島。人間はadaroとaungaの2種の霊魂観を持っているという。アダロは火や太陽からの影であり、いわば一種の幽霊で、人間の悪意ある厄介な部分であり、アウンガは、平和なよい部分で、水や鏡に映る映像にあたる。(P.171)

 この段階でも、「影」は霊魂としての意味を無くすのではなく、意味が希薄化したり、ネガティブな意味を担わされたりする場合があるのが分かる。『初版 金枝篇〈上〉』によると、アンダマン諸島では、「自分の影ではなく、鏡のようなものに映った姿を、自分の魂と考える」と、既に「影」ではなくなっている。また、ニューギニアのモトゥモトゥ族では、「鏡にはじめて自分の姿を見て、それが自分の魂であると考えた」とあるが、これは既に「水に映った姿」を霊魂と見なした延長で捉えることができる。水に映った姿を霊魂と考える場合でも、影と同様、霊魂に影響を与える者だ。ズールー族では「暗い水溜りを覗きこもうとしないのは、その中にいる獣が鏡像を奪い、そのために死んでしまうと考えるからである」。また、メラネシアのサドル島では「その中を覗き込んだ者は死んでしまうという水溜りがあり、悪意に満ちた霊が、水に映った影を使ってその人の命を捕らえてしまう」と考えられた。これは、「影」の場合と同様の思考法だ。

 ここまで来て、琉球弧においても「影」を霊魂と見なす思考の痕跡と言いうるものに思い当たる。洗骨である。洗骨は深夜あるいは早朝に行われる。万が一、陽が射すといけばいので傘を持っていくのが慣わしだ。

 珊瑚礁石をもうすこしずらせた時、墓を覆った松の大木から葉漏れ陽がひとすじ暗い穴に射し込んできらりと光をはねかえしました。すると女の人がお骨にティダガナシ(太陽の尊称)の光は禁忌だと言いながら男物の蝙蝠傘を墓の上にさしかけたのです。(島尾ミホ『海辺の生と死』)

 ここでも太陽が禁忌だという以外、その理由は語られない。けれど、「影」に霊魂の意味が宿っているなら、洗骨の太陽に照らされて影を生じてしまうのは矛盾である。深夜や早朝に洗骨を行うのはその矛盾を避けたからではないだろうか。洗骨によってマブイ(霊魂)が晴れて他界へ旅立てるというように考えても、洗骨によるセジ(霊威)づけて再生を祈願すると考えても、そこに影が生じるのは矛盾してしまう。だから、暗がりにおいて行うのは洗骨という舞台装置において欠かせないものだったのだ。

 影、水に映った姿あるいは鏡像の次には、肖像が霊魂が宿ると考えられるようになる。南アメリカのカネロ・インディオ族は、写真に撮られると魂を抜かれると考えられたが、これはもうぼくたちにもお馴染みの風聞なってくる。東アフリカのワテイタ族では、数人を写真に収めようとすると、自分たちの魂を取ろうとする呪術師であると考え、もしそうしたら自分たちは写真を取る人のいいなりになってしまうと考えた。マンダン族は、自分の肖像が他人によって描かれれば、まもなく死ぬことになると考えた。これらの思考も、影や水に映った映像の場合と変わらない。

 吉本隆明は『ハイ・イメージ論〈1〉』のなかで、この段階へ来て、霊魂の衣裳としての人間身体という概念が成り立ったと書いている。

肖像に霊魂がこもるという観念まできて、人間の霊魂は、はじめて完全に衣裳をまとうことになった。このことは逆に、人間ははじめてこの段階で、衣裳に物神性をあたえるようになったともいえる。衣裳は表皮とおなじ防寒や防傷の用具以上の、人間化された意味をもつようになった。衣裳としての人間はここではじめて自己自身のファッション・モデルになったのだといえよう。そこまできて霊魂が「影」をもち、肖像をもつことになり、霊魂の衣裳という概念がはじめて成り立つまでになったことを知る。

 裸身そのものが霊魂のとっての衣裳だと考えられた時、琉球弧ではトーテム動物であるヤドカリを入墨したのだと言ってもいい。あれは、霊魂にとっての衣裳なのだ。


 身体から霊魂が離れるマブイ抜けは、夢うつつの状態で覚醒時に起こるものだが、南太平洋に目を向けると、「夢」もこの現象の大きな根拠になったことが分かる。

事例1.ハーヴェイ諸島のマンガイア(ポリネシア)。霊魂は生時にも一時的に身体を離れることがあり、夢は一時的な霊魂の離脱によって説明され、重要事は夢によって決せられる。くしゃみは一時的に離脱した霊魂が帰来したしるしであるとされる。(P.395)

 夢のなかで人は現実世界とは遊離した世界を遊行するし、人に会ったりもする。その経験が、夢を霊魂離脱の現象と見なしたのだ。霊魂が睡眠中身体を飛び出して歩き回る(マレー半島のメンリ族)という観念も夢を根拠に置いたものに違いない。これは他人が見ても分かる合い図があって、霊魂が身体を抜け出している時はいびきをかく(オーストラリアの.ウルンジェリ族)であったり、目覚める時に帰ってきたり(ニューギニア東部の小島群のタミ族)するとされている。マンガイアにおいて、覚醒時のくしゃみが霊魂の帰来だとするのは、琉球弧では逆の考えになる。たとえば、与論島ではくしゃみをすると近くにいる者はすかさず「クスコレバナ(糞食らえ鼻)」と呪言を投げかけるが、これはマブイ(霊魂)抜けを避けるためなのだ。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』によると、インドのヒンドゥー教徒たちは、「だれかが人前で欠伸をすれば、つねに親指をパチリとならす。こうすれば、魂が開いた口から出てゆくのを防げる」という似た仕草が見られる。それにしても、鼾といいくくしゃみといい欠伸といい、ありふれた日常の振る舞いのなかに霊魂の所作を見る視線のなんと細やかなことか。

 しかし、夢の意味はそれだけにとどまらない。

事例2.ナランガ族(オーストラリア)。睡眠中、人間の霊魂は身体を離れ、他人の霊魂や死者と交通しうると考えている。(P.47)

事例3.クルナイ族(オーストラリア)。人間の霊魂をyamboと呼び、睡眠中、身体をはなれうるとする。霊魂は天に昇って父母を見ることもできる。霊魂が睡眠中、外出しうる根拠は、睡眠中遠方に行き、遠方の人々を見、また死者を見、これと語ることができることにある。(P.47)

事例4.ボトジョバルク族(オーストラリア)。人間の霊魂は生存中も身体を離れうるとするが、死後は友人の睡眠中に訪れて、友人を守護することができるとする(P.47)

事例5.ダントルカストー諸島中部のドブ島人(ニューギニア)。死者の霊魂のとる形態として重要なのは、夢に見られる像である。睡眠中霊魂は外に出る。Bwebweso(死者の山)を訪問した睡眠者の霊魂は、そこでDokanikani banana を食べてはならぬ。これを食べたものは、もはやこの世に帰ることができない(P.283)

事例6.グルティチュ・マラ族(オーストラリア)。死せる父や祖父達の死霊は、時おり夢で男の後継者に現われ、病気に対する呪歌を教えたり、呪力を伝えたりする(P.47)

 霊魂は夢のなかで身体を離脱するというだけでなく、死者とも出会う。これが、死者の霊魂、死霊の存在の大きな根拠になったのに違いない。そして死霊は夜に活動して昼は寝るというようにしばしば死霊の世界は現世の逆という解釈がなされるのも、夢が根拠になっているだろう。このことが深く信じられているところでは、オーストラリアのグルティチュ・マラ族のように、死霊は夢のなかで「呪歌を教えたり、呪力を伝えたり」することができる。トロブリアンド諸島でも、妊娠した女性に誰の霊魂の再生であるかを告げるのも夢の中の死霊だった。現在では、夢は精神分析の世界で無意識を探るものになっているが、野生の思考では、夢は覚醒の続き、もうひとつの現実だったのだ。だから、告げ知らせる力を持つことができる。ニューギニアのタミ族では、「人が死ぬと長い霊魂は、死体を離れて遠方の友人に死去を知らせる」とされるが、これも夢の中で行うことだと考えられるが、同じ観念は琉球弧にも見出すことができる。

 霊の遊離、必ずしも死又は仮死の状態とはならない場合も少なくなかった。その顕著な例は、夢に現れる人の姿をその人の霊魂と思い思い込むことである。その人が若し遠方にいる近親者でもあると、それを不の吉前兆として気に病むばかりか、度重なれば、イミガマラシャなどと称して、祈祷師(ユタ)を招いて祈祷させなねば気が休まらなかった。(柏常秋『沖永良部島民俗誌(1954年)』)

 ここまで来ると、夢を何らかの吉凶と結びつける感覚は、現在にも生きているのが分かってくる。これはもともと夢を現実の続きと見なした野生の思考に由来しているのだ。

 「影」は霊魂の存在に、「夢」は身体からの霊魂の離脱と死者の霊魂の存在に根拠を与えたのだ。死霊が夢に現れるのであれば、死霊は存在する。死霊が存在し夢に現れるのであれば、死霊の居場所があるのでなければならない。人間が他界の観念を生みだしたひとつの経路は、こうした思考の積み重ねがあったのに違いない。


 人間の霊魂は人間の似姿をしている。南太平洋の例でいえば、ソロモン諸島のエディストン島人では、霊魂であるガラガラは、「大人小人によって大小があるが、丁度人間のごときもの」であるといい、マレー半島ザブブン族でも人間のごとき姿をしている。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』では、より詳細な言及も見られ、エスキモーでは、「魂はその身体に類似しているので、太った体や痩せた体があるのと同じように、太った魂や痩せた魂がある」と言われている。こうした霊魂の形姿に関する思考も、夢が大いに預かっていたと思われる。琉球弧でも、「霊魂には個性があった。だから他と混同する恐れは全くなかった。それは、その個性を構成している容姿・声色・挙動等が死者生前のそれと、全く同一であったからである(柏常秋『沖永良部島民俗誌』)と、見れば分かるという言い方で言われている。体外に出た場合も、イキマブイ(生霊)が笑っているともう取り返しはできないが、うつむいているとまだ連れ戻すことができると死の前兆を察知する際に言われるように、同様だ。

 だが、霊魂が体外に出て浮遊する場合は、必ずしも人間の似姿にはならない。オーストラリアのディエリ族では、「最近死せる者の霊魂は、叢林の蔭などに住み、鳥などの形で出現し、生者に病気を与える」とされ、霊魂が鳥の姿をとって現れている。フレイザーによれば、鳥として飛翔するのを防ぐための対策も採られている。「赤子を初めて血面に下ろすとき」は、鳥かごの中に入れて母親が雌鶏の鳴き真似をし(ジャワ島)、男が危険な仕事から戻ってくると、米粒をその頭に置く(スマトラのバッタ族)。これは霊魂が浮遊しかねないタイミングで、霊魂としての鳥が飛び立たないように仕向ける呪術だと思われる。結婚においては花婿の霊魂は飛び出しやすいと考えられたので、彩色された米が花婿に振りかけられる(セレベス島)のも同じだ。

 ところで琉球弧において体外に浮遊する場合の霊魂は、折口信夫が琉球弧では、「蝶を鳥と同様に見てゐる(「若水の話」)」と言うように、「鳥」であるとともに、「蝶」として考えられている。

一 吾がおなり御神の
  守らてゝ おわちやむ
  やれ ゑけ
又 弟おなり御神の
又 綾蝶 成りよわちへ
又 奇せ蝶 成りよわちへ
(我々のおなり御神が、守ろうといって来られたのだ。やれ、ゑけ。おなり御神は、美しい蝶、あやしい蝶に成り給いて、守ろうといって来られたのだ) (『おもろさうし』

 「おもろそうし」の歌謡のなかで、姉妹であるをなり神が船の航行を守護するためにやってきた姿は「綾蝶(美しい蝶)」だった。

 歌謡を持ちださなくても、民俗のなかに豊かな例を見出すことができる。

 「以前婚礼の宴にハビラ(蛾)が三匹、三味線にあわせて調子よく舞いあがった。音曲がやむとそのハビラは畳に落ちた。そのハビラは酒好きであった亡き祖父の姿によく似ていたので、たれかが「祖父を躍らせよ」といって音曲を鳴らすと、そのハビラはまた空中で舞いはじめたという(大島瀬戸内町)」(p.184、酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』))

 蛾も蝶と同様に見なされるものだが、ここでは「ハビラ(蛾)」と死んだ祖父が同一視されている。しかもそれだけでははなく、「亡き祖父の姿によく似ていた」と、驚くべき見立てが行われている。これは、蝶(蛾)は、体外に出た浮遊する霊魂であるという考えだけからでは出てこない言葉だと思える。身体にある人間の霊魂は人間の似姿をしている。体外に出た浮遊する霊魂は蝶(蛾)である。この二つの認識がそれぞれ別個にあるのではなく、この二つをつなげて、体外に出た浮遊する霊魂である蝶(蛾)は人間の似姿をしている、という同一視がなければならないと思える。この場合、蝶(蛾)の実際の姿が人間に似ているかどうかは関わりない。蝶(蛾)に人間の霊魂の本質を見る視線があれば、ゆらうらとした羽の羽ばたきのなかにも、落ちて横たわる姿のなかにも、人間の似姿を感じ取ることができる。

 琉球弧では、この見立てのなかで霊魂に形態を与えるところまで思考を進めている。それが、子供のマブイ(霊魂)抜けを防ぐために産衣に縫いつけられる「ハビラ(蝶)袋」(与路島、加計呂麻島)、「マブヤ布」(沖永良部島)、「マブイ袋」(与論島)などの三角形である。人間の霊魂は蝶(蛾)を介して三角形の形態を持ったのだ。

 島尾敏雄は、問いかけに応えて、霊魂と蝶と三角形のつながりを易しく説明している。

石牟礼 あの、あやはびら、という言葉は「生き魂」ですか。
島尾 はい、「生き魂(マブリ)」でもあります。言葉そのものの意味は模様の蝶ということですが。つまり、アヤは模様、ハベラというのは蝶ですね。しかし蝶はマブリでもあります。マブリには「生き魂(マブリ)」と「死に魂(マブリ)」がありますけれども、蝶はそれらの象徴のように言っているようですね。そして、それはまた三角の形で表わします。ですから昔から三角模様というのが色んなものについています。それはハベラですね。ハベラというのは、つまり、マブリなのです。守り神の意味もこめられています。(「綾蝶生き魂 南島その濃密なる時間と空間」『ヤポネシア考―島尾敏雄対談集』

 「蝶」は「象徴」という水準ではなく、同一視されたのだが、三角形がハビラ(蝶)由来のものであることが捉えられている。


 とりわけ身体の外に出た霊魂について三角形の形態を持った琉球弧において、それはどんな軌跡を辿ると思考されただろうか。琉球弧に再生信仰の所作があるのを見てきたが、それはどんな霊魂の運動を指すだろうか。棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、南太平洋を対象に、転生・再生する場合の霊魂の運動を見てみよう。それは、トーテム原理の強度に応じて、転生として現れる場合、転生と再生として現れる場合、再生としてのみ現れる場合とに段階を設けることができる。

1.転生

 事例1.「死が近いと、瀕死者に獣鳥、昆虫の名を附し、これを死後の代表者とみて、家族はこれを神聖視する」。リフ島(ロヤルティ諸島)。(P.231)。

 特定の動物を「代表者」として「神聖視」するのは、死後はトーテムとして生きる、あるいはトーテムに帰ると思考していると思える。

 事例2.善人は至上神のもとに至り、悪人は滅びると言われる。善悪人ともに天に行くとも言われる。美しい鳴き声をする小鳥に転生するというとも言われる。カミラロイ族(オーストラリア南東部)。(P.50)。

 事例3.死霊はブーゲンビル島にあるあの世に行く。現地の人は死霊が働く声を聞くがその姿は見えない。父母の死霊は「御霊蝶」となって、わが子の頭にとまるともいう。エディストン島人(ソロモン諸島)。(P.168)。

 事例4.死霊は、あの世では影のごとく、この世の延長の生活をする。他界はシナ諸島のひとつにある。一方、死者の霊魂は動物に転生するとの観念もある。ひとつは水鏡に映る映像、一つは陸に映る影で、シアン島に行くのは前者、後者は転生する。ヤビム族(ニューギニア東部の小島群)。(P.290)。

 観念の混合があったり、あの姿であるとは限らなかったりするが、「小鳥」や「蝶」への転生が思考されている。これらは霊魂を鳥や蝶と見なす思考の延長にあるものだ。エディストン島の霊は、琉球弧で蝶(ハビラ)を霊魂と見なすのと似ている。ヤビム族の場合は、霊魂のひとつが転生するとされている。

 次に、ひと時を置いて転生する場合がある。

 事例5.死者の霊魂は西方の空へ飛びあがる。「雲の下に住んで雷を起すJawaitは死霊を迎えて独楽を回したり相撲を取ったりする。そして果物を食べさせる。死霊はperahの木の汁を手に入れて顔に入墨する。死霊は花を頭にかさり、後、小鳥になる」。バテク族(バハン州)。(P.489)。

 あの世でひと時過ごすという以上に豊富なのは、あの世でも死霊が生涯を終えて転生するという例だ。

 事例6.人は長い霊魂と短い霊魂を持つ。長い霊魂は影と同一視される。長い霊魂は、ニューブリテン島西岸を経て、北岸の村に行く。短い霊魂はしばらく死体の付近を彷徨ってから地下界、ランボアムに行く。ランボアムは現世と酷似するが、現世より美しくより完全である。ランボアムに行った霊魂は、蛇形でときに現世に帰来する。ランボアムで死んだ霊魂は、蟻や蛆になる。タミ族(ニューギニア東部の小島群)。(P.289)。

 事例7.あの世の生活は全くこの世と同様。あの世でも死があり、死霊は再び死んで動物(クスクス)になり、険しくそびえた山の最も荒れた、深い、暗い静かな谷に住む。カイ族(ニューギニア東部)。(P.292)。

 事例8.死者の霊魂、アニトは村の近くの山に住み、生者と同様の生活を送る。どれだけかの期間生活すると再び死ぬ。そして蛇や岩、枯木の燐光になるともされる。ボントック族(ルソン島)。(P.545)。

 事例9.死霊が老いて再び死んでも絶滅することはなく、動物や植物になる。動物の場合、白蟻、野豚の珍種で、殺してはならないとされる。モヌンボ族(ニューギニア東部)。(P.295)。

 事例10.あの世で長生きした後で再び死に、その後は森で虫になる。ミラナウ族(ボルネオ島)。(P.555)。

 これらの例は、死から転生までの時間が遅延され、死者の霊魂の一生という概念まで進展することを示している。かつ、あの世での生活は、この世と「同じ」であることを標準にして、タミ族では、「より美しくより完全」と明るく捉えられているが、ファテ島(ニューヘブリデス諸島)では「現世よりも悪い生活」と暗く捉える場合もある。

 そして、転生するのは「蛇」が最も多いが、「蟻」、「蛆」、「クスクス」などである。しかし、転生は動物には留まらず、植物も「岩」などの無機物や「枯木の燐光」という現象に及んでいる。これは人間と動植物のみならず無機物と等しく見ていた段階があることを示すものだ。

 次に、転生と再生が一緒に現れる場合がある。まず、オーストラリアのワドゥマン族では、動植物から人間へと再生する。

 2.転生と再生

 事例11.死ぬと「精霊児」になる。「精霊児」は小蛙の姿をしている。「精霊児」は自分が生れるべき集団を知っていて間違うことはない。「精霊児」には居場所があるが自由に動き回ることもできる。そして自分が再生すべき集団に入る前に、一時、母となる女性のトーテム動植物になる。ヤム芋が母のトーテムならヤム芋に入る。女性がヤム芋を掘っている時に棍棒で打つと、「精霊児」が泣くのが聞えることがあるという。そしてトーテム集団の者に入って生まれ変わる。この再生の経緯は神話の物語に組み込まれている。ワドゥマン族(オーストラリア北部)。(P.57)。

 ここではトーテム原理と再生とのひとつの融合の形態が見られる。トーテムも信じられているが、人間としての再生も強く現れてきた段階のものだ。

 これとは別に、転生と再生が選択肢となる例を見出すことができる。

 事例12.ヌカヒヴァ人は、「生れ代るまでにそんなに長い時間はかからないという。特に祖父の霊が孫に生まれ代るというが、ときには動物に生まれてくることもあり、また生まれ代るためばかりでなく、死霊としてこの世に来て、生者に苦しみを与えるという観念もある」。マルケサス諸島(ポリネシア東部)。(P.398)。

 事例13.死後百日の饗宴が済むと、死者の国に行く。善人は天上界の大木のところに行き復活するまで留まり、地上の人間の後継ぎとして再生する。悪人は地獄に留まるが、永久ではなく、虎、野豚、蛇などになる。ミナンカバウ族(スマトラ島)。(P.560)。

 ここには、人間への再生への願望が強くなっているが、動物になる場合もあるというように、トーテム原理の弱まりを見ることができる。スマトラ島のミナンカバウ族では、それが善人と悪人との区別となって明確になっているのだ。

 続いて、人間が人間として再生する例を見ていくが、これが多彩である。

 3.再生

 まず、再生思考のもっとも希薄なものとして、近親者に入り込む形が挙げられる。

 事例14.死者の霊魂はやや離れたところにいて、兄弟に会い、その中に入り、兄弟が死ぬまでその中に住む。兄弟が死ぬ頃には忘れられてしまう。ウォンガ・ムラ族とその周辺(オーストラリア南部)。(P.52)。

 事例15.死霊は北方の島に行き、数ヶ月の後、黒雲とともに帰来して、息子、特に孫に入り、その生長を助成する。再び離れて死者の島に行き、離れたことを悲しむ。死者の西方に行き、しなの木の所に来て、これを回って眺めていると西方から雷雲が出て来て、この木に落雷し次いで霊魂が打たれ、降雨で木の根元に流れ、終わる。アルリッヤ族(オーストラリア)。(P.54)。

 「兄弟」や「子」、「孫」という再生の流れは、母系か父系の系列か、直系の系列化の違いがあるが、どちらも人間としての系列を重視していることが現れている。しかし、霊魂が新しい生を受けて再生するのではなく、近親者の誰かのなかに入り込むという意味では、再生思考の初期型を示すものだ。この場合は、再生とは近親者の記憶と言う意味を持つが、記憶がそうであるように、「忘れられてしまう」時が、再生の終わりを意味している。

 霊魂が新しい生を受けて再生思考がより明確に現れてくる例を挙げよう。

 事例16.死霊は儀礼が適正に行われると、父祖の地に帰り、再生までとどまる。死霊は再生ごとに性を変える。大昔には、祖先達は精霊児を残し、それが正しき女に入り、今も生れ変っているいるのだとする信仰がある。マラ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 事例17.死者の霊魂は父祖の地に行き、やがて再生するが、再生ごとに性を変える。ムンガライ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 ここでは再生は連綿として、永続観念を見ることができるが、面白いのはその度に男だった者は女に、女だった者は男にと、性が転換されることで、ここには二項を明確に分けて転換する思考を見ることができる。そして、再生が「やがて」とあるように一定期間を置いてなされるように、初期型よりも再生までの時間が長めに取られている。

 ひと時を置いて再生するという思考には性を変えるという以外にもいくつかの種類が見られる。

 事例18.死者の霊魂は、岩など一か所に集まり、狙った女の中に入り、子供に再生する。実在の岩がある(by スペンサー&ジレン)。アルンタ族(オーストラリア中部)。(P.54)。

 事例19.樹上葬後、埋葬。死霊はこの式が終わると、神話的祖先の地に行き、この世に再生するまで同族の死者と交際している。ウンマトラ族、カイエティシュ族(オーストラリア中部)。(P.55)。

 事例20.霊魂は男だけが持ち、死ぬと歩きまわって父祖の地を訪問し、雨が降って骨が洗われてきれいになった時に再生する。グナンジ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 再生までの期間は漠然としているが、ウンマトラ族、カイエティシュ族では同族の死者との交際が思い描かれている。グナンジ族では、男性だけが再生するように、単性的な選択がなされているが、「雨が降って骨が洗われてきれいになった時」というタイミングは、琉球弧の洗骨とつながる思考法であると言える。

 再生においても、あの世で生涯をすごした後という時間の遅延は、見られるが、一例を見出すのみだ。それはトロブリアンド諸島の例だから、ここはマリノフスキーの詳細な記述を取り上げたい。

 事例21.「バロマが年老いてくると、その歯は抜け落ち、皮膚はたるみ、皺がよってくる。彼は浜へ行って塩水で水浴をする。それから彼は、ちょうど蛇がやるように、自分の皮を脱ぎ捨てる。そして、また幼い子供になる。実は、胎児、ワイワイア waiwaia -胎児の子供及び生れて間もない子供に用いられる言葉、になる。バロマの女にはこのワイワイアが見える。彼女はそれを抱きあげ、そして籠か折り畳んだ椰子の葉(プアタイpuatai)に入れる。彼女はその小さなものをキリウィナへ運び、誰か女の子宮の中へウァギナを通して挿入しておく。するとその女は妊娠する(ナススマsasusuma)」。(『バロマ トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』)

 バロマとはトロブリアントの島人の呼ぶ霊魂のことだ。精霊児ワイワイアが女性に入るまでの経緯は、海に浮かぶものに乗ってというように他の説明のバリエーションもあるが、ここではバロマとしても年老いてからという生涯の期間が想定されていることが取り上げたいことだ。

 再生に関する霊魂の運動のなかには、もうひとつ、子供にだけ再生を思考する例を挙げておきたい。

 事例22.成年式を経ずして死んだ子供は再生すると信ぜられるが、再生は実母を通じても、他の女を通じても行われる。 実母を通じて生まれたと信ぜられる子供をmillanboo(再び同じの意)という。老婦と結婚した年少の青年は、再生前に好きだったものだとも説明される。ユーアライ族(オーストラリア南東部)。(P.51)。

 事例23.死産児は近き将来の再生を確保するために母によって食われる(P.117)。アンタキリンジャ族(オーストラリア)。

 この二つの例は、子供の場合のみ、再生をすると思考されたものだ。ここには、再生以前に、生を全うする段階が重視されている思考を想定することができる。母による食人は、琉球弧における食人とは位相が違い、食人する側ではなく、子供としての再生が考えられているものだ。

 転生、転生と再生、再生という段階は、トーテム原理の強度と人間の他存在に対する優位の意識の度合いとして考えることができるが、これは必ずしも単線的に進むものではないと思える。また、ここにはひと時を置いて転生・再生するか、霊魂の生涯を終えて転生・再生するという時間の遅延の度合いも関わってくる。そこで、トーテム原理の強度と転生・再生までの時間の遅延を軸にすると、霊魂の運動について次のような図が得られる。

 
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 こう整理した場合、琉球弧はどこに位置づけることができるだろう。琉球弧では後生(グショウ)という他界観念は広く残っている。しかし、後生で生涯を終えた後に再生するという物語は残っていない。再生するということ自体、童名以外には明瞭な痕跡はないと言っていいのかもしれない。しかし、酒井が追究したあらゆる機会を見出した再生への所作を見ていくと、再生信仰の存在が疑うことができない。そこで、このマトリックスのなかでは、現在から照射する限り、ひと時を置いた再生というBの象限に位置づけることになる。

 しかし、これはある段階、ことに母系制が強く発揮された段階における思考法だと捉えるものだ。琉球弧においては、再生だけでなく転生思考の痕跡も見出せる。

 琉球弧においても転生の観念は見出せる。奄美大島のマブリツケ(マブリ別し)の晩に地炉の灰をきれいにならしておき、翌朝最初に目をさました人がその灰をみると動物の足跡がついているという。その足跡の形で動物を判断して、死者はその動物に生まれ変わったという(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』p.224)。

 しかも、蛇やアマム(オカヤドカリ)をトーテムとした痕跡も見出せるのであれば、転生する思考の段階も想定できるだろう。ただ、転生や再生までの時間の遅延は、霊魂の生涯というほど長くはなく、むしろ添寝に見られたような時を置かない転生や再生が思考されていたのではないだろうか。


 琉球弧における霊魂の運動は死後に関してのみ見られるものではない。生きている間も、それは抜けたり、籠められたりと、身体中に存在するように配慮しなければならない。それは生と死の認定の場面でさらにはっきりする。生まれること自体が生の始まりではない。生後ほどなくして行われる名付け祝いで童名を授かるまでは人間とは見なれさない。また、生の命脈が尽きたと思われる時点が死ではない。それはマブイ(霊魂)別しによって完了する。生と死の時間は、少し遅延されるのだ。それは、生死についても霊魂の運動をみているからに他ならない。ここに焦点を当てると、霊魂が運動する場が、どういう場であるのか、見えてくるように思える。

 与論島では名付け祝いを待たずに死んだ子はワラビガシャ(童を葬る崖)においたまま、「葬式はもちろん、年忌そのいっさい行わない」(山田実)。これはぼくも聞いたことがある。まだ、人間とは見なされていないわけだ。これは死産の場合にさらに明確になる。宮古島狩俣では、死産児は荒縄でいばりつけて海辺に埋めたといい、池間島では刃物で切って捨てに行ったと、今の目からみれば冷酷だ。しかし、この行為の内側に宿る心は冷酷とは裏腹のものだ。酒井によれば、「日本内地の風習にも、また台湾その他の国の風習にも、とくに死産児は冷酷にありがとうございます。付けば扱うほど、次に生まれる子は、よりよい状態で再生するという考えがあった(p.390)」のだ。名付け祝い前や死産の子に対する再生への祈りが託されているのである。

 『琉球列島における死霊祭祀の構造』によると、こうした文字通り野ざらしの葬法以外に三つの類型が注目される。

 ひとつは、村はずれの四つ辻に埋めて、大勢の人で踏みつける(宮古島城辺)というものだ。四つ辻という十字路あるいは分れ道は、恐ろしい場所であり、酒井によればそこは霊境である。

 あとの二つは琉球弧にくまなく分布していて、雨だれの下か竈を中心にした場所である。那覇では死産児は雨だれの下に埋め、「後生(ぐそ)や雨だれの下」という諺もある。喜界島嘉鉄では、死産児は土で固めた竈(ウンザー)の後方の灰のあるところに埋める。火の神の近くなのだ。

 これらの四つのプロット、野ざらし、四つ辻、雨だれの下、竈の近くは、どれも空間的に疎外された他界の場所を示していることが重要だと思える。「ワラビガシャ(童を葬る崖)」は、葬地としてそうであり、四つ辻も他界への入口である。雨だれの場合、「後生(ぐそ)や雨だれの下」と、目線は下に向いているが、もうひとつ対幻想の囲いである家屋と外との境界は他界との境界として意識されている。竈の近くというのも、火の神という他界への入口という場所が意味を持っているのだ。竈の近くという場合、前に見たように、前夫という対幻想の矛盾を竈の下に埋め、共同幻想化したのとは、見かけの行為は同じでも意味を違えている。死産児の場合は、火の神を通して、対幻想の再生をこそ願われているからだ。

 ここで、四つ辻に埋めた場合、「大勢の人で踏みつける」という狩俣の呪術行為が示唆するのは、他界の入口と言った場合の、この他界とは祖先たちがいる場所ではなくて、霊魂を得ることのなかった子を、生まれる以前の場に返そうとする振る舞いではないかということだ。名付け祝いを待たずに死んだ子に「葬式はもちろん、年忌そのいっさい」を行わないのは、葬った子たちの行き先を祖先のいる場所とは考えていないからだ。ここでの他界とは未生の場所、これから生れてくる場、霊魂が形づくられる場として考えられていると思える。

 ところで四つ辻を琉球弧ではカジマヤーと言う。そしてカジマヤーとは97歳の年祝いの名でもある。この高齢の年祝いも霊魂が運動する場のことを教えてくれる。

 酒井によれば、カジマヤーの考察の口火となったのは、源武雄の「秘密枕飯御願は模擬葬式」(1968年)だ。そこで報告されたのは首里などのカジマヤー、または86歳のトーカチについてだ。祝いの前夜、当人が寝込んでからその枕元に死者の時と同様に枕飯を供える。そして長男が、「もうあの世に行かれる年頃ですからおひきとりください。そして後生で子孫の繁栄を見守って下さい」などの言葉を述べる。そして一夜明けると、盛大な祝宴がくりひろげられる、というものだ。この前夜の振る舞いを源武雄は「模擬葬式」と呼んだわけだ。

 ここで、ぼくたちは「姥捨て」の習俗を思い出さずにはいられない。『遠野物語』には、「デンデラ野」や「蓮台野」という名称で、六十歳をこえた村落の老人たちが生きながら他界へ追いやられた説話が出ている。なぜ、共同体の外へ追いやられるのか。吉本隆明は『共同幻想論』のなかで、老人の存在が家の共同利害と矛盾する、つまり働き手として失格していること、子どもを生めなくなったことで対幻想の現実的な基盤を見出せなくなったことを挙げ、しかし本質的には「対幻想として、村落の共同幻想にも、自己幻想にたいしても特異な位相を保ちえなくなった」ことであると指摘している。

 カジマヤーを迎える老人は、村落共同体の外へ追いやられてはいない。けれど、模擬的な葬式を通じて他界へは追いやられるのである。97歳を迎える老人は働き手としてはもちろん、子どもを生むことももはやできない。だから、時間性としての他界へ追いやられる。ここで、なぜ空間としての他界へ追いやられなかったのかという問いが出てくるが、それは家の経済的な利害がそれほど深刻ではなかったという理由も挙げられるだろう。しかし、これは琉球弧が遠野に比べて裕福だったことを意味しないだろう。だから、もっと本質的に答えられなければならない。吉本は書いている。

 ほんらい村落のひとびとにたいしては時間性であるべき〈他界〉が、村外れの土地に場所的に設定されたのは、きっと農耕民の特質によっている。土地に執着しそこに対幻想の基盤である〈家〉を定着させ、穀物を栽培したという生活が、かれらの時間認識をッ空間へとさしむけたのである。(『共同幻想論』

 この側面からは、琉球弧は農耕化しても、狩猟採集民の意識を底流させていたからだと言えるのかもしれない。もうひとつ挙げられるとすれば、母系的な基盤が強く、「われわれは一体である」という対幻想が強固だったからだということだ。

 しかし、カジマヤーは時間性として他界に追いやられるだけを意味していない。それは模擬葬式であるとともに、祝宴でもあるのだ。国頭では、カジマヤーを迎える老人はまず木製の四輪車に載せて墓地に連れてゆくが、その帰り道、部落民は一行の列に会わないようにしなければならない。それは、カジマヤーを迎えて生まれ代った者に、その分だけ寿命を取られてしまうからだという。カジマヤーとはアダン葉で作った風車のことで、これを97歳の老人に持たせるが、これは子供に生れ代ったことを意味するものだ。つまり、カジマヤーとは生れ変り、再生の儀礼なのだ。しかし、老人は実際に子どもに生れ変わったわけではないから、再生は託されたものになる。ここで、時間性として疎外される他界の意味が明確になるように思える。名付け祝い前に死んだ子や死産児と同様、老人はまだ生まれていない、これから生れ出る場へと疎外されているのである。

 カジマヤーにはもうひとつ考えられるこがある。それは折口信夫が「おきな」と呼んだものだ。

 霊魂の完成者は、人間界ではおとなに当るものであった。人は、さう言ふ階梯を経て後、他界における老人(おきな)として、往生するものと考へたのではないか。このおきなと言ふ語には憂暗な、影のやうな印象が伴うている。併し、此(この)語は常世といふ語と同じく、どの地方かの他界の老人を言ふものであったのが、此土に現に生存し、この土における残世を生きながらへているものゝ名としても呼ばれるやうになったものだろう。だから此の持つものは、光明ある連想であった。訣し易く言へば、此岸に生きる老人を以て、他界の尊いものと見なして言ふ尊称であった(「民族史観における他界概念」)

 霊魂の完成者である「おとな」は、生きて他界にある人、生きながら他界を見ることのできる人である「おきな」へと進む。折口の言う「おとな」から「おきな」への通過儀礼がカジマヤーではないのか。喜界島では六十歳をすぎると神人に見立てて葬儀は盛大に行ったという。「おきな」とはここにいう「神人」である。老人の生が、生まれる前の状態に還元されると言っても、それは生まれ来る者への祈願ではあっても、老人にとっては厄介者扱いでしかないことになってしまう。これはそうではなく、カジマヤーにはそれだけではなく、他界に生きる人として尊ばれるという意味を宿しているのではないだろうか。それが盛大に祝うということの本来の意味なのではないかと思える。 
 




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