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2014/09/09

往還する霊魂の場

 琉球弧における霊魂の運動は死後に関してのみ見られるものではない。生きている間も、それは抜けたり、籠められたりと、身体中に存在するように配慮しなければならない。それは生と死の認定の場面でさらにはっきりする。生まれること自体が生の始まりではない。生後ほどなくして行われる名付け祝いで童名を授かるまでは人間とは見なれさない。また、生の命脈が尽きたと思われる時点が死ではない。それはマブイ(霊魂)別しによって完了する。生と死の時間は、少し遅延されるのだ。それは、生死についても霊魂の運動をみているからに他ならない。ここに焦点を当てると、霊魂が運動する場が、どういう場であるのか、見えてくるように思える。

 与論島では名付け祝いを待たずに死んだ子はワラビガシャ(童を葬る崖)においたまま、「葬式はもちろん、年忌そのいっさい行わない」(山田実)。これはぼくも聞いたことがある。まだ、人間とは見なされていないわけだ。これは死産の場合にさらに明確になる。宮古島狩俣では、死産児は荒縄でいばりつけて海辺に埋めたといい、池間島では刃物で切って捨てに行ったと、今の目からみれば冷酷だ。しかし、この行為の内側に宿る心は冷酷とは裏腹のものだ。酒井によれば、「日本内地の風習にも、また台湾その他の国の風習にも、とくに死産児は冷酷にありがとうございます。付けば扱うほど、次に生まれる子は、よりよい状態で再生するという考えがあった(p.390)」のだ。名付け祝い前や死産の子に対する再生への祈りが託されているのである。

 『琉球列島における死霊祭祀の構造』によると、こうした文字通り野ざらしの葬法以外に三つの類型が注目される。

 ひとつは、村はずれの四つ辻に埋めて、大勢の人で踏みつける(宮古島城辺)というものだ。四つ辻という十字路あるいは分れ道は、恐ろしい場所であり、酒井によればそこは霊境である。

 あとの二つは琉球弧にくまなく分布していて、雨だれの下か竈を中心にした場所である。那覇では死産児は雨だれの下に埋め、「後生(ぐそ)や雨だれの下」という諺もある。喜界島嘉鉄では、死産児は土で固めた竈(ウンザー)の後方の灰のあるところに埋める。火の神の近くなのだ。

 これらの四つのプロット、野ざらし、四つ辻、雨だれの下、竈の近くは、どれも空間的に疎外された他界の場所を示していることが重要だと思える。「ワラビガシャ(童を葬る崖)」は、葬地としてそうであり、四つ辻も他界への入口である。雨だれの場合、「後生(ぐそ)や雨だれの下」と、目線は下に向いているが、もうひとつ対幻想の囲いである家屋と外との境界は他界との境界として意識されている。竈の近くというのも、火の神という他界への入口という場所が意味を持っているのだ。竈の近くという場合、前に見たように、前夫という対幻想の矛盾を竈の下に埋め、共同幻想化したのとは、見かけの行為は同じでも意味を違えている。死産児の場合は、火の神を通して、対幻想の再生をこそ願われているからだ。

 ここで、四つ辻に埋めた場合、「大勢の人で踏みつける」という狩俣の呪術行為が示唆するのは、他界の入口と言った場合の、この他界とは祖先たちがいる場所ではなくて、霊魂を得ることのなかった子を、生まれる以前の場に返そうとする振る舞いではないかということだ。名付け祝いを待たずに死んだ子に「葬式はもちろん、年忌そのいっさい」を行わないのは、葬った子たちの行き先を祖先のいる場所とは考えていないからだ。ここでの他界とは未生の場所、これから生れてくる場、霊魂が形づくられる場として考えられていると思える。

 ところで四つ辻を琉球弧ではカジマヤーと言う。そしてカジマヤーとは97歳の年祝いの名でもある。この高齢の年祝いも霊魂が運動する場のことを教えてくれる。

 酒井によれば、カジマヤーの考察の口火となったのは、源武雄の「秘密枕飯御願は模擬葬式」(1968年)だ。そこで報告されたのは首里などのカジマヤー、または86歳のトーカチについてだ。祝いの前夜、当人が寝込んでからその枕元に死者の時と同様に枕飯を供える。そして長男が、「もうあの世に行かれる年頃ですからおひきとりください。そして後生で子孫の繁栄を見守って下さい」などの言葉を述べる。そして一夜明けると、盛大な祝宴がくりひろげられる、というものだ。この前夜の振る舞いを源武雄は「模擬葬式」と呼んだわけだ。

 ここで、ぼくたちは「姥捨て」の習俗を思い出さずにはいられない。『遠野物語』には、「デンデラ野」や「蓮台野」という名称で、六十歳をこえた村落の老人たちが生きながら他界へ追いやられた説話が出ている。なぜ、共同体の外へ追いやられるのか。吉本隆明は『共同幻想論』のなかで、老人の存在が家の共同利害と矛盾する、つまり働き手として失格していること、子どもを生めなくなったことで対幻想の現実的な基盤を見出せなくなったことを挙げ、しかし本質的には「対幻想として、村落の共同幻想にも、自己幻想にたいしても特異な位相を保ちえなくなった」ことであると指摘している。

 カジマヤーを迎える老人は、村落共同体の外へ追いやられてはいない。けれど、模擬的な葬式を通じて他界へは追いやられるのである。97歳を迎える老人は働き手としてはもちろん、子どもを生むことももはやできない。だから、時間性としての他界へ追いやられる。ここで、なぜ空間としての他界へ追いやられなかったのかという問いが出てくるが、それは家の経済的な利害がそれほど深刻ではなかったという理由も挙げられるだろう。しかし、これは琉球弧が遠野に比べて裕福だったことを意味しないだろう。だから、もっと本質的に答えられなければならない。吉本は書いている。

 ほんらい村落のひとびとにたいしては時間性であるべき〈他界〉が、村外れの土地に場所的に設定されたのは、きっと農耕民の特質によっている。土地に執着しそこに対幻想の基盤である〈家〉を定着させ、穀物を栽培したという生活が、かれらの時間認識をッ空間へとさしむけたのである。(『共同幻想論』

 この側面からは、琉球弧は農耕化しても、狩猟採集民の意識を底流させていたからだと言えるのかもしれない。もうひとつ挙げられるとすれば、母系的な基盤が強く、「われわれは一体である」という対幻想が強固だったからだということだ。

 しかし、カジマヤーは時間性として他界に追いやられるだけを意味していない。それは模擬葬式であるとともに、祝宴でもあるのだ。国頭では、カジマヤーを迎える老人はまず木製の四輪車に載せて墓地に連れてゆくが、その帰り道、部落民は一行の列に会わないようにしなければならない。それは、カジマヤーを迎えて生まれ代った者に、その分だけ寿命を取られてしまうからだという。カジマヤーとはアダン葉で作った風車のことで、これを97歳の老人に持たせるが、これは子供に生れ代ったことを意味するものだ。つまり、カジマヤーとは生れ変り、再生の儀礼なのだ。しかし、老人は実際に子どもに生れ変わったわけではないから、再生は託されたものになる。ここで、時間性として疎外される他界の意味が明確になるように思える。名付け祝い前に死んだ子や死産児と同様、老人はまだ生まれていない、これから生れ出る場へと疎外されているのである。

 カジマヤーにはもうひとつ考えられるこがある。それは折口信夫が「おきな」と呼んだものだ。

 霊魂の完成者は、人間界ではおとなに当るものであった。人は、さう言ふ階梯を経て後、他界における老人(おきな)として、往生するものと考へたのではないか。このおきなと言ふ語には憂暗な、影のやうな印象が伴うている。併し、此(この)語は常世といふ語と同じく、どの地方かの他界の老人を言ふものであったのが、此土に現に生存し、この土における残世を生きながらへているものゝ名としても呼ばれるやうになったものだろう。だから此の持つものは、光明ある連想であった。訣し易く言へば、此岸に生きる老人を以て、他界の尊いものと見なして言ふ尊称であった(「民族史観における他界概念」)

 霊魂の完成者である「おとな」は、生きて他界にある人、生きながら他界を見ることのできる人である「おきな」へと進む。折口の言う「おとな」から「おきな」への通過儀礼がカジマヤーではないのか。喜界島では六十歳をすぎると神人に見立てて葬儀は盛大に行ったという。「おきな」とはここにいう「神人」である。老人の生が、生まれる前の状態に還元されると言っても、それは生まれ来る者への祈願ではあっても、老人にとっては厄介者扱いでしかないことになってしまう。これはそうではなく、カジマヤーにはそれだけではなく、他界に生きる人として尊ばれるという意味を宿しているのではないだろうか。それが盛大に祝うということの本来の意味なのではないかと思える。 



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