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2014/09/03

「影」としての霊魂

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から南太平洋の例を見ると、霊魂について、「影」という言葉に頻繁に出会う。それはまず、「霊魂」という言葉が「影」の意味も持つことである。

事例1.ショートランド島。人間の霊魂はnununa(影の意を有す)と呼ばれる(P.168)

事例2.トレス海峡西部諸島。死者の霊魂はmariと呼ばれ、これは影ないし反映を意味する。(P.282)

事例3.ソロモン諸島のエディストン島人。死者またはその一部、死体、頭蓋、遺骨などをtomateと呼び、霊魂をgalagalaと呼ぶ。ガラガラは影を意味し、反映を意味し、また写真を意味する。(P.168)

事例4.ニュージーランドのマオリ族。人間の霊魂を指す語が二つある。一つはwairuaであり、他はhauである。Wairuaはよりしばしば用いられる語で、また影、非実質的な像、鏡などに映る顔のごとき映像を意味するから、これが元来の言葉の意味であろう。Hauは人間の『生命の本質ないし生命原理』で、元来は風を見したようである。(P.401)

事例5.ブーゲンビル海峡のモノ(Mono)島人。各人一つの霊魂(nunu)を持つとしている。Nunuは(1)人間存在の継続的原理ないし本質、(2)影、(3)水に映る映像の3意を持っている。Nunuは常接尾語を附してnu-nugu(私霊魂)のごとく使われる。(P.164)

 霊魂を表す言葉は同時に「影」の意味も持っている。これは、霊魂を指す比喩として「影」という言葉を使ったのだと考えられる。これは霊魂がイメージ化される最初の段階に当るものだと思われる。

 次に、霊魂の言葉の意味のなかに「影」が含まれるのではなくて、霊魂と影が同一視される場合が出てくる。

事例6.ソロモン諸島東北にあるオントンジャワ島。総ての生ける人はgeingaとkipuaの二つの霊魂を持つとする。Geingaは影に現れ、生存中はおぼろげな守護の役目をするが、生者から離れる実体ではない。Geingaは人が死ぬと直ちに存在しなくなるが、もう一つのkipuaは、不滅で死後に残る人格の唯一の部分である。(P.381)

事例7.ニューギニア東部の小島群のタミ族。人間は誰しも長い霊魂と短い霊魂を所有していると考えられている。長い霊魂は影と同一視され、所有者との関係は緩く、睡眠中、身体から離れ、覚める時に帰って来る。それが本来ある所は胃である。(P.289)

 どちらも人間には複数の霊魂があるとされ、その一つは影であるとしている。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』を見ると、影が人間の霊魂と同一視された段階では、霊魂は影に影響されるものになる。

 アンボンとウリエーズという二つの島では、「赤道近くであるため、正午になるとほとんど影ができない。このため、正午に家から出ではならないという掟がある。外に出ようものなら、ひとは自分の魂である影を失ってしまう」。ここでは影が無くなることは霊魂を失うことと同義に見なされている。ウェタール島では、「呪術師は、影を槍で突いたり剣で切り刻むなどして、人を病気にすることができる」し、ババル諸島では「悪霊は人間の影を強く掴んだり、殴ったり傷つけたりすることで、人間の魂を支配する」と考えられた。また、メラネシアにあるいくつかの石は、「人間の影がそこに落ちると、石の悪霊がその人の魂を抜き取る」とされた。いずれも霊魂と影が同一視されることによって、影が擬人化されて対象化されている。

 さらに霊魂のイメージ化が進んだ場合、それは「水に映った映像」になる。それは既に霊魂の意味の広がりのなかに、「影」とともに登場しているものだった。

事例8.ダントルカストー諸島中部のドブ島人。霊魂は水たまりに映る映像であるとし、また土人は明確に定義することを拒むけれども、ある意味で、影に関係を持っている。ときによると、土人は影がBwecwesoへ行くということがある。Bwebwesoはノルマンビー島にある死者の霊魂の山である。時によると影と霊魂とは異なるとしているが、影は霊魂のとるかもしれない形態である。(P.283)

事例8.サンクリストヴァル島。人間はadaroとaungaの2種の霊魂観を持っているという。アダロは火や太陽からの影であり、いわば一種の幽霊で、人間の悪意ある厄介な部分であり、アウンガは、平和なよい部分で、水や鏡に映る映像にあたる。(P.171)

 この段階でも、「影」は霊魂としての意味を無くすのではなく、意味が希薄化したり、ネガティブな意味を担わされたりする場合があるのが分かる。『初版 金枝篇〈上〉』によると、アンダマン諸島では、「自分の影ではなく、鏡のようなものに映った姿を、自分の魂と考える」と、既に「影」ではなくなっている。また、ニューギニアのモトゥモトゥ族では、「鏡にはじめて自分の姿を見て、それが自分の魂であると考えた」とあるが、これは既に「水に映った姿」を霊魂と見なした延長で捉えることができる。水に映った姿を霊魂と考える場合でも、影と同様、霊魂に影響を与える者だ。ズールー族では「暗い水溜りを覗きこもうとしないのは、その中にいる獣が鏡像を奪い、そのために死んでしまうと考えるからである」。また、メラネシアのサドル島では「その中を覗き込んだ者は死んでしまうという水溜りがあり、悪意に満ちた霊が、水に映った影を使ってその人の命を捕らえてしまう」と考えられた。これは、「影」の場合と同様の思考法だ。

 ここまで来て、琉球弧においても「影」を霊魂と見なす思考の痕跡と言いうるものに思い当たる。洗骨である。洗骨は深夜あるいは早朝に行われる。万が一、陽が射すといけないので傘を持っていくのが慣わしだ。

 珊瑚礁石をもうすこしずらせた時、墓を覆った松の大木から葉漏れ陽がひとすじ暗い穴に射し込んできらりと光をはねかえしました。すると女の人がお骨にティダガナシ(太陽の尊称)の光は禁忌だと言いながら男物の蝙蝠傘を墓の上にさしかけたのです。(島尾ミホ『海辺の生と死』)

 ここでも太陽が禁忌だという以外、その理由は語られない。けれど、「影」に霊魂の意味が宿っているなら、洗骨の太陽に照らされて影を生じてしまうのは矛盾である。深夜や早朝に洗骨を行うのはその矛盾を避けたからではないだろうか。洗骨によってマブイ(霊魂)が晴れて他界へ旅立てるというように考えても、洗骨によるセジ(霊威)づけて再生を祈願すると考えても、そこに影が生じるのは矛盾してしまう。だから、暗がりにおいて行うのは洗骨という舞台装置において欠かせないものだったのだ。

 影、水に映った姿あるいは鏡像の次には、肖像が霊魂が宿ると考えられるようになる。南アメリカのカネロ・インディオ族は、写真に撮られると魂を抜かれると考えられたが、これはもうぼくたちにもお馴染みの風聞なってくる。東アフリカのワテイタ族では、数人を写真に収めようとすると、自分たちの魂を取ろうとする呪術師であると考え、もしそうしたら自分たちは写真を取る人のいいなりになってしまうと考えた。マンダン族は、自分の肖像が他人によって描かれれば、まもなく死ぬことになると考えた。これらの思考も、影や水に映った映像の場合と変わらない。

 吉本隆明は『ハイ・イメージ論〈1〉』のなかで、この段階へ来て、霊魂の衣裳としての人間身体という概念が成り立ったと書いている。

肖像に霊魂がこもるという観念まできて、人間の霊魂は、はじめて完全に衣裳をまとうことになった。このことは逆に、人間ははじめてこの段階で、衣裳に物神性をあたえるようになったともいえる。衣裳は表皮とおなじ防寒や防傷の用具以上の、人間化された意味をもつようになった。衣裳としての人間はここではじめて自己自身のファッション・モデルになったのだといえよう。そこまできて霊魂が「影」をもち、肖像をもつことになり、霊魂の衣裳という概念がはじめて成り立つまでになったことを知る。

 裸身そのものが霊魂のとっての衣裳だと考えられた時、琉球弧ではトーテム動物であるヤドカリを入墨したのだと言ってもいい。あれは、霊魂にとっての衣裳なのだ。




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