« 霊魂の運動としての再生・転生 | トップページ | 往還する霊魂の場 »

2014/09/08

転生・再生における霊魂の運動

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、南太平洋を対象に、転生・再生する場合の霊魂の運動を見てみよう。それは、トーテム原理の強度に応じて、転生として現れる場合、転生と再生として現れる場合、再生としてのみ現れる場合とに段階を設けることができる。

1.転生

 事例1.「死が近いと、瀕死者に獣鳥、昆虫の名を附し、これを死後の代表者とみて、家族はこれを神聖視する」。リフ島(ロヤルティ諸島)。(P.231)。

 特定の動物を「代表者」として「神聖視」するのは、死後はトーテムとして生きる、あるいはトーテムに帰ると思考していると思える。

 事例2.善人は至上神のもとに至り、悪人は滅びると言われる。善悪人ともに天に行くとも言われる。美しい鳴き声をする小鳥に転生するというとも言われる。カミラロイ族(オーストラリア南東部)。(P.50)。

 事例3.死霊はブーゲンビル島にあるあの世に行く。現地の人は死霊が働く声を聞くがその姿は見えない。父母の死霊は「御霊蝶」となって、わが子の頭にとまるともいう。エディストン島人(ソロモン諸島)。(P.168)。

 事例4.死霊は、あの世では影のごとく、この世の延長の生活をする。他界はシナ諸島のひとつにある。一方、死者の霊魂は動物に転生するとの観念もある。ひとつは水鏡に映る映像、一つは陸に映る影で、シアン島に行くのは前者、後者は転生する。ヤビム族(ニューギニア東部の小島群)。(P.290)。

 観念の混合があったり、常の姿であるとは限らなかったりするが、「小鳥」や「蝶」への転生が思考されている。これらは霊魂を鳥や蝶と見なす思考の延長にあるものだ。エディストン島の霊は、琉球弧で蝶(ハビラ)を霊魂と見なすのと似ている。ヤビム族の場合は、霊魂のひとつが転生するとされている。

 次に、ひと時を置いて転生する場合がある。

 事例5.死者の霊魂は西方の空へ飛びあがる。「雲の下に住んで雷を起すJawaitは死霊を迎えて独楽を回したり相撲を取ったりする。そして果物を食べさせる。死霊はperahの木の汁を手に入れて顔に入墨する。死霊は花を頭にかさり、後、小鳥になる」。バテク族(バハン州)。(P.489)。

 あの世でひと時過ごすという以上に豊富なのは、あの世でも死霊が生涯を終えて転生するという例だ。

 事例6.人は長い霊魂と短い霊魂を持つ。長い霊魂は影と同一視される。長い霊魂は、ニューブリテン島西岸を経て、北岸の村に行く。短い霊魂はしばらく死体の付近を彷徨ってから地下界、ランボアムに行く。ランボアムは現世と酷似するが、現世より美しくより完全である。ランボアムに行った霊魂は、蛇形でときに現世に帰来する。ランボアムで死んだ霊魂は、蟻や蛆になる。タミ族(ニューギニア東部の小島群)。(P.289)。

 事例7.あの世の生活は全くこの世と同様。あの世でも死があり、死霊は再び死んで動物(クスクス)になり、険しくそびえた山の最も荒れた、深い、暗い静かな谷に住む。カイ族(ニューギニア東部)。(P.292)。

 事例8.死者の霊魂、アニトは村の近くの山に住み、生者と同様の生活を送る。どれだけかの期間生活すると再び死ぬ。そして蛇や岩、枯木の燐光になるともされる。ボントック族(ルソン島)。(P.545)。

 事例9.死霊が老いて再び死んでも絶滅することはなく、動物や植物になる。動物の場合、白蟻、野豚の珍種で、殺してはならないとされる。モヌンボ族(ニューギニア東部)。(P.295)。

 事例10.あの世で長生きした後で再び死に、その後は森で虫になる。ミラナウ族(ボルネオ島)。(P.555)。

 これらの例は、死から転生までの時間が遅延され、死者の霊魂の一生という概念まで進展することを示している。かつ、あの世での生活は、この世と「同じ」であることを標準にして、タミ族では、「より美しくより完全」と明るく捉えられているが、ファテ島(ニューヘブリデス諸島)では「現世よりも悪い生活」と暗く捉える場合もある。

 そして、転生するのは「蛇」が最も多いが、「蟻」、「蛆」、「クスクス」などである。しかし、転生は動物には留まらず、植物も「岩」などの無機物や「枯木の燐光」という現象に及んでいる。これは人間と動植物のみならず無機物と等しく見ていた段階があることを示すものだ。

 次に、転生と再生が一緒に現れる場合がある。まず、オーストラリアのワドゥマン族では、動植物から人間へと再生する。

 2.転生と再生

 事例11.死ぬと「精霊児」になる。「精霊児」は小蛙の形を取る。次に、「精霊児」は自分が生れるべき集団を知っていて、一時、母となる女性のトーテム動植物になる。ヤム芋が母のトーテムならヤム芋に入る。そしてトーテム集団の者に入って生まれ変わる。この経緯は神話の物語として組み込まれている。ワドゥマン族(オーストラリア北部)。(P.57)。

 ここではトーテム原理と再生とのひとつの融合の形態が見られる。トーテムも信じられているが、人間としての再生も強く現れてきた段階のものだ。

 これとは別に、転生と再生が選択肢となる例を見出すことができる。

 事例12.ヌカヒヴァ人は、「生れ代るまでにそんなに長い時間はかからないという。特に祖父の霊が孫に生まれ代るというが、ときには動物に生まれてくることもあり、また生まれ代るためばかりでなく、死霊としてこの世に来て、生者に苦しみを与えるという観念もある」。マルケサス諸島(ポリネシア東部)。(P.398)。

 事例13.死後百日の饗宴が済むと、死者の国に行く。善人は天上界の大木のところに行き復活するまで留まり、地上の人間の後継ぎとして再生する。悪人は地獄に留まるが、永久ではなく、虎、野豚、蛇などになる。ミナンカバウ族(スマトラ島)。(P.560)。

 ここには、人間への再生への願望が強くなっているが、動物になる場合もあるというように、トーテム原理の弱まりを見ることができる。スマトラ島のミナンカバウ族では、それが善人と悪人との区別となって明確になっているのだ。

 続いて、人間が人間として再生する例を見ていくが、これが多彩である。

 3.再生

 まず、再生思考のもっとも希薄なものとして、近親者に入り込む形が挙げられる。

 事例14.死者の霊魂はやや離れたところにいて、兄弟に会い、その中に入り、兄弟が死ぬまでその中に住む。兄弟が死ぬ頃には忘れられてしまう。ウォンガ・ムラ族とその周辺(オーストラリア南部)。(P.52)。

 事例15.死霊は北方の島に行き、数ヶ月の後、黒雲とともに帰来して、息子、特に孫に入り、その生長を助成する。再び離れて死者の島に行き、離れたことを悲しむ。死者の西方に行き、しなの木の所に来て、これを回って眺めていると西方から雷雲が出て来て、この木に落雷し次いで霊魂が打たれ、降雨で木の根元に流れ、終わる。アルリッヤ族(オーストラリア)。(P.54)。

 「兄弟」や「子」、「孫」という再生の流れは、母系か父系の系列か、直系の系列化の違いがあるが、どちらも人間としての系列を重視していることが現れている。しかし、霊魂が新しい生を受けて再生するのではなく、近親者の誰かのなかに入り込むという意味では、再生思考の初期型を示すものだ。この場合は、再生とは近親者の記憶と言う意味を持つが、記憶がそうであるように、「忘れられてしまう」時が、再生の終わりを意味している。

 霊魂が新しい生を受けて再生思考がより明確に現れてくる例を挙げよう。

 事例16.死霊は儀礼が適正に行われると、父祖の地に帰り、再生までとどまる。死霊は再生ごとに性を変える。大昔には、祖先達は精霊児を残し、それが正しき女に入り、今も生れ変っているいるのだとする信仰がある。マラ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 事例17.死者の霊魂は父祖の地に行き、やがて再生するが、再生ごとに性を変える。ムンガライ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 ここでは再生は連綿として、永続観念を見ることができるが、面白いのはその度に男だった者は女に、女だった者は男にと、性が転換されることで、ここには二項を明確に分けて転換する思考を見ることができる。そして、再生が「やがて」とあるように一定期間を置いてなされるように、初期型よりも再生までの時間が長めに取られている。

 ひと時を置いて再生するという思考には性を変えるという以外にもいくつかの種類が見られる。

 事例18.死者の霊魂は、岩など一か所に集まり、狙った女の中に入り、子供に再生する。実在の岩がある(by スペンサー&ジレン)。アルンタ族(オーストラリア中部)。(P.54)。

 事例19.樹上葬後、埋葬。死霊はこの式が終わると、神話的祖先の地に行き、この世に再生するまで同族の死者と交際している。ウンマトラ族、カイエティシュ族(オーストラリア中部)。(P.55)。

 事例20.霊魂は男だけが持ち、死ぬと歩きまわって父祖の地を訪問し、雨が降って骨が洗われてきれいになった時に再生する。グナンジ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 再生までの期間は漠然としているが、ウンマトラ族、カイエティシュ族では同族の死者との交際が思い描かれている。グナンジ族では、男性だけが再生するように、単性的な選択がなされているが、「雨が降って骨が洗われてきれいになった時」というタイミングは、琉球弧の洗骨とつながる思考法であると言える。

 再生においても、あの世で生涯をすごした後という時間の遅延は、見られるが、一例を見出すのみだ。それはトロブリアンド諸島の例だから、ここはマリノフスキーの詳細な記述を取り上げたい。

 事例21.「バロマが年老いてくると、その歯は抜け落ち、皮膚はたるみ、皺がよってくる。彼は浜へ行って塩水で水浴をする。それから彼は、ちょうど蛇がやるように、自分の皮を脱ぎ捨てる。そして、また幼い子供になる。実は、胎児、ワイワイア waiwaia -胎児の子供及び生れて間もない子供に用いられる言葉、になる。バロマの女にはこのワイワイアが見える。彼女はそれを抱きあげ、そして籠か折り畳んだ椰子の葉(プアタイpuatai)に入れる。彼女はその小さなものをキリウィナへ運び、誰か女の子宮の中へウァギナを通して挿入しておく。するとその女は妊娠する(ナススマsasusuma)」。(『バロマ トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』)

 バロマとはトロブリアントの島人の呼ぶ霊魂のことだ。精霊児ワイワイアが女性に入るまでの経緯は、海に浮かぶものに乗ってというように他の説明のバリエーションもあるが、ここではバロマとしても年老いてからという生涯の期間が想定されていることが取り上げたいことだ。

 再生に関する霊魂の運動のなかには、もうひとつ、子供にだけ再生を思考する例を挙げておきたい。

 事例22.成年式を経ずして死んだ子供は再生すると信ぜられるが、再生は実母を通じても、他の女を通じても行われる。 実母を通じて生まれたと信ぜられる子供をmillanboo(再び同じの意)という。老婦と結婚した年少の青年は、再生前に好きだったものだとも説明される。ユーアライ族(オーストラリア南東部)。(P.51)。

 事例23.死産児は近き将来の再生を確保するために母によって食われる(P.117)。アンタキリンジャ族(オーストラリア)。

 この二つの例は、子供の場合のみ、再生をすると思考されたものだ。ここには、再生以前に、生を全うする段階が重視されている思考を想定することができる。母による食人は、琉球弧における食人とは位相が違い、食人する側ではなく、子供としての再生が考えられているものだ。

 転生、転生と再生、再生という段階は、トーテム原理の強度と人間の他存在に対する優位の意識の度合いとして考えることができるが、これは必ずしも単線的に進むものではないと思える。また、ここにはひと時を置いて転生・再生するか、霊魂の生涯を終えて転生・再生するという時間の遅延の度合いも関わってくる。そこで、トーテム原理の強度と転生・再生までの時間の遅延を軸にすると、霊魂の運動について次のような図が得られる。

 
Photo


 こう整理した場合、琉球弧はどこに位置づけることができるだろう。琉球弧では後生(グショウ)という他界観念は広く残っている。しかし、後生で生涯を終えた後に再生するという物語は残っていない。再生するということ自体、童名以外には明瞭な痕跡はないと言っていいのかもしれない。しかし、酒井が追究したあらゆる機会を見出した再生への所作を見ていくと、再生信仰の存在が疑うことができない。そこで、このマトリックスのなかでは、現在から照射する限り、ひと時を置いた再生というBの象限に位置づけることになる。

 しかし、これはある段階、ことに母系制が強く発揮された段階における思考法だと捉えるものだ。琉球弧においては、再生だけでなく転生思考の痕跡も見出せる。奄美大島のマブリツケ(マブリ別し)の晩に地炉の灰をきれいにならしておき、翌朝最初に目をさました人がその灰をみると動物の足跡がついているという。その足跡の形で動物を判断して、死者はその動物に生まれ変わったという(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』p.224)。

 しかも、蛇やアマム(オカヤドカリ)をトーテムとした痕跡も見出せるのであれば、転生する思考の段階も想定できるだろう。ただ、転生や再生までの時間の遅延は、霊魂の生涯というほど長くはなく、むしろ添寝に見られたような時を置かない転生や再生が思考されていたのではないだろうか。

|

« 霊魂の運動としての再生・転生 | トップページ | 往還する霊魂の場 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/59717893

この記事へのトラックバック一覧です: 転生・再生における霊魂の運動:

« 霊魂の運動としての再生・転生 | トップページ | 往還する霊魂の場 »