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2014/09/30

農耕祭儀と成人儀礼

 来訪神の儀礼とはどのようなものか。

 祭儀は、八月五日夜の司たちの女神役がビタケ御嶽(わー)の拝所でおこもりをするときから始まる。六日はオンプールーとよばれ、一年の豊作感謝をことほぐ日であって、夜には御嶽の境内でしし舞いが行われる。これがおわると、部落の家々は全戸が雨戸を厳重に閉ざして忌みごもりに入る。家の外に出ることも、部落内の道を往来することも、すべてがアカマタ・クロマタ祭儀団体(=男子結社)の厳格な統制のともにおかれる。というのは、この晩にビタケ御嶽の内部にあるナビンドーとよばれる霊地でアカマタ・クロマタが誕生するからである。したがって、団体の成員である男子は全員が御嶽の境内に参集し、一晩中寝ないでアカマタ・クロマタの生誕の秘事を護るのである。境内の周辺は若者たちによって厳重に警戒線がしかれ、何人もこれを突破して秘事を窺いみることができなくされている。境内の一隅に草を編んでつくられた小屋があり、男たちはここで寝泊まりする。御嶽のなかからは一晩中ゆるやかな調子で太古の音がきこえ、忌みこもっている村人たちに今宵こそはアカマタ・クロマタの産れる日であうろことを告知するかのようである。

 七日はムラプールーとよばれ、きたるべき年の予祝をする日にあたる。村人たちは一年に一度だけ出現するアカマタ・クロマタを迎えるための準備をする。女神役たちはパナグミと呼ばれる海の幸・山の幸を盛った献立をつくるのに忙しく、男の一部はアカマタ・クロマタの伴をするシンカとよばれる一団の先頭に立てるノボリを作る。これには太陽と月を染め抜いた旗がとりつけられている。午後四時頃になると、村人一同老いも若きも、子どもたちすべてが御嶽の境内にあるナハおがんに集まってくる。おがんのなかでは女神役すべてがパナグミをもって集まり、神宴をくりひろげる。やがて夕刻太陽が沈みはじめる頃にアカマタ・クオマタの子供が出現する。全身葡萄の葉で覆われ、両手に細い鞭をもっている。これに触れると一年以内に必ず死亡するというので、アカマタ・クロマタがあばれだすと、群集は必死に逃げまどうのである。親のカマタ・クロマタは夕刻も遅くなってから出現し、四神を中心にシンカが囲集し、さらに一般民衆も加わって豊祝の踊りを行なって御嶽における予祝祭を終える。夜はアカマタ・クロマタが一晩中部落内の各戸を、まず、トゥネムトの家から司→カマンガ→バクスの家へと来訪し、さらに祭儀団体における先輩・後輩の世代序列にしたがってつぎつぎと訪れていく。やがて一番鶏がトキを告げると、部落はずれの霊地ナビンドーへ通じる神道に村人一同が参集し、わらでたき火をして神送りの行事を行う。このときにはカマタ・クロマタが闇のなかから幾度となく姿を現わして別れの耐え難さを村人に告げ、村人もまた別れの歌を切なく、声をかぎりに歌いつづける。老人たちが万感胸に迫って思わず落涙するのも、このときである。この七日から八日朝にかけての行事はきわめてドラマチックで演出効果もすばらしく、そこには長年月にわたる文化的な発展の行程が深い影を落としているといえよう。(『南西諸島の神観念』

 秘祭を仔細もらさず記述するのは土台、無理なことだが、住谷一彦の報告は、祭儀を圧縮した形でその骨格と雰囲気を伝えてくれている。ここから読みとれるのは、来訪神が予祝の農耕祭儀として男子結社により行われているということだ。しかし、アカマタ・クロマタとの別離の際に、「老人たちが万感胸に迫って思わず落涙する」ところからは、来訪神が予祝のために訪れてくれたというだけではないことも感じ取れる。

 ところで、この祭儀では記述には現れていないもうひとつの過程が同時並行的に進んでいる。それは、男子結社への入社儀礼だ。それは、結社員が誕生の準備と儀礼に取り掛かる来訪神の出現の前夜に始まっている。そこで、長老たちによる加入者の審査、査問も行われるのだ。翌日、審査の最終判定が行われ、認められた者は早速、アカマタ・クロマタ祭儀の準備の一員に加わるのだ。結社員になった少年たちには非常に厳しい通過儀礼(イニシエーション)が待ってるが、これは、多くの部族社会に見られた成人式儀礼と同じ意味を持つ(cf.「『加入礼・儀式・秘密結社: 神秘の誕生』のメモ」)。

 成人式儀礼では、少年は母から引離され、痛めつけられ、しばしば怪物に飲み込まれるという形を取った、象徴的な死を経て、大人へと再生しなければならない。その過程で、名を変えられたり、村落へ帰っても別人のように振る舞ったり、また母親や親類も知らない人に接するように振る舞う。この最初の儀礼が数ヶ月続く場合もあるのだ。西表島古見の場合、この通過儀礼は、太陽の照りつけるなか、長時間、正座をし両手を大きく開いたり合わせたりする動作を繰り返し、少しでも姿勢が崩れると、棒でぶたれたり水を浴びせられたりすることや、意中の女性を告白することが報告されているが、これもかなり省略が進んだ内容であることが察せられる。

 とはいえ男子結社員は、村落の出身者であり品行方正でなければ加入できず、誰でもが儀礼を通過できるものではなく、そのなかでは仮面仮装のアカマタ・クロマタに関する秘密を守ることが厳命されるという点では男子結社の特性が顕著に見られる。

 エリアーデは、秘密の仮面結社に見られる特性として、次の四点を挙げている。それは、秘密ということが重視されること、通過儀礼の残酷さ、仮面によって人格(ペルソナ)化された「祖霊たち」の祭祀が優勢であること、そして、祭儀のなかで高神の存在がないこと、だ(p.134『加入礼・儀式・秘密結社: 神秘の誕生─加入礼の型についての試論』)。そして、この特徴は、アカマタ・クロマタ祭儀にもぴったり当てはまることが分かる。

 だから、アカマタ・クロマタ祭儀をその原型に向かって理解しようとするなら、来訪神が予祝の農耕祭儀として男子結社により行われているというだけでは不十分で、そこに男子の成人儀礼が含まれていることを言わなければならない。

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2014/09/29

入団式のタイミング

 男子結社の加入礼がアカマタ・クロマタ祭祀のどこで行われているか。加入はアカマタ・クロマタ出現の前になされている。古見では、アカマタ・クロマタがきえた後に通過儀礼が行われている。祭儀の準備と同時並行に進む様は、増田和彦の報告がもっともよく分かる。 


 新城島のアカマタ・クロマタ。

 1日目 願解き
 2日目 アカマタ・クロマタ親子四神誕生。アカマタ・クロマタ秘儀集団への加入儀礼。夜、聖杜広場に四神が出現し、村人全員とマキ踊りをする。その後、各戸巡遊。
 3日目 明け寅の刻に来訪神と別れの儀式。村人のマキ踊り。あとのお祝い。

 秘儀集団名、ヤマシンカ(ヤマニンズ、アカマタニンズ)。秘密の伝授、仮面への礼拝のあと、直ちに豊年祭の仕事の分担に入る、とある(植松明石)。

 1日目 午後4時ごろ、御嶽に集まり、願解き。夜中、男達は神々の出現に備えて準備。長老たちによる加入者の審査、査問も行われる。
 2日目 朝、昼と御嶽において各司の祈願。美御嶽の右手のミヤラーからアカマタ・クロマタ子神が出現。午後6時ころ。子神の出現は終わる。アライリ(新入り)。審査の最終判定。合格するとすぐ当日からミラヤー入りが許され、一員としての任に当たる。7時過ぎ、アカマタ・クロマタ出現。みなで踊る。女性や子供は家に帰り、神々の来訪を待つ。夜九時頃から。
 3日目 4時ごろ、十字路に集まる。来ては戻りつを繰り返しながら御嶽の中に消えていく(増田和彦)。


 小浜島のアカマタ・クロマタ。

 3日前 加入審査。この時合格した者だけが後日「ナビン洞入り」を許される。
 1日目 御嶽プウリ。
 2日目 結社員が夜明けまでナビン洞に集合し、儀式が催される。部落民は潮時を見計らってナビン洞入りを行う。新入りの儀式。アカマタ・クロマタ出現。
 3日目 西原遊び。新加入者の誓約式(喜舎場永珣)。


 西表島古見のアカマタ・クロマタ。

 事前  古老たちによって面を被る者たちの選定。
 1日目 願解き。御神酒(豊穣の感謝)。
 2日目 船漕ぎ。アカマタ・クロマタ出現。
 3日目 ウイタビヌ願い。加入儀式(喜舎場永珣)。

 1日目 司の祈願。夜、ギラムヌたちが三神の面をトゥニムトゥから秘儀の行われる場所に、他人に見られないようにして移す。翌朝までに準備をする。
 2日目 未明。新入員の加入儀式。10時ごろ、船漕ぎ。日が暮れる頃、三神の出現。出現の儀式にはウイタビは千メートル離れたところで待たされる。司、女性や子供の待っているトゥニムトゥに出現する。別のトゥニムトゥをまわり御嶽へ行く。村人たちに見送られながら山中に消える。
 3日目 入団式。イニシエーションはこの時。

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2014/09/28

精液原理

 マヨ祭儀を行っていたマリンド・アニム族。結婚にあたって新婦は、健康と多産のために初夜に夫と同家系の男達の性交の相手をして、精液の洗礼を受けなければならなかった。結婚後も出産の後の最初の月経がはじまり、妊娠可能期に入ると、それが繰り返された。(『縄文土偶の神話学―殺害と再生のアーケオロジー』)より)。

 これを見ると、男女の性交が妊娠につながるいという認識は無いように見える。あれば、夫との性交のみに依存させるはずだ。

 サムビア族では、口唇性交により少年たちは大人の精液を飲まされた。妻から出る母乳も夫の精液の変化したもの、胎児の骨、皮膚、筋肉、内臓も精液によって形成され成長するものとされる。だから、妻が妊娠したら怠らずに性交に励み、精液を母胎に供給し続けなければならない。

 Herdt は、人間は精液がそのなかを通って次の世代に伝達される一時的な容れ物に過ぎず、精液こそが主体であると、この精液原理を説明している。

Its magical power does things to people, changing and rearranging them, as if it were a generator. They however, can do little to affect this semen principle: it does not reflect on them, but merely passes through them as an electrical current through wire, winding its way into bodies as generator coils for temporary storage. Because it is instrumental growth, reproduction, and regeneration, sperm(and its substitutes) is needed to spark and mature human life. Human are its objects. (SEMEN TRANSACTIONS IN SAMBIA CULTURE).

 これなど、最近の人間は遺伝子の乗り物に過ぎないという口吻を思い出させる。ある種の現代の科学が汎遺伝子主義なら、メラネシアでは汎精液主義だったわけだ。あまり変わりはない、というべきか。

 神話を再現して女性が殺害されるというなら、人間も植物由来で誕生すると考えられていたということか。



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2014/09/27

「大地・農耕・女性」

 エリアーデの『大地・農耕・女性』について、ぼくたちの問題意識にひっかかる個所を挙げていく。

 大地はあらゆる存在表現の基礎。それは宇宙的。農耕の始まりとともに、それは地下的になる。

 子供は父によって受胎させられるものではない。子供は父の存在によって合法的となる。父の存在は、彼自身をもって終わるのであって、決して他のものを通して次へと伝わることはできなかった。

 大地は地母神だったが、農耕によって植物と収穫の大女神に代わられる。地母神が穀母神にかわる。

 女性は農耕を発見した。人類と大地の比較は、農耕と妊娠の真の原因を、ふたつとも理解しえた文化内において起こる。

 再生供犠は、天地創造のひとつの儀礼的な繰り返し。

 食物生命に宿る力の再生は、時間の更新を通じて人間社会を再生する力を持っている。

 死者は生者の豊穣儀礼に参加するために返ってくる。

 ことごとく、ぼくたちの問題意識に関るのだが、南太平洋の事例があまりないために、知りたいことに一歩、届かないもどかしさがあった。

 現状の仮説は、

 ・女性の殺害による穀物としての再生という農耕祭儀。
 ・穀母神とその子の穀霊という設定による殺害の消滅。
 ・人間の性交と妊娠のつながりの認識の獲得。
 ・男女二神の設定。
 ・兄妹始祖神話の誕生(更新)。

 という流れだ。

 わからないのは、女性の殺害時点で、男根や精液に対する信仰があった時点では、人間の性交と妊娠のつながりの認識は無かったという理解でいいのか、ということだ。



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2014/09/26

トゥブアンとドゥクドゥク

 ニューブリテン島のトゥブアンとドゥクドゥク。

 トゥトゥア祭り。ドゥクドゥクが太鼓を叩くと、トゥブアンが踊りはじめる。日常語とは違った秘密の言語で歌う。続いて、二ドック祭り。これが少年たちの入社式。集会地に入ると、トゥブアンが棍棒で若者たちを叩く。それを合図にドゥクドゥクが若者たちに襲いかかり叩きのめす。結社員は、若者たちにドゥクドゥクの踊り方を教え、祭儀の秘密を漏らせば酷刑に処すると脅す。この日の真夜中に、トゥブアンの叫び声と太鼓の轟が村に聞える。新しいドゥクドゥクの誕生が知らされる。

 新入結社員もドゥクドゥクに仮面仮装する。夜明けとともにトゥブアンは新しく生れたドゥクドゥクを従え、森を取って巡りあるく。一行に出会ったものは、昔は殺された。一行は、海岸に出て海から村に上陸する。一行は公開祭場にいたり、そこで女性や子供に示威する。最後にドゥクドゥクの仮面は壊され、仮装は焼かれ、今年のドゥクドゥクは死ぬ。トゥブアンは小屋に入ってつぎに生き返るまでひきこもる。(『異人その他―他十二篇』)。

 岡が参照している書籍に当ると、少年たちの試練は2週間にわたるとある。

The day before the Duku-Duk's expected arrival the women usually disappear. or at all events remain i their houses. It is immediate death for a woman to look upon this unquiet spirit.
Before daybreak every one is assembled on the beach, most of the young men looking a good deal frightened. They have many unpleasant experiences to go through during the next fortnight, and the Duk-Duk is known to possess an extraordinary familiarity with all their shortcomings of the preceding month.

The last day on which the moon is visible the Duk-Duk disappear, though no one sees them depart; theirr house in the bush is burned, and the dresses they have worn are destroyed.
(Hugh Hastings Romilly「The western Pacific and New Guinea」

cf.G.Brown:「Melanesians and Polynesians; their life-histories described and compared (1910)」

Rivers: 「The history of Melanesian society (1914)」


 トゥブアンはドゥクドゥクの母で女性とされている。

 マヨ祭儀において、マヨの母、あるいはマヨの娘として少女が殺害されたが、トゥブアンの祭儀では殺害されることはない。トゥブアンの子、ドゥクドゥクが祭儀のなかで毎年、死ぬ。トゥブアンの祭儀は、マヨ祭儀の後の段階に当るものだ。

 マヨ祭儀は、男子結社員のみで行われ、女性の殺害を持って終わる。トゥブアン祭儀においては、ドゥクドゥクが死ぬ。マヨ祭儀のマヨの母(娘)の役割は、トゥブアンとその子、ドゥクドゥクが担う。ドゥクドゥクは、殺されるマヨの母(娘)で、トゥブアンは穀物として再生したマヨの母(娘)の表象であり、これがトゥブアンが女性であることの意味だ。

 トゥブアンでは、女性や子どもたちに姿を現す場面を持っている。というより、それはトゥブアンが人目に触れる機会になっている。若者の入社式に最初に現れ、通過儀礼を果たした後、女性や子どもたちの前に姿を現す。

 トゥブアンが女性神のみではなく、男女二神になれば、もうアカマタ・クロマタと同じである。


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2014/09/25

まれびとの「神話」と「歴史」

 鈴木満男は、『マレビトの構造―東アジア比較民俗学研究』1974年)のなかで、折口信夫の「まれびと」を、「神話」と「歴史」の二つのモデルに分類している。

 第一次モデルが、主として神話の次元に関るものであること(歴史の次元においては、それは原始・国家以前の段階において最も純粋に現れること)。
 これに対して、第二次モデルは、主として歴史の次元に関り、古代国家の形成過程の宗教面における反映と言った程の意味を持つこと、の二点である。

 「神話」には、「死者→先祖→神」という系列が属し、「歴史」は大和朝廷に対し、服属、絶滅、放浪したもののうち、特に放浪者である「ほがひびと」が属している。

 この「神話」と「歴史」の分類が意味を持つとしたら、古代人が来訪神を観念する二つの契機を示していることだ。ひとつは他界の表象であり、死者が赴き、また未生の状態のものたちのいる場所である。もうひとつは、異人を死者あるいは神と見なしたことによるもの。

 琉球弧の場合、後者は、痕跡を認められるものに関する限り、「ほがいびと」というより、新しい技術や信仰を持って到来した人々のように見える。

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2014/09/24

穀物として再生するために殺害される女性としてのおなり

 また、気になるものを読んでしまった。

 オナリは元々'沖縄を始めとする南西諸島で姉妹のことをいうが'自分の姉妹のことをオナリというのは男性のみで'女性は使わない 。オナリは呼び名として今でも使用されているという。古くは、姉妹はオナリ神として兄弟たちを守護するという信仰があり、兄弟の旅立ちには姉妹の持ち物をお守りとしてもらっていったという。

 本土にもオナリという女性はいる。しかしそれは姉妹とは無関係で、沖縄のオナリと同じものであったかどうかは問題になっている。本土のオナリは'オナリド・ オナリサマと言われ、田植時に食事を運ぶ役目、苗取りの束ね藁を渡す役目をする。東日本ではヒルマモチというが'それは昼食を持つ意である。 彼女達は山麓リ'野寵リ、また浜降りなどの物忌みをし、別火生活を送る若い女性であった。別火生活は神事を行う神聖な役目を担う者のつとめである。(中略)オナリ・ ヒルマモチがコモリを行うのは'田植に際して来たるべき神を迎えるためで'彼女達は巫女の性格を持っているといえる。

 問題は、その田植に従事する女性が非業の死を遂げる話の数多いことだ。或いは死なないにしても、祭りの日に田の中で蹴り倒される習俗がある。前者の例では「嫁殺し田伝説」といわれる話が各地に存在する。(中略)

 田植時に田や水で死ぬ女性がいる。そこから柳田国男氏は古来オナリが田の神の犠牲に供えられた習俗があったと推測した。そして田植儀礼は'神への犠牲としてオナリを殺すことをその一 成素としていたらしいといっている(瀧川美穂「ヤマタノヲロチ考-イケニエと巫女-)。

 本土のオナリには巫女としての意味を持っている。それなら、なおさら琉球弧とのつながりを考えざるをえない。

 瀧川は、「来訪神が怪物化、邪神化するとともに、異界と接する巫女は神の妻から生贄へと移っていったのである」と締めくくっているが、ぼくたちは男子結社のなかで神話を演じた来訪神の横で、殺害される穀母としての女性の名がおなりであった可能性を認めておけばいいのだと思う。

 注。谷川健一は、

ヒルマモチは田植のときに弁当をはこぶ役であるが、オナリとも呼ばれる。神酒をかもす早乙女の十七は神に仕える巫女であり、また南島で言うオナリ神とみて差支えない。

 と断言している。


『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1―南島文学発生論』

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2014/09/23

「人身御供の資料としての『おなり女』伝説」

 恐ろしいものを読んでしまった。

 中山太郎は、「人身御供の資料としての「おなり女」伝説」(『生贄と人柱の民俗学』所収)のなかで、田の神への女性の人身御供を取り扱っている。これは1925(大正14)年に書かれたもので、すでに穀母としての女性の殺害と植物としての再生を知っているぼくたちには、理解できる内容だが、琉球弧の視点から見る時、人身御供としての女性の名を「おなり女」としていることが注目される。

 中山はどこからこの言葉を持ってきたのか。

 オナリの土俗もかかる時代に犠牲-すなわり人身御供の一として、我らの遠い祖先なる古代の農民に工夫された祭儀なのである。オナリの語は世人の多くに忘られてしまったが、それでもまだ一部の間には活きている。伊賀国名賀郡地方では今に水仕女をこの語で呼んでいる。琉球ではオナリの語は姉妹の意に用いられている。内地の神名や地名にあるボナリ(母成の字を当つ)、ウナリ(宇成は於成の字を当つ)等もおそらくこのオナリの転訛である。(引用者が現代語かなづかいに変更した箇所あり)

 と、琉球は一例として挙げられているが、根拠の筆頭ではないらしい。

 オナリはヒルマモチとも言った。昼間持の意で、田植えの折りに働く早乙女その他の者の昼飯を持ち運ぶ役に当る女性だる。このヒルマモチが田の神の犠牲に供えられるのである、としている。

 ということは、内地においては、田植えに昼飯を届ける役の女性をオナリ女と呼んでいたということか。

 もともとこの論考は、柳田國男が「郷土誌論」において、「オナリ女が田植えの日に死んだというのは、オナリ女の死ぬことが儀式の完成のために必要であったことを意味する」という個所を発端に書いたもののように見える。

 琉球の話題も出てくる。

琉球の大祭はシヌグというがこれは全く農業祭である。この祭儀には東の方から男が、西の方から女が出て田遊びの神事を行うが、この折には正視しえられぬほどのきはどい事をする。これらの土俗は改めて説明するまでもなく、農業と生殖との信仰を表現したものである。

 シヌグのことは、伊波普猷談と書いている。このシヌグの模様は、男女の対幻想そのものを農耕祭儀化したものだから、穀母の殺害のあとにくるものだ。

 この穀母の殺害には男子の秘密結社が関わって、仮面仮装の「祖先」が神話を演じられていたが、ぼくたちはこれを、琉球弧の来訪神祭儀の前に当るものではないかと考えてきた。この段階は、母系社会であったかどかとは関わらずに成立するので、ということはオナリ神信仰の前を示すことになる。

 琉球弧では、殺害された女性、おなり神は母系社会の進展とともに、霊的優位の言葉として生きることになるが、内地では、殺害される女性の呼称のまま、人身御供が無くなるのとともに言葉も消えていったということだろうか。

 琉球弧における「おなり神」という言葉の聖性、重さを踏まえると、この「オナリ女」伝説も衝撃を受けずにおれない。


『生贄と人柱の民俗学』

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2014/09/22

イェンゼンの「殺された女神」

 アードルフ・E・イェンゼンの『殺された女神』から。

 蛇は長い放浪の末にヤウィを出産。美少年であるヤウィをデマ・アラメンブは誘拐する。ヤウィはアラメンブの妻を誘惑したので、アラメンブはヤウィの殺害を決める。殺害の儀式は、呪術に長けた人々によって大げさに実行された。しかし自分の決定に後悔したアラメンブは蘇生させようとするが、間に合わず、アラメンブは生命の薬を蛇に与えた。そこで人間は死に、蛇は不死になった。殺されたヤウィの頭からココヤシが発生した。

 別の神話。女が息子とともに祭場から逃げ出し、冒険に充ちた放浪の末に、ある村に辿りつくが、そこで男達や若者たちに強姦され、殺害され食べられてしまった。「われわれはこの種の宴会を毎年繰り返すことにしよう」と男達が言った。この女が「マヨの母」である。

 別の神話。マリンド族では、最初は女が首狩りを行っていた。男性の装飾品をつけ、男性の武器で武装し、狩りから帰る途中の男達に襲いかかり、殺害した。怒ったデマ・ゲフは彼女らのほとんどを殺した。殺害が男性の職責なのはここからだと考えられる。

 結婚式習俗においても、花嫁は結婚式の前に村外の藪のなかに連れて行かれ、そこで男達と若者によって侵される。これも神話素から導かれている。

 最初の死は、通常の死ではなく、「許し難い性交」を発端にした殺害だった。そこから有用植物と人間の食べ物が発生した。

 これらをつなぐと、マヨ祭儀のアウトラインも浮かび上がってくるのは分かる。

 古栽民のあいだにはこのように、世界と人間は原古に神話の中の事件が起こることによって、現在ある通りのものに成ったので、世界の秩序が現状の通りに保たれ、各世代のまだ人間になりきっていない子どもたちが人間にされるためには、その神話の事件がたえずその通りにくり返されねばならぬという、牢乎とした信仰があった。そしてこの信仰に基づいて彼らは、子どもから大人に成ろうとする若者たちに入社式の中で神話の事件を、能う限り生々しいしかたで体験することを求めたので、その入社式のなかではとうぜん、神話の事件のもっともも中心的な出来事であった作物の母体となった存在の殺害が、能う会議生々しくくりかえさねばならなかった。そして殺した犠牲者を、畑などにそのは撒いたり埋めるより前にしばしば食べもすることによって、彼らは、自分たちが日々口にしそれによって生命を養われている作物が、実は原古にその発生のため犠牲になった存在の血と肉にほかならぬことを、そのつど生々しく表明しながら銘記することを続けてきたと思われるわけである(p.63『縄文土偶の神話学―殺害と再生のアーケオロジー』)

 しかし、この説明でも、殺害の理由は分かるが、なぜ食べなければいけないのかは尽くされないと思う。殺害した女性を食べることが、「実は原古にその発生のため犠牲になった存在の血と肉にほかならぬことを、そのつど生々しく表明しながら銘記することを続けてきたと思われる」のは聖性を高めることにはなっても、これではある意味で苦行としてやっているようにも見える。

 まず、イェンゼンも「人身御供に関しては、そもそも動物供犠と区別されない」と書くように、人食は、この段階では、人間と植物と動物との区別があまりついていないことは言える。すると、栽培を覚えた植物を食べるように、殺害した女性を食べるのだということは言えそうだ。まだ言えるとしたら、穀母との同一化、共同幻想との一体化だろうか。

 イェンゼンもエリアーデと同様、この習俗を母権制と結びつけていない。「ここで観察に上る諸民族のほんの一部が母系出自を有するに過ぎない」としている。

 殺害に関して、イェンゼンは、これが「戦闘的男性的精神から生れた英雄的行為ではない」として、「殺害がこの世界像の中でかくも顕著に前面に現われたことを私は断々乎として食物[栽培]への従事に帰したい」と書いている。栽培する植物の増殖を促す行為なのだ。

 この段階では、女性が子を生むことが重視された。それが栽培植物の生成と同一視された。そこで、女性は共同幻想に変身するために殺害されなければならない。ハイヌウェレ型の神話では、しばしば男性からも植物が生える異文を持っている。キワイ族では最初の有用植物は男性の精液から発生している。しかし、最終的には女性が産むことが重視された。そして男性は、殺害による増殖行為に関わった。

 ハイヌウェレ型神話のなかで、有用なものを女性は排泄物として出す。それは、栽培した植物が実りをもたらすことに対して、人間を擬植物化している。神話のなかではそれを成り立つ。しかし、現実世界の女性は排泄物として有用なものを出すわけではない。そこで、殺害され、植物として再生するという過程を踏む。栽培する植物の増殖力は狩猟採集の段階からみれば驚くべきものだった。そこで、増殖を祈願するには、あるいは増殖と歩調を合わせるには、殺害は繰り返されなければならなかった。

 ここで神話のなかに生きることは完結される。だから、ここまできても、殺害した女性を食べる行為が必然化されるように思えない。それは必然ではないのかもしれない。ただ、この穀母という共同幻想との一体化を目指した行為は、それとは別に、死んだ人間を自分のなかで再生させるという別の信仰への契機になったものかもしれない。



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2014/09/21

『加入礼・儀式・秘密結社: 神秘の誕生』のメモ

 男性の秘密結社は歴史的などの段階に置くことができるか。

 男たちの秘密結社、つまり仮面結社は、「母権的な循環期」に創出されたものだとする考えがある。つまり、仮面の男たちは悪霊である祖霊たちなのだと信じ込ませることによって女たちを威嚇することにあった。母権制によって確立した女たちの経済的-宗教的優越を動揺させることを目的としたものだ、と。

 たしかに仮面結社が、その種の役割を演じた可能性はきわめて高い。しかし、成人式と男たちの秘密結社への入会に際して行われる加入礼的な諸試練の間には、「完全な連続性が存在しているという事実が確認されるのである」。たとえば、オセアニアの若者の加入礼と秘密結社の加入礼は、海の怪物に呑み込まれる象徴的な史の後に再生復活するという同じ型の儀礼を内包している(M・エリアーデ『加入礼・儀式・秘密結社: 神秘の誕生──加入礼の型についての試論』)。

 つまり、エリアーデによれば、秘密結社のイニシエーションは、成人式のそれから派生しているのであり、母権制を母体に発生しているわけではない、ということだ。では、秘密結社に固有の契機はなにか。

 それは、「聖なるものにより従前な形で参入したいという欲求の存在」、強烈に固有の聖性を体験したいという欲望である。

 秘密の仮面結社の固有性もある。

 ・秘密ということの果たす中核的な役割
 ・加入礼的試練の残酷さ
 ・仮面によって人格(ペルソナ)化される「祖霊たち」の祭祀の優勢
 ・高神の不在

 ここでは、エリアーデが「至高の存在」と書いているのを、高神とみなして、こう書くのだが、彼は高神ありきで考えているのか、秘密結社においては、高神の重要性が失われていくのが一般的だと書いている。これは、来訪神が重要な役割を果たしていると見ることができるだろう。

 ニューギニア島、アメリカ、アフリカの加入礼は祭司たちまたは仮面をつけた者たちによって主宰される。多くの場合、それは「先祖たち」を演じる仮面をつけた者たちによって取り仕切られる。成人式の加入礼は、次第に呪医たちや仮面結社の秘儀伝承を部族の文脈上で表現するものへと発展していく。それは修練者を部族の神話的物語へ導入することに等しい。もうひとつは、血と性が聖なるものであるという啓示を受ける。

 女性にたいする成人式の加入礼は、存在が確認できるが、男性のそれほど広く認められない。男性のそれが集団的であるのに対して、女性は初潮という個別的なものである場合が多い。

 女性は共同幻想を対幻想の対象とすることができるが男性はできない。秘密結社の試練を見ていくと、男性が共同幻想を知り、イニシエーションを重ねていく過程は、自己幻想を共同幻想に同一化する過程に見える。

 メキシコのウィチョル族の「経験豊かな物知り」に言わせれば、「男たちはかわいそうに、あんなにでもしなければ、知恵に近づくことはできないんだよ。ところが女は自然のままにそれを知っているのさ」(p.143『対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5』、というこだ。



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2014/09/20

ハイヌウェレ神話とマヨ祭儀

 ウェマーレ族(インドネシア、モルッカ諸島のセラム島)の神話。

 アメタ(黒い、暗い、夜などの意味)と呼ばれる男がいた。アメタは狩の最中にココ椰子の実を見つける。その夜、夢のなかで一人の男に、「ココ椰子の実を、地中に植えなさい。もう、芽が出かかっているから言われ、ココ椰子の実を植えると、三日後には高い樹に育ち、さらに三日後には花が咲いた。アメタは花から飲み物を作ろうとするが、手元を狂わせて指を怪我してしまい、傷から流れた血が花にかかった。

 それから三日後には、花と血が混じり合ったところから人間が生じかけていて、顔ができていた。その三日後には胴体が、さらに三日後には完全な女の子になっていた。その夜、再びが男が夢に現れて、女の子を家に連れて帰りなさいと言われる。アメタは、娘に「ココ椰子の実」という意味のハイヌウェレという名前をつける。ハイヌウェレは急速に成長し、三日後には大人になった。彼女は、陶器の皿や銅鑼などのような宝物を大便で排泄したので、アメタはたちまち裕福になった。

 そのうちに九夜続けるのが習わしのマロ踊りが開かれた。ハイヌウェレは毎夜、踊りのなかで、みんなに宝物を与え続けたが、夜ごとに宝物は高価になり、人々ははじめのうち喜んだもののやがて妬ましくなり、九夜目にハイヌウェレを殺してしまう。アメタはハイヌウェレが殺されたのを知り、埋められた彼女を掘り出し、死体を多くの断片に切り刻んで、その一つ一つを別々に広場のまわりに埋めた。すると、そこにさまざまな種類の芋が発生して、以後、人間は、これらの芋を主植物として生きることができるようになった。

 これが死体から植物が生えるという、いわゆるハイヌウェレ型の神話の中身だ(吉田敦彦『縄文土偶の神話学―殺害と再生のアーケオロジー』より)。

 この神話の異文のひとつは、ハイヌウェレが殺されたのを嘆いた両親は、死体を掘り出すと、家々をまわり、「お前たちは彼女を殺した。だからおまえたちは、これからは彼女を食べなければならない」と言って歩いたと物語られる。

 この異文は重要だと思える。というのも、この神話が祭儀のなかで反復される際に、彼女を食べるということも反復されるからだ。それがニューギニアのマリンド・アニム族のマヨ祭儀だ。

 マリンド・アニム族で成人を迎える若者は、満月の夜の明け方、ココ椰子の茂みに囲まれた空き地につれて行かれる。そこにはマヨ老女を表わす木像が建てられている。若者たちは、身に着けていたすべての衣服や飾りをはぎ取られ、結髪も解かれる。しばらくすると、バナナの葉の上に精液を混ぜた黒い泥で、自分の歯を黒く塗る。その後で、びんろう樹の根とマングローブの樹皮を、最初の食べ物として与えられる。食事が終わると、川で沐浴させられたあとで、身体を粘土で白く塗られた。そして戻ると、若いココ椰子の葉を与えられ、独特の衣裳を作り、頭と足先だけ残して、身体中をすっぽりと覆った。

 彼らは生まれたばかりであるとみなされ、植物、衣服、飾り、結髪、魚、狩り、性行為などについても何も知らない状態にあるとされ、神話のなかでその由来を知らされる。大人たちは祖先に扮し、神話の事件を演じて見せ、それを伝える。

 五ヶ月をかけて順次、必要な習俗と食物について教育され、その過程で衣裳や飾り、髪形なども、少しずつ、元の人間の姿に戻っていく。そして最後に、マヨ娘と呼ばれる生け贄の女性たちを、祭儀に参加した男達全員が集団で強姦し、殺し、その上、食べる。その骨は、新しく植えられたばかりのココ椰子の側に埋められ、血で椰子の幹が赤く塗られた。

 衝撃を受けずに読み進むことができない内容だが、殺された女性がココ椰子の側に埋められるのは、ハイヌウェレ型の神話として、植物の増殖を託すものであることが分かる。しかし、ハイヌウェレ型の神話というのは、これだけでは実は半分だったのではないだろうか。女は殺害されることで、共同幻想の表象である植物に再生すると捉えてきたが、ここには殺害するのは誰か、という側面が抜けている。殺害するのは男である。男にしても、強姦しているのは対幻想の対象としての女性ではなく、共同幻想化された女性である。共同幻想として表象されたした女性を強姦し殺害することによって、本来は対幻想の対象である女性を共同幻想化させたのである。

 岡正雄によれば、この祭儀を行う秘密結社は「女性も参加させた。しかし、それはただ性的秘儀のためである」(『異人その他―他十二篇』)としている。「マリンド族のうちでもマヨ結社以外の結社では、女とこどもは絶対に参加させられなかった」。本質的には、男子の秘密結社であるということだ。

 男女二神として現れる来訪神を組織しているのは、男子結社だった。そして、このマヨ祭儀からは、男女二神として現れる前の段階で、穀母が殺害されて共同幻想化する段階でも中心的な役割を果たしているが男子結社だと受け取ることができる。それなら、琉球弧の男子結社も、男女二神として現れる来訪神祭儀の前に遡る射程を持っているということだ。

 また、この祭儀の過程で、大人たちは仮面仮装の姿で祖先に扮している。これは、農耕祭儀のなかで男女二神として現れる来訪神の元の姿なのかもしれない。秘密結社の通過儀礼のなかで他界を現前させるために現れた神は、農耕祭儀のなかで来訪神化したのではないだろうか。

 もうひとつ、マヨ祭儀では、「精液を混ぜた黒い泥で、自分の歯を黒く塗る」とされたが、祭儀の各段階で初めて食べることにされる植物にはことごとく精液が混ぜられている。ハイヌウェレ型神話の源流とされるメラネシアにおいては、男根と精液に対する強い信仰が見られるという。たとえば、パプア台地東南部のサンビア族のある儀礼では、男子結社の入社式や年齢階梯ごとの儀礼のなかで、「口唇性交により大人の精液を飲むことを教えられ」る。結婚後も、女性が儀礼を経て性交が許されるまで続けられる。

なぜならそれによって妻の成長が促進され、妻の肉体が受胎可能となると信じられているからで、サムビア族の信仰によれば、妻から出る母乳もこのようにして彼女が夫から受けた精液の変化したものにほかならない。また胎児の骨、皮膚、筋肉、内臓などもすべて精液によって形成され成長するもので、夫はそのために妻が妊娠したあとも、怠らず性交に励み、胎児のために精液をたえず母体の内に供給しつづけねばならぬと信じられている(p.81『縄文土偶の神話学―殺害と再生のアーケオロジー』

 ここでの精液は、対幻想のなかのそれではなく、もはやそれが植物や人間を成長させる共同幻想と化している。「かれらの共同幻想にとっては、一対の男女の〈性〉的な行為が〈子〉を生む結果をもたらすのが重要なのではない。女〈性〉だけが〈子〉を分娩するということが重要なのだ」と吉本隆明は書いたが、同じように言えば、この共同幻想のなかでは、男性の精液だけが妻や子を成長させると信じられていたということである。そうであれば、マヨ祭儀において集団強姦するのも、できるだけ多くの精液によって共同幻想の象徴である食物として再生させる意味を持つものだったと言える。この段階での男子結社とは、精液を生命の源泉として共同幻想化したものだと言える。

 すると、琉球弧の来訪神儀礼のひとつボジェの持つボジェマラの由来は、この男女二神の来訪神儀礼の前の段階で、穀母が殺害される共同幻想の段階にあると考えることができる。

 また、ぼくたちは以前、マリンド・アニム族には明確な転生信仰を見出せなかったが、霊魂は幽霊として、昼は鳥(鶴)や鴉の姿を取るという。しかし、マヨ祭儀にも示されるのは植物への化身が考えられていると見なせる。この信仰は、母系社会が進んだ段階では、再生信仰へと転化されるはずだ。


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2014/09/19

パーントゥの変身

 「来訪神祭祀の世界観-宮古島・島尻のパーントゥの事例から-」(本林靖久『宗教民俗研究』2001年)より。

 パーントゥへの変身。
 ・キャーン(シイノキカヅラ)をまきつける。
 ・つる草の小手には、ミーピ-ツナという縄を使う。スマッサリという悪魔祓いの行事で使われた縄。
 ・頭部に、マータ(先を結んだチガヤを射し込む)。魔除けの呪具。
 ・ンマリンガーの底のヘドロをつる草に塗りつける。
 ・仮面にも塗り、グシャン(杖)を持つ。グシャンはダンチクの茎。

 ンマリンガーで誕生し、海岸の闇に消え去る。

 仮面は、ウヤ(親)、ナカ(中)、ファ(子)の三つ。1966年の「宮古新報」では、百数十年前、赤、黒の二つの仮面が流れついた。老女の赤色面、老人の黒色面だったと記載されているが、他の報告、聞き取りからは確認されなかった。

 各ムトゥの参拝の時、古老の男性から酒を振る舞われる。祖霊としての性格を持っている。

 草装(蓑笠)をつける姿。「この世(現世)では死者の姿であり、あの世(他界)での姿であるということである」。

 メモ

 パーントゥは、祓いのために出現し、男神・女神と分かれておらず、農耕祭儀の意味は希薄。グシャン(杖)を持っており、精霊の化身という以外に、祖霊の要素も含まれている。

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2014/09/18

穀母の殺害と男子結社

 大気都姫が須佐男に殺害された後、大気都姫から穀物が生成される『古事記』の記述について。

 この説話では、共同幻想の表象である女性が<死ぬ>ことが、農耕社会の共同利害の表象である穀物の生成と結びつけられている。共同幻想の表象に転化した女〈性〉が、〈死ぬ〉という行為によって、変身して穀物になることが暗示されている。女性に表象される共同幻想の〈死〉と〈復活〉とが穀物の生成に関係づけられる。(p.143『共同幻想論』
かれらの共同幻想にとっては、一対の男女の〈性〉的な行為が〈子〉を生む結果をもたらすのが重要なのではない。女〈性〉だけが〈子〉を分娩するということが重要なのだ。だからこそ女〈性〉はかれらの共同幻想の象徴に変容し、女〈性〉の〈生む〉行為が、農耕社会の共同利害の象徴である穀物の生成と同一視されるのである。
 『古事記』の説話のなかで殺害される「大気都姫」も、「箒の祭」(穀母の正装をつけて女性が殺害される古代メキシコのトウモロコシ儀礼-引用者注)の行事で殺害される穀母もけっして対幻想の性的な象徴ではなく、共同幻想の表象である。これらの女性は共同幻想として対幻想に固有な〈性〉的な象徴を演じる矛盾をおかさなければならない。これはいわば、絶対的な矛盾だから、じぶんが殺害されることでしか演じられない役割である。じぶんが殺害されることで共同幻想の地上的な表象である穀物として再生するのである。

 農耕社会の発生期において、対幻想のなかに時間の生成するながれを意識したとき、その対幻想は「なによりも子を産む女性に所属した〈時間〉に根源を支えられていると知ったのである(p.194)」。「この時期には自然時間の観念を媒介にして、部族の共同幻想と〈対〉幻想とは同一視された」。ただ、農耕社会の発生期に母系的あるいは母系的な制度がつくられたかどうかとはかかわりない。

 それではこの時、女性を殺害するのは誰か。生む行為からは疎外された男性である。穀母として殺害される女性の神話に、男性を登場させているのは、マリンド・アニム族のマヨ祭儀では、穀母とされた女性が、殺害されるというだけではなく、強姦されたうえで殺害され、共食される。


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2014/09/17

萩原秀三郎の来訪神考

 萩原秀三郎の来訪神考。

 南島の来訪神は古型。とすれば、草木を身にまとうのが原型。草荘神の草木は、草木そのものに霊性を認めている。大地に霊性があるのだ。その霊草はチガヤだ。

 日本の来訪神の古型が草荘神にあるとすれば、来訪神の原郷を海の彼方とするのは難しく、その出現を水平的に表象する信仰形態は二次的に派生したものということができよう。さらにこの季節の変わり目に出現する来訪者が、祖霊であり穀霊であるとすれば、その一次的原郷は地下である可能性が増々高まってくる(「来訪神-時間・空間の境より出現する神」『芸能』1990年)。

 マユンガナシには、祖霊と穀霊の要素がダブって見える。「手拭で頬かむりしてクバ笠をまぶかにかぶり、クバの蓑を前と後にまとい六尺棒を手にした神が、長々と祝詞を唱えて回る」。イヌの日にイヌ歳生まれ男性がマユンガナシに扮する。「イヌにまつわる伝承も、穀物将来譚にしばしば犬が主要な役割をになうように穀物の豊産に深くつながるイメージである」。マユンガナシが神から人に戻るのはクラヤシキだが、クラヤシキは「昔、村の非常用の米倉のあった屋敷跡である」。

 船競漕の習俗は、中国長江流域から東南アジアまで広がる。「海の彼方から遠来の神を水平的に迎えるマレビト信仰は、この船競漕と同じ文化領域の中にある」。「日本の弥生時代の開幕を告げる稲は、長江流域からもたらされたことはわかっている。ただ、長江のどのあたりが中心か、その稲作文化の担い手は、そして伝播のルートは、といったことが未だ確定していない」。

 ここまででいえば、「マユンガナシには、祖霊と穀霊」の要素が強いのは、蓑笠の姿や神を解く場所がクラヤシキであることから頷ける。萩原は苗族が元であることを言いたいように見える。

 2005年の「来訪神の座標軸」(『東アジア比較文化研究』)ではその主張はもっと進んだものになっている。粟作は、水稲耕作文化以前の古い栽培文化であるという主張が多いが、「粟作と結びついたマレビト祭祀を水稲耕作文化以前と截然とすることはむずかしい」。なぜなら、稲作の起源は長江流域で一万数千年前とする説が有力であり、黄河流域のアワを越えた古さだからだ。つまり、マレビト信仰の淵源は、稲作文化にあると言うわけだ。

 来訪神の本質は、稲が枯渇して死を迎える-つまり刈り入れの時に出現するところにある。稲に限らず「食料の貯蔵の更新を支配する儀礼によって」時間の区切り=正月は決定される(エリアーデ『永遠回帰の神話』。そうした意味での正月に出現してこその来訪神なのである。

 「来訪神儀礼は本来水稲耕作文化複合として出発したが、水稲の伝播が雑穀地域を経由した際に、来訪神儀礼が雑穀耕作文化と習合した、とわたしは考える」。

 萩原の議論は、稲作文化と来訪神儀礼の関わり、というより、稲作文化とつながりの強い来訪神儀礼の中身がよく分かるのだが、なぜ「水稲耕作文化」を淵源とすることに、強くこだわるのか、分かりにくかった。ともすると、かつてよく聞いた、稲作農耕こそは日本の起源とする議論のしんどさを思い出した。

 来訪神は、農の神と限定されるだろうか。たしかに、「時を定めて」ということに照準すれば、穀物栽培との結びつきは強い。しかし、漁撈であるシュクの寄りに来訪神が結びついてもおかしくないし、フサマラーは雨乞いの際の来訪神だ。パーントゥは厄払い、アンガマは祖先供養を旨として来訪する。農の神、しかも稲の神として限定する必要はないと思える。


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2014/09/16

パーントゥと泥

 「来訪する神の再解釈 : 沖縄県宮古島市島尻の仮面祭祀「パーントゥ」を事例として」(佐藤純子、『民族藝術』2013年)。

 佐藤は、来訪神とひとくくりに呼ばれることで、それぞれの個別性が見失われがちではないかと書いている。たとえば、

 アカマタ・クロマタ、マツンガナシは、「豊作をもたらす神」。
 アンガマは「祖先供養の神」。
 パーントゥは「厄払いの神」。

 とそれぞれに異なる。佐藤が特に強調しているのは、パントゥはンマリンガーという井戸から出現するが、ドゥル(泥)を塗ることが重要視されていることだ。八重山の来訪神は、すで水による死と再生で語られるが、パーントゥはンマリンガーの底の「泥」を塗る。「泥と水は代替可能なものではないことは明らかである」。

 「パーントゥ」は、地下(の世界)から出現し、その怪異な姿で子どもたちを怖がらせる一方、集落の厄を祓う祖霊としての要素も持ち合せている。その黒い特異な姿に加えて悪臭を放って走り回る姿は、例えばアンガマのように笑みをたたえた翁面を用いる事例とは明らかに違っており、「パーントゥ」は与那覇がいうように「鬼のような」「怪獣」のような存在といえる。こうした外観上や行動上の特徴は、「パーントゥ」の「厄を祓う=悪いものを追い払う」という性質を改めて裏付けるものともいえる。本稿でみてきたように、「パーントゥ」は少なくとも、「海のかなたからやって来る来訪神」というイメージでは希薄であるといわざるを得ない。

 たしかに、アカマタ・クロマタはすで水による再生という面を強く持っている。対して、パーントゥは、泥。他界を、精霊がさまざまに姿を変える世界と捉えると、来訪神は古形であるほど、動植物や大地の化身の様相を強く持つだろう。パーントゥは、植物や大地、腐敗のイメージを強く纏っている。アカマタ・クロマタは、他界の化身としては蛇トーテムの意味を持つので、水が重要視されている。ただ、どちらも地下に出所を持つ、地下他界の観念は共通している。

 ここでは、折口信夫が「訪客なる他界の生類との間に、非常な相違があり、その違い方が、既に人間的になっているか、それ以前の姿であるかを比べて考えると、どちらが古く、又どちらが前日本的、あるいは前古代的かと言うことの判断がつくことと思う」(「民族史観における他界観寝」)という指標が有効だと思う。少なくともすぐ言えるのは、「翁面」であるアンガマは段階としては新しいのだ。

 この論考では先島の「来訪する神々」、アカマタ・クロマタ、アンガマ、マユンガナシ、パーントゥについて、12の項目で比較されていて、分かりやすい。


 

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2014/09/15

新城島の来訪神儀礼

 「来訪神儀礼の成立をめぐる考察-沖縄・新城島の場合-」(植松明石『民俗文化研究』2000年)。

 18世紀の「八重山諸記帳」には、「猛貌の御神」は、「草木に葉をまとい頭に稲穂を頂き出現」と書かれているが、既に「島中奇妙」と題されて、不可思議に見えていたのが分かる。植松は、アカマタ・クロマタのマタ=ムタを「仮面」の意味で捉えている。この儀礼は、「人々の血がさわぐ、忘れられない待ち望む祭」。

 アカマタ・クロマタは別名ニールピトゥだが、この言葉は新城島では「口にすることも禁じられている」。ありがたい神であると同時に、「その怒りにふれれば死に至るとも信じられてきた」。

 6月の豊年祭。1日目は願解き。神迎えは、ツカサ、男性神役、村役、ヤマシンカらが行う。この夜、神役、ヤマシンカらがミラヤアに集まる。女性、未成年者、他所者は外出禁止。2日目、明け方に「アカマタ・クロマタ親子四神がニイレイスクという深い深い土の底からスデルとされる」。新しいヤマシンカ加入儀礼がある。

 粟のつくりはじめ(9、10月)から9ヶ月間。農耕生活、物忌期間。粟の収穫(5、6月)から年の始まりの「節」までの3ヶ月は、アソビ、解放。海が荒れ、悪い風が吹く2月は物忌みが厳しくなる。「時に音は風をよぶといわれ、太鼓、蛇皮線、口笛、高笑い、大声などすべて禁止であった」。

 フカサウズ(精進)。畑仕事は禁止され、聖杜で祈願してから、浜辺に行き一日中謹慎。浜辺で係りの者が全員に「サウズしよう」というと、みな一斉に砂浜に寝る。一定時間経って、係りの者が鶏の鳴き声をするのを合図にサウズが終了。

 美御嶽とミラヤア。美御嶽のイビは女性神役のみ出入り、男性立ち入りは禁止。ミラヤアは豊年祭の時のみ用いられ、ヤマシンカのみが出入りする女性禁止の場所。ミラヤア内の奥、イビ近く、神(ニイルピトゥ)の海からの上陸地点とされる。海岸地点からは離れている。この神迎えは、ヤマシンカが行う。神迎えの後、仮面は新しく塗られる。

 ヤマシンカの加入儀礼の最後の段階は、ミラヤアで行われる。「豊年祭2日目の最後のミラヤアでの審査は、少年らにとって強烈な経験となる」。「死んで生まれかわる成人儀礼に比するもの」。

 アカマタ・クロマタの「親子四神は足を左右に踏み出し、体をゆすり、地面を何度も強く踏み、両手に持つ棒を打ち合わせる。ブセイや旗持ち(パテーツク)や、多くのヤマシンカ達は何れも激しく地面を突き、踏む動作を繰り返す。」

 儀礼の進行には歌謡がともなう。歌謡なくしてこの来訪神儀礼は成立しない。「うたいかわすことの身体の共存感は実に力強い」。

 別れは集落の十字路。一番鶏の告げる明けの寅の刻の鳴き声に合わせ、最後の音とともに忽然とミラヤアに姿を消す。

 「新城の人は豊年祭のために生きている」。


メモ

 ニイルピトゥは海の彼方からやってきて上陸。しかし、土の底のニイレイスクから生まれる、というニライ・カナイ認識の二重性が見られる。新城島の場合、アカマタ・クロマタの出現は、ミラヤアからであり、ナビンドゥ(洞穴)ではない。


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2014/09/14

ニーラ・カネーラ

 前花哲雄の「定説に対する疑問」(『八重山文化論集』1976年)。

 八重山では、ニライ・カナイとは言わず、ニーラ・カネーラと言っていた。

 井戸祭りの願口。(前略)掘リ当テアレール、井戸(カア)ヌ神、水元ヌ神、ニーラスク、カネーラ底ガラ、噴キ出デアール、若水、汲(フ)ミ飲ミ給うラルバ、家人衆(ヤーインジュ)、足(タラ)人衆身肌(ドウハダ)健康アラシメ給リ、働キ勝イシミ、願イツクバ、神ヌ前、口合(フチアイ)アラシメ給リ。・・・オートウドゥ(p.45)。

 この願い口の中にある「ニーラ底、カネーラ底」は即ちニライ・カナイを意味する。八重山の井戸は普通二十数メートルを掘り抜き地下水を求めているので、地下の深いところをニーラスクといい、更に深い地点をカネーラ底と言っている。畑を耕すとき「ニーラ底から耕せ」と昔の人はよく言った。
 「ニーラ底」には地下水があるだけでなく、其処には豊作の神々が居られるものと信じていた。この豊作の神を「ニーラピィトゥ」「ニーローピィトゥ」等を言っている。

 ここではニライ・カナイは地下の水と結びつけられている。農耕の段階での認識だと思うが、しかし豊穣なイメージで表象されているのが印象的だ。しかも、「地下の深いところをニーラスクといい、更に深い地点をカネーラ底」と、ニライとカナイは地下の階層として捉えられているのが面白い。「ニーラ底から耕せ」と、生活民の言葉はリアリティがある。

 前花の「定説に対する疑問」というのは、ニライ・カナイは海の彼方ではなく、地の底のことだと言いたいわけだ。これは元の意味として大事な指摘だと思える。考察を概念遊びにしないためにも、出身者の身体感覚に根づいた言葉は重要だ。

 「トウドゥ」と濁音化するのも発見だった。

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2014/09/13

来訪論 承前

 ぼくたちが来訪神と呼んでいるものに、概念としての言葉を与えたのは折口信夫だった。折口はそれを「まれびと」と呼んだ。「まれびと」とは何か。

てっとりばやく、私の考へるまれびとの原(もと)の姿を言へば、神であつた。第一義に於ては古代の村々に、海のあなたから時あつて來り臨んで、其村人どもの生活を幸福にして還(かえ)る靈物を意味して居た(p.5 『古代研究〈3〉国文学の発生』

 「まれびと」は、はるかに遠い所から時を定めてやってくる「神」だった。それは「神」としての「霊物」である。

 まれと言ふ語の溯(さかのぼ)れる限りの古い意義に於て、最少の度数の出現又は訪問を示すものであつた事は言はれる。ひとという語も、人間の意味に固定する前は、神および繼承者の義があったらしい。その側から見れば、まれひとは来訪する神ということになる。ひとについてもう一段推測しやすい考へは、人にして神なるものを表すことがあつたとするのである。人の扮した神なるがゆえにひとと称したとするのである。(p.5 『古代研究〈3〉国文学の発生』

 「まれびと」の「ひと」は、「神およびその継承者」の意味があった。「まれびと」とは来訪する神である。そして、人にして神なるもの」を表すことがあった。「人の扮した神」だから、「ひと」と呼んだのである。

 折口信夫は、琉球弧を旅するなかで、「まれびと」、来訪神のイメージを具体化していった。それでは、来訪神の祭儀はどのように行われているのか。新城島の祭儀過程を見てみよう。

 祭儀は、八月五日夜の司たちの女神役がビタケ御嶽(わー)の拝所でおこもりをするときから始まる。六日はオンプールーとよばれ、一年の豊作感謝をことほぐ日であって、夜には御嶽の境内でしし舞いが行われる。これがおわると、部落の家々は全戸が雨戸を厳重に閉ざして忌みごもりに入る。家の外に出ることも、部落内の道を往来することも、すべてがアカマタ・クロマタ祭儀団体(=男子結社)の厳格な統制のともにおかれる。というのは、この晩にビタケ御嶽の内部にあるナビンドーとよばれる霊地でアカマタ・クロマタが誕生するからである。したがって、団体の成員である男子は全員が御嶽の境内に参集し、一晩中寝ないでアカマタ・クロマタの生誕の秘事を護るのである。境内の周辺は若者たちによって厳重に警戒線がしかれ、何人もこれを突破して秘事を窺いみることができなくされている。境内の一隅に草を編んでつくられた小屋があり、男たちはここで寝泊まりする。御嶽のなかからは一晩中ゆるやかな調子で太古の音がきこえ、忌みこもっている村人たちに今宵こそはアカマタ・クロマタの産れる日であうろことを告知するかのようである。
 七日はムラプールーとよばれ、きたるべき年の予祝をする日にあたる。村人たちは一年に一度だけ出現するアカマタ・クロマタを迎えるための準備をする。女神役たちはパナグミと呼ばれる海の幸・山の幸を盛った献立をつくるのに忙しく、男の一部はアカマタ・クロマタの伴をするシンカとよばれる一団の先頭に立てるノボリを作る。これには太陽と月を染め抜いた旗がとりつけられている。午後四時頃になると、村人一同老いも若きも、子どもたちすべてが御嶽の境内にあるナハおがんに集まってくる。おがんのなかでは女神役すべてがパナグミをもって集まり、神宴をくりひろげる。やがて夕刻太陽が沈みはじめる頃にアカマタ・クオマタの子供が出現する。全身葡萄の葉で覆われ、両手に細い鞭をもっている。これに触れると一年以内に必ず死亡するというので、アカマタ・クロマタがあばれだすと、群集は必死に逃げまどうのである。親のカマタ・クロマタは夕刻も遅くなってから出現し、四神を中心にシンカが囲集し、さらに一般民衆も加わって豊祝の踊りを行なって御嶽における予祝祭を終える。夜はアカマタ・クロマタが一晩中部落内の各戸を、まず、トゥネムトの家から司→カマンガ→バクスの家へと来訪し、さらに祭儀団体における先輩・後輩の世代序列にしたがってつぎつぎと訪れていく。やがて一番鶏がトキを告げると、部落はずれの霊地ナビンドーへ通じる神道に村人一同が参集し、わらでたき火をして神送りの行事を行う。このときにはカマタ・クロマタが闇のなかから幾度となく姿を現わして別れの耐え難さを村人に告げ、村人もまた別れの歌を切なく、声をかぎりに歌いつづける。老人たちが万感胸に迫って思わず落涙するのも、このときである。この七日から八日朝にかけての行事はきわめてドラマチックで演出効果もすばらしく、そこには長年月にわたる文化的な発展の行程が深い影を落としているといえよう。(『南西諸島の神観念』

 引用が長くなったが、琉球弧の島人でも来訪神を目の当たりにできる人は限られているから、できるだけ疑似体験に近づけてみたかった。

 さらに細部のイメージを豊富にしていこう。まず、アカマタ・クロマタは、村落の祭儀団体によって運営されている。入団資格は、十四、五歳に達した男子であること、両親が村落員であり当人も村落に居住していることである。入団に際して、あるいは祭儀への参加の資格を得るためには、品行が問われ、肉体的な試練という通過儀礼(イニシエーション)を経なければならない。西表島古見の入団式では、祭祀の司祭者の家の庭で長時間正座をし、両手を大きく開かせたり合わせたりさせられる。姿勢が崩れると棒で殴られたり水を浴びせられたりする。そして好きな女性を告白させられる。団体員は、アカマタ・クロマタの秘密が伝授されるが、高位になるにつれ伝授されることも多くなり、長老を頂点とした階梯を踏んでいくことになる。

 男子の秘密結社のなかの、こうした通過儀礼(イニシエーション)は、さまざまな技術の伝授を伴ったもっと厳しくきめ細やかなものであったに違いない。たとえば、オーストラリアの先住民、アボリジニでは、睡眠や催眠中にも意識を覚醒させておくことをイニシエーションの始めに実践し、トランス状態を誘発する方法を伝授される。トランス状態になるために南米では厳格な管理のもとに幻覚性の植物が用いられたり、それが祭儀にも取り入れられたりしている。そして、成年のための通過儀礼(イニシエーション)には、少年の死と成年としての復活が儀礼のなかに含まれている。琉球弧の秘密結社においても、かつては死と復活を意味する象徴的な過程が含まれていたのではないだろうか。しかし同時に、人生の階梯で辿る通過儀礼(イニシエーション)のなかに含まれる臨死体験の要素は、琉球弧において希薄であるように感じられる。それは単に現在の通過儀礼(イニシエーション)のなかに痕跡を留めていないというだけではなく、神話の記述のなかにも霊魂(マブイ)の離脱による記述が見出せないことにも依っている。

 吉本隆明は『南島論』のなかで、山や火といった自然物や自然現象が神であり、死んだ人も神になる日本神話の記述についてこう書いている。

 この自然物や自然現象が神とおなじもの、あるいは神のこの世界における顕現とみなれる生と死の度合はなぜ可能であり、またこの神はこの世界に住む人間が死の境界をこえたあとでひとりでに移行できる存在でありうるのか。わたしには肉体を離れて自在に遊行したり、滲透したりできる視線=意識の遊行体験であり、これがあらゆる神話的体験の源初にあるもののようにおもえる。視線が意識と結合したまま肉体を離れられれば、人間は死んだあとも境界の向側へ視線=意識のかたまりとして自在に遊行することも、その世界に滞在することもできるはずだ。この視線=意識は、他の人間や動物や鳥や虫のなかに入ることもできるし、自然物や自然現象に入り込んで、それに意識を吹き入れることもできるはずだとおもえる。

 吉本は、アイヌのユーカラにこの例を求めるのだが、琉球弧ではマブイ(霊魂)が抜けやすく、またユタを通じて憑依の技術も伝承されているにも関わらず、臨死体験をもとにした記述や実践が希薄に思えるのだ。それは、アカマタ・クロマタにおいても、祭儀の全体は神女の祈願から始まるように、母系的な社会の構成に抑圧されてしまったのか、分からない。もしかしたら、臨死体験により自分が他界に接するよりも、来訪神を通じて、他界と現世との境界を現出させ、両者をつなぐことを意識化してきたのが琉球弧なのかもしれない。

『古代研究〈3〉国文学の発生』

『南西諸島の神観念』

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2014/09/12

アボリジニの三つの霊

 ここで他界の発生する前の姿に接近するために、オーストラリアの先住民、アボリジニから得られた死における霊魂の運動を見てみたい。狩猟採集を続けた彼らの死生観には起源の像が宿されていると思えるからだ。

 『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』によれば、人間が死ぬと、その瞬間に身体を構成している霊が三分割される。

 そのひとつを著者は「トーテム霊」と呼んでいる。

 身体を支える生命の源にまつわる霊。この「生命の源」は、生命と動植物種の霊の生まれ故郷ともいうべき「地上の場」であり、人の血統と密接な関係にあって、一生を通じて滋養を吸い上げてきた源である。人が死ぬと、かつてはその精神と肉体とに宿っていたトーテム霊は、儀礼を通じて、動植物をはじめ、岩、水、陽射し、火、木々そして風といった生命維持には不可欠の自然霊へと立ち返る(p.462『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』)。

 この「源」の場所は、中沢新一の言う高次の対称性の世界のことだと思える。アボリジニにとってもこの場の存在は互いに入れ代わることができた。「植物が動物に変身することもできたし、動物が人間の男女に変身することもできた。先祖とは、人間であると同時に動物でもありえたのである」と思考されているのだ。森羅万象が精霊として次々に姿を変えていく対称性の世界のなかに帰還していくこと。これが死の元型的な姿だったのではないだろうか。多神教宇宙が発生すると、この高次の対称性の世界を自由には見れなくなってしまう。この見えなくなった世界が他界なのではないだろうか。

 二つめの霊を著者は「先祖霊」としているが、それは天空こある「死者の国」である。そこは高次の対称性の世界であった「ドリームタイム時代の先祖」が「支配する領野」で、「夜空の特定の位置に輝く星座」にある。先祖霊はそこへ赴く。死の直後、腹部には死者の属する氏族のトーテム・デザインが描かれるが、それが天空の「死者の国」への導き手になる。

 腹部に描かれるトーテム・デザインは、琉球弧において、アマムを入墨するときに「先祖に自分が子孫だとわかってもらうため」と考えたのと同じ思考を思わせるが、この先祖霊を迎えるのはいと高きところにいる高神だと見なすことができる。アボリジニでは天空に死者の国としての他界が考えられているが、「来世の生活ってのはどのみち、現世における狩猟採集生活そのものなんだよ。ただ、天空には、獲物はもっとたくさんいるんだがね(p.470)」というように、現世を投影された後生(グショウ)のことだ。

 ここで「ドリームタイム時代の先祖」と呼ばれる高神が登場するようにアボリジニの死生観でも既に高次の対称性の世界は失われている。ただ、失われているといっても「トーテム霊」に見られるようにまだそこへの通路は保たれているように見えるが、それでも起源の時のように自由な行き来はできなくなった。そのことが現世の延長としての他界(後生)という観念を発生させた理由なのかもしれない。

 三つめを著者は「自我霊」と名づけている。自我霊は、「場所との因縁が強く、妻、夫、親類縁者とはもちろん、道具や衣服といった物品との結びつきも強い。それは、人間を、有限な特定な対象と結びつけると同時に、個々人同士の関係や個々人が担うべき責任や喜びに結びつける霊力である」。自我霊は「死にさいしては、扱いが厄介でひどく危険な霊となるが、それは自我霊が、死に対して敵愾心を剥き出しにするからだ。なぜかといえば、死という変化によって、それまで生きてきた物質ないしは局所的な世界との接触が断たれてしまうからだる」。

 自我霊の性格はきわめて人間的だ。死は残された共同体メンバーにとっては対幻想に生じた欠損に他ならないだからだ。この危険性を回避するために残されたメンバーは儀礼や呪術行為を行うが、最終的には死者の記憶が薄れるという時間に委ねるしかない。この過程は、死者とともにあった対幻想が共同幻想に侵蝕される時間に他ならず、それは自我霊が先祖霊へと回収されるものとして意識されるはずである。

 このことから考えられるのは、自我霊と先祖霊という観念は、自己幻想(対幻想)と共同幻想の分化に対応している。だが、明確な分離は行われていない。だから、最終的には死によって共同幻想に回収されるほかなかったのだ。

 このトーテム霊、先祖霊、自我霊の三区分は、著者によれば、「まだ生まれていない者」、「生者/死にかけている者」、「死者」というアボリジニの世界区分に対応していると言う。この区分でいえば、起源の像はトーテム霊にあり、自己幻想と対幻想の分化によって、先祖霊と自我霊という観念が発生したのではないだろうか。こう考えると、南太平洋の事例においてもしばしば人間は複数の霊魂を持つとされる理由も理解できる気がする。それは必ずしもトーテム霊、先祖霊、自我霊と呼ばれる形態を取らないが、人間が動植物と同等の存在であると感じながら、それでも違いを意識し、違いを意識すると同時に、人間の系列を意識する思考の流れに対応していると思える。

 ところで、ここで紹介されているアボリジニには再生の観念はない。彼らによると、「生まれ変わり」とは、「「個人」という幻想に取りつかれていると、自我が死後も生き続け、来世でも変わらず存続するという発想にゆきつく」ことから生まれている。ぼくたちはここで書かれる「個人」を近代的なそれではなく、もっと柔らかい輪郭のあいまいなものとして受け取る必要があると思うが、しかし、彼らもまた「死者の国」での後生(グショウ)を考えているのだから、一見するとこれは矛盾した言葉に見える。彼らが自我霊や先祖霊を考えながら、それでも再生の思考を持たないとすれば、それはトーテム霊の存在感が強く、先祖霊の思考が伸びてゆくのを抑制しているからなのかもしれない。再生信仰においては、ひと時か来世での生涯を終えると、再び生まれ変わると考えられているからだ。


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2014/09/11

高神と来訪神

 霊魂や他界を考えるうえで、中沢新一の『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』は大きな示唆を与えてくれるようにみえる。そこで提示されたモデルはあまりに鮮やかで戸惑うほどなのだが、原理的な考察であり、琉球弧を典型として取り出しているので、接近しやすい。

 ここでは、神の類型として、高神型と来訪神型が提示されている。

 一つは「高神 High God」型と呼ばれるものです。この神は「いと高き所」にいる神と考えられています。また階層構造をもった「天」の考え方と結びつくことも多いために「天空神」と呼ばれることもあります。この神について思考するときには。垂直軸が頭に浮かんできます。高神自身が高い「いと高き所」をめざし、そこから降りて来てくれることが求められます。すると、このタイプの神は、山の上や立派な樹木の梢に降下してくれると、考えられているのです。
 もう一つのタイプは「来訪神」型とでも呼ぶことができるでしょう。「高神」型の神について思考するときには垂直軸のイメージが必要でしたが、「来訪神」型の神の場合には、海の彼方や地下界にある死者の世界から生者の住む世界を訪れてくるために、水平軸のイメージが必要になります。このタイプの神は、降臨してくるのではなく、遠い旅をしてやってくるという形を取ることが多く、出現の場所も洞窟や森の奥といったほの暗いところに設定されています。

 ぼくたちはここですぐに、高神から御嶽を、来訪神からはアカマタ・クロマタ、パーントゥなどを連想することができる。中沢が高神を説明するのに『南西諸島の神観念』の文章を引用するのだが、そこで引きだされているスドゥガミという神女の言葉も、ヨーゼフ・クライナーの整理もとても本質的だと思える。

 要約すると、加計呂麻島や与路島のイベは、村の真ん中のミャーにある小高い所で、木が植えてあるか石がおいてあり、そこに神は一年中滞在しているのである。そしてシマ守りの神、シマナオスの神といって、たいていノロかグジが拝んでいる。神が常にここに滞在しているという点は、須子茂部落などの場合は非常にはっきりしている。ここではどんな行事をやる時でも、例えばネリヤの神を迎える時でも、シマ守りの神のまわりに縄をはって、先ずここを拝んでから次に他の神を拝む。武名部落のスドゥガミは、もしも神がこの世から一分でも去れば、この村の生活はとまる、何もできなくなって、例えばこうしてあなたと話すこともできなくなる、と説明してくれた。
 つまりここではあの世とこの世の区別というものはない。世は一つ、この村だけであり、これと異なる他界のことは全然考える必要がない。神は常にここにいて下さるのであって、神のいないこの世というものは存在しないのであるから、もはや来訪という考え方はないのである。

 中沢が高神と類型化した神は、常に滞在していることから、常在神と呼ばれることもあるものだ。スドゥガミという神女は、この神がいなくなれば、「生活はとまる、何もできなくなって、例えばこうしてあなたと話すこともできなくなる」というように、常在神あるいは高神は、言葉を介した秩序を支える役割を果たしていることが伺える。

 もうひとつ重要だと思えるのは、高神においては、「あの世とこの世の区別というものはない」ということだ。この神は世界に内在して、言葉の世界を支えているきわめて抽象化された存在のように見える。

 これに対して来訪神の性格は鋭く対照的だ。来訪神は植物の化身のようであったり汚れていたり、そのイメージは豊富である。また、秩序を守るよりは一時的に混沌とした状態を生みだし、共同体を活性化させているように見えることで、高神が均質的な維持を務めるのとは対極的である。そして、高神において「あの世とこの世の区別」は無かったのに対して、来訪神においてはこの世とあの世の区別が重要である。

 要するに来訪神の考え方の基礎は、あの世とこの世の厳然たる区別であり、神は時を決めてあの世からこの世を訪問する。これにいわゆる再生の思想が結びついているのであって、神が現れるたびにこの世は再生し、その起源に経ち返って新しくやり直すのである(『南西諸島の神観念』)。

 この著しいコントラストを見せる高神と来訪神について、中沢は対照表にしている。

 高神型(いと高き、天空/垂直軸の思考/高所からの降下/観念の単純さ、表象性なし/純粋な光)
 来訪神型(海上他界、地下冥界/水平軸の思考/遠方からの来訪/豊かな表象性/物質性)

 琉球弧を典型として挙げているだけに、この整理は頷きやすいものだ。注意したいのは、これは本質的に言えることであり、さまざまな事例では混交して現れたりすることがあるということだ。実際に、この対照では、他界は海上や地下としているが、高神のいる場を天上他界として表象する事例もあるからだ。しかしもう少し考えると、ここで言われる「この世」と「あの世」とは、現世の漠然として投影として思い浮かべられている後生(グショウ)を指さないのかもしれない。ここで考えられているのは、「この世」の投影に過ぎない、単純である意味では貧相なイメージの「後生」ではなくて、「この世」と著しく隔たった世界をさしていると思える。たとえばそれはこんな風に捉えられている。

 スピリットの世界には高次の対称性が実現されていました。「対称性が高い」と言うのは、エネルギーの流動体であるスピリット世界の内部で、スピリットもグレートスピリットも自由な彷徨に運動することができ、自在なメタモルフォーシス(変容、変態)がおこっていくために、固定することができないという状態を示しています。じっさい、多種多様なスピリットたちは、変容を得意とするために、その世界では位置や性質がどんどん入れ替わっていく現象がおこっています。

 「位置や性質がどんどん入れ替わっていく」というのは、蛇の姿であったものが人間になったり、石になったりと自在に変幻する状態を指している。この「この世」とは時間も空間の成り立ちも全く異なる世界を指して、「あの世」と呼んでいると思えるのだ。

 ところで、『南西諸島の神観念』においてヨーゼフ・クライナーが滞在神(高神)と来訪神について、両者の関係や重要性などに「今のところ何も言うことはできない」としているのに対して、中沢が一歩、考察を進めていると思えるのは、高次の対称性が崩れた時に、高神と来訪神は同時に発生したとしている点だ。

 高次の対称性が崩れると、非対称性の原理を示す高神と低次になりながら対称性の原理を保つ来訪神が現れる。そしてそこには「残余のスピリット」も現れる。「残余のスピリット」とは、キジムナーやケンムンなどのムヌ(精霊、妖怪)を指していると考えれば、これも理解しやすい。こうして、高神と来訪神、残余のスピリットからなる多神教の宇宙が出現したというわけだ。

 このような多神教的な神々の宇宙の基本構造を、日本の南西諸島(奄美や沖縄にある島々のこと)ほどくっきり鮮やかに示している地帯も少ないのではないでしょうか。そこでは高神もいれば来訪神も出現するし、樹木に住む小さなスピリットたちもいればといった具合で、スピリット世界が「対称性の自発的破れ」をおこしてそこから多神教宇宙があらわれでてきたのが、まるでつい昨日のことであったかのような、ういういしい様子で、今も私たちを迎えてくれるのです(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』)。

 中沢の仮説が魅力的だと思えるのは、起源の姿を設定したうえで多神教宇宙の発生が考えられているからだ。ここでぼくたちは高神と来訪神というモデルを手にするのだが、もうひとつ、他界の発生以前にも手を届かせられる場所に来ているのかもしれない。中沢の言う高次の対称性の世界は、生と死がつらなり、連続している世界だ。その世界のなかにあったということが、無他界、他界を発生させる以前の世界だったのではないだろうか。言い換えれば、高次の対称性の世界を見ることができなくなった、その事を人間は他界として思考したのではないだろうか。ここまで来ると、来訪神が、つながりを無くしてしまってこの世とあの世をつなぎ直すために来訪するのであるという性格がよく理解できるとともに、来訪神とは人間が他界という観念を発生させた衝撃が生み出したという理解に導かれる。



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2014/09/10

霊魂論 メモ

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から南太平洋の例を見ると、霊魂について、「影」という言葉に頻繁に出会う。それはまず、「霊魂」という言葉が「影」の意味も持つことである。

事例1.ショートランド島。人間の霊魂はnununa(影の意を有す)と呼ばれる(P.168)

事例2.トレス海峡西部諸島。死者の霊魂はmariと呼ばれ、これは影ないし反映を意味する。(P.282)

事例3.ソロモン諸島のエディストン島人。死者またはその一部、死体、頭蓋、遺骨などをtomateと呼び、霊魂をgalagalaと呼ぶ。ガラガラは影を意味し、反映を意味し、また写真を意味する。(P.168)

事例4.ニュージーランドのマオリ族。人間の霊魂を指す語が二つある。一つはwairuaであり、他はhauである。Wairuaはよりしばしば用いられる語で、また影、非実質的な像、鏡などに映る顔のごとき映像を意味するから、これが元来の言葉の意味であろう。Hauは人間の『生命の本質ないし生命原理』で、元来は風を見したようである。(P.401)

事例5.ブーゲンビル海峡のモノ(Mono)島人。各人一つの霊魂(nunu)を持つとしている。Nunuは(1)人間存在の継続的原理ないし本質、(2)影、(3)水に映る映像の3意を持っている。Nunuは常接尾語を附してnu-nugu(私霊魂)のごとく使われる。(P.164)

 霊魂を表す言葉は同時に「影」の意味も持っている。これは、霊魂を指す比喩として「影」という言葉を使ったのだと考えられる。これは霊魂がイメージ化される最初の段階に当るものだと思われる。

 次に、霊魂の言葉の意味のなかに「影」が含まれるのではなくて、霊魂と影が同一視される場合が出てくる。

事例6.ソロモン諸島東北にあるオントンジャワ島。総ての生ける人はgeingaとkipuaの二つの霊魂を持つとする。Geingaは影に現れ、生存中はおぼろげな守護の役目をするが、生者から離れる実体ではない。Geingaは人が死ぬと直ちに存在しなくなるが、もう一つのkipuaは、不滅で死後に残る人格の唯一の部分である。(P.381)

事例7.ニューギニア東部の小島群のタミ族。人間は誰しも長い霊魂と短い霊魂を所有していると考えられている。長い霊魂は影と同一視され、所有者との関係は緩く、睡眠中、身体から離れ、覚める時に帰って来る。それが本来ある所は胃である。(P.289)

 どちらも人間には複数の霊魂があるとされ、その一つは影であるとしている。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』を見ると、影が人間の霊魂と同一視された段階では、霊魂は影に影響されるものになる。

 アンボンとウリエーズという二つの島では、「赤道近くであるため、正午になるとほとんど影ができない。このため、正午に家から出ではならないという掟がある。外に出ようものなら、ひとは自分の魂である影を失ってしまう」。ここでは影が無くなることは霊魂を失うことと同義に見なされている。ウェタール島では、「呪術師は、影を槍で突いたり剣で切り刻むなどして、人を病気にすることができる」し、ババル諸島では「悪霊は人間の影を強く掴んだり、殴ったり傷つけたりすることで、人間の魂を支配する」と考えられた。また、メラネシアにあるいくつかの石は、「人間の影がそこに落ちると、石の悪霊がその人の魂を抜き取る」とされた。いずれも霊魂と影が同一視されることによって、影が擬人化されて対象化されている。

 さらに霊魂のイメージ化が進んだ場合、それは「水に映った映像」になる。それは既に霊魂の意味の広がりのなかに、「影」とともに登場しているものだった。

事例8.ダントルカストー諸島中部のドブ島人。霊魂は水たまりに映る映像であるとし、また土人は明確に定義することを拒むけれども、ある意味で、影に関係を持っている。ときによると、土人は影がBwecwesoへ行くということがある。Bwebwesoはノルマンビー島にある死者の霊魂の山である。時によると影と霊魂とは異なるとしているが、影は霊魂のとるかもしれない形態である。(P.283)

事例8.サンクリストヴァル島。人間はadaroとaungaの2種の霊魂観を持っているという。アダロは火や太陽からの影であり、いわば一種の幽霊で、人間の悪意ある厄介な部分であり、アウンガは、平和なよい部分で、水や鏡に映る映像にあたる。(P.171)

 この段階でも、「影」は霊魂としての意味を無くすのではなく、意味が希薄化したり、ネガティブな意味を担わされたりする場合があるのが分かる。『初版 金枝篇〈上〉』によると、アンダマン諸島では、「自分の影ではなく、鏡のようなものに映った姿を、自分の魂と考える」と、既に「影」ではなくなっている。また、ニューギニアのモトゥモトゥ族では、「鏡にはじめて自分の姿を見て、それが自分の魂であると考えた」とあるが、これは既に「水に映った姿」を霊魂と見なした延長で捉えることができる。水に映った姿を霊魂と考える場合でも、影と同様、霊魂に影響を与える者だ。ズールー族では「暗い水溜りを覗きこもうとしないのは、その中にいる獣が鏡像を奪い、そのために死んでしまうと考えるからである」。また、メラネシアのサドル島では「その中を覗き込んだ者は死んでしまうという水溜りがあり、悪意に満ちた霊が、水に映った影を使ってその人の命を捕らえてしまう」と考えられた。これは、「影」の場合と同様の思考法だ。

 ここまで来て、琉球弧においても「影」を霊魂と見なす思考の痕跡と言いうるものに思い当たる。洗骨である。洗骨は深夜あるいは早朝に行われる。万が一、陽が射すといけばいので傘を持っていくのが慣わしだ。

 珊瑚礁石をもうすこしずらせた時、墓を覆った松の大木から葉漏れ陽がひとすじ暗い穴に射し込んできらりと光をはねかえしました。すると女の人がお骨にティダガナシ(太陽の尊称)の光は禁忌だと言いながら男物の蝙蝠傘を墓の上にさしかけたのです。(島尾ミホ『海辺の生と死』)

 ここでも太陽が禁忌だという以外、その理由は語られない。けれど、「影」に霊魂の意味が宿っているなら、洗骨の太陽に照らされて影を生じてしまうのは矛盾である。深夜や早朝に洗骨を行うのはその矛盾を避けたからではないだろうか。洗骨によってマブイ(霊魂)が晴れて他界へ旅立てるというように考えても、洗骨によるセジ(霊威)づけて再生を祈願すると考えても、そこに影が生じるのは矛盾してしまう。だから、暗がりにおいて行うのは洗骨という舞台装置において欠かせないものだったのだ。

 影、水に映った姿あるいは鏡像の次には、肖像が霊魂が宿ると考えられるようになる。南アメリカのカネロ・インディオ族は、写真に撮られると魂を抜かれると考えられたが、これはもうぼくたちにもお馴染みの風聞なってくる。東アフリカのワテイタ族では、数人を写真に収めようとすると、自分たちの魂を取ろうとする呪術師であると考え、もしそうしたら自分たちは写真を取る人のいいなりになってしまうと考えた。マンダン族は、自分の肖像が他人によって描かれれば、まもなく死ぬことになると考えた。これらの思考も、影や水に映った映像の場合と変わらない。

 吉本隆明は『ハイ・イメージ論〈1〉』のなかで、この段階へ来て、霊魂の衣裳としての人間身体という概念が成り立ったと書いている。

肖像に霊魂がこもるという観念まできて、人間の霊魂は、はじめて完全に衣裳をまとうことになった。このことは逆に、人間ははじめてこの段階で、衣裳に物神性をあたえるようになったともいえる。衣裳は表皮とおなじ防寒や防傷の用具以上の、人間化された意味をもつようになった。衣裳としての人間はここではじめて自己自身のファッション・モデルになったのだといえよう。そこまできて霊魂が「影」をもち、肖像をもつことになり、霊魂の衣裳という概念がはじめて成り立つまでになったことを知る。

 裸身そのものが霊魂のとっての衣裳だと考えられた時、琉球弧ではトーテム動物であるヤドカリを入墨したのだと言ってもいい。あれは、霊魂にとっての衣裳なのだ。


 身体から霊魂が離れるマブイ抜けは、夢うつつの状態で覚醒時に起こるものだが、南太平洋に目を向けると、「夢」もこの現象の大きな根拠になったことが分かる。

事例1.ハーヴェイ諸島のマンガイア(ポリネシア)。霊魂は生時にも一時的に身体を離れることがあり、夢は一時的な霊魂の離脱によって説明され、重要事は夢によって決せられる。くしゃみは一時的に離脱した霊魂が帰来したしるしであるとされる。(P.395)

 夢のなかで人は現実世界とは遊離した世界を遊行するし、人に会ったりもする。その経験が、夢を霊魂離脱の現象と見なしたのだ。霊魂が睡眠中身体を飛び出して歩き回る(マレー半島のメンリ族)という観念も夢を根拠に置いたものに違いない。これは他人が見ても分かる合い図があって、霊魂が身体を抜け出している時はいびきをかく(オーストラリアの.ウルンジェリ族)であったり、目覚める時に帰ってきたり(ニューギニア東部の小島群のタミ族)するとされている。マンガイアにおいて、覚醒時のくしゃみが霊魂の帰来だとするのは、琉球弧では逆の考えになる。たとえば、与論島ではくしゃみをすると近くにいる者はすかさず「クスコレバナ(糞食らえ鼻)」と呪言を投げかけるが、これはマブイ(霊魂)抜けを避けるためなのだ。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』によると、インドのヒンドゥー教徒たちは、「だれかが人前で欠伸をすれば、つねに親指をパチリとならす。こうすれば、魂が開いた口から出てゆくのを防げる」という似た仕草が見られる。それにしても、鼾といいくくしゃみといい欠伸といい、ありふれた日常の振る舞いのなかに霊魂の所作を見る視線のなんと細やかなことか。

 しかし、夢の意味はそれだけにとどまらない。

事例2.ナランガ族(オーストラリア)。睡眠中、人間の霊魂は身体を離れ、他人の霊魂や死者と交通しうると考えている。(P.47)

事例3.クルナイ族(オーストラリア)。人間の霊魂をyamboと呼び、睡眠中、身体をはなれうるとする。霊魂は天に昇って父母を見ることもできる。霊魂が睡眠中、外出しうる根拠は、睡眠中遠方に行き、遠方の人々を見、また死者を見、これと語ることができることにある。(P.47)

事例4.ボトジョバルク族(オーストラリア)。人間の霊魂は生存中も身体を離れうるとするが、死後は友人の睡眠中に訪れて、友人を守護することができるとする(P.47)

事例5.ダントルカストー諸島中部のドブ島人(ニューギニア)。死者の霊魂のとる形態として重要なのは、夢に見られる像である。睡眠中霊魂は外に出る。Bwebweso(死者の山)を訪問した睡眠者の霊魂は、そこでDokanikani banana を食べてはならぬ。これを食べたものは、もはやこの世に帰ることができない(P.283)

事例6.グルティチュ・マラ族(オーストラリア)。死せる父や祖父達の死霊は、時おり夢で男の後継者に現われ、病気に対する呪歌を教えたり、呪力を伝えたりする(P.47)

 霊魂は夢のなかで身体を離脱するというだけでなく、死者とも出会う。これが、死者の霊魂、死霊の存在の大きな根拠になったのに違いない。そして死霊は夜に活動して昼は寝るというようにしばしば死霊の世界は現世の逆という解釈がなされるのも、夢が根拠になっているだろう。このことが深く信じられているところでは、オーストラリアのグルティチュ・マラ族のように、死霊は夢のなかで「呪歌を教えたり、呪力を伝えたり」することができる。トロブリアンド諸島でも、妊娠した女性に誰の霊魂の再生であるかを告げるのも夢の中の死霊だった。現在では、夢は精神分析の世界で無意識を探るものになっているが、野生の思考では、夢は覚醒の続き、もうひとつの現実だったのだ。だから、告げ知らせる力を持つことができる。ニューギニアのタミ族では、「人が死ぬと長い霊魂は、死体を離れて遠方の友人に死去を知らせる」とされるが、これも夢の中で行うことだと考えられるが、同じ観念は琉球弧にも見出すことができる。

 霊の遊離、必ずしも死又は仮死の状態とはならない場合も少なくなかった。その顕著な例は、夢に現れる人の姿をその人の霊魂と思い思い込むことである。その人が若し遠方にいる近親者でもあると、それを不の吉前兆として気に病むばかりか、度重なれば、イミガマラシャなどと称して、祈祷師(ユタ)を招いて祈祷させなねば気が休まらなかった。(柏常秋『沖永良部島民俗誌(1954年)』)

 ここまで来ると、夢を何らかの吉凶と結びつける感覚は、現在にも生きているのが分かってくる。これはもともと夢を現実の続きと見なした野生の思考に由来しているのだ。

 「影」は霊魂の存在に、「夢」は身体からの霊魂の離脱と死者の霊魂の存在に根拠を与えたのだ。死霊が夢に現れるのであれば、死霊は存在する。死霊が存在し夢に現れるのであれば、死霊の居場所があるのでなければならない。人間が他界の観念を生みだしたひとつの経路は、こうした思考の積み重ねがあったのに違いない。


 人間の霊魂は人間の似姿をしている。南太平洋の例でいえば、ソロモン諸島のエディストン島人では、霊魂であるガラガラは、「大人小人によって大小があるが、丁度人間のごときもの」であるといい、マレー半島ザブブン族でも人間のごとき姿をしている。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』では、より詳細な言及も見られ、エスキモーでは、「魂はその身体に類似しているので、太った体や痩せた体があるのと同じように、太った魂や痩せた魂がある」と言われている。こうした霊魂の形姿に関する思考も、夢が大いに預かっていたと思われる。琉球弧でも、「霊魂には個性があった。だから他と混同する恐れは全くなかった。それは、その個性を構成している容姿・声色・挙動等が死者生前のそれと、全く同一であったからである(柏常秋『沖永良部島民俗誌』)と、見れば分かるという言い方で言われている。体外に出た場合も、イキマブイ(生霊)が笑っているともう取り返しはできないが、うつむいているとまだ連れ戻すことができると死の前兆を察知する際に言われるように、同様だ。

 だが、霊魂が体外に出て浮遊する場合は、必ずしも人間の似姿にはならない。オーストラリアのディエリ族では、「最近死せる者の霊魂は、叢林の蔭などに住み、鳥などの形で出現し、生者に病気を与える」とされ、霊魂が鳥の姿をとって現れている。フレイザーによれば、鳥として飛翔するのを防ぐための対策も採られている。「赤子を初めて血面に下ろすとき」は、鳥かごの中に入れて母親が雌鶏の鳴き真似をし(ジャワ島)、男が危険な仕事から戻ってくると、米粒をその頭に置く(スマトラのバッタ族)。これは霊魂が浮遊しかねないタイミングで、霊魂としての鳥が飛び立たないように仕向ける呪術だと思われる。結婚においては花婿の霊魂は飛び出しやすいと考えられたので、彩色された米が花婿に振りかけられる(セレベス島)のも同じだ。

 ところで琉球弧において体外に浮遊する場合の霊魂は、折口信夫が琉球弧では、「蝶を鳥と同様に見てゐる(「若水の話」)」と言うように、「鳥」であるとともに、「蝶」として考えられている。

一 吾がおなり御神の
  守らてゝ おわちやむ
  やれ ゑけ
又 弟おなり御神の
又 綾蝶 成りよわちへ
又 奇せ蝶 成りよわちへ
(我々のおなり御神が、守ろうといって来られたのだ。やれ、ゑけ。おなり御神は、美しい蝶、あやしい蝶に成り給いて、守ろうといって来られたのだ) (『おもろさうし』

 「おもろそうし」の歌謡のなかで、姉妹であるをなり神が船の航行を守護するためにやってきた姿は「綾蝶(美しい蝶)」だった。

 歌謡を持ちださなくても、民俗のなかに豊かな例を見出すことができる。

 「以前婚礼の宴にハビラ(蛾)が三匹、三味線にあわせて調子よく舞いあがった。音曲がやむとそのハビラは畳に落ちた。そのハビラは酒好きであった亡き祖父の姿によく似ていたので、たれかが「祖父を躍らせよ」といって音曲を鳴らすと、そのハビラはまた空中で舞いはじめたという(大島瀬戸内町)」(p.184、酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』))

 蛾も蝶と同様に見なされるものだが、ここでは「ハビラ(蛾)」と死んだ祖父が同一視されている。しかもそれだけでははなく、「亡き祖父の姿によく似ていた」と、驚くべき見立てが行われている。これは、蝶(蛾)は、体外に出た浮遊する霊魂であるという考えだけからでは出てこない言葉だと思える。身体にある人間の霊魂は人間の似姿をしている。体外に出た浮遊する霊魂は蝶(蛾)である。この二つの認識がそれぞれ別個にあるのではなく、この二つをつなげて、体外に出た浮遊する霊魂である蝶(蛾)は人間の似姿をしている、という同一視がなければならないと思える。この場合、蝶(蛾)の実際の姿が人間に似ているかどうかは関わりない。蝶(蛾)に人間の霊魂の本質を見る視線があれば、ゆらうらとした羽の羽ばたきのなかにも、落ちて横たわる姿のなかにも、人間の似姿を感じ取ることができる。

 琉球弧では、この見立てのなかで霊魂に形態を与えるところまで思考を進めている。それが、子供のマブイ(霊魂)抜けを防ぐために産衣に縫いつけられる「ハビラ(蝶)袋」(与路島、加計呂麻島)、「マブヤ布」(沖永良部島)、「マブイ袋」(与論島)などの三角形である。人間の霊魂は蝶(蛾)を介して三角形の形態を持ったのだ。

 島尾敏雄は、問いかけに応えて、霊魂と蝶と三角形のつながりを易しく説明している。

石牟礼 あの、あやはびら、という言葉は「生き魂」ですか。
島尾 はい、「生き魂(マブリ)」でもあります。言葉そのものの意味は模様の蝶ということですが。つまり、アヤは模様、ハベラというのは蝶ですね。しかし蝶はマブリでもあります。マブリには「生き魂(マブリ)」と「死に魂(マブリ)」がありますけれども、蝶はそれらの象徴のように言っているようですね。そして、それはまた三角の形で表わします。ですから昔から三角模様というのが色んなものについています。それはハベラですね。ハベラというのは、つまり、マブリなのです。守り神の意味もこめられています。(「綾蝶生き魂 南島その濃密なる時間と空間」『ヤポネシア考―島尾敏雄対談集』

 「蝶」は「象徴」という水準ではなく、同一視されたのだが、三角形がハビラ(蝶)由来のものであることが捉えられている。


 とりわけ身体の外に出た霊魂について三角形の形態を持った琉球弧において、それはどんな軌跡を辿ると思考されただろうか。琉球弧に再生信仰の所作があるのを見てきたが、それはどんな霊魂の運動を指すだろうか。棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、南太平洋を対象に、転生・再生する場合の霊魂の運動を見てみよう。それは、トーテム原理の強度に応じて、転生として現れる場合、転生と再生として現れる場合、再生としてのみ現れる場合とに段階を設けることができる。

1.転生

 事例1.「死が近いと、瀕死者に獣鳥、昆虫の名を附し、これを死後の代表者とみて、家族はこれを神聖視する」。リフ島(ロヤルティ諸島)。(P.231)。

 特定の動物を「代表者」として「神聖視」するのは、死後はトーテムとして生きる、あるいはトーテムに帰ると思考していると思える。

 事例2.善人は至上神のもとに至り、悪人は滅びると言われる。善悪人ともに天に行くとも言われる。美しい鳴き声をする小鳥に転生するというとも言われる。カミラロイ族(オーストラリア南東部)。(P.50)。

 事例3.死霊はブーゲンビル島にあるあの世に行く。現地の人は死霊が働く声を聞くがその姿は見えない。父母の死霊は「御霊蝶」となって、わが子の頭にとまるともいう。エディストン島人(ソロモン諸島)。(P.168)。

 事例4.死霊は、あの世では影のごとく、この世の延長の生活をする。他界はシナ諸島のひとつにある。一方、死者の霊魂は動物に転生するとの観念もある。ひとつは水鏡に映る映像、一つは陸に映る影で、シアン島に行くのは前者、後者は転生する。ヤビム族(ニューギニア東部の小島群)。(P.290)。

 観念の混合があったり、あの姿であるとは限らなかったりするが、「小鳥」や「蝶」への転生が思考されている。これらは霊魂を鳥や蝶と見なす思考の延長にあるものだ。エディストン島の霊は、琉球弧で蝶(ハビラ)を霊魂と見なすのと似ている。ヤビム族の場合は、霊魂のひとつが転生するとされている。

 次に、ひと時を置いて転生する場合がある。

 事例5.死者の霊魂は西方の空へ飛びあがる。「雲の下に住んで雷を起すJawaitは死霊を迎えて独楽を回したり相撲を取ったりする。そして果物を食べさせる。死霊はperahの木の汁を手に入れて顔に入墨する。死霊は花を頭にかさり、後、小鳥になる」。バテク族(バハン州)。(P.489)。

 あの世でひと時過ごすという以上に豊富なのは、あの世でも死霊が生涯を終えて転生するという例だ。

 事例6.人は長い霊魂と短い霊魂を持つ。長い霊魂は影と同一視される。長い霊魂は、ニューブリテン島西岸を経て、北岸の村に行く。短い霊魂はしばらく死体の付近を彷徨ってから地下界、ランボアムに行く。ランボアムは現世と酷似するが、現世より美しくより完全である。ランボアムに行った霊魂は、蛇形でときに現世に帰来する。ランボアムで死んだ霊魂は、蟻や蛆になる。タミ族(ニューギニア東部の小島群)。(P.289)。

 事例7.あの世の生活は全くこの世と同様。あの世でも死があり、死霊は再び死んで動物(クスクス)になり、険しくそびえた山の最も荒れた、深い、暗い静かな谷に住む。カイ族(ニューギニア東部)。(P.292)。

 事例8.死者の霊魂、アニトは村の近くの山に住み、生者と同様の生活を送る。どれだけかの期間生活すると再び死ぬ。そして蛇や岩、枯木の燐光になるともされる。ボントック族(ルソン島)。(P.545)。

 事例9.死霊が老いて再び死んでも絶滅することはなく、動物や植物になる。動物の場合、白蟻、野豚の珍種で、殺してはならないとされる。モヌンボ族(ニューギニア東部)。(P.295)。

 事例10.あの世で長生きした後で再び死に、その後は森で虫になる。ミラナウ族(ボルネオ島)。(P.555)。

 これらの例は、死から転生までの時間が遅延され、死者の霊魂の一生という概念まで進展することを示している。かつ、あの世での生活は、この世と「同じ」であることを標準にして、タミ族では、「より美しくより完全」と明るく捉えられているが、ファテ島(ニューヘブリデス諸島)では「現世よりも悪い生活」と暗く捉える場合もある。

 そして、転生するのは「蛇」が最も多いが、「蟻」、「蛆」、「クスクス」などである。しかし、転生は動物には留まらず、植物も「岩」などの無機物や「枯木の燐光」という現象に及んでいる。これは人間と動植物のみならず無機物と等しく見ていた段階があることを示すものだ。

 次に、転生と再生が一緒に現れる場合がある。まず、オーストラリアのワドゥマン族では、動植物から人間へと再生する。

 2.転生と再生

 事例11.死ぬと「精霊児」になる。「精霊児」は小蛙の姿をしている。「精霊児」は自分が生れるべき集団を知っていて間違うことはない。「精霊児」には居場所があるが自由に動き回ることもできる。そして自分が再生すべき集団に入る前に、一時、母となる女性のトーテム動植物になる。ヤム芋が母のトーテムならヤム芋に入る。女性がヤム芋を掘っている時に棍棒で打つと、「精霊児」が泣くのが聞えることがあるという。そしてトーテム集団の者に入って生まれ変わる。この再生の経緯は神話の物語に組み込まれている。ワドゥマン族(オーストラリア北部)。(P.57)。

 ここではトーテム原理と再生とのひとつの融合の形態が見られる。トーテムも信じられているが、人間としての再生も強く現れてきた段階のものだ。

 これとは別に、転生と再生が選択肢となる例を見出すことができる。

 事例12.ヌカヒヴァ人は、「生れ代るまでにそんなに長い時間はかからないという。特に祖父の霊が孫に生まれ代るというが、ときには動物に生まれてくることもあり、また生まれ代るためばかりでなく、死霊としてこの世に来て、生者に苦しみを与えるという観念もある」。マルケサス諸島(ポリネシア東部)。(P.398)。

 事例13.死後百日の饗宴が済むと、死者の国に行く。善人は天上界の大木のところに行き復活するまで留まり、地上の人間の後継ぎとして再生する。悪人は地獄に留まるが、永久ではなく、虎、野豚、蛇などになる。ミナンカバウ族(スマトラ島)。(P.560)。

 ここには、人間への再生への願望が強くなっているが、動物になる場合もあるというように、トーテム原理の弱まりを見ることができる。スマトラ島のミナンカバウ族では、それが善人と悪人との区別となって明確になっているのだ。

 続いて、人間が人間として再生する例を見ていくが、これが多彩である。

 3.再生

 まず、再生思考のもっとも希薄なものとして、近親者に入り込む形が挙げられる。

 事例14.死者の霊魂はやや離れたところにいて、兄弟に会い、その中に入り、兄弟が死ぬまでその中に住む。兄弟が死ぬ頃には忘れられてしまう。ウォンガ・ムラ族とその周辺(オーストラリア南部)。(P.52)。

 事例15.死霊は北方の島に行き、数ヶ月の後、黒雲とともに帰来して、息子、特に孫に入り、その生長を助成する。再び離れて死者の島に行き、離れたことを悲しむ。死者の西方に行き、しなの木の所に来て、これを回って眺めていると西方から雷雲が出て来て、この木に落雷し次いで霊魂が打たれ、降雨で木の根元に流れ、終わる。アルリッヤ族(オーストラリア)。(P.54)。

 「兄弟」や「子」、「孫」という再生の流れは、母系か父系の系列か、直系の系列化の違いがあるが、どちらも人間としての系列を重視していることが現れている。しかし、霊魂が新しい生を受けて再生するのではなく、近親者の誰かのなかに入り込むという意味では、再生思考の初期型を示すものだ。この場合は、再生とは近親者の記憶と言う意味を持つが、記憶がそうであるように、「忘れられてしまう」時が、再生の終わりを意味している。

 霊魂が新しい生を受けて再生思考がより明確に現れてくる例を挙げよう。

 事例16.死霊は儀礼が適正に行われると、父祖の地に帰り、再生までとどまる。死霊は再生ごとに性を変える。大昔には、祖先達は精霊児を残し、それが正しき女に入り、今も生れ変っているいるのだとする信仰がある。マラ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 事例17.死者の霊魂は父祖の地に行き、やがて再生するが、再生ごとに性を変える。ムンガライ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 ここでは再生は連綿として、永続観念を見ることができるが、面白いのはその度に男だった者は女に、女だった者は男にと、性が転換されることで、ここには二項を明確に分けて転換する思考を見ることができる。そして、再生が「やがて」とあるように一定期間を置いてなされるように、初期型よりも再生までの時間が長めに取られている。

 ひと時を置いて再生するという思考には性を変えるという以外にもいくつかの種類が見られる。

 事例18.死者の霊魂は、岩など一か所に集まり、狙った女の中に入り、子供に再生する。実在の岩がある(by スペンサー&ジレン)。アルンタ族(オーストラリア中部)。(P.54)。

 事例19.樹上葬後、埋葬。死霊はこの式が終わると、神話的祖先の地に行き、この世に再生するまで同族の死者と交際している。ウンマトラ族、カイエティシュ族(オーストラリア中部)。(P.55)。

 事例20.霊魂は男だけが持ち、死ぬと歩きまわって父祖の地を訪問し、雨が降って骨が洗われてきれいになった時に再生する。グナンジ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 再生までの期間は漠然としているが、ウンマトラ族、カイエティシュ族では同族の死者との交際が思い描かれている。グナンジ族では、男性だけが再生するように、単性的な選択がなされているが、「雨が降って骨が洗われてきれいになった時」というタイミングは、琉球弧の洗骨とつながる思考法であると言える。

 再生においても、あの世で生涯をすごした後という時間の遅延は、見られるが、一例を見出すのみだ。それはトロブリアンド諸島の例だから、ここはマリノフスキーの詳細な記述を取り上げたい。

 事例21.「バロマが年老いてくると、その歯は抜け落ち、皮膚はたるみ、皺がよってくる。彼は浜へ行って塩水で水浴をする。それから彼は、ちょうど蛇がやるように、自分の皮を脱ぎ捨てる。そして、また幼い子供になる。実は、胎児、ワイワイア waiwaia -胎児の子供及び生れて間もない子供に用いられる言葉、になる。バロマの女にはこのワイワイアが見える。彼女はそれを抱きあげ、そして籠か折り畳んだ椰子の葉(プアタイpuatai)に入れる。彼女はその小さなものをキリウィナへ運び、誰か女の子宮の中へウァギナを通して挿入しておく。するとその女は妊娠する(ナススマsasusuma)」。(『バロマ トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』)

 バロマとはトロブリアントの島人の呼ぶ霊魂のことだ。精霊児ワイワイアが女性に入るまでの経緯は、海に浮かぶものに乗ってというように他の説明のバリエーションもあるが、ここではバロマとしても年老いてからという生涯の期間が想定されていることが取り上げたいことだ。

 再生に関する霊魂の運動のなかには、もうひとつ、子供にだけ再生を思考する例を挙げておきたい。

 事例22.成年式を経ずして死んだ子供は再生すると信ぜられるが、再生は実母を通じても、他の女を通じても行われる。 実母を通じて生まれたと信ぜられる子供をmillanboo(再び同じの意)という。老婦と結婚した年少の青年は、再生前に好きだったものだとも説明される。ユーアライ族(オーストラリア南東部)。(P.51)。

 事例23.死産児は近き将来の再生を確保するために母によって食われる(P.117)。アンタキリンジャ族(オーストラリア)。

 この二つの例は、子供の場合のみ、再生をすると思考されたものだ。ここには、再生以前に、生を全うする段階が重視されている思考を想定することができる。母による食人は、琉球弧における食人とは位相が違い、食人する側ではなく、子供としての再生が考えられているものだ。

 転生、転生と再生、再生という段階は、トーテム原理の強度と人間の他存在に対する優位の意識の度合いとして考えることができるが、これは必ずしも単線的に進むものではないと思える。また、ここにはひと時を置いて転生・再生するか、霊魂の生涯を終えて転生・再生するという時間の遅延の度合いも関わってくる。そこで、トーテム原理の強度と転生・再生までの時間の遅延を軸にすると、霊魂の運動について次のような図が得られる。

 
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 こう整理した場合、琉球弧はどこに位置づけることができるだろう。琉球弧では後生(グショウ)という他界観念は広く残っている。しかし、後生で生涯を終えた後に再生するという物語は残っていない。再生するということ自体、童名以外には明瞭な痕跡はないと言っていいのかもしれない。しかし、酒井が追究したあらゆる機会を見出した再生への所作を見ていくと、再生信仰の存在が疑うことができない。そこで、このマトリックスのなかでは、現在から照射する限り、ひと時を置いた再生というBの象限に位置づけることになる。

 しかし、これはある段階、ことに母系制が強く発揮された段階における思考法だと捉えるものだ。琉球弧においては、再生だけでなく転生思考の痕跡も見出せる。

 琉球弧においても転生の観念は見出せる。奄美大島のマブリツケ(マブリ別し)の晩に地炉の灰をきれいにならしておき、翌朝最初に目をさました人がその灰をみると動物の足跡がついているという。その足跡の形で動物を判断して、死者はその動物に生まれ変わったという(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』p.224)。

 しかも、蛇やアマム(オカヤドカリ)をトーテムとした痕跡も見出せるのであれば、転生する思考の段階も想定できるだろう。ただ、転生や再生までの時間の遅延は、霊魂の生涯というほど長くはなく、むしろ添寝に見られたような時を置かない転生や再生が思考されていたのではないだろうか。


 琉球弧における霊魂の運動は死後に関してのみ見られるものではない。生きている間も、それは抜けたり、籠められたりと、身体中に存在するように配慮しなければならない。それは生と死の認定の場面でさらにはっきりする。生まれること自体が生の始まりではない。生後ほどなくして行われる名付け祝いで童名を授かるまでは人間とは見なれさない。また、生の命脈が尽きたと思われる時点が死ではない。それはマブイ(霊魂)別しによって完了する。生と死の時間は、少し遅延されるのだ。それは、生死についても霊魂の運動をみているからに他ならない。ここに焦点を当てると、霊魂が運動する場が、どういう場であるのか、見えてくるように思える。

 与論島では名付け祝いを待たずに死んだ子はワラビガシャ(童を葬る崖)においたまま、「葬式はもちろん、年忌そのいっさい行わない」(山田実)。これはぼくも聞いたことがある。まだ、人間とは見なされていないわけだ。これは死産の場合にさらに明確になる。宮古島狩俣では、死産児は荒縄でいばりつけて海辺に埋めたといい、池間島では刃物で切って捨てに行ったと、今の目からみれば冷酷だ。しかし、この行為の内側に宿る心は冷酷とは裏腹のものだ。酒井によれば、「日本内地の風習にも、また台湾その他の国の風習にも、とくに死産児は冷酷にありがとうございます。付けば扱うほど、次に生まれる子は、よりよい状態で再生するという考えがあった(p.390)」のだ。名付け祝い前や死産の子に対する再生への祈りが託されているのである。

 『琉球列島における死霊祭祀の構造』によると、こうした文字通り野ざらしの葬法以外に三つの類型が注目される。

 ひとつは、村はずれの四つ辻に埋めて、大勢の人で踏みつける(宮古島城辺)というものだ。四つ辻という十字路あるいは分れ道は、恐ろしい場所であり、酒井によればそこは霊境である。

 あとの二つは琉球弧にくまなく分布していて、雨だれの下か竈を中心にした場所である。那覇では死産児は雨だれの下に埋め、「後生(ぐそ)や雨だれの下」という諺もある。喜界島嘉鉄では、死産児は土で固めた竈(ウンザー)の後方の灰のあるところに埋める。火の神の近くなのだ。

 これらの四つのプロット、野ざらし、四つ辻、雨だれの下、竈の近くは、どれも空間的に疎外された他界の場所を示していることが重要だと思える。「ワラビガシャ(童を葬る崖)」は、葬地としてそうであり、四つ辻も他界への入口である。雨だれの場合、「後生(ぐそ)や雨だれの下」と、目線は下に向いているが、もうひとつ対幻想の囲いである家屋と外との境界は他界との境界として意識されている。竈の近くというのも、火の神という他界への入口という場所が意味を持っているのだ。竈の近くという場合、前に見たように、前夫という対幻想の矛盾を竈の下に埋め、共同幻想化したのとは、見かけの行為は同じでも意味を違えている。死産児の場合は、火の神を通して、対幻想の再生をこそ願われているからだ。

 ここで、四つ辻に埋めた場合、「大勢の人で踏みつける」という狩俣の呪術行為が示唆するのは、他界の入口と言った場合の、この他界とは祖先たちがいる場所ではなくて、霊魂を得ることのなかった子を、生まれる以前の場に返そうとする振る舞いではないかということだ。名付け祝いを待たずに死んだ子に「葬式はもちろん、年忌そのいっさい」を行わないのは、葬った子たちの行き先を祖先のいる場所とは考えていないからだ。ここでの他界とは未生の場所、これから生れてくる場、霊魂が形づくられる場として考えられていると思える。

 ところで四つ辻を琉球弧ではカジマヤーと言う。そしてカジマヤーとは97歳の年祝いの名でもある。この高齢の年祝いも霊魂が運動する場のことを教えてくれる。

 酒井によれば、カジマヤーの考察の口火となったのは、源武雄の「秘密枕飯御願は模擬葬式」(1968年)だ。そこで報告されたのは首里などのカジマヤー、または86歳のトーカチについてだ。祝いの前夜、当人が寝込んでからその枕元に死者の時と同様に枕飯を供える。そして長男が、「もうあの世に行かれる年頃ですからおひきとりください。そして後生で子孫の繁栄を見守って下さい」などの言葉を述べる。そして一夜明けると、盛大な祝宴がくりひろげられる、というものだ。この前夜の振る舞いを源武雄は「模擬葬式」と呼んだわけだ。

 ここで、ぼくたちは「姥捨て」の習俗を思い出さずにはいられない。『遠野物語』には、「デンデラ野」や「蓮台野」という名称で、六十歳をこえた村落の老人たちが生きながら他界へ追いやられた説話が出ている。なぜ、共同体の外へ追いやられるのか。吉本隆明は『共同幻想論』のなかで、老人の存在が家の共同利害と矛盾する、つまり働き手として失格していること、子どもを生めなくなったことで対幻想の現実的な基盤を見出せなくなったことを挙げ、しかし本質的には「対幻想として、村落の共同幻想にも、自己幻想にたいしても特異な位相を保ちえなくなった」ことであると指摘している。

 カジマヤーを迎える老人は、村落共同体の外へ追いやられてはいない。けれど、模擬的な葬式を通じて他界へは追いやられるのである。97歳を迎える老人は働き手としてはもちろん、子どもを生むことももはやできない。だから、時間性としての他界へ追いやられる。ここで、なぜ空間としての他界へ追いやられなかったのかという問いが出てくるが、それは家の経済的な利害がそれほど深刻ではなかったという理由も挙げられるだろう。しかし、これは琉球弧が遠野に比べて裕福だったことを意味しないだろう。だから、もっと本質的に答えられなければならない。吉本は書いている。

 ほんらい村落のひとびとにたいしては時間性であるべき〈他界〉が、村外れの土地に場所的に設定されたのは、きっと農耕民の特質によっている。土地に執着しそこに対幻想の基盤である〈家〉を定着させ、穀物を栽培したという生活が、かれらの時間認識をッ空間へとさしむけたのである。(『共同幻想論』

 この側面からは、琉球弧は農耕化しても、狩猟採集民の意識を底流させていたからだと言えるのかもしれない。もうひとつ挙げられるとすれば、母系的な基盤が強く、「われわれは一体である」という対幻想が強固だったからだということだ。

 しかし、カジマヤーは時間性として他界に追いやられるだけを意味していない。それは模擬葬式であるとともに、祝宴でもあるのだ。国頭では、カジマヤーを迎える老人はまず木製の四輪車に載せて墓地に連れてゆくが、その帰り道、部落民は一行の列に会わないようにしなければならない。それは、カジマヤーを迎えて生まれ代った者に、その分だけ寿命を取られてしまうからだという。カジマヤーとはアダン葉で作った風車のことで、これを97歳の老人に持たせるが、これは子供に生れ代ったことを意味するものだ。つまり、カジマヤーとは生れ変り、再生の儀礼なのだ。しかし、老人は実際に子どもに生れ変わったわけではないから、再生は託されたものになる。ここで、時間性として疎外される他界の意味が明確になるように思える。名付け祝い前に死んだ子や死産児と同様、老人はまだ生まれていない、これから生れ出る場へと疎外されているのである。

 カジマヤーにはもうひとつ考えられるこがある。それは折口信夫が「おきな」と呼んだものだ。

 霊魂の完成者は、人間界ではおとなに当るものであった。人は、さう言ふ階梯を経て後、他界における老人(おきな)として、往生するものと考へたのではないか。このおきなと言ふ語には憂暗な、影のやうな印象が伴うている。併し、此(この)語は常世といふ語と同じく、どの地方かの他界の老人を言ふものであったのが、此土に現に生存し、この土における残世を生きながらへているものゝ名としても呼ばれるやうになったものだろう。だから此の持つものは、光明ある連想であった。訣し易く言へば、此岸に生きる老人を以て、他界の尊いものと見なして言ふ尊称であった(「民族史観における他界概念」)

 霊魂の完成者である「おとな」は、生きて他界にある人、生きながら他界を見ることのできる人である「おきな」へと進む。折口の言う「おとな」から「おきな」への通過儀礼がカジマヤーではないのか。喜界島では六十歳をすぎると神人に見立てて葬儀は盛大に行ったという。「おきな」とはここにいう「神人」である。老人の生が、生まれる前の状態に還元されると言っても、それは生まれ来る者への祈願ではあっても、老人にとっては厄介者扱いでしかないことになってしまう。これはそうではなく、カジマヤーにはそれだけではなく、他界に生きる人として尊ばれるという意味を宿しているのではないだろうか。それが盛大に祝うということの本来の意味なのではないかと思える。 
 




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2014/09/09

往還する霊魂の場

 琉球弧における霊魂の運動は死後に関してのみ見られるものではない。生きている間も、それは抜けたり、籠められたりと、身体中に存在するように配慮しなければならない。それは生と死の認定の場面でさらにはっきりする。生まれること自体が生の始まりではない。生後ほどなくして行われる名付け祝いで童名を授かるまでは人間とは見なれさない。また、生の命脈が尽きたと思われる時点が死ではない。それはマブイ(霊魂)別しによって完了する。生と死の時間は、少し遅延されるのだ。それは、生死についても霊魂の運動をみているからに他ならない。ここに焦点を当てると、霊魂が運動する場が、どういう場であるのか、見えてくるように思える。

 与論島では名付け祝いを待たずに死んだ子はワラビガシャ(童を葬る崖)においたまま、「葬式はもちろん、年忌そのいっさい行わない」(山田実)。これはぼくも聞いたことがある。まだ、人間とは見なされていないわけだ。これは死産の場合にさらに明確になる。宮古島狩俣では、死産児は荒縄でいばりつけて海辺に埋めたといい、池間島では刃物で切って捨てに行ったと、今の目からみれば冷酷だ。しかし、この行為の内側に宿る心は冷酷とは裏腹のものだ。酒井によれば、「日本内地の風習にも、また台湾その他の国の風習にも、とくに死産児は冷酷にありがとうございます。付けば扱うほど、次に生まれる子は、よりよい状態で再生するという考えがあった(p.390)」のだ。名付け祝い前や死産の子に対する再生への祈りが託されているのである。

 『琉球列島における死霊祭祀の構造』によると、こうした文字通り野ざらしの葬法以外に三つの類型が注目される。

 ひとつは、村はずれの四つ辻に埋めて、大勢の人で踏みつける(宮古島城辺)というものだ。四つ辻という十字路あるいは分れ道は、恐ろしい場所であり、酒井によればそこは霊境である。

 あとの二つは琉球弧にくまなく分布していて、雨だれの下か竈を中心にした場所である。那覇では死産児は雨だれの下に埋め、「後生(ぐそ)や雨だれの下」という諺もある。喜界島嘉鉄では、死産児は土で固めた竈(ウンザー)の後方の灰のあるところに埋める。火の神の近くなのだ。

 これらの四つのプロット、野ざらし、四つ辻、雨だれの下、竈の近くは、どれも空間的に疎外された他界の場所を示していることが重要だと思える。「ワラビガシャ(童を葬る崖)」は、葬地としてそうであり、四つ辻も他界への入口である。雨だれの場合、「後生(ぐそ)や雨だれの下」と、目線は下に向いているが、もうひとつ対幻想の囲いである家屋と外との境界は他界との境界として意識されている。竈の近くというのも、火の神という他界への入口という場所が意味を持っているのだ。竈の近くという場合、前に見たように、前夫という対幻想の矛盾を竈の下に埋め、共同幻想化したのとは、見かけの行為は同じでも意味を違えている。死産児の場合は、火の神を通して、対幻想の再生をこそ願われているからだ。

 ここで、四つ辻に埋めた場合、「大勢の人で踏みつける」という狩俣の呪術行為が示唆するのは、他界の入口と言った場合の、この他界とは祖先たちがいる場所ではなくて、霊魂を得ることのなかった子を、生まれる以前の場に返そうとする振る舞いではないかということだ。名付け祝いを待たずに死んだ子に「葬式はもちろん、年忌そのいっさい」を行わないのは、葬った子たちの行き先を祖先のいる場所とは考えていないからだ。ここでの他界とは未生の場所、これから生れてくる場、霊魂が形づくられる場として考えられていると思える。

 ところで四つ辻を琉球弧ではカジマヤーと言う。そしてカジマヤーとは97歳の年祝いの名でもある。この高齢の年祝いも霊魂が運動する場のことを教えてくれる。

 酒井によれば、カジマヤーの考察の口火となったのは、源武雄の「秘密枕飯御願は模擬葬式」(1968年)だ。そこで報告されたのは首里などのカジマヤー、または86歳のトーカチについてだ。祝いの前夜、当人が寝込んでからその枕元に死者の時と同様に枕飯を供える。そして長男が、「もうあの世に行かれる年頃ですからおひきとりください。そして後生で子孫の繁栄を見守って下さい」などの言葉を述べる。そして一夜明けると、盛大な祝宴がくりひろげられる、というものだ。この前夜の振る舞いを源武雄は「模擬葬式」と呼んだわけだ。

 ここで、ぼくたちは「姥捨て」の習俗を思い出さずにはいられない。『遠野物語』には、「デンデラ野」や「蓮台野」という名称で、六十歳をこえた村落の老人たちが生きながら他界へ追いやられた説話が出ている。なぜ、共同体の外へ追いやられるのか。吉本隆明は『共同幻想論』のなかで、老人の存在が家の共同利害と矛盾する、つまり働き手として失格していること、子どもを生めなくなったことで対幻想の現実的な基盤を見出せなくなったことを挙げ、しかし本質的には「対幻想として、村落の共同幻想にも、自己幻想にたいしても特異な位相を保ちえなくなった」ことであると指摘している。

 カジマヤーを迎える老人は、村落共同体の外へ追いやられてはいない。けれど、模擬的な葬式を通じて他界へは追いやられるのである。97歳を迎える老人は働き手としてはもちろん、子どもを生むことももはやできない。だから、時間性としての他界へ追いやられる。ここで、なぜ空間としての他界へ追いやられなかったのかという問いが出てくるが、それは家の経済的な利害がそれほど深刻ではなかったという理由も挙げられるだろう。しかし、これは琉球弧が遠野に比べて裕福だったことを意味しないだろう。だから、もっと本質的に答えられなければならない。吉本は書いている。

 ほんらい村落のひとびとにたいしては時間性であるべき〈他界〉が、村外れの土地に場所的に設定されたのは、きっと農耕民の特質によっている。土地に執着しそこに対幻想の基盤である〈家〉を定着させ、穀物を栽培したという生活が、かれらの時間認識をッ空間へとさしむけたのである。(『共同幻想論』

 この側面からは、琉球弧は農耕化しても、狩猟採集民の意識を底流させていたからだと言えるのかもしれない。もうひとつ挙げられるとすれば、母系的な基盤が強く、「われわれは一体である」という対幻想が強固だったからだということだ。

 しかし、カジマヤーは時間性として他界に追いやられるだけを意味していない。それは模擬葬式であるとともに、祝宴でもあるのだ。国頭では、カジマヤーを迎える老人はまず木製の四輪車に載せて墓地に連れてゆくが、その帰り道、部落民は一行の列に会わないようにしなければならない。それは、カジマヤーを迎えて生まれ代った者に、その分だけ寿命を取られてしまうからだという。カジマヤーとはアダン葉で作った風車のことで、これを97歳の老人に持たせるが、これは子供に生れ代ったことを意味するものだ。つまり、カジマヤーとは生れ変り、再生の儀礼なのだ。しかし、老人は実際に子どもに生れ変わったわけではないから、再生は託されたものになる。ここで、時間性として疎外される他界の意味が明確になるように思える。名付け祝い前に死んだ子や死産児と同様、老人はまだ生まれていない、これから生れ出る場へと疎外されているのである。

 カジマヤーにはもうひとつ考えられるこがある。それは折口信夫が「おきな」と呼んだものだ。

 霊魂の完成者は、人間界ではおとなに当るものであった。人は、さう言ふ階梯を経て後、他界における老人(おきな)として、往生するものと考へたのではないか。このおきなと言ふ語には憂暗な、影のやうな印象が伴うている。併し、此(この)語は常世といふ語と同じく、どの地方かの他界の老人を言ふものであったのが、此土に現に生存し、この土における残世を生きながらへているものゝ名としても呼ばれるやうになったものだろう。だから此の持つものは、光明ある連想であった。訣し易く言へば、此岸に生きる老人を以て、他界の尊いものと見なして言ふ尊称であった(「民族史観における他界概念」)

 霊魂の完成者である「おとな」は、生きて他界にある人、生きながら他界を見ることのできる人である「おきな」へと進む。折口の言う「おとな」から「おきな」への通過儀礼がカジマヤーではないのか。喜界島では六十歳をすぎると神人に見立てて葬儀は盛大に行ったという。「おきな」とはここにいう「神人」である。老人の生が、生まれる前の状態に還元されると言っても、それは生まれ来る者への祈願ではあっても、老人にとっては厄介者扱いでしかないことになってしまう。これはそうではなく、カジマヤーにはそれだけではなく、他界に生きる人として尊ばれるという意味を宿しているのではないだろうか。それが盛大に祝うということの本来の意味なのではないかと思える。 



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2014/09/08

転生・再生における霊魂の運動

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、南太平洋を対象に、転生・再生する場合の霊魂の運動を見てみよう。それは、トーテム原理の強度に応じて、転生として現れる場合、転生と再生として現れる場合、再生としてのみ現れる場合とに段階を設けることができる。

1.転生

 事例1.「死が近いと、瀕死者に獣鳥、昆虫の名を附し、これを死後の代表者とみて、家族はこれを神聖視する」。リフ島(ロヤルティ諸島)。(P.231)。

 特定の動物を「代表者」として「神聖視」するのは、死後はトーテムとして生きる、あるいはトーテムに帰ると思考していると思える。

 事例2.善人は至上神のもとに至り、悪人は滅びると言われる。善悪人ともに天に行くとも言われる。美しい鳴き声をする小鳥に転生するというとも言われる。カミラロイ族(オーストラリア南東部)。(P.50)。

 事例3.死霊はブーゲンビル島にあるあの世に行く。現地の人は死霊が働く声を聞くがその姿は見えない。父母の死霊は「御霊蝶」となって、わが子の頭にとまるともいう。エディストン島人(ソロモン諸島)。(P.168)。

 事例4.死霊は、あの世では影のごとく、この世の延長の生活をする。他界はシナ諸島のひとつにある。一方、死者の霊魂は動物に転生するとの観念もある。ひとつは水鏡に映る映像、一つは陸に映る影で、シアン島に行くのは前者、後者は転生する。ヤビム族(ニューギニア東部の小島群)。(P.290)。

 観念の混合があったり、常の姿であるとは限らなかったりするが、「小鳥」や「蝶」への転生が思考されている。これらは霊魂を鳥や蝶と見なす思考の延長にあるものだ。エディストン島の霊は、琉球弧で蝶(ハビラ)を霊魂と見なすのと似ている。ヤビム族の場合は、霊魂のひとつが転生するとされている。

 次に、ひと時を置いて転生する場合がある。

 事例5.死者の霊魂は西方の空へ飛びあがる。「雲の下に住んで雷を起すJawaitは死霊を迎えて独楽を回したり相撲を取ったりする。そして果物を食べさせる。死霊はperahの木の汁を手に入れて顔に入墨する。死霊は花を頭にかさり、後、小鳥になる」。バテク族(バハン州)。(P.489)。

 あの世でひと時過ごすという以上に豊富なのは、あの世でも死霊が生涯を終えて転生するという例だ。

 事例6.人は長い霊魂と短い霊魂を持つ。長い霊魂は影と同一視される。長い霊魂は、ニューブリテン島西岸を経て、北岸の村に行く。短い霊魂はしばらく死体の付近を彷徨ってから地下界、ランボアムに行く。ランボアムは現世と酷似するが、現世より美しくより完全である。ランボアムに行った霊魂は、蛇形でときに現世に帰来する。ランボアムで死んだ霊魂は、蟻や蛆になる。タミ族(ニューギニア東部の小島群)。(P.289)。

 事例7.あの世の生活は全くこの世と同様。あの世でも死があり、死霊は再び死んで動物(クスクス)になり、険しくそびえた山の最も荒れた、深い、暗い静かな谷に住む。カイ族(ニューギニア東部)。(P.292)。

 事例8.死者の霊魂、アニトは村の近くの山に住み、生者と同様の生活を送る。どれだけかの期間生活すると再び死ぬ。そして蛇や岩、枯木の燐光になるともされる。ボントック族(ルソン島)。(P.545)。

 事例9.死霊が老いて再び死んでも絶滅することはなく、動物や植物になる。動物の場合、白蟻、野豚の珍種で、殺してはならないとされる。モヌンボ族(ニューギニア東部)。(P.295)。

 事例10.あの世で長生きした後で再び死に、その後は森で虫になる。ミラナウ族(ボルネオ島)。(P.555)。

 これらの例は、死から転生までの時間が遅延され、死者の霊魂の一生という概念まで進展することを示している。かつ、あの世での生活は、この世と「同じ」であることを標準にして、タミ族では、「より美しくより完全」と明るく捉えられているが、ファテ島(ニューヘブリデス諸島)では「現世よりも悪い生活」と暗く捉える場合もある。

 そして、転生するのは「蛇」が最も多いが、「蟻」、「蛆」、「クスクス」などである。しかし、転生は動物には留まらず、植物も「岩」などの無機物や「枯木の燐光」という現象に及んでいる。これは人間と動植物のみならず無機物と等しく見ていた段階があることを示すものだ。

 次に、転生と再生が一緒に現れる場合がある。まず、オーストラリアのワドゥマン族では、動植物から人間へと再生する。

 2.転生と再生

 事例11.死ぬと「精霊児」になる。「精霊児」は小蛙の形を取る。次に、「精霊児」は自分が生れるべき集団を知っていて、一時、母となる女性のトーテム動植物になる。ヤム芋が母のトーテムならヤム芋に入る。そしてトーテム集団の者に入って生まれ変わる。この経緯は神話の物語として組み込まれている。ワドゥマン族(オーストラリア北部)。(P.57)。

 ここではトーテム原理と再生とのひとつの融合の形態が見られる。トーテムも信じられているが、人間としての再生も強く現れてきた段階のものだ。

 これとは別に、転生と再生が選択肢となる例を見出すことができる。

 事例12.ヌカヒヴァ人は、「生れ代るまでにそんなに長い時間はかからないという。特に祖父の霊が孫に生まれ代るというが、ときには動物に生まれてくることもあり、また生まれ代るためばかりでなく、死霊としてこの世に来て、生者に苦しみを与えるという観念もある」。マルケサス諸島(ポリネシア東部)。(P.398)。

 事例13.死後百日の饗宴が済むと、死者の国に行く。善人は天上界の大木のところに行き復活するまで留まり、地上の人間の後継ぎとして再生する。悪人は地獄に留まるが、永久ではなく、虎、野豚、蛇などになる。ミナンカバウ族(スマトラ島)。(P.560)。

 ここには、人間への再生への願望が強くなっているが、動物になる場合もあるというように、トーテム原理の弱まりを見ることができる。スマトラ島のミナンカバウ族では、それが善人と悪人との区別となって明確になっているのだ。

 続いて、人間が人間として再生する例を見ていくが、これが多彩である。

 3.再生

 まず、再生思考のもっとも希薄なものとして、近親者に入り込む形が挙げられる。

 事例14.死者の霊魂はやや離れたところにいて、兄弟に会い、その中に入り、兄弟が死ぬまでその中に住む。兄弟が死ぬ頃には忘れられてしまう。ウォンガ・ムラ族とその周辺(オーストラリア南部)。(P.52)。

 事例15.死霊は北方の島に行き、数ヶ月の後、黒雲とともに帰来して、息子、特に孫に入り、その生長を助成する。再び離れて死者の島に行き、離れたことを悲しむ。死者の西方に行き、しなの木の所に来て、これを回って眺めていると西方から雷雲が出て来て、この木に落雷し次いで霊魂が打たれ、降雨で木の根元に流れ、終わる。アルリッヤ族(オーストラリア)。(P.54)。

 「兄弟」や「子」、「孫」という再生の流れは、母系か父系の系列か、直系の系列化の違いがあるが、どちらも人間としての系列を重視していることが現れている。しかし、霊魂が新しい生を受けて再生するのではなく、近親者の誰かのなかに入り込むという意味では、再生思考の初期型を示すものだ。この場合は、再生とは近親者の記憶と言う意味を持つが、記憶がそうであるように、「忘れられてしまう」時が、再生の終わりを意味している。

 霊魂が新しい生を受けて再生思考がより明確に現れてくる例を挙げよう。

 事例16.死霊は儀礼が適正に行われると、父祖の地に帰り、再生までとどまる。死霊は再生ごとに性を変える。大昔には、祖先達は精霊児を残し、それが正しき女に入り、今も生れ変っているいるのだとする信仰がある。マラ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 事例17.死者の霊魂は父祖の地に行き、やがて再生するが、再生ごとに性を変える。ムンガライ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 ここでは再生は連綿として、永続観念を見ることができるが、面白いのはその度に男だった者は女に、女だった者は男にと、性が転換されることで、ここには二項を明確に分けて転換する思考を見ることができる。そして、再生が「やがて」とあるように一定期間を置いてなされるように、初期型よりも再生までの時間が長めに取られている。

 ひと時を置いて再生するという思考には性を変えるという以外にもいくつかの種類が見られる。

 事例18.死者の霊魂は、岩など一か所に集まり、狙った女の中に入り、子供に再生する。実在の岩がある(by スペンサー&ジレン)。アルンタ族(オーストラリア中部)。(P.54)。

 事例19.樹上葬後、埋葬。死霊はこの式が終わると、神話的祖先の地に行き、この世に再生するまで同族の死者と交際している。ウンマトラ族、カイエティシュ族(オーストラリア中部)。(P.55)。

 事例20.霊魂は男だけが持ち、死ぬと歩きまわって父祖の地を訪問し、雨が降って骨が洗われてきれいになった時に再生する。グナンジ族(オーストラリア北部)。(P.56)。

 再生までの期間は漠然としているが、ウンマトラ族、カイエティシュ族では同族の死者との交際が思い描かれている。グナンジ族では、男性だけが再生するように、単性的な選択がなされているが、「雨が降って骨が洗われてきれいになった時」というタイミングは、琉球弧の洗骨とつながる思考法であると言える。

 再生においても、あの世で生涯をすごした後という時間の遅延は、見られるが、一例を見出すのみだ。それはトロブリアンド諸島の例だから、ここはマリノフスキーの詳細な記述を取り上げたい。

 事例21.「バロマが年老いてくると、その歯は抜け落ち、皮膚はたるみ、皺がよってくる。彼は浜へ行って塩水で水浴をする。それから彼は、ちょうど蛇がやるように、自分の皮を脱ぎ捨てる。そして、また幼い子供になる。実は、胎児、ワイワイア waiwaia -胎児の子供及び生れて間もない子供に用いられる言葉、になる。バロマの女にはこのワイワイアが見える。彼女はそれを抱きあげ、そして籠か折り畳んだ椰子の葉(プアタイpuatai)に入れる。彼女はその小さなものをキリウィナへ運び、誰か女の子宮の中へウァギナを通して挿入しておく。するとその女は妊娠する(ナススマsasusuma)」。(『バロマ トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』)

 バロマとはトロブリアントの島人の呼ぶ霊魂のことだ。精霊児ワイワイアが女性に入るまでの経緯は、海に浮かぶものに乗ってというように他の説明のバリエーションもあるが、ここではバロマとしても年老いてからという生涯の期間が想定されていることが取り上げたいことだ。

 再生に関する霊魂の運動のなかには、もうひとつ、子供にだけ再生を思考する例を挙げておきたい。

 事例22.成年式を経ずして死んだ子供は再生すると信ぜられるが、再生は実母を通じても、他の女を通じても行われる。 実母を通じて生まれたと信ぜられる子供をmillanboo(再び同じの意)という。老婦と結婚した年少の青年は、再生前に好きだったものだとも説明される。ユーアライ族(オーストラリア南東部)。(P.51)。

 事例23.死産児は近き将来の再生を確保するために母によって食われる(P.117)。アンタキリンジャ族(オーストラリア)。

 この二つの例は、子供の場合のみ、再生をすると思考されたものだ。ここには、再生以前に、生を全うする段階が重視されている思考を想定することができる。母による食人は、琉球弧における食人とは位相が違い、食人する側ではなく、子供としての再生が考えられているものだ。

 転生、転生と再生、再生という段階は、トーテム原理の強度と人間の他存在に対する優位の意識の度合いとして考えることができるが、これは必ずしも単線的に進むものではないと思える。また、ここにはひと時を置いて転生・再生するか、霊魂の生涯を終えて転生・再生するという時間の遅延の度合いも関わってくる。そこで、トーテム原理の強度と転生・再生までの時間の遅延を軸にすると、霊魂の運動について次のような図が得られる。

 
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 こう整理した場合、琉球弧はどこに位置づけることができるだろう。琉球弧では後生(グショウ)という他界観念は広く残っている。しかし、後生で生涯を終えた後に再生するという物語は残っていない。再生するということ自体、童名以外には明瞭な痕跡はないと言っていいのかもしれない。しかし、酒井が追究したあらゆる機会を見出した再生への所作を見ていくと、再生信仰の存在が疑うことができない。そこで、このマトリックスのなかでは、現在から照射する限り、ひと時を置いた再生というBの象限に位置づけることになる。

 しかし、これはある段階、ことに母系制が強く発揮された段階における思考法だと捉えるものだ。琉球弧においては、再生だけでなく転生思考の痕跡も見出せる。奄美大島のマブリツケ(マブリ別し)の晩に地炉の灰をきれいにならしておき、翌朝最初に目をさました人がその灰をみると動物の足跡がついているという。その足跡の形で動物を判断して、死者はその動物に生まれ変わったという(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』p.224)。

 しかも、蛇やアマム(オカヤドカリ)をトーテムとした痕跡も見出せるのであれば、転生する思考の段階も想定できるだろう。ただ、転生や再生までの時間の遅延は、霊魂の生涯というほど長くはなく、むしろ添寝に見られたような時を置かない転生や再生が思考されていたのではないだろうか。

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2014/09/07

霊魂の運動としての再生・転生

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、琉球弧の再生信仰がどのような霊魂の段階を経たものか考えてみる。


【他者の中に入り込む】

1.ウォンガ・ムラ族とその周辺(オーストラリア南部)。死者の霊魂はやや離れたところにいて、兄弟に会い、その中に入り、兄弟が死ぬまでその中に住む。兄弟が死ぬ頃には忘れられてしまう(P.52)。

2.ウォンガ・マズ族(オーストラリア南部)。死霊は寡婦、兄弟または父の胸に住むけれど、しかも、ある土人によれば、それは叢林を彷徨し、最後には大きな洞穴に行き、さらに再生するという者もいる。(P.53)。

3.アルリッヤ族(オーストラリア)。死霊は北方の島に行き、数ヶ月の後、黒雲とともに帰来して、息子、特に孫に入り、その生長を助成する。再び離れて死者の島に行き、離れたことを悲しむ。死者の西方に行き、しなの木の所に来て、これを回って眺めていると西方から雷雲が出て来て、この木に落雷し次いで霊魂が打たれ、降雨で木の根元に流れ、終わる。(P.54)。

4.アルンタ族(オーストラリア中部)。北海の海の中に死者の島が信じられている。死者の島、霊魂の地と呼ばれる死者の霊魂は、薄い白い姿。夜は踊り、昼は寝る。死後、霊魂は墓の付近にいるが葬宴が行われると死者の島に行く。雨が降ると、南方に彷徨いだし、故郷を見ようとする。子息をたくさん残した場合は、その肩を抱き、身体の中に次々に入り、成長させる。孫がある時は、孫に入る。1~2年して死者の島に帰る。死者の島の西方に行き、死者の木(しなの木)をあらゆる方向から観察する。西から黒雲が現れて落雷に打たれる。そしてこの世に戻り、ともに食事をし、死者の島の東方に行ってとどまる。死者の島の自分の家に戻り、西方から大きな黒雲が出て、雷に打たれて絶滅する(by シュトレーロー)(P.54)。

 最も淡い例は、近親者の中に入り込むというものだ。これは実際には、残された者の記憶として確認されたことを根拠にしていると考えられる。対象は、兄弟、妻、父、息子、孫という近親者だ。この場合、近親者に入りこむまでの期間も短く、また入り込んだ後の生も長いわけではない。.ウォンガ・ムラ族において、「兄弟が死ぬ頃には忘れられてしまう」というように、身近に覚えている人が存在している間が存在期間だ。ただ、ウォンガ・マズ族のように、他者に入り込んだ後、再生するという観念も存在している。


【再生ごとに性を変える】

1.マラ族(オーストラリア北部)。死霊は儀礼が適正に行われると、父祖の地に帰り、再生までとどまる。死霊は再生ごとに性を変える。大昔には、祖先達は精霊児を残し、それが正しき女に入り、今も生れ変っているいるのだとする信仰がある(P.56)。

2.ムンガライ族(オーストラリア北部)。死者の霊魂は父祖の地に行き、やがて再生するが、再生ごとに性を変える(P.56)。

3.ユングマン族(オーストラリア北部)。再生ごとに性を変える(P.56)。

4.ヌラクン族(オーストラリア北部)。死者の霊魂は父祖の地に行き、やがて再生するが、再生ごとに性を変える(P.57)。

 独特なのは、再生ごとに性を変えるとしているオーストラリアの例だ。この場合は、再生は永続的であり、マラ族のように神話時代からのものだとしている部族もある。


【子供の再生】

1.ユーアライ族(オーストラリア南東部)。成年式を経ずして死んだ子供は再生すると信ぜられるが、再生は実母を通じても、他の女を通じても行われる。実母を通じて生まれたと信ぜられる子供をmillanboo(再び同じの意)という。老婦と結婚した年少の青年は、再生前に好きだったものだとも説明される。(P.51)。

2.アンタキリンジャ族(オーストラリア)。死産児は近き将来の再生を確保するために母によって食われる(P.117)。

 子供が死んだ場合、再生を思考する例。アンタキリンジャ族では、子供を食べることが子の再生の祈念の行動になっている。


【人間としての再生】

1.トロブリアンド、マーシャルヘッド(ニューギニア東方海上)。死者の霊魂の生活をした後、死んで再生する(P.282)。

2.アルリッヤ族、マズダラ族(オーストラリア南部)。死霊wangaは叢に住む見えざる黒人である。Wangaは友人を助けると考えられる。しかし、再生の観念もあり。精霊児の夢で再生するという(P.53)。

3.マズダラ族(オーストラリア南部)。死霊は、喪者の胸に儀礼的に置かれるが、次いで叢に住み、天に行く。また再生の可能性もある。(P.54)。

4.アルンタ族(オーストラリア中部)。死者の霊魂は、岩など一か所に集まり、狙った女の中に入り、子供に再生する。実在の岩がある(by スペンサー&ジレン)(P.54)。

5.ウンマトラ族、カイエティシュ族(オーストラリア中部)。樹上葬後、埋葬。死霊はこの式が終わると、神話的祖先の地に行き、この世に再生するまで同族の死者と交際している(P.55)。

5.ワラムンガ族(オーストラリア北部)。樹上葬後、1,2年後に骨の処理をすると、死者の霊魂は砂粒くらいの大きさで、神とともに住むが、これは再生すると考えられている(P.55)。

6.グナンジ族(オーストラリア北部)。霊魂は男だけが持ち、死ぬと歩きまわって父祖の地を訪問し、雨が降って骨が洗われてきれいになった時に再生する(P.56)。

7.ビンビンガ族(オーストラリア北部)。死霊は骨や火の上を彷徨う。儀礼を終えると、死者の霊魂は神話時代の祖先の地に帰り、しばらく歩きまわって再生する。(P.56)。

8.ワドゥマン族(オーストラリア北部)。精霊児は、一時、母のトテム動植物に留まるが、トテム集団の者に入って生まれ代る。(P.57)。

9.ヨーク半島(オーストラリア南部)。死や他界に関する観念は明白ではないが、死者をトテムと同一視する信仰があり、また再生観念も存在する(P.59)。

10.ウィデシ地方(ニューギニア西部)。男の霊魂のひとつはあの世へ行くが、他のひとつは生きた男に(まれには女に)再生する(P.300)。


 再生する場合は、祖先との生活を経てから再生するという場合が多い。トロブリアンドで、祖先たちとの生活をしてやがてそこでも老いると精霊児として再生するというのが典型的だ。

 グナンジ族、ウィデシ地方のように再生が男性にのみ限定されている場合もある。また、グナンジ族の、「雨が降って骨が洗われてきれいになった時に再生する」という様式は、琉球弧の洗骨と似た思考を思わせる。

 ワドゥマン族とヨーク半島では、トーテムとの関わりが明示される。特にワドゥマン族では、トーテム動植物への転生を経て、同じトーテムを持つ氏族の人間へと再生するということだ。


【再生あるいは転生】

1.ロツマ島(ポリネシア)。死者が死後、人間や動物に入るという信仰もある(サモアから伝わった考え方であるという)(P.383)。

2.マルケサス諸島(ポリネシア東部)。ヌカヒヴァの土人は生れ代るまでにそんなに長い時間はかからないという。特に祖父の霊が孫に生まれ代るというが、ときには動物に生まれてくることもあり、また生まれ代るためばかりでなく、死霊としてこの世に来て、生者に苦しみを与えるという観念もある(P.398)。

3.ミナンカバウ族(スマトラ島)。死後100ヶ日の饗宴が済むと、死者の国に行く。善人は天上界の大木のところに行き復活するまで留まり、地上の人間の後継ぎとして再生する。悪人は地獄に留まるが、永久ではなく、虎、野豚、蛇などになる。(P.560)。

 これらの例は、再生と転生が同時に存在する点が特徴的だ。スマトラ島のミナンカバウ族は、善人が人間で悪人が動物となっており、すでに人間と動物に優劣の意識が入り込んでいる。


【この世と同じ生活をした後、転生】

1.ニューブリテン島人(メラネシア)。あの世はこの世に酷似している。人体に一つ以上の霊魂があるとは信じられていないが、各種の動物に入りうるとしている(P.163)。

2.マライタ島(ソロモン諸島)。死霊は島でこの世と似た生活を送る。この生活は永遠ではなく、一般人の単なるアカロ(霊魂)は白蟻の巣となり、より強力な死霊に食われる(P.169)。

3.ファテ島(ニューヘブリデス諸島)。あの世は現世よりも悪い生活をする。霊魂は死んでは地下、海下の下へ下へ行き、六度死んでついには無に帰するともいい、鼠や蛇になるともいう(P.177)。

4.タミ族(ニューギニア東部の小島群)。人は長い霊魂と短い霊魂を持つ。長い霊魂は影と同一視。睡眠中、身体を離れ、覚める時、帰ってくる。胃にある。人が死ぬと長い霊魂は、死体を離れて遠方の友人に死去を知らせる。その後、ニューブリテン島西岸を経て、北岸の村に行く。短い霊魂は死後のみ離れて、しばらく死体の付近を彷徨ってから地下界、ランボアムに行く。ランボアムは現世と酷似するが、現世より美しくより完全。ランボアムに行った霊魂は、蛇形でときに現世に帰来する。この時、シューシューという音を立てるだけだが、この音を解釈する者(主に女)がいて何を話しているか判断する。また、死霊に尋ねる能力のある者(主に女)がいて、これは世襲。ランボアムで死んだ霊魂は、蟻や蛆になる(P.289)。

5.ヤビム族(ニューギニア東部の小島群)。死霊は、あの世では影のごとく、この世の延長の生活をする。他界はシナ諸島のひとつにある。一方、死者の霊魂は動物に転生するとの観念もある。ひとつは水鏡に映る映像、一つは陸に映る影で、シアン島に行くのは前者、後者は転生する(P.290)。

6.カイ族(ニューギニア東部)。あの世の生活は全くこの世と同様。あの世でも死があり、死霊は再び死んで動物(一般にはcuscus)になり、峨々たる山の最も荒れた、深い、暗い幽谷に住む。(P.292)。

7.ボントック族(ルソン島)。死者の霊魂はアニトと呼ばれる。アニトは村の近くの山に住み、生者と同様の生活を送る。どれだけかの期間生活すると再び死ぬ。そして蛇に姿を変える。岩になる、枯木の燐光になるともされる。(P.545)。

8.ニアス島人(スマトラ西岸沖)。この世の継続であるあの世で9度死ぬと消滅すると言われたり、種々の動物や昆虫になって地上に再来するとも考えられている。蛇や鰐は特に死霊動物と見られる。(P.561)。


 転生信仰では、転生の前に、死霊があの世でこの世と似た生活を送るという報告が多い。ファテ島では現世より悪い生活で、タミ族では現世より美しく完全としているのが対照的だ。転生は「蛇」が多く、これはトーテムであると考えられる。ニアス島で、あの世で九度死ぬというのは、琉球弧のナナユーフィを思い出させる。


【その他の転生】

1.カミラロイ族(オーストラリア南東部)。死して美しい啼き声をする小鳥に転生するという者もいる(P.50)。

2.エディストン島人(ソロモン諸島)。父母の死霊は御霊蝶となって、わが子の頭にとまるともいう(P.168)。

3.サンクリストヴァル島(ソロモン諸島)。アウンガ(霊魂)は、身体を離れて島を渡り、特に善良で敬虔な人であれば、永世を得て至上神と結合される。この世に帰って蛇身と化す(P.171)。

4.サンクリストヴァル島(ソロモン諸島)。鮫もまた霊魂を有し、死ねば鮫になると予言した人の死霊が鮫の霊魂になるとする。(P.221)。

5.リフ島(ロヤルティ諸島)。死が近いと、瀕死者に獣鳥、昆虫の名を附し、これを死後の代表者とみて、家族はこれを神聖視する(P.231)。

6.ケーニヒウィルヘルム岬付近のパプア人(ニューギニア東部?)。死霊は生前の村をさまよい歩く、影のごとき生活をする、動物に転生するともいって、観念が漠然としている(P.295)。

7.モヌンボ族(ニューギニア東部)。死霊が老いて再び死んでも絶滅することはなく、動物や植物になる。白蟻、野豚の珍種がこれで、殺してはならぬとされる。木ではbarimbarhが死霊の転生とされる(P.295)。

8.サモア人(ポリネシア)。戦死や不慮死を遂げると、死者のata(影)は、蟻または昆虫として現れる。霊魂が動物に入ったり、他の人に入る輪廻思想はない(P.385)。

9.バテク族(バハン州)。死霊は花を頭にかさり、後、小鳥になる(P.489)。

10.ミラナウ族(ボルネオ島)。あの世で長生きした後で再び死に、その後は森で虫になる(P.555)。

11.チモール中部(チモール島)。遺族の最大の関心は死霊を遠ざけるかにあり、時とすると、墓の足もと、または棺のおいてある家の部分に灰を入れた籠をおいて、朝、足跡によって死霊の夜間の動静を語ることができる。転生を信ずる地方もある。(P.565)。

 転生が「鳥」であるのは、霊魂を鳥と見なした思考と同じものだ。エディストン島人の、「父母の死霊は御霊蝶となって、わが子の頭にとまるともいう」のは、琉球弧の蝶(ハビラ)と似た観念だと思う。転生では、動植物を選らばいない。

 琉球弧においても転生の観念は見出せる。奄美大島のマブリツケ(マブリ別し)の晩に地炉の灰をきれいにならしておき、翌朝最初に目をさました人がその灰をみると動物の足跡がついているという。その足跡の形で動物を判断して、死者はその動物に生まれ変わったという(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』p.224)。この灰についた足跡から判断するのは、チモール島の所作と同じだ。


 これらを霊魂の運動としてみると、

 1.葬儀を経た後、近親者のなかへ再生あるいは動植物へ転生
 2.他界である期間を過ごしたあと再生・転生
 3.他界での一生のあと再生・転生

 という段階を辿っていると考えられる。この間、トーテム原理が喪失される度合いにおいて、転生ではなく再生を思考するようになる。

 琉球弧においては後生(グショー)という思考は広く見られる。そこは現世と似た世界であり、生活が現世と逆であるという観念も見られる。転生の痕跡もある。かつては、即時的なものから後生での生活の後、再生するという観念があったのだろう。

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2014/09/06

南太平洋の再生・転生信仰分布

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、南太平洋の再生・転生信仰の分布を辿ってみる。

 再生・転生の形態は、どちらかであるというだけではなく、人間に再生するか、動物に転生する場合もある。再生のなかには、今の自分とは違う者に再生する場合に性を変えたり、他者のなかに入りこむ場合もある。

 著者の分類と挙げた事例のなかでは、オーストラリアは再生がより多く、ニューギニア、メラネシア、東南アジア諸島では転生が多い。ポリネシアでは、再生と転生が同数ずつ報告されている。

【オーストラリア】
1.カミラロイ族(オーストラリア南東部)。死して美しい啼き声をする小鳥に転生するという者もいる(P.50)

2.ユーアライ族(オーストラリア南東部)。成年式を経ずして死んだ子供は再生すると信ぜられるが、再生は実母を通じても、他の女を通じても行われる。実母を通じて生まれたと信ぜられる子供をmillanboo(再び同じの意)という。老婦と結婚した年少の青年は、再生前に好きだったものだとも説明される。(P.51)

3.ウォンガ・ムラ族とその周辺(オーストラリア南部)。死者の霊魂はやや離れたところにいて、兄弟に会い、その中に入り、兄弟が死ぬまでその中に住む。兄弟が死ぬ頃には忘れられてしまう(P.52)

4.ウォンガ・マズ族(オーストラリア南部)。死霊は寡婦、兄弟または父の胸に住むけれど、しかも、ある土人によれば、それは叢林を彷徨し、最後には大きな洞穴に行き、さらに再生するという者もいる。(P.53)

5.アルリッヤ族、マズダラ族(オーストラリア南部)。死霊wangaは叢に住む見えざる黒人である。Wangaは友人を助けると考えられる。しかし、再生の観念もあり。精霊児の夢で再生するという(P.53)

6.アルリッヤ族。死霊は北方の島に行き、数ヶ月の後、黒雲とともに帰来して、息子、特に孫に入り、その生長を助成する。再び離れて死者の島に行き、離れたことを悲しむ。死者の西方に行き、しなの木の所に来て、これを回って眺めていると西方から雷雲が出て来て、この木に落雷し次いで霊魂が打たれ、降雨で木の根元に流れ、終わる。(P.54)

7.マズダラ族(オーストラリア南部)。死霊は、喪者の胸に儀礼的に置かれるが、次いで叢に住み、天に行く。また再生の可能性もある。(P.54)

8.アルンタ族(オーストラリア中部)。死者の霊魂は、岩など一か所に集まり、狙った女の中に入り、子供に再生する。実在の岩がある(by スペンサー&ジレン)(P.54)

9.アルンタ族(オーストラリア中部)。北海の海の中に死者の島が信じられている。死者の島、霊魂の地と呼ばれる死者の霊魂は、薄い白い姿。夜は踊り、昼は寝る。死後、霊魂は墓の付近にいるが葬宴が行われると死者の島に行く。雨が降ると、南方に彷徨いだし、故郷を見ようとする。子息をたくさん残した場合は、その肩を抱き、身体の中に次々に入り、成長させる。孫がある時は、孫に入る。1~2年して死者の島に帰る。死者の島の西方に行き、死者の木(しなの木)をあらゆる方向から観察する。西から黒雲が現れて落雷に打たれる。そしてこの世に戻り、ともに食事をし、死者の島の東方に行ってとどまる。死者の島の自分の家に戻り、西方から大きな黒雲が出て、雷に打たれて絶滅する(by シュトレーロー)(P.54)

10.ウンマトラ族、カイエティシュ族(オーストラリア中部)。樹上葬後、埋葬。死霊はこの式が終わると、神話的祖先の地に行き、この世に再生するまで同族の死者と交際している(P.55)

11.ワラムンガ族(オーストラリア北部)。樹上葬後、1,2年後に骨の処理をすると、死者の霊魂は砂粒くらいの大きさで、神とともに住むが、これは再生すると考えられている(P.55)

12.グナンジ族(オーストラリア北部)。霊魂は男だけが持ち、死ぬと歩きまわって父祖の地を訪問し、雨が降って骨が洗われてきれいになった時に再生する(P.56)

13.ビンビンガ族(オーストラリア北部)。死霊は骨や火の上を彷徨う。儀礼を終えると、死者の霊魂は神話時代の祖先の地に帰り、しばらく歩きまわって再生する。(P.56)

14.マラ族(オーストラリア北部)。死霊は儀礼が適正に行われると、父祖の地に帰り、再生までとどまる。死霊は再生ごとに性を変える。大昔には、祖先達は精霊児を残し、それが正しき女に入り、今も生れ変っているいるのだとする信仰がある(P.56)

15.ムンガライ族(オーストラリア北部)。死者の霊魂は父祖の地に行き、やがて再生するが、再生ごとに性を変える(P.56)

16.ユングマン族(オーストラリア北部)。再生ごとに性を変える(P.56)

17.ヌラクン族(オーストラリア北部)。死者の霊魂は父祖の地に行き、やがて再生するが、再生ごとに性を変える(P.57)

18.ワドゥマン族(オーストラリア北部)。精霊児は、一時、母のトテム動植物に留まるが、トテム集団の者に入って生まれ代る。(P.57)

19.カカドゥ族(オーストラリア北部)。国は元来、人々と精霊児に満ちていて、絶えず再生を続けている。霊魂、ヤムル(yamuru)は、しばらくするとヤムルとその影のようなイワイユ(iwaiyu)に分かれる。ヤムルが再生したくなると、遺骨を離れ、叢林で食べ物を探しに来た人を見つけると、ヤムルはイワイユを蛙の形にして食べ物に付ける。人がこの食べ物を取ると、イワイユは逃げる。何も知らない人が家に帰り寝静まると、ヤムルとイワイユは男と女の寝所に入る。イワイユは男を女を嗅ぎ、女に入る。ヤムルは再び自分の宿所に帰るが、女が子供を持つと、夜、夫にその子の名とトーテムを告げる。ヤムルは子供が生まれ、生長し、老いるまで保護の役をなし、いよいよ老いると、その人間のイワイユに新しき子供とトーテムの準備について語る。そこでヤムルは任務を終え、イワイユが新しいヤムルになる。子供は祖先のなかの特定の人の代表者と見られる(P.58)

20.ヨーク半島(オーストラリア南部)。死や他界に関する観念は明白ではないが、死者をトテムと同一視する信仰があり、また再生観念も存在する(P.59)

21.アンタキリンジャ族(オーストラリア)。死産児は近き将来の再生を確保するために母によって食われる(P.117)


【メラネシア】
1.ニューブリテン島人(メラネシア)。あの世はこの世に告示している。人体に一つ以上の霊魂があるとは信じられていないが、各種の動物に入りうるとしている(P.163)

2.エディストン島人(ソロモン諸島)。父母の死霊は御霊蝶となって、わが子の頭にとまるともいう(P.168)

3.マライタ島(ソロモン諸島)。死霊は島でこの世と似た生活を送る。この生活は永遠ではなく、一般人の単なるア

4.カロ(霊魂)は白蟻の巣となり、より強力な死霊に食われる(P.169)

5.サンクリストヴァル島(ソロモン諸島)。アウンガ(霊魂)は、身体を離れて島を渡り、特に善良で敬虔な人であれば、永世を得て至上神と結合される。この世に帰って蛇身と化す(P.171)

6.ファテ島(ニューヘブリデス諸島)。あの世は現世よりも悪い生活をする。霊魂は死んでは地下、海下の下へ下へ行き、六度死んでついには無に帰するともいい、鼠や蛇になるともいう(P.177)

7.サンクリストヴァル島(ソロモン諸島)。鮫もまた霊魂を有し、死ねば鮫になると予言した人の死霊が鮫の霊魂になるとする。(P.221)

8.リフ島(ロヤルティ諸島)。死が近いと、瀕死者に獣鳥、昆虫の名を附し、これを死後の代表者とみて、家族はこれを神聖視する(P.231)

9.ニューカレドニア南南東部(ニューカレドニア島)。死者は白人に化現するという信仰もある(P.232)


【ニューギニア】
1.トロブリアンド、マーシャルヘッド(ニューギニア東方海上)。死者の霊魂の生活をした後、死んで再生する(P.282)

2.タミ族(ニューギニア東部の小島群)。人は長い霊魂と短い霊魂を持つ。長い霊魂は影と同一視。睡眠中、身体を離れ、覚める時、帰ってくる。胃にある。人が死ぬと長い霊魂は、死体を離れて遠方の友人に死去を知らせる。その後、ニューブリテン島西岸を経て、北岸の村に行く。短い霊魂は死後のみ離れて、しばらく死体の付近を彷徨ってから地下界、ランボアムに行く。ランボアムは現世と酷似するが、現世より美しくより完全。ランボアムに行った霊魂は、蛇形でときに現世に帰来する。この時、シューシューという音を立てるだけだが、この音を解釈する者(主に女)がいて何を話しているか判断する。また、死霊に尋ねる能力のある者(主に女)がいて、これは世襲。ランボアムで死んだ霊魂は、蟻や蛆になる(P.289)

3.ヤビム族(ニューギニア東部の小島群)。死霊は、あの世では影のごとく、この世の延長の生活をする。他界はシナ諸島のひとつにある。一方、死者の霊魂は動物に転生するとの観念もある。ひとつは水鏡に映る映像、一つは陸に映る影で、シアン島に行くのは前者、後者は転生する(P.290)

4.カイ族(ニューギニア東部)。あの世の生活は全くこの世と同様。あの世でも死があり、死霊は再び死んで動物(一般にはcuscus)になり、峨々たる山の最も荒れた、深い、暗い幽谷に住む。(P.292)
ケーニヒウィルヘルム岬付近のパプア人(ニューギニア東部?)。死霊は生前の村をさまよい歩く、影のごとき生活をする、動物に転生するともいって、観念が漠然としている(P.295)

5.モヌンボ族(ニューギニア東部)。死霊が老いて再び死んでも絶滅することはなく、動物や植物になる。白蟻、野豚の珍種がこれで、殺してはならぬとされる。木ではbarimbarhが死霊の転生とされる(P.295)
ウィデシ地方(ニューギニア西部)。男の霊魂のひとつはあの世へ行くが、他のひとつは生きた男に(まれには女に)再生する(P.300)


【ポリネシア】
1.ロツマ島(ポリネシア)。死者が死後、人間や動物に入るという信仰もある(サモアから伝わった考え方であるという)(P.383)

2.トケラウ島(ポリネシア)。動物への転生という観念を持たないが、祖先は白人の土地へ行き、白人として再生したと考えている(P.384)

3.トケラウ島(ポリネシア)。死後の住所を自分で選ぶことができる(P.385)

4.サモア人(ポリネシア)。戦死や不慮死を遂げると、死者のata(影)は、蟻または昆虫として現れる。霊魂が動物に入ったり、他の人に入る輪廻思想はない(P.385)

5.マルケサス諸島(ポリネシア東部)。ヌカヒヴァの土人は生れ代るまでにそんなに長い時間はかからないという。特に祖父の霊が孫に生まれ代るというが、ときには動物に生まれてくることもあり、また生まれ代るためばかりでなく、死霊としてこの世に来て、生者に苦しみを与えるという観念もある(P.398)


【東南アジア諸島】
1.バテク族(バハン州)。死霊は花を頭にかさり、後、小鳥になる(P.489)

2.ボントック族(ルソン島)。死者の霊魂はアニトと呼ばれる。アニトは村の近くの山に住み、生者と同様の生活を送る。どれだけかの期間生活すると再び死ぬ。そして蛇に姿を変える。岩になる、枯木の燐光になるともされる。(P.545)

3.ミラナウ族(ボルネオ島)。あの世で長生きした後で再び死に、その後は森で虫になる(P.555)

4.ミナンカバウ族(スマトラ島)。死後100ヶ日の饗宴が済むと、死者の国に行く。善人は天上界の大木のところに行き復活するまで留まり、地上の人間の後継ぎとして再生する。悪人は地獄に留まるが、永久ではなく、虎、野豚、蛇などになる。(P.560)

5.ニアス島人(スマトラ西岸沖)。この世の継続であるあの世で9度死ぬと消滅すると言われたり、種々の動物や昆虫になって地上に再来するとも考えられている。蛇や鰐は特に死霊動物と見られる。(P.561)

6.チモール中部(チモール島)。遺族の最大の関心は死霊を遠ざけるかにあり、時とすると、墓の足もと、または棺のおいてある家の部分に灰を入れた籠をおいて、朝、足跡によって死霊の夜間の動静を語ることができる。転生を信ずる地方もある。(P.565)


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2014/09/05

人間の似姿と蝶

 人間の霊魂は人間の似姿をしている。南太平洋の例でいえば、ソロモン諸島のエディストン島人では、霊魂であるガラガラは、「大人小人によって大小があるが、丁度人間のごときもの」であるといい、マレー半島ザブブン族でも人間のごとき姿をしている。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』では、より詳細な言及も見られ、エスキモーでは、「魂はその身体に類似しているので、太った体や痩せた体があるのと同じように、太った魂や痩せた魂がある」と言われている。こうした霊魂の形姿に関する思考も、夢が大いに預かっていたと思われる。琉球弧でも、「霊魂には個性があった。だから他と混同する恐れは全くなかった。それは、その個性を構成している容姿・声色・挙動等が死者生前のそれと、全く同一であったからである(柏常秋『沖永良部島民俗誌』)と、見れば分かるという言い方で言われている。体外に出た場合も、イキマブイ(生霊)が笑っているともう取り返しはできないが、うつむいているとまだ連れ戻すことができると死の前兆を察知する際に言われるように、同様だ。

 だが、霊魂が体外に出て浮遊する場合は、必ずしも人間の似姿にはならない。オーストラリアのディエリ族では、「最近死せる者の霊魂は、叢林の蔭などに住み、鳥などの形で出現し、生者に病気を与える」とされ、霊魂が鳥の姿をとって現れている。フレイザーによれば、鳥として飛翔するのを防ぐための対策も採られている。「赤子を初めて血面に下ろすとき」は、鳥かごの中に入れて母親が雌鶏の鳴き真似をし(ジャワ島)、男が危険な仕事から戻ってくると、米粒をその頭に置く(スマトラのバッタ族)。これは霊魂が浮遊しかねないタイミングで、霊魂としての鳥が飛び立たないように仕向ける呪術だと思われる。結婚においては花婿の霊魂は飛び出しやすいと考えられたので、彩色された米が花婿に振りかけられる(セレベス島)のも同じだ。

 ところで琉球弧において体外に浮遊する場合の霊魂は、折口信夫が琉球弧では、「蝶を鳥と同様に見てゐる(「若水の話」)」と言うように、「鳥」であるとともに、「蝶」として考えられている。

一 吾がおなり御神の
  守らてゝ おわちやむ
  やれ ゑけ
又 弟おなり御神の
又 綾蝶 成りよわちへ
又 奇せ蝶 成りよわちへ
(我々のおなり御神が、守ろうといって来られたのだ。やれ、ゑけ。おなり御神は、美しい蝶、あやしい蝶に成り給いて、守ろうといって来られたのだ) (『おもろさうし』

 「おもろそうし」の歌謡のなかで、姉妹であるをなり神が船の航行を守護するためにやってきた姿は「綾蝶(美しい蝶)」だった。

 歌謡を持ちださなくても、民俗のなかに豊かな例を見出すことができる。

 「以前婚礼の宴にハビラ(蛾)が三匹、三味線にあわせて調子よく舞いあがった。音曲がやむとそのハビラは畳に落ちた。そのハビラは酒好きであった亡き祖父の姿によく似ていたので、たれかが「祖父を躍らせよ」といって音曲を鳴らすと、そのハビラはまた空中で舞いはじめたという(大島瀬戸内町)」(p.184、酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』))

 蛾も蝶と同様に見なされるものだが、ここでは「ハビラ(蛾)」と死んだ祖父が同一視されている。しかもそれだけでははなく、「亡き祖父の姿によく似ていた」と、驚くべき見立てが行われている。これは、蝶(蛾)は、体外に出た浮遊する霊魂であるという考えだけからでは出てこない言葉だと思える。身体にある人間の霊魂は人間の似姿をしている。体外に出た浮遊する霊魂は蝶(蛾)である。この二つの認識がそれぞれ別個にあるのではなく、この二つをつなげて、体外に出た浮遊する霊魂である蝶(蛾)は人間の似姿をしている、という同一視がなければならないと思える。この場合、蝶(蛾)の実際の姿が人間に似ているかどうかは関わりない。蝶(蛾)に人間の霊魂の本質を見る視線があれば、ゆらうらとした羽の羽ばたきのなかにも、落ちて横たわる姿のなかにも、人間の似姿を感じ取ることができる。

 琉球弧では、この見立てのなかで霊魂に形態を与えるところまで思考を進めている。それが、子供のマブイ(霊魂)抜けを防ぐために産衣に縫いつけられる「ハビラ(蝶)袋」(与路島、加計呂麻島)、「マブヤ布」(沖永良部島)、「マブイ袋」(与論島)などの三角形である。人間の霊魂は蝶(蛾)を介して三角形の形態を持ったのだ。

 島尾敏雄は、問いかけに応えて、霊魂と蝶と三角形のつながりを易しく説明している。

石牟礼 あの、あやはびら、という言葉は「生き魂」ですか。
島尾 はい、「生き魂(マブリ)」でもあります。言葉そのものの意味は模様の蝶ということですが。つまり、アヤは模様、ハベラというのは蝶ですね。しかし蝶はマブリでもあります。マブリには「生き魂(マブリ)」と「死に魂(マブリ)」がありますけれども、蝶はそれらの象徴のように言っているようですね。そして、それはまた三角の形で表わします。ですから昔から三角模様というのが色んなものについています。それはハベラですね。ハベラというのは、つまり、マブリなのです。守り神の意味もこめられています。(「綾蝶生き魂 南島その濃密なる時間と空間」『ヤポネシア考―島尾敏雄対談集』

 「蝶」は「象徴」という水準ではなく、同一視されたのだが、三角形がハビラ(蝶)由来のものであることが捉えられている。

 

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2014/09/04

夢の中の霊魂

 身体から霊魂が離れるマブイ抜けは、夢うつつの状態で覚醒時に起こるものだが、南太平洋に目を向けると、「夢」もこの現象の大きな根拠になったことが分かる。

事例1.ハーヴェイ諸島のマンガイア(ポリネシア)。霊魂は生時にも一時的に身体を離れることがあり、夢は一時的な霊魂の離脱によって説明され、重要事は夢によって決せられる。くしゃみは一時的に離脱した霊魂が帰来したしるしであるとされる。(P.395)

 夢のなかで人は現実世界とは遊離した世界を遊行するし、人の会ったりもする。その経験が、夢を霊魂離脱の現象と見なしたのだ。霊魂が睡眠中身体を飛び出して歩き回る(マレー半島のメンリ族)という観念も夢を根拠に置いたものに違いない。これは他人が見ても分かる合い図があって、霊魂が身体を抜け出している時はいびきをかく(オーストラリアのウルンジェリ族)であったり、目覚める時に帰ってきたり(ニューギニア東部の小島群のタミ族)するとされている。マンガイアにおいて、覚醒時のくしゃみが霊魂の帰来だとするのは、琉球弧では逆の考えになる。たとえば、与論島ではくしゃみをすると近くにいる者はすかさず「クスコレバナ(糞食らえ鼻)」と呪言を投げかけるが、これはマブイ(霊魂)抜けを避けるためなのだ。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』によると、インドのヒンドゥー教徒たちは、「だれかが人前で欠伸をすれば、つねに親指をパチリとならす。こうすれば、魂が開いた口から出てゆくのを防げる」という似た仕草が見られる。それにしても、鼾といいくくしゃみといい欠伸といい、ありふれた日常の振る舞いのなかに霊魂の所作を見る視線のなんと細やかなことか。

 しかし、夢の意味はそれだけにとどまらない。

事例2.ナランガ族(オーストラリア)。睡眠中、人間の霊魂は身体を離れ、他人の霊魂や死者と交通しうると考えている。(P.47)

事例3.クルナイ族(オーストラリア)。人間の霊魂をyamboと呼び、睡眠中、身体をはなれうるとする。霊魂は天に昇って父母を見ることもできる。霊魂が睡眠中、外出しうる根拠は、睡眠中遠方に行き、遠方の人々を見、また死者を見、これと語ることができることにある。(P.47)

事例4.ボトジョバルク族(オーストラリア)。人間の霊魂は生存中も身体を離れうるとするが、死後は友人の睡眠中に訪れて、友人を守護することができるとする(P.47)

事例5.ダントルカストー諸島中部のドブ島人(ニューギニア)。死者の霊魂のとる形態として重要なのは、夢に見られる像である。睡眠中霊魂は外に出る。Bwebweso(死者の山)を訪問した睡眠者の霊魂は、そこでDokanikani banana を食べてはならぬ。これを食べたものは、もはやこの世に帰ることができない(P.283)

事例6.グルティチュ・マラ族(オーストラリア)。死せる父や祖父達の死霊は、時おり夢で男の後継者に現われ、病気に対する呪歌を教えたり、呪力を伝えたりする(P.47)

 霊魂は夢のなかで身体を離脱するというだけでなく、死者とも出会う。これが、死者の霊魂、死霊の存在の大きな根拠になったのに違いない。このことが深く信じられているところでは、オーストラリアのグルティチュ・マラ族のように、死霊は夢のなかで「呪歌を教えたり、呪力を伝えたり」することができる。トロブリアンド諸島でも、妊娠した女性に誰の霊魂の再生であるかを告げるのも夢の中の死霊だった。現在では、夢は精神分析の世界で無意識を探るものになっているが、野生の思考では、夢は覚醒の続き、もうひとつの現実だったのだ。だから、告げ知らせる力を持つことができる。ニューギニアのタミ族では、「人が死ぬと長い霊魂は、死体を離れて遠方の友人に死去を知らせる」とされるが、これも夢の中で行うことだと考えられるが、同じ観念は琉球弧にも見出すことができる。

 霊の遊離、必ずしも死又は仮死の状態とはならない場合も少なくなかった。その顕著な例は、夢に現れる人の姿をその人の霊魂と思い思い込むことである。その人が若し遠方にいる近親者でもあると、それを不の吉前兆として気に病むばかりか、度重なれば、イミガマラシャなどと称して、祈祷師(ユタ)を招いて祈祷させなねば気が休まらなかった。(柏常秋『沖永良部島民俗誌(1954年)』)

 ここまで来ると、夢を何らかの吉凶と結びつける感覚は、現在にも生きているのが分かってくる。これはもともと夢を現実の続きと見なした野生の思考に由来しているのだ。

 「影」は霊魂の存在に、「夢」は身体からの霊魂の離脱と死者の霊魂の存在に根拠を与えたのだ。死霊が夢に現れるのであれば、死霊は存在する。死霊が存在し夢に現れるのであれば、死霊の居場所があるのでなければならない。人間が他界の観念を生みだしたひとつの経路は、こうした思考の積み重ねがあったのに違いない。

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2014/09/03

「影」としての霊魂

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から南太平洋の例を見ると、霊魂について、「影」という言葉に頻繁に出会う。それはまず、「霊魂」という言葉が「影」の意味も持つことである。

事例1.ショートランド島。人間の霊魂はnununa(影の意を有す)と呼ばれる(P.168)

事例2.トレス海峡西部諸島。死者の霊魂はmariと呼ばれ、これは影ないし反映を意味する。(P.282)

事例3.ソロモン諸島のエディストン島人。死者またはその一部、死体、頭蓋、遺骨などをtomateと呼び、霊魂をgalagalaと呼ぶ。ガラガラは影を意味し、反映を意味し、また写真を意味する。(P.168)

事例4.ニュージーランドのマオリ族。人間の霊魂を指す語が二つある。一つはwairuaであり、他はhauである。Wairuaはよりしばしば用いられる語で、また影、非実質的な像、鏡などに映る顔のごとき映像を意味するから、これが元来の言葉の意味であろう。Hauは人間の『生命の本質ないし生命原理』で、元来は風を見したようである。(P.401)

事例5.ブーゲンビル海峡のモノ(Mono)島人。各人一つの霊魂(nunu)を持つとしている。Nunuは(1)人間存在の継続的原理ないし本質、(2)影、(3)水に映る映像の3意を持っている。Nunuは常接尾語を附してnu-nugu(私霊魂)のごとく使われる。(P.164)

 霊魂を表す言葉は同時に「影」の意味も持っている。これは、霊魂を指す比喩として「影」という言葉を使ったのだと考えられる。これは霊魂がイメージ化される最初の段階に当るものだと思われる。

 次に、霊魂の言葉の意味のなかに「影」が含まれるのではなくて、霊魂と影が同一視される場合が出てくる。

事例6.ソロモン諸島東北にあるオントンジャワ島。総ての生ける人はgeingaとkipuaの二つの霊魂を持つとする。Geingaは影に現れ、生存中はおぼろげな守護の役目をするが、生者から離れる実体ではない。Geingaは人が死ぬと直ちに存在しなくなるが、もう一つのkipuaは、不滅で死後に残る人格の唯一の部分である。(P.381)

事例7.ニューギニア東部の小島群のタミ族。人間は誰しも長い霊魂と短い霊魂を所有していると考えられている。長い霊魂は影と同一視され、所有者との関係は緩く、睡眠中、身体から離れ、覚める時に帰って来る。それが本来ある所は胃である。(P.289)

 どちらも人間には複数の霊魂があるとされ、その一つは影であるとしている。フレイザーの『初版 金枝篇〈上〉』を見ると、影が人間の霊魂と同一視された段階では、霊魂は影に影響されるものになる。

 アンボンとウリエーズという二つの島では、「赤道近くであるため、正午になるとほとんど影ができない。このため、正午に家から出ではならないという掟がある。外に出ようものなら、ひとは自分の魂である影を失ってしまう」。ここでは影が無くなることは霊魂を失うことと同義に見なされている。ウェタール島では、「呪術師は、影を槍で突いたり剣で切り刻むなどして、人を病気にすることができる」し、ババル諸島では「悪霊は人間の影を強く掴んだり、殴ったり傷つけたりすることで、人間の魂を支配する」と考えられた。また、メラネシアにあるいくつかの石は、「人間の影がそこに落ちると、石の悪霊がその人の魂を抜き取る」とされた。いずれも霊魂と影が同一視されることによって、影が擬人化されて対象化されている。

 さらに霊魂のイメージ化が進んだ場合、それは「水に映った映像」になる。それは既に霊魂の意味の広がりのなかに、「影」とともに登場しているものだった。

事例8.ダントルカストー諸島中部のドブ島人。霊魂は水たまりに映る映像であるとし、また土人は明確に定義することを拒むけれども、ある意味で、影に関係を持っている。ときによると、土人は影がBwecwesoへ行くということがある。Bwebwesoはノルマンビー島にある死者の霊魂の山である。時によると影と霊魂とは異なるとしているが、影は霊魂のとるかもしれない形態である。(P.283)

事例8.サンクリストヴァル島。人間はadaroとaungaの2種の霊魂観を持っているという。アダロは火や太陽からの影であり、いわば一種の幽霊で、人間の悪意ある厄介な部分であり、アウンガは、平和なよい部分で、水や鏡に映る映像にあたる。(P.171)

 この段階でも、「影」は霊魂としての意味を無くすのではなく、意味が希薄化したり、ネガティブな意味を担わされたりする場合があるのが分かる。『初版 金枝篇〈上〉』によると、アンダマン諸島では、「自分の影ではなく、鏡のようなものに映った姿を、自分の魂と考える」と、既に「影」ではなくなっている。また、ニューギニアのモトゥモトゥ族では、「鏡にはじめて自分の姿を見て、それが自分の魂であると考えた」とあるが、これは既に「水に映った姿」を霊魂と見なした延長で捉えることができる。水に映った姿を霊魂と考える場合でも、影と同様、霊魂に影響を与える者だ。ズールー族では「暗い水溜りを覗きこもうとしないのは、その中にいる獣が鏡像を奪い、そのために死んでしまうと考えるからである」。また、メラネシアのサドル島では「その中を覗き込んだ者は死んでしまうという水溜りがあり、悪意に満ちた霊が、水に映った影を使ってその人の命を捕らえてしまう」と考えられた。これは、「影」の場合と同様の思考法だ。

 ここまで来て、琉球弧においても「影」を霊魂と見なす思考の痕跡と言いうるものに思い当たる。洗骨である。洗骨は深夜あるいは早朝に行われる。万が一、陽が射すといけないので傘を持っていくのが慣わしだ。

 珊瑚礁石をもうすこしずらせた時、墓を覆った松の大木から葉漏れ陽がひとすじ暗い穴に射し込んできらりと光をはねかえしました。すると女の人がお骨にティダガナシ(太陽の尊称)の光は禁忌だと言いながら男物の蝙蝠傘を墓の上にさしかけたのです。(島尾ミホ『海辺の生と死』)

 ここでも太陽が禁忌だという以外、その理由は語られない。けれど、「影」に霊魂の意味が宿っているなら、洗骨の太陽に照らされて影を生じてしまうのは矛盾である。深夜や早朝に洗骨を行うのはその矛盾を避けたからではないだろうか。洗骨によってマブイ(霊魂)が晴れて他界へ旅立てるというように考えても、洗骨によるセジ(霊威)づけて再生を祈願すると考えても、そこに影が生じるのは矛盾してしまう。だから、暗がりにおいて行うのは洗骨という舞台装置において欠かせないものだったのだ。

 影、水に映った姿あるいは鏡像の次には、肖像が霊魂が宿ると考えられるようになる。南アメリカのカネロ・インディオ族は、写真に撮られると魂を抜かれると考えられたが、これはもうぼくたちにもお馴染みの風聞なってくる。東アフリカのワテイタ族では、数人を写真に収めようとすると、自分たちの魂を取ろうとする呪術師であると考え、もしそうしたら自分たちは写真を取る人のいいなりになってしまうと考えた。マンダン族は、自分の肖像が他人によって描かれれば、まもなく死ぬことになると考えた。これらの思考も、影や水に映った映像の場合と変わらない。

 吉本隆明は『ハイ・イメージ論〈1〉』のなかで、この段階へ来て、霊魂の衣裳としての人間身体という概念が成り立ったと書いている。

肖像に霊魂がこもるという観念まできて、人間の霊魂は、はじめて完全に衣裳をまとうことになった。このことは逆に、人間ははじめてこの段階で、衣裳に物神性をあたえるようになったともいえる。衣裳は表皮とおなじ防寒や防傷の用具以上の、人間化された意味をもつようになった。衣裳としての人間はここではじめて自己自身のファッション・モデルになったのだといえよう。そこまできて霊魂が「影」をもち、肖像をもつことになり、霊魂の衣裳という概念がはじめて成り立つまでになったことを知る。

 裸身そのものが霊魂のとっての衣裳だと考えられた時、琉球弧ではトーテム動物であるヤドカリを入墨したのだと言ってもいい。あれは、霊魂にとっての衣裳なのだ。




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2014/09/02

再生論 メモ

 人は死んだらどうなるのだろう。琉球弧において、それはどのように思考されてきたのだろう。酒井卯作の『琉球列島における死霊祭祀の構造』は、このテーマにおいても接近が試みられている。

 酒井は、「骨噛み」の習俗として取り上げている。葬儀に際して死者の骨を食べるというものだ。けれど、その奥に控えているのは、食人である。

昔は死人があると、親類縁者が集って、其肉を食べた。後世になって、この風習を改めて、人肉の代りに豚肉を食ふやうになったが、今日でも近い親類のことを真肉親類(マツシシオヱカ)といひ、遠い親類のことを脂肪親類(ブトブトーオヱカ)といふのは、かういふところから来た云々。(伊波普猷「南島古代の葬制」)
死体食肉の風は同族親近を表徴し今尚宮古、国頭、糸満地方にありては原始食人の慣行口碑に遺れり。「婆を焼いて嗅もかぐことできぬ程縁遠き者よ」といへるあり。又糸満にありては葬式後豚を屠りて血族に其の骨を頒り、縁者は必ず戸外に出で、之を齧る慣行二三十年前迄事実として行はれり(仲地紀晃氏実験談)。国頭地方には今尚豚を屠り葬送の意を「婆(又はヂヂ)を食って来たか」と称せるあり」(田村浩「琉球共産村落の研究」)
「西表与那国二島の土民人肉を食ひし事」。「屠躯を見れば群集して之を嗜食し餘肉を遺さず」、「凡そ四百年以前迄は全く之を脱却するに至らず」、という背景から、慶田城が人道に反するを説いて改めさせた(田山花袋篇「琉球名勝地誌」)

 いずれも伝承化されたものだが、「琉球名勝地誌」のように時代を設定しているものもある。「凡そ四百年以前」というのは、16世紀に当っている。琉球弧において国家が成立し、中央集権体制が整う頃までということだ。

 実際の食人の伝承以外にも、豊富なのは「葬式に行く」ことを示す比喩のなかだ。

 シシカミに行く(徳之島天城)、プニシズ(骨をしゃぶる、宮古島)、ピトカンナ(人を噛みに行く、八重山)、ピトゥクンナ(人を食いに行く、八重山)。

親類に死人の出たことを老人に告げると「アンスカ・ムム・ファリンサカメ(それでは、股、食べられるね)と言われたものである(石垣島、池間栄三『与那国島の歴史』)

 「肉を食べる夢をみると親族の誰かが死ぬ(新城島)」というように、この習俗がお告げとなる夢として伝えられているところもある。

 これを見ると、かなり率直にあけすけに言われていて、禁忌感とは程遠い印象を受ける。また、新城島の「肉を食べる夢をみると親族の誰かが死ぬ」という俗信は、実際の習俗を背景にしたことを伺わせるものだ。

 この習俗が豚や牛へ変わった経緯を語る言い伝えも残っている。

 事例1.昔死者を食べたといわれ、文明が進んで自分の親兄弟を食べるのは大変だといって四つ足に変わった(池間島)。

 事例2.人が死んだら縁者が集まって死人を焼いたり、あるいは生で食う風習があったが、後世になってこれを牛馬の肉に変えたという(八重山)。

 事例3.昔下方(島尻郡を指す)では死人があると、山羊と一所に煮て食ったさうだ。然るに中世或る孝行者が生れ、親の死体を食べるのは如何にも情に於て忍びなかったので、牛を屠って、皆に此を提供し、「親の代りに此を食べて下さい」と云った。それ以来屍を食ふ代りに葬式に牛豚等を屠って、此を会葬者に御馳走する風俗が始まったとのことである(佐喜真興英「南島説話」)

 また、民話化した場合も残っている。

 事例1.昔与那国島では老人を殺して食べる習俗があった。若者は、「次は誰を殺して食べようか」などと話し合った。親思いの若者がいて、島にもちあがった難題を親に解かせ、以来、村人は老人の大切さを知り、それ以後は豚肉をもって代用するようになった(崎原恒新「南島研究」8号)

 事例2.昔、ミニタヤマというヨウニ(阿呆)がいた。父親はそこで、村一番の賢い嫁をもらうことにした。ある日、ヤマの親戚の家で牛が死んだ。牛をどうしたものかと言われ、妻に教わった通りに、「肉は売って金に替え、骨は親戚に配るといい」と答えると、親戚は「それはいい考えだ」と感心し、ヤマを褒めて帰った。その後、こんどは親戚の婆さん(パーパー)が亡くなった。親戚がヤマにどうしたらよいかと尋ねると、妻が留守だったので先日褒められたことを思い出して、「肉は売って金に替え、骨は親戚に配るといい」と答えてしまい、親戚からひどい目にあった(与論島)。

 与論島のミニタヤマの例は、すでに昔話になっているが、この民話が醸し出す怖さは、食人の記憶を背景に置くと、リアルに感じられてくる。西表島、与那国島の伝承のように他者からの説得と、島尻の「親の死体を食べるのは如何にも情に於て忍びなかった」という子からの懇願とはどちらも説話のプロットというより、実際の経緯であったろうと思わせるものだ。

 食人とは、どういう習俗だろうか。

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、南太平洋における骨噛みの習俗を挙げてみると、オーストラリアを中心に十余りの例に出会う。

 事例1.アタフ(ヂュークオブヨーク)島(ニュー・ブリテン島東北沖)。ラグーンの深所に水葬するのが一般的。敵意を有する者の死体を引きあげて食うこともある。一方では死者の家に埋葬することもある。

 事例2.ニューギニア中央部の諸族(山岳住民)。殺した敵の肉を食う。自部族の場合は、小さい筏に乗せてセピク河に流す(p.334)。

 事例3.マラ族(北部オーストラリア)。住居から離れた叢林のなかで焼かれる。母の兄妹の子が行う。死んだ人によって食べる人も決まっている。ムンガライ族も同様。

 事例4.グナンジ族(北部オーストラリア)。倒した敵を食べる。また、自部族の死者をも食べるという(p.104)。

 事例5.ビンビンガ族(北部オーストラリア)。死体は死の直後、異半族の者が、全関節を切断。地面に穴を掘って、火を焚き、石を熱し、切断した死体を置き、緑の小枝で覆い、その上に、土を積んで焼く。異半族の者が食べる。

 事例6.北部オーストラリアヨーク岬半島東岸の諸族。死体の各部は親族に分配される。心臓、肝臓は、最近親が食べる。食肉を与えるのは、同一氏族、同一半族に属するもの。死者の特別な徳や能力(たとえば、ヤム芋の採集)を獲得するため(p.111)。

 事例7.マリボロー周辺の諸族(東部オーストラリア)。食人の際は、骨は直ちに集める。埋葬、火葬、台上葬(p.92)。

 事例8.アンタキリンジャ族(南部オ-ストラリア、オールデア地方)。死産児は、近き将来の再生を確保するために母が食べる(p.117)。

 事例9.ディエリ族(南部オーストラリア)。父方の男の娘の子または母方の祖父が墓中に入り、顔、大腿、腕、胃についている脂肉を切り取り、親族に食べさせる。食べる者は親族関係が決まっている。この食肉はもはやそれ以上、悲しまないためであるという(p.95)。

 事例10.タンガラ族(オーストラリア、場所不明)。死者の遺骸を袋に入れて持ち歩き、死者に対して悲しみを覚えると肉を食い、ついに骨のみにする。骨は粉にして大水の時に投ずる(p.95)。

 これをみると、ニューギニアにおいては敵を食べる行為としてあり、近親の死者を食するのはオーストラリアで見られる。いずれも狩猟採集の生活民でかつ、埋葬は行っていない。ディエリ族、タナガラ族では悲しみを和らげるためであり、ヨーク半島岬の例に見られるように、死者の徳や能力を引き継ぐためであるとされる。

 ここには、肉体と霊魂の明瞭な分離が行われていないと思える。明瞭な二元論を持てば、霊魂を本質とし、肉体に「徳や能力」が宿るとは考えないからである。

 葬法とともに、他界観念が挙がっている事例を挙げてみる。

 事例1.ムンガライ族(オーストラリア)。太古の祖先たちが、わが身を打つと、トーテムに属する精霊児が出て、人間となった。死者の霊魂は、父祖の地に行き、やがて再生するが、再生ごとに性を変える(p.57)。

 事例2.ビンビンガ族(北部オーストラリア)。死霊は骨や火の上を彷徨う。儀礼を終えると、死者の霊魂は神話時代の祖先の地に帰り、しばらく歩きまわって再生する。

 事例3.アンタキリンジャ族(南オ-ストラリア、オールデア地方)。死後、死体から毛髪を切り取り、これで髪の毛の輪をつくると、死者の霊魂はそこに入り、トーテムサイトに行き、虹の蛇に飲まれる(p.60)。

 事例4.ディエリ族(南部オーストラリア)。死者の霊魂は睡眠者の夢のなかで訪れる。このような夢をみると、呪医に告げ、呪医が真実の幻覚であると判断すると、墓に食べ物を持っていって、火を点けるように命じる。死霊は天に昇る。一方、地上をさまようとも考えられている(p.52)。

 いずれも他界観念を発生させており、したがって霊魂は肉体から分離するという観念も持っている。ということは、他界観念を発生させていても、明瞭な霊肉二元論ではなかったことを意味するだろう。そして、ビンビンガ族とムンガライ族では、再生信仰を認めることができる。ここでいう再生信仰とは、死者が再生するという意味だが、食人の直接的な動機は、「悲しみを和らげるため」であったり、「死者の徳や能力を引き継ぐため」であるという、死者よりも生者の観点が強く、生者の中に死者を蘇らせる行為だと考えられる。

 オーストラリアのアボリジニでは、食人は行われていないが、埋葬後、死者のを骨を取りだす例がある(『アボリジニの世界』)。

 埋葬団一行は、大声で泣き叫びながら、死者の骨を掘り起こす。墓から取り出された骨は、きれいに拭かれ、埋葬者たちの身体に擦り付けられる。こうすることで、遺骸に宿る最後の「エッセンス」が埋葬者一人一人の身体に染み込まれてゆくのだ。死者の連れ合いは、頭蓋骨を使って同じようなことをする(P.475)。

 これなども食人ではないが、同じ意図が込められていると見なせるものだ。折口信夫が言うように、「食人習俗の肉を腹に納めるのは、之を自己の中に生かそうとする所から、深い過去の宗教心理がうかがはれる」ものだ(「民族史観からみた他界観念」)。


 酒井は、血の習俗への接近も行っている。親の骨に子どもの血を滴らせて親子の判定をする滴血の信仰だ。

 事例1.(洗骨において-引用者注)最も近親のもの湯を以て其骨を洗ひ、悉く之を瓶(内地の水瓶に類して蓋に小孔数多あるもの)に入れ、若し其骨数不足の時は女子或は父母の指頭を刺血し、近傍の骨に点附し之を探求するなり(是れ親子兄弟お血液は其骨に浸染するとの言伝へによる)。(林若吉「宮古島の洗骨」1895年)

 事例2.右手の人差指を切って血が骨につくと自分たちのご先祖だと分かる。(崎原恒新の記録。沖縄島与那原、1977年)

 滴血は、人間の血を離れ、動物になると、場面に広がりが出てくる。

 改葬

 改葬の時、鶏をとって焼いてからその墓に振り散らした。墓石を建てる際もそうした(喜界島羽里)。
 改葬の際、鶏を一羽屠り、その血を門におき、肝臓を焼く。改葬が終わると庭に筵を敷いて、その肝臓を小さく切って共食する(喜界島中間)。
 改葬や墓石を新たに建てる時は鶏を殺して墓の入口にその血を撒いて、料理して食べた。これを「成就祝い」という(喜界島川峯)。

 重病人

 重病人がいると、動物を殺して身代わりにした(与路島)。
 厄払いの時に身代わりに動物を殺した(請島)。
 重病人がいると、動物を殺して、その血と肉を東方に向けて供える。肉は重病人に与える(喜界島志戸桶)。

 儀礼

 ハラタミ儀礼において、子牛を殺して、骨肉の七切をそこに吊るし、残りは内臓に至るまで各戸に分配し、老人たちは集まって酒盛りしながら共食する。牛の血は木の枝に塗って各家の門の両脇にさした(喜界島手久津久)。

 イッサンボ(首の長い藁人形で、神の使者だと信じられている)は、稲を雀や猪害から守るために田に立てられ、注連縄をはり、動物の血や内臓を塗りつける(徳之島犬田布)。

 葬列に使われる天蓋にまず鶏の血をぬる(座間味島)。
 石敢当を建てる時に鶏を殺して生血を門口に撒いた(喜界島先内)。
 骨を墓に移すとき、鶏を殺して墓の後方に埋める(石垣島)。
 家の新築のとき、ユタが祈願する前に、建主は鶏を主要な柱に打ちつけて血を流し、この鶏はあとで共食する。「新家(みいや)拝(ふが)み」という(沖永良部島)。

 人間の生命の証である血を死者の骨に塗るという行為に、酒井は霊魂の蘇生あるいはセジ(霊)づけを見るのだが、滴血においては、死者の再生という側面を認めることができる。

 『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、同じように南太平洋の例を抽出してみる。

 事例1.タミ族(ニューギニア)。死者の肉が腐り去ると、死者の骨を掘り出し、岱赭(たいしゃ)で赤く塗り、これを束にして、二、三年家の中に保存してから埋葬する。最後に埋葬すると、墓には厳重に木の垣を結び、植える。しかし、年が経って記憶が薄れると、墓には構わなくなる(p.325)。

 事例2.ヤビム族(ニューギニア)。死者が愛児や重要人物の場合は、埋めずに包んで、腐るまで家の中に置き、しかる後に頭蓋、腕骨、脚骨に油を塗り、赤く染めて若干期間保存することがある。まま木乃伊にすることもある(p.326)。

 事例3.マリンド・アニム族(ニューギニア)。死者を家の中の、日常、座ったところ、寝所、炉辺を選び埋葬する。1年後、墓を掘り出し、岱赭(たいしゃ)で赤く塗る。頭蓋を洗って赤く塗る。そして再び墓に納めるが、このとき胸の上にサゴを載せる(p.340)。

 事例4.カカドウ族(オーストラリア北部)。墓が完成しかかると、近親者は死体の側で自分の頭を切り、血を顔や身体にしたたらせる。墓に注ぐ(p.107)。

 事例5.ビンビンガ族(オーストラリア北部)。食人のあと、腕骨の一つに岱赭(たいしゃ)を塗り、これを革紐で縛り、さらに石灰をぬる。死者の母の兄弟の息子が持って、最終儀礼の触れに持ち歩く。

 ここでは、人間の血を骨に塗る事例はみつからず、顔料の岱赭(たいしゃ)が登場している。色の赤は共通しているのを見ると、これはむしろ琉球弧の方が古層を指していて、もともとは人間の血を使ったものであるかもしれない。オーストラリアのカカドウ族では、近親者の血を墓に注いでいるが、これは動物の血を注ぐ琉球弧の事例に対して古層を指すだろう。

 ビンビンガ族は、食人のあとに骨を赤く染めている。これらの事例が意味するものを掴むために彼らの他界観念を参照してみよう。

 事例1.タミ族(ニューギニア東部のタミ島はじめ小島群)。人は長い霊魂と短い霊魂を持つ。長い霊魂は影と同一視。睡眠中、身体を離れ、覚める時、帰ってくる。胃にある。人が死ぬと長い霊魂は、死体を離れて遠方の友人に死去を知らせる。その後、ニューブリテン島西岸を経て、北岸の村に行く。短い霊魂は死後のみ離れて、しばらく死体の付近を彷徨ってから地下界、ランボアムに行く。ランボアムは現世と酷似するが、現世より美しくより完全。ランボアムに行った霊魂は、蛇形でときに現世に帰来する。この時、シューシューという音を立てるだけだが、この音を解釈する者(主に女)がいて何を話しているか判断する。また、死霊に尋ねる能力のある者(主に女)がいて、これは世襲。ランボアムで死んだ霊魂は、蟻や蛆になる(p.289)。

 事例2.ヤビム族(ニューギニア東部)。死霊は、あの世では影のごとく、この世の延長の生活をする。他界はシナ諸島のひとつにある。一方、死者の霊魂は動物に転生するとの観念もある。ひとつは水鏡に映る映像、一つは陸に映る影で、シアン島に行くのは前者、後者は転生する(p.290)。

 事例3.マリンド・アニム族(ニューギニア南部)。霊魂は死後まで存在する。霊魂は死ぬと口から抜け出る。そのため口に竹を差し込んでおく習俗がある。他にも、大きな蠅の形をして、臍から出ると考える。しばらくは墓に留まる。霊魂は、夜は幽霊として、昼は鳥(鶴)および鴉(カラス)の姿を取る(p.301)。

 事例4.カカドウ族(オーストラリア北部)。国は元来、人々と精霊児に満ちていて、絶えず再生を続けている。霊魂、ヤムル(yamuru)は、しばらくするとヤムルとその影のようなイワイユ(iwaiyu)に分かれる。ヤムルが再生したくなると、遺骨を離れ、叢林で食べ物を探しに来た人を見つけると、ヤムルはイワイユを蛙の形にして食べ物に付ける。人がこの食べ物を取ると、イワイユは逃げる。何も知らない人が家に帰り寝静まると、ヤムルとイワイユは男と女の寝所に入る。イワイユは男を女を嗅ぎ、女に入る。ヤムルは再び自分の宿所に帰るが、女が子供を持つと、夜、夫にその子の名とトーテムを告げる。ヤムルは子供が生まれ、生長し、老いるまで保護の役をなし、いよいよ老いると、その人間のイワイユに新しき子供とトーテムの準備について語る。そこでヤムルは任務を終え、イワイユが新しいヤムルになる。子供は祖先のなかの特定の人の代表者と見られる(P.58)。

 事例5.ビンビンガ族(オーストラリア北部)。死霊は骨や火の上を彷徨う。儀礼を終えると、死者の霊魂は神話時代の祖先の地に帰り、しばらく歩きまわって再生する。

 驚くことに、いずれの事例も動物への転生、人間への再生信仰が見られる。人間の血、あるいはそれに代替した顔料、あるいは動物の血を塗るという行為に琉球弧の再生信仰を見る酒井の見立ては、的を外していないと思われる。


 酒井は、食人、血、の他に「水」という視点からの接近も行っている。

 蛇のように脱皮してすでる、つまり生まれ変わる力を持たない人間が、それによってすでる力を得ようとしたのが、孵で水(しぢ水)、若水だった。水は、琉球弧のなかでことのほか大きな意味を持っている。

 琉球弧の島人には帰属すべき水があった。家が所属する井泉(かわ)があった。井戸ができた後は、それに代わる。その帰属性が露わになるのは、家の移転、婚姻、出産においてである。

 たとえば、宮古島では、家の移転の際、元の家の井戸に祈願をし、その一部を取り、移転した家の最初の茶湯として飲むことによって移転完了の呪術とした。以前は、内地へ移転する時も、元の家の水を持参し、内地の家の最初茶湯に使い、飲んだ。帰属する水を断たなかったのだ。

 沖縄島知念では、婚姻の際、家を出る時、松明を灯し、臼を倒して親との別れの水盃を交わす。ついで婚家に着くと、その家の水を新夫婦が飲むことによって入り家の式が完了した。琉球弧は長く母系社会であってみれば、夫が妻方の井泉を拝むことになるのが普遍的だったはずだ。

 沖縄島喜如嘉では、出産の際、部落発祥の時から先祖が使っていたタマタ川から産水を汲んだ。宮古島平良でも、家系によって代々使われている生まれ井戸があって、産水はそこから汲む。それをシラ湯よと呼ぶ。八重山でもシラ水と呼ぶところが多い。シラは出産を意味している。

 宮古島砂川では産後数日めに子どもの親井戸から水を汲み、湯を沸かせて産児を浴びせる。浜比嘉島では産井(うぶかあ)から汲んできた産水(うぶみず)を湯にして浴びるか、その水を額につける。これが井泉(かわ)下りだ。

 琉球弧において、出産、婚姻、家の移転というライフステージにおいて、水、しかもその島人の帰属する水とのつながりが不可欠なものとして重視されているのが分かる。しかし、こうした例を挙げて、酒井が考察するのは、ライフステージの終局である死においての水の果たす役割についてである。

 沖縄では、死者の遺体を洗う湯灌をアミチャージと呼ぶが、これを産井から汲む例が、普遍的ではないが、多い。たとえば、那覇市小禄がそうだ。井戸水になってからは、産井の水に祈願を加えて井戸に加えた。名護市屋我部では、正月の若水も産水も古い井戸のものを使い、死んだ時も必ずここの水を使う。

 井泉や各戸にひとつできる前の井戸は数が少なかったのだから、必然的に同じ水を使わざるをえない。しかし、ここには、川の場合は上流を産水、下流を死水として汲む場所を分ける。井泉の場合は、死者の場合、二人で汲みに行ったり、桶ではなく木の葉で汲んだりして方法を変える、などの所作によって違いが意識されている事例がある。

 しかし、違いが意識されるのであれば、死者の場合は、「すでる力」を得ようとするのとは違う意味を持ちうるのではないか。酒井は自問のなかで生まれる問いに対して、いくつかの例を挙げている。

 事例1.産井から産水を取り、湯灌もそこから水を取る。これをウイミジと呼ぶ。ウイミジとは産水のことだと考えられる。洗骨の時もこの産井から水を汲む(伊是名島)。

 事例2.湯灌のことを「すで水浴びし」と呼ぶ(池間島)。

 事例3.湯灌用の水はなるべく遠くの井泉から汲んでくる。水汲人とそれを受け取る人との問答。
 受取人 「その水は何水か」
 水汲人 「これは死水です」
 受取人 「その水は何水か」
 水汲人 「これは死水です」
 受取人 「その水は何水か」
 水汲人 「クンミジィヤ スィディルミィジィ(この水は生き返る水だ)」
 この答えを聞いて初めて水を受け取る(奄美大島竜郷、赤尾木の渡重彦翁)。

 事例4.死水を浴びせるものは、「果報の人」を選ぶ(西表島祖納)。

 事例5.湯灌(アミチュウジ)をするのは、二人の姉妹(うなり)である(宮城島)。

 事例6.喪屋のことをシラヤと呼ぶ(沖縄島与那)。

 事例7.井戸を亀甲墓に似せて作っている。古老たちは、墓に似せて作るように教わったという(沖縄島大里、村井)。

 産水を意味する「ウイミジ、ミジウブ」を湯灌にも用い、洗骨にも用いることもある。湯灌を「すで水浴びし」と、生き返る水を浴びせると呼び、その役を「果報の人」や「をなり神」に託す。喪屋のことを、出産を意味するシラの言葉でシラヤと呼ぶ所がある。こうした例で酒井が追究しているのは、死に際しても、帰属する水を用いるが、そこには、すでる、再生する信仰があるからではないかということだ。

 井戸を墓に似せる例に触れて酒井は書いている。

 井戸をことさらに墓に擬して作る理由は、もう説明するまでもないと思う。かつて琉球王朝が先祖の水を拝んだように、人びとは先祖に回帰しようという意味で井戸を墓の形に擬して作る。その先祖の水が生児の産水となり、やがて死水ともなるわけである。ここには水を媒介として、死から祖霊へ、祖霊からまた生へと還元されていく信仰の一端を垣間みることができる。

 この再生への祈願は、死水の水汲人が、水を受け取ってもらうために、二回の問答の後に言う、「クンミジィヤ スィディルミィジィ(この水は生き返る水だ)」という言葉が鮮やかに示している。酒井も、「なんという素晴らしい会話であろうか」として、「ここではもう、死と生の時間的な距離はほとんど存在しないのである」と書くのだが、ぼくもまた、この点に目が惹きつけられる。添寝で見られたのも、霊魂の即時的な転位の所作だったからだが、そこでは死者の霊魂が生者へと転位する所作を見た。しかし、ここでは、その死者もまた、即時的に生へと還元されるのである。

 ぼくたちは、骨噛み(食人)における再生は、死者自身の再生というより、生者のなかに死者の能力が取り込まれる形態を見、滴血においては、南太平洋の部族に、血ではなく岱赭(たいしゃ)で赤く塗る部族のなかに再生信仰があるのを見てきたが、食、血、水まできて、死者の再生への確かな手応えを掴むに至るように思える。

 ぼくたちが酒井の挙げる例と考察を追ってきたのは、再生ということを明確な信仰の形で耳にすることがなかったからだが、ここまで来ると、再生信仰の明瞭な様式を持っていることに気づかされる。童名である。

 生後、名付け祝いとともに授かる童名は、身近であり、特に近親者のなかでは、戸籍上の名より使われることが多かったものだ。いま、現在でも童名をつけている島として与論島の例を挙げてみる。東恩納寛惇の「琉球人名考」を参照して、当てられた漢字に関わらず、元の意味を考えられるものはそれを付記する。

 男女共通
 ウシ(牛)、マチ(松)、カミ(亀)、ハナ(カナ、愛)、ハマドゥ(カマドゥ、竈)、ナビ(鍋)、チュー(千代)

 男のみ
 マニュ、マサ、トゥク、ジャー、ハニ、トゥラ(虎)、ヤマ(山)、サブル(三郎)、グラ、ダキ、タラ(太郎)、 ウシャ、ムトゥ、ハンドゥ、ビチャ

 女のみ マグ、ムチャ、ウトゥ、タマ(玉)、ウンダ、クル(黒)、アートゥ、アキ、チル(鶴)

 これを見ると、牛、亀、松など、トーテム的な動植物として選ばれたもの、三郎や太郎など大和言葉の男性呼称を拝借したもの、黒という色など、用法の広がりが見られるが、童名とはつまり霊魂(マブイ)の名を意味するものと考えられる。

 それは、奄美大島では山中で迷子になっても、けっしてその人の童名を呼ばない。もし童名で呼べば、ケンムンに知られてとりかえしがつかなくなると言われていた。また、沖縄では危篤の病人の魂呼ばいをする時は、老人であっても必ず童名で呼んだ。酒井が挙げるこうした例からも、そのことは了解できる。

 こうしてぼくたちは再生信仰は、どの段階で琉球弧に存在してきたのかという問いに導かれる。考えられるのは、家を捨てるという段階では、少なくとも動物への転生ではなく、人間への再生という観念は発生しないのではないかということだ。『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』によると、死者の死後、数年のあいだは、死者の名前を、氏族員や親族は口にすることができない。死者の名前の由来となるトーテムの動植物や土地の名称も変えなくてはならない。死者の名前と似た響きを持つ言葉すら、別の呼び名に変えられてしまう。妻にいたっては、沈黙の誓いを立て、数ヶ月から数年、沈黙を守り、その間は身振り言語で会話するのだ。そして名前だけではない。死者の生誕の場所も死の場所も、数年間は回避の対象になり、彼らには家屋の概念はないが、野営地に近寄ることができないのだ。この理由には、死者への不敬に当るということと、死者の霊が現世に留まりかねないという説明が当てられている。

 この場合、死が妻の対幻想に欠損が生じるというだけではなく、名前において氏族員全体の世界に対する関係性の組み換えが行われている。これは、対幻想と共同幻想は、わかちがたく結びついているので、死が妻の対幻想の欠損というに留まらず、氏族の共同幻想の再編成に及ぶのを見ることができる。

 再生という観念が発生するには、対幻想が共同幻想に対して独自の位相を持ち、そこに永続性が託されていなければならないと思える。琉球弧のように、掘り下げることによってではなく、強固な観念体系として再生信仰を持つ島人としてトロブリアンド諸島の例を挙げることができる。

 トロブリアンド諸島では、死者の霊魂は、実在のツマ島で新しい生を生きるが、戻りたくなると、流木、木の葉、樹皮、かれた海藻、海の泡沫など、海に浮かぶ媒介物によって島に戻り、「精霊児」として女性に宿っていた。生まれてくる子は、母系の氏族員の誰かの霊魂だと考えられているが、はっきりは分からない。時に、妊娠した女性に祖先が現れ、誰の霊魂であるかを告げることはある。
 
 このトロブリアンドの母系社会では、兄弟姉妹の関係を軸に、家族と共同幻想を同一視して、「われわれは一体である」という信憑を成立させていた。この対幻想の永続観念が、再生という観念を生んだ基盤なのではないだろうか。しかし、このとき、ぼくたちはたとえばニライ・カナイに移った霊魂が再び戻ってきて再生するという信仰を聞いたことはない。手元にあるのは、祖父母の童を授かるという習俗である。これは、記憶の範囲にある確実な名前が二世代前という現実的な要因もあるのかもしれない。しかし、膝抱き人(チンシダチャー)に、霊魂の即時的な転位という仕草を見る視線から言えば、ここでも再生は即時的に行われることが観念されていた痕跡を見ることができるのではないだろうか。


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2014/09/01

他界の方位メモ

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から。

 他界の方位は種族移動に伴った原郷観念ではない、として挙げる例。

 マリンド・アニム族では霊魂の国、Hais Mirau は一般にこの世よりは美しい、よりよいところとせられているが、この国は普通フライ河の彼方になるとせられている。しかし、更に古い観念では Digul(地名)にありとせられていた。このことはマリンド・アニム族が地上に他界を認めた民族であったことを示している。しかるに現今では外人との交通の結果、他界をアンボン、マカッサル、スラバヤに認めるように至っている。このような変化はマリンド・アニム族中の特に海岸住民によってなされているのである。
 このような他界の方位決定は民族移動とは無関係のことである。移動ではなくして、外人との交通の結果、彼らの知るに至った文化の中心へに対する憧憬が他界の在所を決定したと思われるのである(p.788)。

 それ以外にも、多くの種族に認められる西方方位観念。

 地下界信仰を持つ民族には月は最重視せられたが、太陽信仰はなかった。しかし、地下界信仰を持っていた民族に太陽に関心を寄せる民族が交錯したとき、太陽が西に沈んで東に昇る間、太陽は地下界を照すという観念を生じ、従って、昼夜がこの世と逆であるという思想を生じ、また地下界の入口は夕日の沈むところとなり、やがて他界そのものが西方に移行せしめられたのではあるまいか。
 けれども落日に関係があるにせよ、なにゆえ地下界が西方に移行せしめられるのであるかは更に一考を要する、地下界という現世と垂直関係にある世界が、西方という現世と水平的関係の世界に移行するためには相当の理由がなければならぬであろう。筆者はこの理由は心理学的には太陽に関心を有するとて水無文化が父権的な男性文化であって、ややともすれば彼らにとって陰鬱な連想を伴いやすい地下界に耐えられなかった点に求めうるのではないかと推測する。また事実上でもトテミズムぶんかはその基本形態においては高々他界としてはトテムセンターまたは父祖の地に一時期に霊魂が行き、やがて再生を遂げるものと考え、後期においても地上の他界観念を持つに過ぎない。現世と垂直関係にあるる地下界を水平にまで引き上げたのは太陽に関心を持つこの文化の性格によるのではあるまいか(p.800)。

 他界の方位に関するメモ。

・種族移動に伴う原郷の方位
・憧憬の地
・太陽の沈む西

 ただ、「地下界という現世と垂直関係にある世界が、西方という現世と水平的関係の世界に移行するためには相当の理由がなければならぬ」ということについては、天空の垂直と地下の垂直とでは意味が違うと思える。

 水平と地下は、人間の目線の高さが及ぶ範囲という意味では同じになる。水平か、水平と目の高さから見下ろす垂直の掛け算で済むからである。これに対して、天空の垂直は、宇宙の遠点を見上げことになる。地下から水平への視線転換は異質な転換とは言えないのではないだろうか。

 

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