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2014/08/13

対幻想を共同幻想に同致させる

 ところで、ぼくたちは死者を家の外に出して以降に、家に埋葬したという民話にも出会う。これは柳田國男が追究した「炭焼小五郎が事」の説話の系譜に属するものだが、ひろく琉球弧でも見られる。

 零落した男が長者の家に物乞いに来ると、そこの主婦に収まっている別れた元妻をみて驚き、死んでしまう。それを見て、元妻である女は急いで竈の下に穴を掘って埋めようとする。そこに夫が帰って理由を聞く。女房は竈のおかげで金持ちになったから、なお栄えるために竈を作っていると言って手伝わせて、神として祀り、ますます繁昌した。それを知った人々は方々で竈を神として祀るようになった(与那国島)。

 この民話は、死に際して家を捨てる習俗のうち、家に死者を埋葬した段階と似ているが、その位相を全く異にしている。死者は家族ではないし、家も捨てはしない。むしろ家の繁栄と結びつけられている。この民話は、対幻想とその場である家が共同幻想に対して、独自の位相を持ちその侵蝕を防ぐことができる段階のものだ。そして訪れる者は盲目という共同幻想の弱者である場合もあるが、この民話のように前夫の場合が、ことの性質をもっとも先鋭的に物語ると思える。その家の妻にとって最も矛盾した存在は、前夫である。その前夫が女の対幻想の場である家を訪ねるのは矛盾した行為の象徴であり、その夫が死に家が栄えるのは、対幻想の矛盾を解消することが対幻想をますます強固にするという構造を持っていることを示している。これは、農耕社会が定着し、かつ雇い人などを持ち、富の増殖が行われるようになった段階に対応しているはずである。この民話の流布のもとになったのは富者か強者の家だと考えられる。

 仲松弥秀は、昔は死人を自分の家の背後に葬ったという話を父祖から聞いたと紹介した上で、沖縄島豊見城では自分の屋敷に拝み墓がある家が四軒、隣り村の高嶺では二軒であるが、いずれも旧家であるとしている。知念には宗家と祝女筋の家も家に接した森の中に墓があり、玉城の旧家の屋敷内の岩下にも拝み墓があると言う。

 先の民話では、前夫が葬られるのは、竈、つまり家屋内における他界の入口である火の神の場所に置くことで、共同幻想化させている。また、死ぬ場所と葬る場所が家屋内ではなく、その家の高倉である場合もあるが、そこではもっと民話の本質ははっきりしてくる。つまり、対幻想に矛盾した存在の死によって、対幻想を富の象徴である高倉という共同幻想に同致させているのである。

 実際の習俗のなかでの屋敷内の拝み墓は、前夫の来訪と死という事態をさしはさまずに、対幻想である家族の死を共同幻想と同致させる行為だと見ることができる。ぼくたちは前に、祝女が御嶽に祀られている髑髏を裸体になり拭うという行為のなかに、共同幻想を自分の対幻想の対象とすることによって、共同幻想を対幻想に同致させる儀礼を見たが、ここでは、ベクトルは逆になっており、対幻想を共同幻想に同致させる信仰が見られるのである。

 現在では、吉本が言うように「死ねば死にきり」であり、どんな他界観念も持つことができない。あるいは心の底から信じることはできない。しかし、無他界ということが虚無的な響きを持たないためにはどうすればいいだろうか。それを克服するひとつの方向は、かつてあった無他界の世界を知ることであると思える。ぼくたちは、「未開のクブ族では、人間は死んでしまえばそれまでで、死後の世界の観念については何も持ち合わせていない」という報告には不服を覚える。無他界を単に他界の欠如としてしか捉えていないからだ。しかし、未開の無他界の段階には、生と死を連続として捉える豊かな野生の思考が宿っていたはずである。その豊かさを知ることが、ぼくたちが無他界の生を豊かに生きることにつながると思える。未開の無他界の信仰をそのまま受け継ぐというわけではなし、それはできない相談であることは言うまでもない。けれども、それを汲み上げることが、未来の無他界を生きる視線を持つための必須であることも確かだと思える。そしてそれをぼくたちは、琉球弧が辿ってきた通路から汲みあげるのが本来的であることも同じように確かなことなのだ。


 

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