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2014/08/19

生死の連続

 アボリジニの死後観。

 アボリジニによれば、人は死ぬと精神と物質とが完全に分離したままの「ユティ」と呼ばれる知覚可能世界を抜け出て、かすかにきらめく「夢見の領野」へと参入する。その領野では、身体は、振動する形態へと変容し、物事の本質ともいうべき「構造化された共鳴」に調和してゆく。個人の無意識(B)は、振動している原子の世界のように、「気づき」のレヴェルにある。これは、動物が普通に見せるような「気づき」である。研究によれば、動物の知覚は、肉眼で確認できる形態に対してよりは、分子レヴェルの振動に向けられているという。だからこそ動物は、肉眼では捉えられない不可解な力に敏感なのである。動物はおおむね、夢見の世界に暮らしているのだ(p.483)。

 これは生死が連続しているとは、どいうことかを言い換えているのではないだろうか。可視から不可視の世界へ、知覚可能な世界から夢見の世界への移行。

 「死への移りゆきは、睡眠や恍惚へのそれに似ている」。「死とは、生命の終焉や現世から来世への移りゆきなどではない。それは、意識の中心から、肉眼では捉えるkとのできない主観的な層への移りゆきなのだ(p.484)」。

 ここで強調されているのは、トーテム霊のことだと思える。

 アボリジニがイニシエーションの究極目標にしているのは、死後、魂が三つの領野を自在に往来できるような条件を生みだすことである。アボリジニの発想では、魂は死後、統合されうる。生涯、精神、身体、魂は一体のままにされるからである。つまり、各人、各場所にはすべてが宿っているのだ。これこそまさに、現世にほかならない。共感の力は生涯、徹底して養われてゆく。その結果、しかるべき場所に鎮座しているアボリジニの魂は、森羅万象の魂や存在に浸透してゆう。死後の世界では、この力が個人の意識を牛耳ることになる。そしてその力はさらに、自然界に存在する多種多様な生命や「世界の根源」ともいうべき「無限の存在である先祖」が謳歌した自由の中で共有される(p.484『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』)。


 人間は死後、万物に宿る存在に返ってゆく。ただし、無に帰するというのではなく、遍在できる力を持ちうる。

 先祖というのは、最初、変幻自在な元型の力を指している。その背景が忘れられると、トーテムとしての始祖になる。それが忘れられると、人間としての祖先になる。という推移だろうか。

 2.先祖霊

 「ドリームタイム時代の想像力溢れた偉大なる先祖と共鳴する」。「不変の「超自然的元型である「ドリームタイム時代の先祖」が支配する領野とは、天空にある「死者の国」にほかならない(p.462)。先祖霊は、夜空の特定の位置に輝く星座へと赴く。


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