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2014/08/15

夢見

 『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』から。

 こうした存在はすべて、同時に生みだされたが、それらは互いに入れ代わることができた。植物が動物に変身することもできたし、動物が地形に変わることも、地形が人間の男女に変身することもできた。先祖は、人間であると同時に動物でもありえたのである。ドリームタイムの物語で冒険が企てられる際に起きた。森羅万象は、「偉大な先祖の夢見と行動」という共通の源から生みだされた。ドリームタイムにおいては、あらゆる段階、局面、周期は同時に存在していた。世界が形作られ、多種多様に変身した先祖が世界に満ちると、当の先祖は疲れ果てて、大地や空や雲や生物に姿を変えて引きこもってしまった。自分が生み出した森羅万象に秘められた潜勢力さながらに、あまねく広がろうとしてである(p.34)。
 アボリジニによれば、野営地で眠っていた先祖がまず、ある対象を夢見た。実際、先祖は、旅を頭に思い描く。旅する国を、歌を、その他諸々の事柄を思い描くと、それらはすべて現実のものとなる。対象とは、頭に思い描いたヴィジョンが、外界に投影されたものと考えられるのだ。そしたヴィジョンはすべて、先祖の心の内奥から外界へと立ち現れてくるのである(p.64)。

 アボリジニには、時間という言葉はない。空間を距離とは考えない。アボリジニにとっての空間は意識。

全宇宙とアボリジニの体験はすべて、知覚で捉えられる真実とドリームタイムに二分される(p.358)。
 夢やヴィジョンに現れた出来事や実在も、夢見ないしはトランス状態にある人が実際にそれを目撃したと確信できれば、ユティと見なされるだろう(p.358)。
ユティとは、知覚可能な現象世界。

 これらは、第零次の人間と自然の関係性そのものだ。

 人間は、全自然を人間の「像(イメージ)的身体」とし、
 全人間は、自然の「像(イメージ)的自然」となる。

 夢見は、イメージ的身体としての自然を感じ取る行為のように見える。

 イメージ的身体としてのドリームタイムがあり、人間はそのイメージ的自然に当たる。先祖が思い描いたから、森羅万象ができた。この場合の、先祖は時間的に遡及する人間の系列ではなく、エネルギー場のような抽象度の高いものだ。

 ここまでの理解でいえば、ドリームタイムとは祖先の時代のことであると同時に、その具現化された世界として現在も生きているものである。アボリジニは、知覚可能な世界と同時に、ドリームタイムから流れくだっているものを同時に見ようとする。それは、トランス状態や瞑想を通じて見ることが可能である。

 夢見、っていい言葉だ。

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