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2014/08/27

琉球弧の骨噛み

 琉球弧では、骨噛みの習俗が伝えられている。

昔は死人があると、親類縁者が集って、其肉を食べた。後世になって、この風習を改めて、人肉の代りに豚肉を食ふやうになったが、今日でも近い親類のことを真肉親類(マツシシオヱカ)といひ、遠い親類のことを脂肪親類(ブトブトーオヱカ)といふのは、かういふところから来た云々。(伊波普猷「南島古代の葬制」)
死体食肉の風は同族親近を表徴し今尚宮古、国頭、糸満地方にありては原始食人の慣行口碑に遺れり。「婆を焼いて嗅もかぐことできぬ程縁遠き者よ」といへるあり。又糸満にありては葬式後豚を屠りて血族に其の骨を頒り、縁者は必ず戸外に出で、之を齧る慣行二三十年前迄事実として行はれり(仲地紀晃氏実験談)。国頭地方には今尚豚を屠り葬送の意を「婆(又はヂヂ)を食って来たか」と称せるあり」(田村浩「琉球共産村落の研究」)
「西表与那国二島の土民人肉を食ひし事」。慶田城が人道に反するを説いて改めさせた(田山花袋篇「琉球名勝地誌」)

 「葬式に行く」ことを示す比喩のなかにも見いだすことができる。

 シシカミに行く(徳之島天城)、プニシズ(骨をしゃぶる、宮古島)、ピトカンナ(人を噛みに行く、八重山)、ピトゥクンナ(人を食いに行く、八重山)。

親類に死人の出たことを老人に告げると「アンスカ・ムム・ファリンサカメ(それでは、股、食べられるね)と言われたものである(石垣島、池間栄三『与那国島の歴史』)

 「肉を食べる夢をみると親族の誰かが死ぬ(新城島)」というように、この習俗がお告げとなる夢として伝えられているところもある。

 骨噛みが、豚や牛へ変わった経緯を語る言い伝えもある。

 事例1.昔死者を食べたといわれ、文明が進んで自分の親兄弟を食べるのは大変だといって四つ足に変わった(池間島)。

 事例2.人が死んだら縁者が集まって死人を焼いたり、あるいは生で食う風習があったが、後世になってこれを牛馬の肉に変えたという(八重山)。

 事例3.昔下方(島尻郡を指す)では死人があると、山羊と一所に煮て食ったさうだ。然るに中世或る孝行者が生れ、親の死体を食べるのは如何にも情に於て忍びなかったので、牛を屠って、皆に此を提供し、「親の代りに此を食べて下さい」と云った。それ以来屍を食ふ代りに葬式に牛豚等を屠って、此を会葬者に御馳走する風俗が始まったとのことである(佐喜真興英「南島説話」)

 また、民話化した場合も残っている。

 事例1.昔与那国島では老人を殺して食べる習俗があった。若者は、「次は誰を殺して食べようか」などと話し合った。親思いの若者がいて、島にもちあがった難題を親に解かせ、以来、村人は老人の大切さを知り、それ以後は豚肉をもって代用するようになった(崎原恒新「南島研究」8号)

 事例2.昔、ミニタヤマというヨウニ(阿呆)がいた。父親はそこで、村一番の賢い嫁をもらうことにした。ある日、ヤマの親戚の家で牛が死んだ。牛をどうしたものかと言われ、妻に教わった通りに、「肉は売って金に替え、骨は親戚に配るといい」と答えると、親戚は「それはいい考えだ」と感心し、ヤマを褒めて帰った。その後、こんどは親戚の婆さん(パーパー)が亡くなった。親戚がヤマにどうしたらよいかと尋ねると、妻が留守だったので先日褒められたことを思い出して、「肉は売って金に替え、骨は親戚に配るといい」と答えてしまい、親戚からひどい目にあった(与論島)。

 折口信夫は、この習俗の根拠として、「食人習俗の肉を腹に納めるのは、之を自己の中に生かそうとする所から、深い過去の宗教心理がうかがはれる」と書いている(「民族史観からみた他界観念」)。

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