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2014/07/11

添寝から共寝へ

 ぼくたちは琉球弧の「添い寝」における霊魂の転位の習俗と皇族、貴族の鎮魂術と比較した時、天皇霊には霊魂の転位の他に霊威の継承という意味が加わっているのを見た。次に、「添い寝」が霊魂の転位だけではなく、霊威の継承に重点が置かれて進展した場合の例を琉球弧を見出すことができる。

今同島宮古口と称する神嶽中に二個の髑髏あり、毎年旧一、四、七、十月の四回吉日を選び、二人の神職これを祀る。その祭祀に臨むや三日間精進潔斎をなし、純潔なる白装束(白衣白鉢巻にて腰巻に至るまで新調)にて参詣をなす。島民途中之に逢会するを忌みて(殊に妊婦)道を避く。而して二人は嶽中に入り祈祷を行ひたる後、白衣を抜きて裸体となり、酒饌(ミキ)を以て其髑髏を洗浄し白布巾にて拭去る。是彼らの祖先より伝はりし神秘的祭祀なり。(「沖縄県国頭郡誌」)(p.318)

 これは古宇利島における祭儀だ。ここには、「むかしむかし古宇利島に男女二人の童子ありき。二人共裸体にして愧づる色なく天真爛漫にて毎日天なる神様より下し賜ふ餅を戴きて暮し居たり(p.317)」という導入部の始祖神話があるが、御嶽内の「二個の髑髏」は、始祖である男女二神のものと擬定されていると考えられる。この祭儀に臨むのは二人の女性神職だ。

 二人の女性神職が、三日間の精進潔斎の経て御嶽に入り、祈祷を行った後、白衣を脱ぎ裸体になって、二個の髑髏を神酒で洗うという行為に、ぼくたちはグロテスクさとエロティックさを感じるが、グロテスクさは偏見であるとしても、エロティックさの方はそのものの意味が込められていると思える。二人の女性神職は、始祖に倣って裸体になったのではなく、性的な意味で裸体になっていると考えられる。裸体になり神酒で髑髏を洗い拭うのがここにおける性的な行為であり、幻想の性行為の核心にあるのは、始祖神からの霊威の継承である。二人の女性神職が行為の対象にしているのは、物質的には髑髏だが、本質的には始祖神話に根拠を持つ古宇利島の共同幻想である。古宇利島の共同幻想から霊威を継承するというのが、この祭儀の持つ意味なのだ。

 添い寝が、霊魂の力が旺盛な者と衰退した者との間で演じられたものが、霊魂の転位より霊威の継承に比重を置いた時、霊威の源泉とその継承者との間で演じられる天皇霊の側面が前面に出てきているのが分かる。

 ぼくたちはさらに、霊魂の転位と霊威の継承において、霊威の継承のみが意味を持った祭儀に出会うことができる。それは、祝女(ノロ・ツカサ・カミンチュ)の誕生の儀式だ。これについては既にたくさんの報告がなされているが、ここでは酒井卯作の考察を挙げてみる。

そこで(「祝女の独身制をめぐる諸問題」-引用者)私が注目したのは、神女(つかさ)となるべき女が、いざ成巫するというとき、その女性は自家の一室を区切って一つの褥を用意して、二つの枕をつくり、そこで自分と神と添い寝をする式のあることであった。(p.141『琉球列島における死霊祭祀の構造』) 

 ここでは霊威の継承が露わになるとともに、古宇利島の御嶽における祭儀より性的な意味もより露わになっている。神女の候補者は、神との幻想的な性行為を経て神女になる。幻想的な性行為によって得るものが神女としての霊威の継承に他ならない。そして、霊魂の力の旺盛な者と衰弱した者との間で演じられた添い寝は、霊魂の転位ではなく、霊威の継承が前面に出てきた時は、もはや添寝というより共寝と言うべきものだ。

 酒井は、「自家の一室を区切って」行われる祝女の継承儀式にも前段のあったことを考察している。

 つまり、本来は祝女継承の式はお嶽で行われていたものが、イザイ家、庭、座敷という順序に変化したものであろう。祝女継承の儀礼が、本来はお嶽であったと考えられる理由は、お嶽が祖霊を祀る祭場でり、祝女自身が神であるためには、その祖霊が憑依する必要があるからで、祝女とお嶽とは、この儀礼を起点として緊密に結合する。
 くわしく例をあげてみよう。八重山の西表島での東部古見では、新しく祝女となるといき、まず香炉を新しく作って、自分のお嶽に手をもち変えないでもっていき、イビに供える。その夜帰宅をして、一番座で独り、一夜を寝ないで過ごす。このことを川平でと同様にヤマダキという。ヤマはお嶽のことで、お嶽を抱くこと、つまりお嶽の祖霊との神婚の意味をあらわしている。川平のカンスデも、スデルは脱皮することだから、さきの聞得大君がスデ水を使うことと同じく、人間が脱皮して神になることを意味している。
 そう考えると、一夜をまんじりともしないで朝まで起きていることの意味は、これを内地風に、たんなる忌み籠りと解釈するのはあまりにも消極的にすぎよう。波照間島のヤマダキの日は、祝女ひとりお嶽で夜を明かすが、そこに神がいて、神と二人で寝るのだという伝えがあるのは興味深い。竹富の「神ともの願い」とこれをいうのも、本来の意味はそこにある(p.70「祝女の独身制をめぐる諸問題」)。

 宮古島において死者との添い寝を「抱きとまうず」と呼び、祝女の継承の儀式を「やま抱き」と呼ぶのは、kれらfが連続した思考の産物であることを示唆するように思える。この継承の儀式の場が、御嶽、イザイ家、庭、座敷という変遷を辿ったという酒井の考察には説得力を感じる。この儀礼の場の変遷の背後には、祝女の原初から権威を増し、体制内に組み込まれていった地位の推移が対応していると思われる。


 

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