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2014/07/09

霊魂観(沖永良部島)

 柏常秋の『沖永良部島民俗誌(1954年)』から「霊魂観」を引いてみる。

 霊魂はマブイといい、時にタマシ(魂)とも称える。常民の有する霊魂観は矛盾・交錯を極めて、不鮮明たるを免れない。彼等は霊肉二元論を持ち、肉体は霊魂の宿ることによって、初めて生命体としての機能を発揮し得るものと信じ、その宿る時期を、産児が生まれて母体を離れる瞬間と考え、呱々の声をその証拠と解した。又霊は、機会によっては肉体を脱出することがあり、死及び仮死の状態は、そのために起る現象と解した。そしてその脱出を予防する呪法として、幼児服には必ず背守を取附け、成人の場合でも背縫の綻びた衣服の着用を禁忌した。それは、霊は背守当る部分、即ち頸筋より脱出するものとの信仰があったからである。また一旦遊離した霊の呼び戻しも可能であるとして、不慮死の場合には魂喚いの呪法を行った。今日、女子が死者を取囲み、その名を呼びつつ泣号するのも、元は魂l喚いと同じ意図のものであったかも知れない。子供の霊は、特に脱け易いものとして、その頭髪を刈る時には、必ず前頭部と盆の窪とを少しずつ刈り残した。それは霊が脱けて気絶した時、引っ張って蘇生させるためといわれていた。
 霊の遊離、必ずしも死又は仮死の状態とはならない場合も少なくなかった。その顕著な例は、夢に現れる人の姿をその人の霊魂と思い思い込むことである。その人が若し遠方にいる近親者でもあると、それを不の吉前兆として気に病むばかりか、度重なれば、イミガマラシャなどと称して、祈祷師(ユタ)を招いて祈祷させなねば気が休まらなかった。その他生きている人の霊を目の当たりに見ることも少なくなかった。
 人の死するのを死霊の所為と信じ、それをムン・マジムンと称して極度に恐れ、新亡の出た隣家の婦女子は、夜間の外出をなし得ないほどであった。この恐怖心は葬儀の上にも著しく反映して、或いは死体を折屈めて屈葬の姿勢を取らせ、或は棺の蓋を密閉して墨で錠前を描き、更にその上を太縄で縛って死体の脱出を不可能ならしめた。葬送途上の家々までが、それを恐れて、門に竿類を横たえてその闖入を防いだ。これに反して、近親者の死体・死霊に対しては敬慕・親愛の情がすこぶる篤く、殊に女子に濃厚であったので、死体との添寝を始め、湯灌・洗骨等に至るまで、一に女子によって行われた。
 霊魂には個性があった。だから他と混同する恐れは全くなかった。それは、その個性を構成している容姿・声色・挙動等が死者生前のそれと、全く同一であったからである。つまりこの個性は、在世に受けた記憶の再現したもの、即ち記憶像に外ならないのである。(柏常秋『沖永良部島民俗誌(1954年)』

 霊魂の実在、夢に現れるのは霊魂だということ、霊魂には個性があり他人と混同することがない点は、トロブリアンドの例と全く一緒だ。霊魂の離脱する場所が頸筋だというのは、沖永良部島の方がイメージ化が進んでいる。また、死が死霊に依るものだという認識は、トロブリアンドの場合は呪術(妖術)であり、精霊的な存在とはみなされていない。マジムンに対する恐怖心は、ムルクアウシに対するものと似ている。

 「今日、女子が死者を取囲み、その名を呼びつつ泣号するのも、元は魂l喚いと同じ意図のものであったかも知れない」というのは、その通りだと思う。魂喚いの形式として添い寝はあったのだ。

 「常民の有する霊魂観は矛盾・交錯を極めて、不鮮明たるを免れない」のは、常民の認識の不足のためではなく、感じ関わる存在であることを示している。これは、当時の島人を理解しようとするとき、こちらの構えとして大事だと思う。つまり、整合的で全体観のある認識を持っていたという前提を取り外す必要がある。どう生きられていたかが、大切なのだ。

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