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2014/07/10

死の前後

 死者との添い寝について、柳田國男も死霊に対しては、恐ろしさばかりがあったわけではないとして、「亡骸に添い寝をする風習なども、形ばかりはまだ稀に残っている」(「先祖の話」)と書いている。親しみもあったとうことだ。

 しかし、死者との添い寝にはもっと根底的な意味があるように思える。それを見極めるためには添い寝のシーンを死の前後に引き延ばしてみなければならない。

 病人が重篤に陥ると、パラジが集まってウイトゥギをする。死人の通夜は夜伽(ユトゥギ)という。ウイトギとユトゥギは別である。トゥギは伽で、一晩寝ないで病人を見守り、いろいろ世話をするのである。病状がいよいよ悪化して息を引きとりそうになると、その人に抱きついて、大声で名前を呼ぶ。これをユビコイという。時には一寸起したり坐らせたりして、その名を大声で呼ぶ。もし気がついて生き返ると、ユビジティイキティ(呼びもどして生かして)という。それでも正気を取り戻せぬときは、死者と一番縁の近い人が大末期の水(ウアガミノミジ)を飲ませ、もとのように寝かせる。死んでから水、主湯、酒などをすこしづつ与える(p.53、長澤和人俊「与論島民俗誌」)。

 死の前のウイトゥギと死の後のユトゥギに言葉の違いがあるのは、パラジ(親戚)が集うのは同じだとしても、そこで場面が変わることを意味している。ウイトゥギの際に、「ヤブを呼ぶ場合もあった(黒越志津子「南西諸島調査ノート抜き書き」)」と、巫覡(ユタ)を招いて死を防ごうとしたことも報告されている。

 石垣島の白保では、「頭を抱え、腕をかけて抱きおこして、みんなで大声で名を呼ぶ。ウデカケという(p.121『白保―八重山白保村落調査報告(1977年)』)」と、瀕死の身内の名を呼ぶときの抱き起こしに「ウデカケ」という名称が与えられている。

 霊魂が身体を離れたと見なされた時は、大声で名を呼ぶことに別の所作を含んでいた。

 (波照間島で-引用者)私が聞いたところでは、ここではタマアビルといって、死者にいちばん近い関係にある二人の婦人によって魂呼ばいが行われる。一人は空臼を搗き、他の一人は屋根の桁に両手をかけて死者の名を三回呼ぶ。これで呼び戻されて蘇生したという話もある(p.142、『琉球列島における死霊祭祀の構造』酒井卯作)
不慮死の場合には、死者を蘇生させるために魂喚いの呪法が、最近まで行われていた。いうまでもなく肉体を離れて後生へ赴く死者の霊を途中より呼戻すためである。そのほほ方法は、二・三人の男が屋上に上り、墓所の方角に向かって死者の名を呼びつつつムドントー(戻って来う)と繰り返し叫ぶのであった。病死の場合の魂喚いは全く形式化して、落命と同時に表戸を細目に開けて、二・三回呼ぶに過ぎなかった。魂喚いには、呼び声をそのままムドントーと称した(柏常秋『沖永良部島民俗誌(1954年)』p.135)。

 沖永良部の例は、波照間島の例に比べて様式は崩れかかっているが、名を呼ぶ時、本人に向かって行う場合と、屋外に向かって呼ぶ場合とは、霊魂が本人の中にあるか浮遊し出したかの死の段階の違いに対応したものだ。

 死の直前に、抱きついたり、腕をかけて座らせるというのは、死の前段の添い寝の様式なのだ。

 そして死が訪れたと見なされて、添い寝が行われる。

通夜にはトギ(伽)と称する。死忌のかかる近親者が集って永別を惜しむのである。この時女子はかならずミサマシ(目覚まし)と称して菓子などの食品を携えてくるのが常であった。夜半過ぎで通夜を終わった後も、女子は居残って、死者と枕を並べて添寝をなし、死者を一人残しておくことはなかった(p.138、柏常秋『沖永良部島民俗誌(1954年)』)。

 しかし、ここでも、添い寝は必ずしも静的なものだけではなかった。

以前宮古島では、死者を蚊帳の中に入れ、肉親もその蚊帳に入り、女たちは「魂よばい」や「しぬびごとをして泣き叫びながら、死者と共に夜をすごした。この蚊帳は裳(も)であり。喪屋とみなしてよかろう。その中には悪霊は入りこめなかった。宮古島の砂川、友利、新里などでおこなわれる夜伽では、「抱きとまうず」と呼ばれた。「死者を抱きながら泊まる」というという意味で、それは夫婦の場合はその配偶者、もしくは母が寝床を故人と並べあるは離れて添い寝をしながら夜を明かすことを指していた。それは死者への親愛と悪霊への警戒の双方の意を兼ねたものであった(p.65『日本人の魂のゆくえ: 古代日本と琉球の死生観』谷川健一)

 「抱きとまうず」、「死者を抱きながら泊まる」のは、実態としても「抱くように」という比喩としても両方ありえただろう。また、就寝の前段が様式化されているものがある。

チンシダチャー(膝抱き人)というのがいて、これはイナグンクヮ(娘)がやる。子供が五人で、しかも、三男二女の構成だと大変理想的で(中略)、すなわち、長男が頭上に、次男が左背に、三男は右背に、長女が左膝元、次女が右膝元にいて、それぞれの死者を見守っている。長女と次女がいわゆるチンシダチャーと称される役職に当るわけである(p.631『那覇椎市』)。
長男が死者の枕元に座り、その次は年長順に兄弟姉妹が座る。チンシダチャー(膝を抱く者)はウマグヮ(孫)がする。そういう身内がいない場合は縄で膝を曲げて結んでおく。これは棺桶に治める時に膝頭を立てて納めるためである(p.411『浦添市史』)。

 家族が死者を囲むのだが、ここではその配置に意味が置かれているように見え、特に、娘か孫には「チンシダチャー(膝抱き人)」という名称が与えられている。

 これは何を意味するのか。酒井卯作は『琉球列島における死霊祭祀の構造』のなかで、ここに死者から生者への霊魂の転生を見るのだが、妥当だと思える。「膝抱人は蚊帳の中で女子が死者の硬直を防ぐために膝をもむ役(読谷村の例、『琉球列島における死霊祭祀の構造』酒井卯作)」だという説明も与えられているが、おそらくこれは、この言葉の意味が不明になってしまった後に加えられた合理的な解釈というものだ。琉球弧で、霊魂(マブイ)は、首筋に近い頭部にあるとみなされたが、ウデカケにいう「腕」や「チンシダチャー(膝抱き人)」にいう「膝」は、首筋に次ぐ霊魂の座として重要な場所であったに違いないと思える。それが孫や娘が「膝」に位置する意味だ。

 死の直前に、抱きつき、座らせ、大声で名を呼び、魂呼びを行い、また死の直後に、死者を囲み、実質的な添い寝をする一連の行動に貫徹するものは何か。それは、死の直前には、瀕死者の霊魂を補充し、死の直後には若い世代への霊魂の転生を図ろうとするように、霊魂の転位だ。それが添寝の持つ本質的な意味だと思える。

 そして、添い寝の習俗は祭儀化された形態を持ったのだ。

以前は、長い間、生死が訣らなかつたのである。死なぬものならば生きかへり、死んだのならば、他の身体に、魂が宿ると考へて、もと天皇霊の著いてゐた聖躬と、新しく魂が著く為の身体と、一つ衾で覆うておいて、盛んに鎮魂術をする。今でも、風俗歌をするのは、聖上が、悠紀殿・主基殿に、お出ましになつてゐられる間、と拝察する。
中休みをなさつた聖躬が、復活なさらなければ、御一処にお入れ申した、新しく著く御身体に、魂が移ると信じた。死と生と、瞭らかでなかつたから、御身体を二つ御一処に置けたのである。生と死との考へが、両方から、次第にはつきりして来ると、信仰的には、復活するが、事実は死んだと認識するやうになる。そして、生きてゐた者が出て来ても、一度死んだ者が、復活したのと、同じ形に考へた。出雲の国造家の信仰でも、国造の死んだ時には猪の形をした石に結びつけて、水葬したが、死んだものとは、少しも考へなかつた。其間に、新国造が出来たが、宮廷に於ける古い形と等しく、同じ衾から出て来るので、もとの人即、死者と同じ人と考へられてゐた。(折口信夫[『古代研究〈2〉祝詞の発生』

 死にかけた身体とその地位を継承する身体とを、一枚の布地である衾(ふすま)で覆い鎮魂術を行う。死にかけた身体が復活しない場合は、地位を継承する身体に霊魂が転位したものと見なした。事実としては一方の死が確認されるが、信仰的には同じ人の復活と見なされた。

 この折口信夫の考察が見ているのは、添い寝における鎮魂術で霊魂の転位が行われるということに他ならない。そして、地位の継承においては、死んだ人と継いだ人を同じと見なしたのは、霊魂が人間の本体と見なされた時代の思考法に基づくものだった。

 折口は「古代人の思考の基礎」の冒頭で、皇族、貴族の生活が神道の基礎になり民間に及んだと書いている。

尊貴族には、おほきみと仮名を振りたい。実は、おほきみとすると、少し問題になるので、尊貴族の文字を用ゐた。こゝでは、日本で一番高い位置の方、及び、其御一族即、皇族全体を、おほきみと言うたのである。この話では、その尊貴族の生活が、神道の基礎になつてゐる、といふ事になると思ふ。私は、民間で神道と称してゐるものも、実は尊貴族の信仰の、一般に及んだものだと考へる。

 しかし、琉球弧の「添い寝」を経た後では、これは逆だと言わなければならない。つまり、添い寝の習俗を基礎にして天皇霊の継承という祭儀は生み出されたのだ、と。


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