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2014/07/06

祝(はふり)とソールイガナシ

 初期共同体の神事と現世の統治形態には、姉弟(女-男)の他に、兄弟(男-男)という系列もあった。

 神話はあらわには記述していないが、じっさいの遺跡や、神話のかくされた記述をたどると、この逆のばあいもありうる。はじめの自然都市の首都である山頂の神の降臨地に到達し、そこに座って神の降りてくるのをまつと、じぶんも生き神として再生できるのは男性である。そのための修練をうけるのも男性だ。そういう原理も、日本(やその周辺)で痕跡を残している。いずれにしてもはじめの自然都市は、単性的な禁忌を原理にして、その都市に住む者は形のない女巫または男巫の一方か神だけで、その都市に入るものは境界のところで検閲をうけ、それに適合したものだけが、自由に出入りできたのだ(p.216『ハイ・イメージ論〈1〉』吉本隆明)。

 ここで「神話のかくされた記述」は、神武の勢力を宇陀で迎える兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし)や、

 じぶんは仇敵を殺すことができなかったが、お前は仇敵を殺すことができた。だから兄だといっても、統治者というわけにはいかない、そこでお前は統治者として天下を治めてもらいたい。わたしはお前を助けて、忌人(神人=祝)となって神殿に仕え、祭りを司ることにしよう(p.219)。

 とした、次兄の神八井耳と末弟建沼河耳(綏靖天皇)が挙げられている。神武自身も兄弟(男-男)系で動いているが、母系の原理に添って婚姻を結んでいる。

 これらのような典型的なパターンは琉球弧にあるのか、分からないが、似ていると思わせるのはソールイガナシだ。

 ソーリィガナシは毎朝グルガーに瓢をもつてゆき沐浴してカベールの神に豊漁を祈願する。ソーリィガナシは庭に阿旦(パンダナス)の木を植えてウミジョー(竿)を立てておく。祝女や根神が農耕の司祭者であるのに対して、ソーリィガナシは海の神事の司祭者として、この地位にあるものは最早普通人ではないのである。この地位についたものは如何なる目上の人にも頭を下げて挨拶せず、合掌するだけである(p.53「久高島島の三月の祭」国分直一、1957年)

 ここには「忌人(神人=祝)」の性質がゆるやかに認められる。

 琉球弧では母系の原理が強かった。そこで、久高島のソールイガナシも父系の原理で登場しているのではなく、母系社会のなかの男子結社のなかから生み出されている。イザイホーにおいては、母系の原理が見られ、三月の浜下りでは男性の「忌人(神人=祝)」が顔を出す。二つの祭祀集団はもともと異種族、あるいは島へ到来した出自や時期が違っていることを示すと思える。


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