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2014/07/16

「国文学の発生」

 折口信夫の「国文学の発生」(『古代研究〈3〉国文学の発生』)を読んだ。尽きせぬ泉のようだった。平安朝、奈良朝の事柄を扱っていても、折口の眼差しは常にそれ以前の過去に向けられていて、その深度も深い。かつ、沖縄のことも取り上げられている、というより、沖縄の事象を欠くことのできない根拠としているのだ。「国文学の発生」の初出は1929(昭和4)年とある。戦前のはやい時期に、琉球弧に対してこれだけの理解が届けられていたことに驚かざるをえない。この時期に、現在でも、かつ琉球弧の島人にとっても示唆に富む考察があったのであれば、その後の差別の問題が噴出したのが不思議に思えるほどだ。それだけ孤独な論考だったということか。

 現在の地点から、個別の事柄に対して折口の誤認を指摘することは容易いだろう。けれど、その程度のことでは揺るぐことのない大きな貯水がここにはあると感じられた。いま、折口がいれば、現在までに蓄積された民俗の事例をもとに、何を語るだろうか。切に知りたいと思わせる人だ。

ひとと言ふ語も、人間の意味に固定する前は、神及び繼承者の義があつたらしい。其側から見れば、まれひとは來訪する神と言ふことになる。ひとに就て今一段推測し易い考へは、人にして神なるものを表すことがあつたとするのである。人の扮した神なるが故にひとと稱したとするのである。

 「まれびと」は神だけれど、人の扮した神だから「ひと」と称した。

てつとりばやく、私の考へるまれびとの原の姿を言へば、神であつた。第一義に於ては古代の村々に、海のあなたから時あつて來り臨んで、其村人どもの生活を幸福にして還る靈物を意味して居た。

 「まれびと」の元の姿は神であり、「霊物」である。

人の家を訪問する義を持つた語としては、おとなふ・おとづるがある。音を語根とした「音を立てる」を本義とする語が、戸の音にばかり聯想が偏倚して、訪問する義を持つ樣になつたのは、長い民間傳承を背景に持つて居たからである。祭りの夜に神の來て、ほとほとと叩くおとなひに、豐かな期待を下に抱きながら、恐怖と畏敬とに縮みあがつた邑落幾代の生活が、産んだ語であつた。だから、訪問する義の語自體が、神を外にして出來なかつたことが知れるのである。

 「豐かな期待を下に抱きながら、恐怖と畏敬とに縮みあがつた」というのは来訪神を待ちわびる心境そのものだと思う。「訪問する義の語自体が、神を外にして出来なかつた」。もともと、「訪問」自体が神だから出来ることだった。

簑笠は、後世農人の常用品と專ら考へられて居るが、古代人にとつては、一つの變相服裝でもある。笠を頂き簑を纏ふ事が、人格を離れて神格に入る手段であつたと見るべき痕跡がある。

 折口は神武の例を挙げるが、まさにマユンガナシではないか。

        妖怪
 おとづれ人
        祝言職 乞食

 来訪神は神であることが忘れられると、あるいは妖怪とみなされ、あるいは祝言を述べる職いあるものに付き、さらには乞食に堕していった。

此は勿論、其村の擇ばれた若者が假裝した神なのである。村人の中、女及び成年式を經ない子供には絶對に知らせない祕密で、同時に状を知つた男たちでも、まやの神來訪の瞬間は眞實の神と感じ、まやの神自身も神としての自覺の上に活いて居る樣である。

 赤ちゃんや幼児は、鬼の面を被ると泣く。それは鬼の面が怖いからではなく、仮面をつけた途端に、鬼に見えるから怖いのである。

おなじ八重山群島の中には、まやの神の代りににいる人ピツを持つて居る地方も、澤山ある。蛇の一種の赤また、其から類推した黒またと言ふのと一對の巨人の樣な怪物が、穗利フウリイ祭に出て來る。處によつては、黒またの代りに、青またと稱する巨人が、赤またの對に現れるのもある。此怪物の出る地方では、皆、海岸になびんづうと稱へる岩窟の、神聖視せられて居る地があつて、其處から出現するものと信じて居る。なびんづうは、巨人等の通路になつて居るのだ。

 既に折口は、「蛇の一種の赤また、其から類推した黒また」と、アカマタを蛇トーテムと気づいていたのだろう。

祖靈が夙く神と考へられ、神人の假裝によつて、其意思も表現せられる樣になつたのが、日本の神道の上の事實である。而も尚、神の屬性に含まれない部分を殘して居るのは、「みたまをがみ」の民間傳承である。古代日本人の靈魂に對する考へは、人の生死に拘らず生存して居るものであつて、而も同時に游離し易い状態にあるものとしてゐた。特に生きて居る人の物と言ふ事を示す爲に、いきみたまと修飾語を置く。靈祭りは、單に死者にあるばかりではなかつた。生者のいきみたまに對して行うたのであつた。さうして其時期も大體同時であつたらしい。

 祖霊が神と考えられ、神人の仮装によって、その意思を表現できるようになったのが日本神道である。とするなら、神道はぼくが考えているよりもずっと時間を遡行できる。というより、折口はそう考えていたということか。それなら、宗教以前とすら言えるのではないか。

 神の属性に含まれない部分を残しているのが霊。霊祭りは、死者に対するだけではなく、生者に対して行ったもの。

つまりは、して方は神、もどきは精靈であつた宗教儀式から出たからであるのだ。精靈が神に逆らひながら、遂に屈從する過程を實演して、其效果を以て一年間を祝福したのである。黒尉が狂言方の持ち役ときまつて居るのは、翁と三番叟との關係が、神と精靈との對立から出て來たものなることを示してゐるのである。

 神と精霊との対立。

沖繩の民間傳承から見ると、稀に農村を訪れ、其生活を祝福する者は、祖靈であつた。さうしてある過程に於ては妖怪であつた。更に次の徑路を見れば、海のあなたの樂土の神となつてゐる。我が國に於ても、古今に亙り、東西を見渡して考へて見ると、微かながら、祖靈であり、妖怪であり、さうして多く神となつて了うてゐる事が見られるのである。かうした村の成年者によつて、持ち傳へられ、成年者によつて假裝せられて持續せられた信仰の當體、其來り臨む事の極めて珍らしく、而も尊まれ、畏れられ、待たれした感情をまれびとなる語を以て表したものと思ふ。私の考へるまれびとの原始的なものは、此であつた。
祖先であつたことが忘れられては、妖怪・鬼物と怖れられた事もある。一方に神として高い位置に昇せられたものもある。我が國のまれびとの雜多な内容を單純化して、人間の上に飜譯すると、驚くべく歡ぶべき光來を忝うした貴人の上に移される。賓客をまれびとと言ひ、賓客のとり扱ひ方の、人としての待遇以上であるのも、久しい歴史ある所と頷かれるであらう。

 来訪神が他界の現出を示すとすれば、それは精霊の権化のような姿を現わすだろう。そこにトーテム原理が生きていれば、来訪神は始祖によることもある。またトーテム原理が失われていれば、祖霊の形を取ることもある。「神として高い位置に昇せられたもの」というのは、「まれびと」の語義に適うものではなく、これは精霊を服従された神、つまり島人にとっては島に新しい技術を持って到来した人々の神を指すのではないだろうか。

 「祖先であつたことが忘れられて」ということが重要だと思う。言い換えれば、現在の島人の表象をもって、来訪神とは何かを突き詰めることには限界がある。

繰り返へして言ふ。我が國の古代には、人間の賓客の來ることを知らず、唯、神としてのまれびとの來る事あるをのみ知つて居た。だから、甚稀に賓客が來ることがあると、まれびとを遇する方法を以てした。此が近世になつても、賓客の待遇が、神に對するとおなじであつた理由である。だが、かう言うては、眞實とは大分距離のある言ひ方になる。まれびとが賓客化して來た爲、賓客に對して神迎への方式を用ゐるのだと言ふ方が正しいであらう。

 旅人に対する歓待の態度には古代からの心性が宿っていると言うべきか。

思ふに、古代人の考へた常世は、古くは、海岸の村人の眼には望み見ることも出來ぬ程、海を隔てた遙かな國で、村の祖先以來の魂の、皆行き集つてゐる處として居たであらう。そこへは船路或は海岸の洞穴から通ふことになつてゐて、死者ばかりが其處へ行くものと考へたらしい。さうしてある時代、ある地方によつては、洞穴の底の風の元の國として、常闇の荒い國と考へもしたらう。風に關係のあるすさのをの命の居る夜見の國でもある。又、ある時代、ある地方には、洞穴で海の底を潛つて出た、彼岸の國土と言ふ風にも考へたらしい。地方によつて違ふか、時代によつて異るか、其は明らかに言ふことは出來ない。

 思うに、古代島人の考えた他界の原型は、洞窟奥の地下だが、彼らが島伝いに到来した人々であってみれば、海上他界は最初から複合されていたかもしれない。

幸福は與へてくれるのだが、畏しいから早く去つて貰ひたいと古代人の考へたまれびと觀

 折口は、まれびとに対する両義性を踏まえている。


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