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2014/07/19

マブイ別し

 死の臨床は、モノ追いでは終わらない。悪霊を払った後、一定期間を置いて(酒井はこれを五十日前後が元で、人間が骨化する期間とみなしている)、マブイ別し、霊魂の移行を行わなければならない。それを行うのはユタである。

 マブイ別しは名実ともに、「別れ焼香」としての意味が濃厚であるが、これを行うのは誰であるかをみよう。内地の口寄せの場合も変わらないが、主役は巫女、沖縄でいえばユタである。ユタは人間の霊魂の部分だけを司る女性で、男性は稀である。通常、彼女たちは死者に手をふれることはもちろん、死者を見ることすらしない。墓地に立ち入ることもない。僧侶たちが死者のために果たした役割から見みると、ユタは死者の魂だけを中継ぎする、きわめて限定された職能をもつ女性たちである。そのユタは死の直後のモノ追いにはほとんど参加しない。モノ追いは、葬儀に参加した親族の中の男性によって行われる(中略)。ところがマブイ別しの方の主役はユタであり、宮古島ではカンカカリヤーという神職の女性がやる場合もある。もちろん巫術を職業とする人ではなく、(中略)老人の誰かがマブイ別しをする例もある。(『琉球列島における死霊祭祀の構造』

 酒井の解説は琉球弧のユタが何者であるかをよく伝えている。ユタとは死者に憑依し、死者を家族である対幻想の世界から共同幻想の世界へ移行させる巫覡である。ユタは死者に憑依し、死によって生れた家族の対幻想の欠損を埋め、修復するのだ。だから、死者の身体そのものにも、共同幻想そのものである墓地にも関わらない。共同幻想に憑依することが眼目なので、ユタは男性であることを除外しない。また、モノ追いに参加しないのは死者への憑依が必要ないからであるが、モノ追いの前に、死が呪術によってもたらされたと考えられた段階では、呪術を解く行為はユタによって行われていたはずである。また、その意味ではもともとユタの呪術行為はマブイ別しに留まらないことは言うまでもない。さらに、ユタではなく、「老人の誰かが」マブイ別しを行うことができたのは、琉球弧において共同幻想と、自己幻想、対幻想が分化しきっていない状態が保存されていたことを示している。

 奄美大島瀬戸内町西古見
 死者の魂が家にとどまり家庭に不幸をもたらすことがあるとして、ユタ、モノシリがマブイ別しを行う。床の間に机をおき、神酒、薄、花米を供える。やがて亡者たちが庭いっぱいに集まってくる。ユタは「どの爺さんがきている」などといって庭に花米を投げる。ユタは「あの人がっ食べている」などと言って灯を細め、庭に出て薄をふりながら口寄せを行う。死者の遺言など薄に向かって語ると、いならぶ縁者は涙を流しながら聞きいる。最後に洗面器の水いっぱいを庭にまいて灯を明るくして終わる。魂は表を閉めて裏口から口笛を吹いて呼ぶ。

 与路島
 大豆を黒焦げになるまで炒って家内から外に投げて祓う。このとき山羊を殺して四本の足をユタに供える。庭には大鍋をおいて、いぶした山羊の肉を煮て味つけをする。これを串にさし、大きな笊にいれて村中に配る。それを知ると村中の老若男女が後ろを追って「一つください」と連呼しながら奪うようにしてもらう。この日は門の近くに棒を横たえて、蓆などを吊して家の内と外を隔離する。

 浦添
 家族と臨終に立ち会った人たちで行う。マブイ別しはユタではなく勝手のわかった女がする。死者の霊は四十九日までは家と墓を行き来するという。

 「表を閉めて裏口から口笛を吹いて呼ぶ」のは、死者が家族の対幻想に矛盾する存在になったことを示している。「門の近くに棒を横たえて、蓆などを吊して家の内と外を隔離する」のも、死者が属することになる共同幻想に対して対幻想の独自の位相を保とうとする仕草だ。死後、マブイ別しの間まで死者の霊魂はどうしているのか。「家と墓を行き来する」というのは、家族の対幻想から離脱しきれず、対幻想と共同幻想のあいだをさまよっているのだ。ユタはこの状態から死者を共同幻想の世界へと導かなければならない。

 奄美大島木慈
 急死したときなど、言い残しがあったのではないか、そのために家からマブリが離れずにいるのではないかとして、ユタを頼む。夜の行事で、椀に水を入れた者二つ、米の粉を水でこねて椀にいれたものを戸口に供えて戸を少し開け、内部を少し暗くして、ユタは「マブリキョー、マブリキョー」など唱え、マブリが来たと判断すると戸を閉め、仏壇に香をともし口寄せをする。終わるとマブリが帰るので、ユタは墓場まで伴をしていく。

 新城島
 自分が死ななければならなかった理由、後々のことについては頼むこと、そして最後の挨拶で終わる。ユタはこのとき恐ろしい憑依状態になって死者の言葉を伝えたといい、古くはこの行事は重要な意味を持っていたという。

 伊良部島
 埋葬に参加した近親者が喪家に集まり、神棚の安置されている二番座に祭壇を整えたうえで、カンカカリヤーによって、カンピト(神人すなわち死者)の口寄せをする。まずタマスイダス願いという死者の霊の出現を求める祈願をする。次いでタマスツキといい、いかなる干支に属する神が霊魂を掴まえているかを判断する(アカスという)。そしてイガングイと言って、死者が訴えたいと胸中に思っていたことすべてを吐露する。最後に死霊との別れを意味するタマスウカビを行って、全儀を終わる。死者の口寄せのよきには哀惜の念ひとしぽ高まり、声を立てて泣き悲しむ。

 死によって生じた対幻想の欠損は修復されなければならない。それは残された家族の心のわだかまりを解くことによってなされるから、死者が語るのである。遺言、言い残したこと、胸中の思い、死の理由を吐露し家族を納得させ心の鎮静させるのだ。

 喜界島
 高膳に米を盛り、酒瓶二本、線香七本を立て、その横に置かれた平たい膳に米と銭をおき、ユタは薄を手にしてオタカベを唱える。唱えるうちにユタにマブイが乗り移る。次に、身内の者を高膳の前に座らせてマブイを後生に帰すオタカベを唱える。そして薄でその者を叩く。マブイヨセの後はユタは極度に疲労する。

 宮古島砂川
 死後三日目に墓前に供物をして、この日からあなたはあの世の人になるのですよ、私たちの世界とは違うのですよ」と唱える。神人別しという。

 浦添伊祖
 生身(いちみ)と死身(しにみ)のわかれという。生身とは家族のことで、生身にはマブイゴメをし、死身は後生(ぐそー)に落ち着くようにとマブイワカシをした。

 竹富島
 親戚が集まって「魂分け」をする。この日に死者が自分の死を認める日だという。

 そして死者はどこへ行くのか。地上の対幻想からは放逐されて共同幻想の世界へ入っていかなければならない。竹富島の例で、マブイ別しが「死者が自分の死を認める日」だとしているのは象徴的である。これは残された家族が認めるというのでは不充分なのだ。死者が認めるのでなければ、死者は家族の対幻想の世界に留まったり、戻ってきたりするかもしれない。それは対幻想は共同幻想に浸食されることであり、対幻想が共同幻想に対して独自の位相を保てなくなる。マブイ別しで最も重要なのは、死者が納得することなのだ。

 久米島仲里
 餅四十九個その他の供物を生(イチ)マブイと死(シニ)マブイのもの二組を用意し、仏壇を中心に東に生マブイ、西に死マブイの膳をおく。参加者は死マブイの膳を背にして生マブイの膳のものを食べる。死マブイの膳には手をつけない。このとき、チュラメークェーといって、まずユタから大人、子供と三回ずつ額に水撫でをする。

 加計呂麻島
 マブリ別しの夜、死者のいた部屋の四隅に子供を一人ずつ立たせ、そこに火をつけたトベラの木と豆で部屋中をかきまわし部屋からだんだん追い詰めて門から外に追い出してから、後ろ向きにトベラを投げ捨てる。これで死者の霊魂を追い出して、さっぱりした気持になるという。

 奄美大島の木慈の例では、ユタが墓に赴く死者に随伴することで死者の擬人化がなされていたが、久米島の仲里では膳を据え食事も用意することまでされている。もっと生々しいのは加計呂麻島で、子供がその任に当たっているが、霊魂を追い出す点においては、これがモノ追いと似てくるのが分かる。

 奄美大島名瀬根瀬
 ホゾンガナシ(ユタと同じ)が行う。この晩に地炉の灰をきれいにしておき、翌朝最初に目をさました人がその灰をみると動物の足跡がついている。その足跡の形で動物を判断して、死者はその動物に生まれ変わったとする。

 他の事例が死者を後生という共同幻想の世界へ分離するのを主眼としているのに対し、根瀬の例は特異な位相をみせている。ここでは死者は後生へ赴くのではなく転生している。しかも、人間ではなく、動物に、である。他の例では、マブイ別しは、死者の対幻想から共同幻想への移行を司っていた。ここでは既に対幻想は共同幻想から分離されかかっており、ユタの憑依を介して、死者は家族という対幻想から後生という共同幻想へ困難な移行を果たさなければならなかった。しかし、根瀬の例では、死者は共同幻想の世界へ赴くのではなく、他の生き物へと転生するのである。

 ここには干支や仏壇や餅など、明らかに後世の所産であるものを除いても、まだそこにいくつもの段階が複合されているのを見る。ぼくたちは添い寝のなかでも霊魂の転位を考えてきた。そこでは「抱きとまうず」や「膝抱きひと(チンシダチャー)」のように、言葉や所作のなかにしか痕跡を認めることができないが、そこでの霊魂の転位は即時的に行われたと見なされる。ほとんどの例のマブイ別しは、後生への移行だという意味では、根瀬の例は、霊魂の転位と後生への移行との中間の段階に当たっている。しかし、後生でもなく人間への転生でもなく、動物への転生という意味では、霊魂の転位のなかでも古層に属するのではないだろうか。

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