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2014/07/17

殯(もがり)

 死者は、草屋根の小屋を建てて喪屋とし、殯をした。死者を見守るのである。何を見守っていたのか。
 墓制が敷かれた後、死後の翌日や三日目に墓参が行われる。ナァチャミ(慰み)と呼び、葬宴を開くことから、死者の慰みと解されるが、酒井卯作はそこに死の確認が行われたのだと主張している。

 波照間島では三日目をミーダチと呼び、親戚全員で墓に行き、一族の人が死者の名を三回呼んで帰る。返事がなければ完全に死んだと見なすのであり、七日目にも同様なことをした。この例では、ミーダチという行事のかに所作が様式化されているが、これには現実的な意味があり、生き返り、いわゆる「後生戻り」があったからである。これは伝説化されているが、まだ民話化されない実話に近い言い伝えとして残っている。酒井が挙げている例でいえば、野辺送りの翌日のナァチャミで、墓の中から「私はまだ死んでないよ、ここを開けて出してください(ワンネーマ-ダシジョーネングトゥ、ククアキテクイシー)」と声がするので驚いて墓の入口の蓋を開けると、お婆さんが生き返っていた(伊是名島)。竹富島では実話とされる生き返りの話を元に、三日見の墓参と三回名を呼ぶ所作の由来譚としている(『竹富島誌』)。

 「後生戻り」は、墓に埋めた後のことに留まらない、墓に向かう途中でも起きる。六十才の女性が死んだので、棺を担いで墓に行く途中、棺から水が滴り落ちるので、不思議に思い棺を下して置けてみると、その人は目をぱっちり開けて生き返っていた。水はこの人の失禁した小水だった(名瀬)。

 死の判断は難しかったのである。ここからみれば、翌日や三日目の墓参に、死の確認を見る酒井の洞察は的を射ていると思える。墓制以前の殯においても、この死の確認が重要な意味を持っていたはずである。

 本来、古代の日本人には、生と死の区別がはっきりしては居なかったやうである。死んでも時がたてば、蘇生すると考へて、何日も何日も一定の場処に屍体を置いて、近親の者が此を見守って居た。もがりとは、その期間を斥して言うたものらしい(折口信夫「上世日本の文学」)

 折口はもがりに蘇生の可能性を見ている。酒井は、なぜ三日目なのかという問いを立て、そこに腐敗の開始と死の確認を見る。蘇生の可能性と腐敗の開始は、島人が目を凝らしたものだった。

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