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2014/06/19

「南部琉球における象徴的二元論」

 村武精一の「南部琉球における象徴的二元論」(『神・共同体・豊穣―沖縄民俗論』(1975年))から。

 村びとは、一般に、これら二神の対比と象徴的な性的結合によって、収穫が祝われ、つぎの年の穀物の豊作と幸がもたらされると、信じている。もし何らかの事情で、神々が〈生まれず〉、出現しないということになれば、来年には穀物の凶作と不幸がもたらされてしまうという(p.228)。
 男神と女神の二神は、地の底から出現し、儀礼の完了とともに、《この世》から消え去ってゆく。これは、二神がそれらの始源の世界に帰ること、つまり、二神の象徴的《死》を示唆している。さらに二神の《誕生》/《出現》と、《死》/《帰去》過程は、現在でも村の内部ではきびしい秘密となっている(p.229)。

 西表島古見村。

三神の《誕生》について、注目すべきことは、親/黒神は、南の聖地(《山》)から〈生まれ〉、黒祭祀集団の草分け宗家を訪ねるが、子/赤・白神は、umutu という森のなから(ママ)浜を経て、まず、《女性》/赤集団の宗家を訪ね、ついで《男性》/白集団の宗家を訪ねる(p.232)。

 男女と親子は、何らかの編成を経てこの形に落ち着いたのだと思える。

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