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2014/06/28

「兄妹始祖神話」の背景

 兄弟始祖神話の背景を再度、押えておく。

 〈母系〉制社会のほんとうの基礎は集団婚にあったのではなく、兄弟と姉妹の〈対なる幻想〉が部落の〈共同幻想〉と同致できるまでに〈空間〉的に拡大したことのなかにあったとかんがえることができる(p.162『共同幻想論』)。

 空間的に拡大するということは、近親相姦が禁止され、兄弟姉妹を軸に親族が展開されることだ。

兄弟と姉妹のあいだ、母と息子のあいだ、父と娘のあいだでの性的な行為は禁止される。これはおなじ氏族のなかでの婚姻の禁止と、他の氏族との外婚制にまで発展してゆく(p.106『母型論』)。

 ここまでくると、兄妹始祖神話の共同幻想は対幻想と同致できる段階になる。

そしてわたしたちが兄神妹神が始祖として洪水にあったあとに、とりのこされて夫婦になり、人間の子孫を殖やすという神話が、現実的な対幻想のあり方と同致できる段階をじっさいに想定してみる。その段階まできたときには兄と妹ではなくて弟と姉のふたりがのこされるはずだ。そして姉が神話的段階にまだのこされているときに弟はすでに民話的行為の段階にまで移行している場面をかんがえなければならないとおもえる(「南島論」1989年)。

 スサノヲとアマテラスの挿話はこの段階にあるものと見なせる。

 兄妹始祖神話は、はじめ性交を知らなかったが、セキレイの交尾をまねたり、風に仲立ちされたりしながら、性交し子孫を殖やす構成になっている。

いずれにせよ始祖の兄妹は、はじめ性交を知らなかった、それでも兄妹が人間の始祖になたというのは、この神話や伝承をもつ地域が「母」系が優位だった初期社会の遺風をおおきくのこしていることを暗示している(p.103『母型論』

 なぜか。母とその兄弟によって親族が展開されるからである。神話にあらわれる兄妹の性行為は、現実のそれを含んだかもしれないが、本質的には幻想的な行為であることが重要だと思える。

いいかえれば兄妹の性交が禁忌であることを暗示しながら、それでも兄妹が人間の始祖だとされていることが大切だといっていい(p.103『母型論』

 「はじめ性交を知らなかった」ということには、「兄妹の性交が禁忌であること」が暗示されている。

わたしたちの理解からすれば、このばあい自然現象としての風が神格化されて兄妹の二神と同一化のレベルにあるという神話的な認識なしには、この性交挿話は成り立たないとおもえる(「南島論」1989年)。

 自然の擬人化による同一視。ただ、それだけではない。

起源をめぐる神話が、セキレイの交尾から性交の方法を学んだとか、動物の性行為をみて性交を知ったとか、風上と風下にして風のそよぎによって妊娠したとかいうように、性交が妊娠とかかわることとしてかんがえられるかぎり、性交の方法を知らないように記述していることは、人(ヒト)の起源を動物生と異質のものとみなしたい最初のモチーフとうけとれる。なぜ人(ヒト)は起源神話として発祥が仮構されるのかといえば、この最初の動物生の否定のモチーフからではないだろうか。この否定のモチーフは物語をつくる原動力であり、ありうべかざることに合理性を与えうる能力の起源にちがいない(p.102『アフリカ的段階について―史観の拡張』)。

 一方で動物生への否定のモチーフを胚胎している。

 ぼくはここにもう一つ加えたいと思う。「はじめ性交を知らなかった」というのは、動物生としての人間の歴史にはそのような段階は無かったのであり、ここには「兄妹の性交」の禁忌と同時に、性交が子供の誕生につながることを知らなかった(あるいは、その認識を受け入れなかった)ことも暗示されていると思える。兄妹始祖神話とは、人間の性交が子供を生むという認識が無かった段階を背中越しにして生み出されたものだ。その意味からも「この神話や伝承をもつ地域が「母」系が優位だった初期社会の遺風をおおきくのこしていることを暗示している(p.103『母型論』」)ものだ。


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