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2014/06/20

「赤マターの神事に関する覚書」

 喜舎場永珣の「赤マターの神事に関する覚書」(『八重山民俗誌』所収)が出版されたのは1977年だが、喜舎場自身は1972年に没しているので、この記事を書いたのはそれ以前だということになる。『八重山民俗誌』以前に公表されたものなのかどうかは分からないが、「近年は研究者達によって徐々にではあるがその内容が学問的に公開されつつある」ので、「この際公表してもよいと考えるようになった」とあり、1972年から遠く遡ることはないと考えられる。というのも、「赤マターの神事に関する覚書」を他の民俗記事と比べた時に、その際立った特徴は、取材の時期の古さにある。

 まず、石垣島宮良のアカマタ・ウロマタは1915(大正4)年から「昭和初期」にかけて。西表島古見は、1928(昭和3)年と1929(昭和4)年、新城島が1930(昭和5)年、小浜島が1931(昭和6)年である。

 この取材時期の古さに依るものか、別の際立った特徴も生み出している。現在、アカマタ・クロマタ・シロマタの三神が出現することで知られる西表島古見では、クロマタが親神でアカマタ・シロマタが子神であるというだけでなく、それぞれに子神を擁しているのだ。また、他島は現在、アカマタが男神、クロマタが女神と報告されているが、「赤マターの神事に関する覚書」では、アカマタは女神、クロマタは男神と反転している。

 現地に住んだ者の取材記事であるなら、ここに間違いは認めにくいとするなら、「色」は反転したということだ。古見のアカマタ・クロマタ・シロマタは、クロマタとアカマタ、シロマタに親子設定があるだけでなく、それぞれに子神を持つことは、そのまま受け取ってよいと思われる。古見については、三神の子神を廃した経緯を持つということだ。

 1930(昭和5)年に一度だけ取材した新城島について、喜舎場が首を傾げていることがある。

 しかしながらこの「ダートゥダー」についてどうも不可解なる伝承に「小豊年祭」の時に現れる「アカマター」の小神である。実はこの新城島の豊年祭は稲の収穫時の一月前の粟の収穫時にも「前」プール或いは「小」プールと称して行事を取り行っているが、この「小豊年祭」にもアカマター神の子神が出現する。そして本来の稲の収穫時には本来の豊年祭として「大豊年祭」が行われる。その際には本来のアカマターの両親神が出現するのであるが、この新城島の「小豊年祭」時のアカマターの子親は実は小浜の「ダートゥダー」の流れであるとの古老の伝承である。すると新城島における「ダートゥダー」は一種の世持神としては祭っていたわけで、小浜におけるような悪霊神的な神ではないことになる。いずれにしてもこの新城島の古老伝承はどうも不可解な伝承と言わざるを得ない。又或い意味では「小豊年祭(粟の収穫を祈る)」の行事が近世になって廃止されて「大豊年祭(稲の収穫を祈る)」行事に併合された結果アカマター神の親子四神になったのではないかとも思考される。ともかくこの新城島のアカマター神は四神であるが、この神行事そのものは小浜島からの伝播である。伝承そのものは小浜の伝承が至当であるが、そのことは今日小浜に伝わるこの「ダートゥダー」の歌意からみても、これがアカマターのような世持神ではなはないことは明確である。あくまでその歌の意味は悪神的な歌意でしかない(p.328)。 

 新城島の古老は、子神の祭儀を「ダートゥダー」の代替だと伝承を語るが、その祭儀内容は「ダートゥダー」とは似ていないのが不可解だというのである。ここは、「小豊年祭(粟の収穫を祈る)」の行事が近世になって廃止されて「大豊年祭(稲の収穫を祈る)」行事に併合された結果、アカマター神の親子四神になったのではないか」という喜舎場の「思考」が妥当に思える。

 しかし、喜舎場は別のところでは、「明治末年に至って「ダートゥダー」の行事を廃止して「アカマター行事に組み入れ、今日では赤黒両親の子神と化してしまった。ゆえに本来は二神である」と書いているのでややこしい。

 喜舎場の考えを最大限に生かせば、近世に親子四神になったが、どこかの時点で子神が廃止された。しかし、明治末年になって、子神を復活させ、その時同時に、ダートゥダーを廃止したので、子神をダートゥダーの流れという伝承になった、ということになる。

 ここでぼくたちが重要だと思えるのは、子神は粟の収穫時の「小豊年祭」に出現し、親子神は稲の収穫時の「大豊年祭」に出現する、ということだ。子神に独立した役割があるということは、親子という関係とは別の意味を持つということである。それは、もともと粟の収穫時の豊年祭に出現していた神が、稲の収穫時の豊年祭が力を増した時に、親子の子として組み込まれたということだ。

 こう考えると、西表島古見の神々に対しても視点が生まれる。古見の場合、クロマタが親神として設定され、シロマタ、アカマタは子神とされているが、クロマタが「士族」、シロマタ、アカマタが「百姓」の部落集団で演じられることを踏まえれば、クロマタ-シロマタ、アカマタの親子関係は、近世以降に形成されたものだと見なせる。すると、クロマタ、シロマタ、アカマタそれぞれの親子は、新城島の親子と同型、つまり、子神は粟の収穫祭、親子は稲の収穫祭を担う段階があったのではないだろうか。それが、クロマタがシロマタ、アカマタの親という関係を生ずるに及んで、稲に吸収されたとするのだ。

 喜舎場は、禁忌感の強い祭儀のなかで、「絶えず村人の尾行人が付いていた」なかで、席を立ってはメモを取ることを繰り返して記録を取った、とある。そうするうち信頼を得て、古見では「これまで全く秘密のベールに包まれていたこの神事の細部に至るまで話を聴くことが出来た」という。

黒マター親神は一寸姿を現わしたかと思うとすぐまた隠れる。さらにまた一寸現れたかと思うと、またその姿を隠す。そのような動作を九回繰り返したのちに、やっと出現してくる(p.297)。
このように黒マター神も赤マター・白マター神もその頃はそれぞれ御嶽から御嶽へと各御嶽を歴訪するが、すべて神謡を唄いながらの移動である。この時が最もこの神祭のクライマックスに達する時である。その異様なる状態はまさしく往昔における南島の村落共同体の一体感を現世に具現せしめた感を懐かせる(p.301)。
 (神が聖地に戻る際-引用者)これ以上は村人達も同行が許されない。あとにはギャラムヌのみがその御同伴を許可される。赤マター・白マターの両神組はそこからくねりくねった山道を約一丁ほど登って行かれたのちに後方の部落民の方を度々振り返えられる。松明の明りに照られされたこの神の姿を村人等は深く垂れて伏し拝みながら泣く。この神が後方を振り返えられる姿は別離を惜しむ動作である(p.301)

 長い取材過程は、生々しい記録を残してくれている。


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