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2014/06/11

「琉球列島文化の多様性の歴史的生成過程」

 吉成直樹の『マレビトの文化史―琉球列島文化多元構成論』(1995年)。「琉球列島文化の多様性の歴史的生成過程」。


1.地下他界・「人類の始祖」観念・男子結社

・琉球列島の最古層にあったと考えられる仮面仮装のマレビト祭祀。
・八重山のアカマタ・クロマタが典型的な例。痕跡は琉球列島全域に認められる。
・アカマタ・クロマタ祭祀に結びつくニーラスク、ニーローなどの二ライ系の名称を持つ他界は、本来、男女二神の始祖が出現した地下他界を意味していた。

琉球列島において広くみられる死者を洞窟などに埋葬する慣行は、あるいはこの他界観と関係するかもしれない(p.197)。

 他界が空間化されたとき、その場所は洞窟だった。だから、洞窟(洞穴)他界と埋葬は同致したとみなせる。

 仮面仮装のマレビトは、従来、祖先あるいは祖霊を表現するものと、一般的には考えられてきたが、宇宙創世時の人類の始祖としての性格を持ち、祖先、祖霊の観念との間には大きな断絶がある(p.198)。

 本当を言うと、「祖先あるいは祖霊を表現するものと、一般的には考えられてきた」ということに驚いてきた。ふつの島人はそうは思ってないんじゃないかな、とも。「祖先、祖霊の観念との間には大きな断絶」があるのは当然だとして、それが「宇宙創世時の人類の始祖」だということは頷けないでいる。マレビトは作りだした精霊であれば、もっと奔放なものであっていい。それは死と琉球弧亜熱帯自然を体現しているものだ。あの、姿形の多彩さはそれを示しているのではないだろうか。

 このマレビト祭祀を大きく特徴づけているのは、《死と再生》のモチーフであり。それは八重山離島のマレビト祭祀において顕著に認められる。時として、《死と再生》のモチーフは、スデ水(若返るの水)との結びつきを持つ。

 これは重要だと思う。洞窟(洞穴)他界を持った後にも、死と生が連続した感覚を濃厚に保持し続けたというように見える。この、死と再生の連続感が失われるにつれ、マレビトは来訪する意味を帯び始める。

・全体としては稲作と結びつく
・新城島では、親のアカマタ・クロマタは、稲の豊年祭。子のアカマタ・クロマタは、粟と稲の豊年祭の両方。
・多良間島のスツウプナカ祭祀は粟。

 
2.海上他界・蛇霊信仰(蛇トーテム的観念)・女性シャーマン

 神女に海神が憑依する形式のマレビト祭祀。

・奄美で、ナルコ・テルコ(海上他界)からの海神を迎えるウムケー・オーホリにおいて、少女の頭髪にハブを巻きつけるのが典型例。
・かつでは琉球列島全域での分布が示唆される。
・龍蛇を文身する習俗。
・シャマニズム的要素はこの祭祀複合からもたらされた
・華南沿岸と台湾を含む世界との交渉によってもたらされた可能性。

1に与えた影響。
・アカマタ祭祀が蛇的シンボルを持つ。
・地下他界が、海底などを含む水平的方向へと変移する場合があった。
・東方洋上の若太陽(ワカテダ)に対する信仰との関係。


3.海上他界(龍宮)・漁撈神・男性年齢階梯組織

 久高島のソールイマッカネー、多良間島のスツウプナカが代表例。

・沖縄諸島と宮古諸島において強く見られる。
・男性が神に祈願する(オナリ神信仰にもとづく仕掛けにはなっていない)


4.御嶽・始祖神~オボツ神・ノロ=神女組織

 開拓祖先、あるいはノロなどのセジ高いものを祀る場所としての要素と天上の神が降臨する場所としての要素。
・宮古島・狩俣のウヤガン祭祀。大神島のイイサドウ神事。
・始祖神(霊)を機軸とする。
・12世紀に南漸した北方的文化要素
・沖縄本島北部は、奄美とともに、天上から降臨する神の観念がいちはやく定着した。


 吉成は「できるだけ大きな見取図を描くことを念頭に(p.196)」おいたと書いているが、琉球弧の精神史を追う者にとっても、見取図になってくれるものだ。

 ぼくたちが漠然と、そうではないかなと考えてきたことに、具体的な言葉を与えてくれているものだ。このなかでは、龍宮信仰は漠然とした視野のなかにも入っていなかったもので新鮮だった。

 
 はじめに、琉球弧の自然環境との関係のなかで、洞窟(洞穴)他界が生み出される。それとともに精霊を作りだす行為も生まれた。次に蛇をトーテムとする観念がやってくる。この時の海上他界は、渡来した方向性から南方を指すかもしれない。御嶽の原形となるイベが聖域として成立するのもこの時期であったも不思議はない。そして、1800年前とされるオーストロネシア語族の三回目の渡来によるアマムがトーテム化される。そしてトーテム動物としてはこれが主流になる。

 大和から龍宮信仰、そして朝鮮を含む北方から天上他界を伴ったオボツ神がやってくる。神女の樹上葬はこれ以降だと考えられる。

 与論の郷土史家、野口才蔵は、赤崎ウガンの神について、祭主から「アーマッタブ(赤蛇)」と聞いて驚いたというエピソードを書いているが(p.62『南島与論島の文化』)、蛇トーテムの観念の残滓を見ることができる。もうトーテムとして出現することはできなくなっているが、巫覡によって辛うじてウガン(聖地)に横たわる姿が幻視されたのだ。

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