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2014/06/05

「マレビト祭祀と他界観」

 吉成直樹の『マレビトの文化史―琉球列島文化多元構成論』(1995年)から。

 琉球列島における龍宮信仰は、周圏的な分布。
 古い波は奄美や八重山(中世)。豊饒や旅の安全を祈る。
 新しい波は沖縄本島や宮古(近世)。豊饒や航海の安全を祈る(男性の漁撈との関係)。
 大和の龍宮信仰を受容したもの(下野敏見)。

 二ライ系名称(ニルヤ、二―ラスク、ニーロー等。N音で始まる、記紀神話・神代巻に登場する「根の国」と同根(柳田國男)。
 
 ある場合は、ニライが龍宮の名に置き換わり、ある場合は併存。

 二ライに結びつくマレビト祭祀が奄美、八重山に残り、龍宮信仰が盛んになった沖縄、宮古では、久高島と同様に、ニライから龍宮への置換が起きている。

 アカマタ・クロマタ(西表島(古見)、小浜島、新城島(上地、下地)、石垣島(宮良))。
 ナビンドゥという洞穴から出現(ニーレスク、ニーレイスク、ニーロー、ニーレー)(p.82)

 安田シヌグ。山から出現するが、頂上にある洞穴が重要な意味を持っている。宮古島のパーントゥは、イマリガーという古井泉から出現。石垣島(裏石垣)のマユンガナシもナビンドゥという洞穴から。

 洞穴と始祖というふたつの要素は、「土中からの始祖」神話で結びつく。

 久高島のマレビト祭祀は、現在は龍宮信仰に結びついているが、カベールの道の西側にアーマン権現という洞窟があり、この洞窟でアカマター(蛇)を二匹とったところ、それは兄妹と姉妹だったと、断片的に「土中からの始祖」神話を示唆する伝承が存在する(p.90)。

なお、「土中からの始祖」神話では、「土中」からではなく、「洞穴」から人類が出現したとされることが少なくないことを付け加えておきたい。琉球列島のような隆起珊瑚礁によって形成された島々が多い地域では、「土中」ではなく、「洞穴」からの出現のほうが自然なのである(p.91)。

 マレビト祭祀に結びつくのは、イモではなく粟。新城島では粟の収穫祭にも同一の信仰がみられる(p.89)。

男性によるマレビト祭祀が「土中からの始祖」神話と結びついていたとすれば、(中略)山から出現するマレビトというモチーフは、山地型の文化の影響によって変容したものとみなすべきではなかろうか(p.98)。


メモ
 「土中からの始祖」神話という表現には違和感を持ってきたが、「「土中」ではなく、「洞穴」からの出現のほうが自然」と言われると解消する。琉球弧の内側から考えるものにとっては、洞窟(洞穴)からの始祖神話という方がしっくりくる。

 また、安田シニグも「洞穴」をモチーフにしているという指摘ははっとさせられた。ぼくはこれまでともすると、与論シニグは山がないのでやむなく海上から迎えるという言い方もしてきたからだ。「洞穴」モチーフがあるのであれば、安田シニグにしても、「山地型の文化の影響によって変容」したのではなく、山頂の「洞穴」をもともと指定したのかもしれなかった。

 琉球弧の精神史にとって重要なのは、洞窟(洞穴)を出現地にした来訪神が、秘儀的な男子結社をもとにし、粟の祭儀であり、それは琉球弧全体に分布していたかもしれないということ。それが、中世、近世という二度の大和からの波で、龍宮信仰という海上(海底)他界によって変容したということだ。

 洞窟(洞穴)から海上(海底)という視線変更は根本的なものではなく、同じ水平視線の範疇だという視点も持っておきたい。

 また、ここからは、与論において二ライ系の語彙が希薄な理由も示唆される気がする。龍宮語彙も豊富なわけではない。


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