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2014/06/29

琉球弧の兄妹始祖神話(民話)

 琉球弧の兄妹始祖神話(民話)を北から南へ挙げてみる。

 沖永良部島
 島コーダ国コーダが島を建設して、島は建設したが島が地揺れし、土がぐらついて、此処踏めば彼処上がり、彼処踏めば此処上り、仕方がないので神に相じた(相談した)。相じた処が神様が言われる。汝程の島コーダ国コーダ、その位の事が分からなかったのか、東の岸には黒石置け、西の岸には白石置け。国は建設したが、人間造ることができない。又神に相じた。神様は、土で仏様のごと造って息を込めれば人間ができる、と言われる。
 人間は造ったが、子の出来るような方法は如何であろうか。又神様に相じたい。神様が言われる。えけが(男)の家は風上に造れ、女子の家は風下に造れ。造った処が、風上の男の息が、風下の女の息にかかって、子が出来るようになった。(岩倉一郎)
 古宇利島
 むかしむかし古宇利(フイ)島(運天港の入口にある小さい島)に男の子と女の子が現われた。二人は裸体でいたが、まだこれを愧ずるという気は起らなかった。そして毎日が天から落ちてくる餅を食って無邪気に暮していたが、餅の食い残しを貯えるという分別が出るや否や、餅の供給が止まったのである。そこで二人の驚きは一通りではなく、天を仰いで、
 たうたうまへされ、たうまうまへ(お月様、もしお月様)
 大餅ちやと餅お賜べめしよれ(大きい餅を、太い餅を下さいまし)
 うまぐる拾うて、おしやげやべら(赤螺を拾うて上げましょう)
と歌ったが、その甲斐も無かった。彼等はこれから労働の苦を嘗めなければならなかった。そして朝な夕な磯打際でウマグルなどをあさって、玉の緒を繋いでいたが、或時海馬の交尾するのを見て、男女交媾の道を知った。二人は漸く裸体の愧ずべきを悟り、クバの葉で陰部を隠すようになった。今日の沖縄三十六島の住民はこの二人の子孫であるとのことだ。(伊波普猷「お隣りのお婆さんから聞いた話」)
 宮古島
 昔々大昔のことヴナゼー兄妹があった由。或る晴れた日のこと外の人々と共に野良に出て畑を耕していると、にわかにはるか彼方の海から山のような波がよせて来るのを見つけ、兄は妹をいたわりつつ高い岡にのぼって難をしのいだとのことである。周囲見まわして見ると人は一人もなく地上に一切のものと共に津波にさらわれてしまった。兄妹は致し方なく草のいほりを作り妹背のちぎりを結んだのであった。そして二の間から先づ一番初めに生れたものはアジカイ(シャコ貝)で、その次に始初めて人間の子が生れて、これからだんだんひろがってこの島一ぱいに人々が繁昌したと云うとのことである。島人は今ヴナゼー御拝(オガン、一種のお宮)を二人を島立ての神として祭ってある。
 石垣島白保
 アマン神が、日の神の命で、天の七色の橋からとった土石を大海に投げ入れて、槍矛でかきまぜて島を作り、さらに人種を下すと、最初にやどかりがこの世に生れ出た。地中の穴から男女が生れた。神は、二人を池の傍に立たせ、別方向に池をめぐるように命じた。再び出会った二人は抱き合い、その後、八重山の子孫が栄えたという。
 『中山世鑑』
 むかし天にアマミクという神がいた。天帝は地上におりって島をつくれと命じたので、マミキクがおりてみると、霊地のようにみえたが、東の海の浪はうち寄せては西の海へ越えてゆき、西の海の浪はうち寄せて東の海へ越えていた。アマミクは天帝に土石草木を給わりたいといって、もらいうけて島々の御嶽と森をつくった。数万年たっても人がいないので、アマミクは天帝のところへゆきひと種を乞うた。天帝はじぶんの男女の子をくれた。この兄(弟)と妹(姉)神は性的な結合はしなかったが、住み家がならんでいたので、ゆききして吹く風をなかだちにして、女の神は受胎した。そして、三男二女を産んだ。長男は国王の始祖で天孫氏といった。二男は諸侯のはじめ、三男は百姓のはじめ、女は聞得大君のはじめ、二女はノロのはじめになった。

 兄妹であることは石垣島の神話のみが明示されていない。はじめは子供の作り方をしらなかったのは、宮古島と石垣島では触れられていない。代わりに、強調点は別のところにあって、最初に産んだのが、宮古島は「シャコ貝」、石垣島は「やどかり」と、トーテムを指しているらしいことに特徴がある。

 子供の作り方は、「海馬の交尾するのを見て」と、古宇利島の神話が繊細さを残している。『中山世鑑』では「ゆききして吹く風をなかだちにして」と、抽象化とおすまし化を受けている。沖永良部島では「風上の男の息が、風下の女の息にかかって」と、さらに抽象化が進んで、童話化されている。

 古宇利島において、「餅の食い残しを貯えるという分別が出るや否や、餅の供給が止まった」ということには目がとまる。ここには貯蔵を始めたことにより、自然は常に充分な贈与を送ってくれるわけではないという異和と農耕の意識化の記憶を保存しているように見える。

 『中山世鑑』以外では、沖永良部島と石垣島白保のものがより神話的である。

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