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2014/06/17

「八重山群島におけるいわゆる秘密結社について」

 宮良高弘の1962年の論考、「八重山群島におけるいわゆる秘密結社について」から、抜き書きしていく。

 アカマタ・クロマタは実際には、さまざまな異名を持つ。

 「実際のところニイルビトゥ・ミユートガナシ・ユムツンガン・シーヌピィトゥ・フサマラー・パンバラーなどさまざまな異名がある。(p.207)」

 ニイルビトゥは「根の人」、ミユートガナシは「夫婦」、ユムツンガンは「世持神」、シーヌピィトゥは「後の人」。

 更に、フサマラーの「フサ」は草の意であり、「マラー」は稀に訪れてくる人、つまり賓客を表すのであるから、全身を草でおおった仮面仮装者の意であろう。パンバラーもこれと同様な意である。波照間島でも「雨乞い」にフサマラーが出現するが、ここでは水の神様であり秘儀はともなっていない。いずれにしても、これらの名称は、「アカマタ・クロマタ」の一面を強調した名称である(p.207)

 フサマラーとは、「草から生まれし者」だ。そして、「水の神様」であることは押さえておきたい。

 西表島古見のクロマタの伝説は面白い。

 昔、山の幸海の幸をとる下幸二という屋号の家の男の子が、ある時犬をつれて山に猟にでかけたが、何日たっても帰らない。部落の者が総動員で探しても見つからなかったので、当然その子は死んだものとして、焼香していた。ところが嵐の吹く大の夜のことであった。その子の母親は、家の外から「おかあさん」と呼ぶ声を聞いた。それは、まさしく先年いなくなった男の子との声であった。不審に思って問い尋ねてみると、その声の主は次のように答えた。「私はおかあさんにも会えぬ身となりました。神になってしまったのです。しかし、おかあさんがどうしても私の姿をみたかったら旧暦六月の最初の壬の日にどこそこまでおでください」と。そして声の主はそのまま立ち去ってしまった。おかしいと思いながらも母がのその日に指定されtた場所へ行くと、その男の子の姿が瞬間的ではあるが本当に現れたのである。そして、それからは毎年旧暦六月の発の壬の日に限って現れた。しかし、その現れる場所はその年によって違っていた。ある年には、部落の近くに現れ、また、ある年には遠ざかったところで現れた。その現れる場所をよく考えてみると、豊年の年には部落の近くに現れ、凶作の年には部落から遠い所に現れるということ分かった。そこで。部落の人々はこれは豊年の神に違いないと信じ、何とかしてその神を毎年部落にの近い所へお招きして豊作をもたらしていただきたいもだと考えた。このようにして、その神の面をこしらえて、それを部落の中へお連れしたら毎年豊作になるに違いないと思い立ち、面を神にかたどってこしらえていたのである。面を作ったその年から不思議ににその神の姿は現れなくなった。神がその面に宿ることになったからである(p.210)。

 この伝説自体が後代の編集を相当に受けており、かなり新しいものだと見なさざるをえないが、祭儀を演じる男性の秘密結社からは疎外された母(女性)と子は直接、コミュニケーションできることが分かる。また、男性結社のほうは、逆に仮面の祭儀とすることで、他界とコミュニケーションできるという点で対照的だ。

 また、この伝説からは仮面仮装の来訪神が、死者の世界からやってきて、かつ、豊年をもたらすために人間が作り出したものだという由来は正直に告白されている。伝説としては、最後の「神がその面に宿ることになったからである」は不要で、無い方が物語として豊かだと思う。

 出現したシロマタ、アカマタの二神は対をなして出現して、路上で親であるクロマタに出会うことは禁忌とされている(p.221)。

 これは、親子と措定されるシロマタ、アカマタとクロマタは、来歴が異なることを示唆するのかもしれない。

 「アカマタ・シロマタ」は、村人達に見送られながら山中に消えてゆく。村人達は、来年しか見られない神様に別れをおしむ。老人達の中には、名残りおしさのあまり、涙を流す姿も見られるのである(p.224)。

 これは、この祭儀が、島人にとっても祭りとしての本来の意味を失っていないことを示すように思える。大切な描写だ。


 

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