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2014/06/15

原像としてのフサマラー 1

 新城島のアカマタ・クロマタでは、親子二神が豊年祭に出現するが、粟の豊年祭には子のみが、そして稲の豊年祭には、親子が出現するという相違を見せる。これは、粟の豊年祭としてあった祭儀に、稲の農耕が拡大する及んで、親が設定され、従来の神は子に位置づけられ、稲の豊年祭には親子や、粟には子が残存したと考えることができる。

 アカマタ・クロマタ祭儀は、粟から稲への農の移行の段階で編成を受けたと想定することができうる。

 そして子は、粟の豊年祭に出現するというだけでなく、フサマロという別称を持っている。また、湧上元雄によれば、西表島古見のシロマタもフサマラーと呼ばれている。この別称の意味するものは何か。

 波照間島の雨乞いでは、「極端な旱魃のときに限って、二度、三度目のアミニゲヱ・アサニゲヱのあとに二日間のスーニゲヱがある(p.438)」。そしてこのスーニゲヱも、1955年頃までは、フサマラの儀礼だった。コルネリウス・アウエハントは、詳しく調査していないので、充分に説明することはできないと断った上で、フサマラについて書いている。

 以前、スーニゲヱの二日間、それぞれの村では、仮面をかぶった青年が演じる一対のフサマラ(ひとりは男と、もう一人は女)が御嶽の敷地ちかくの森、フサマラヤマから現れた。これらの青年は、マーニの葉や蔓、乾いたバナナの葉でできた肩マントのような衣裳をつけ、わざと木炭で汚した瓢箪でつくった面やシュールの遷移で作ったかつらをつけた。彼らは杖にマーイの柄を用い、それぞれ御嶽の井戸の水を入れた瓢箪を持つ二人の青年のトゥムを従えていた。こうして御嶽から御嶽へと移動し、東(ミシク)から西(ア-スク)まで、十人のフサマラと十人のトゥムが、最後にはフタムリィの井戸に集まった、。フカの村人ととともに、彼らはこの井戸を九回巡った。彼らがもってきた一つの瓢箪の水がここに捧げられ、もうひとつの瓢箪の水はアースクのマソーミへの供え物になった。御嶽に到着すると、彼らは神司に迎えられた。
 アースクの雨乞いの歌をうたい、神司を囲んで九回ゆっくりとまわるフサマラ、トゥム、村人は、神司から小さな竹の箒で水を振り掛けられた。フタムリィゲーの水を彼らの瓢箪に入れてから、ブイシ、ブスク、アラントゥ、ミシクのフサマラとトゥムは東に向かって、帰りの巡行を始めた。それぞれのウガンに立ち寄るたび少人数になりながら、最後は二人のフサマラとトゥムが自分たちの村の御嶽に戻った。同様の儀礼(水を捧げ、それぞれの御嶽のフサマラの歌をうたい、神司が水を振り掛ける)がそれぞれの村で繰り返され、そのあとフサマラはフサマラヤマに消え、そこで彼らは衣裳をぬぎ、杖や仮面をそこに残した(p.441)。

 フサマラーもまた、男女神で現れる仮面仮装の来訪神であったことが分かる。しかも、フサマラーは「雨乞い」、つまり「水」の予祝に出現する。

 吉成直樹は『マレビトの文化史―琉球列島文化多元構成論』(1995年)のなかで、アカマタ・クロマタ祭儀と「水」のむすびつきについて書いている。

 小浜島のアカマタ伝承では、面が水源地に立てられて祈願の対象になり、あたりの農作物は見事だったということ、川平の雨乞いでは、その祈願の対象となるのはマユンガナシであったことを、吉成は挙げている。

 アカマタ・クロマタ・マユンガナシなどのマレビト-これらはフサマロ、フサマラー、マーランセンなどの別称をもつ-が水をもたらす存在であるとすれば、これらと同じ仮面仮装の神であり、同系の名称を持つ波照間島のフサマラが、一〇月の「ネノミズノエ」の日に行われる雨乞い(アミニゲー)に出現する理由を容易に理解することができる。波照間島のフサマラもまた水をもたらす存在なのである。このフサマラは、八重山の仮面仮装のマレビロ祭祀のなかでは孤立した存在であるあのような印象を与え龍が、名称や性格などの点で、アカマタ・クロマタ、マユンンガナシなどと同一のカテゴリーに括ることができるのは明らかである(p.111)。

 こうして、アカマタ・クロマタは、豊穣と水の祭儀として二重化されるが、これは、「粟」以前の表情を「水」として残しているということではないだろうか。つまり、「雨乞い」としてのフサマラーがあり、そこに「粟」の祭儀がかぶさり、アカマタ・クロマタ祭儀になった。フサマラーは別称として生きることになった。「水」は粟の豊穣に欠かせないものであり、両者は仮面仮装という共通項を持っていた。

 また、フサマラが通常の雨乞い(アミニゲー)でも叶わない旱魃の時に行われたということは、神女による祭儀が中心となったとき、古層の「雨乞い」は、通常から外され、非常時のなかに存在場所を見出したのかもしれない。

 ここでもうひとつ、ぼくたちはフサマラという別称に対して、アカマタ・クロマタという名称の由来を追うことができる。


『HATERUMA―波照間:南琉球の島嶼文化における社会=宗教的諸相』(コルネリウス・アウエハント、2004年)

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