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2014/05/02

「吉本隆明のDNAをどう受け継ぐか」

 シンポジウム、「吉本隆明のDNAをどう受け継ぐか」を聞きに、新宿、紀伊国屋ホールへ足を運んだ。濃密な、あっという間の二時間で、それぞれの話題について、もっと話を聞きたかった。顔ぶれがそろうと語りの幅と深さがぐっと拡張される。

出演:中沢新一×内田樹×茂木健一郎×宇野常寛 スペシャルゲスト:よしもとばなな

中沢新一(なかざわ・しんいち)
1950年、山梨県生まれ。哲学者、思想家、人類学者、宗教学者。明治大学特任教授、野生の科学研究所所長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。

内田 樹(うちだ・たつる)
1950年、東京都生まれ。武道家。神戸女学院大学名誉教授。多田塾甲南合気会師範。「凱風館」主宰。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
1962年、東京都生まれ。脳科学者。(株)ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特任教授。

宇野常寛(うの・つねひろ)
1978年、青森県生まれ。評論家。雑誌『PLANETS』主宰。

よしもとばなな
1964年、東京都生まれ。小説家。吉本隆明氏の次女。

 冒頭のよしもとばななさんの挨拶は心に沁みるものだった。話すのが苦手で、と、iPadに書いてきたものを読むスタイルを採ったのだったが、ご本人もそうおっしゃっていたように、それは父譲りなのかもしれないと思った。もっとも、吉本さんほどではないのだけれど。大衆に寄りそってきた人が大衆の残酷さ(言葉が違ったと思うが思い出せない)に直面して愕然とするという吉本さんの表情は、家族しか分からないことだ。でも、いかにも吉本さんを感じる。

 内田さんは、『自立の思想的拠点』『擬制の終焉』で書かれた安保闘争の総括について触れた。再読して、自分が文章の展開まで覚えているのに驚いた。エビデンスのないことを言うのに命がけの跳躍をしなければならない時がある。そのときの踏み台に吉本隆明がなっていたのに気づかされた。そこには、吉本の断言力があまりにも強いので、わしづかみにされた読者は、知らず知らず吉本の観方で見てしまう、そういう「現実編成力」もあるという指摘は、よく分かると思った。茂木さんは、「旅の途中で乞食にあって施しをして、帰りの道でまた同じ乞食に会ったがその時は施しをしなかった。でもそれでいい」という吉本さんの言葉を印象的なものとして挙げていたが、ぼくも往きの道、還りの道のことをよく理解していなくて、道を間違えるということがあった。ぼくの場合は、誤解に基づくものだけれど、「現実編成力」の強度は、吉本読みにつきまとう呪力でもあると思う。

 江藤淳との対談について、途中の経路は違うけど、ぐるっとまわって一致する点への着目もあった。「大衆と知識人」という枠組みのなかで、知識人が大衆を導くという構図があった。吉本は、大衆に重心を置くことでこの構図を見事に転倒させたが、ここに言う「大衆」とは、「大衆の原像」とは大日本帝国臣民のことだったのではないか、江藤淳とはそこで一致していたのではないかという読み換えは、加藤典洋の『敗戦後論』を思い出させるもので、深く頷かされた。この、ぐるっとまわって一致するところに、思想の幹があり、それを絶やしてはいけない、とも。

 中沢さんは、吉本さんとの交流も深い。だから、エピソードがふんだんにあって楽しかった。昭和天皇について、ああいう大きな人は美空ひばりと手塚治虫を道連れにした。麻原彰晃もその手だから、ぼくと中沢さんと両腕に抱えて海に飛び込みかねない。その後に、吉本さんが水難に会って心配したというエピソードはぞっとした。ぞっとしたのは、それが真実ではないかと思わせるからだ。生霊と言うつもりはないけれど、世のバッシングの心労なのは確かではないだろうか。

 吉本隆明は「概念の創造家」だというコピーも吉本を真っ芯で言い当てていると思う。ときに、中沢さんの話し方は、右手の差し出し方、身の乗り出し方、その身振り手振りが吉本さんを彷彿とさせるものだった。あれは形態模写だとしたらすごいものだ。身のこなしがしなやかで、宇野さんへの応答もしなやかで、これもすごいものだと感じ入った。宇野さんの語りは、世代を反映して、そのことがいちばん印象的だった。言ってしまえばちゃらく感じたし、『ハイ・イメージ論』で、吉本さんが実現できなかったことを実現するのが自分たちのすべきことではないかという発言には、浅い掬い取りを感じないわけにいかなかったが、そこに真正面から回答するのではなく、「宇野さんにはアフリカ的段階があるのかなぁ」と、柔らかく切り返して本筋をずらさなかった。あ、あれが円月殺法か(笑)。

 中沢さんも読むべき吉本として、『ハイ・イメージ論』を挙げたが、その同じこととして、「アフリカ的段階」もキーワードに挙がった。このところ、ぼくもそのことばかり考えているので、「アフリカ的段階」を起点にした仕事を展開していきたいという中沢さんには期待が膨らむ。

 大日本帝国臣民はいない。いや、本当にいないんだろうか。ぼくたちのなかには「アフリカ的段階」があるのではないか。そういうやりとりのうちに、内田さんの問題提起が拡張されていくのだった。

 吉本さんと茂木さんの対談、『すべてを引き受ける」という思想』が2012年に刊行されたとき、ぼくはほんの少し狡さを感じてしまった。ずっと前に行われた対談について、吉本さんの他界後に出版したことについて、遺族の了解を得ているとはいえ、フェアでないものを感じたのだ。茂木さんは、出版が遅れたことについて、これをどうしたらいいんだろうと途方に暮れたまま、その宿題を残したまま吉本さんが亡くなってしまったと率直に語ってくれて、小さなわだかまりが氷解するようだった。

 茂木さんは、吉本さんの文体のポエトリーを指摘。自分が日頃、読む科学論文とはまるで違うことをしきりに指摘。そこから、丸山真男は翻訳されているけれど、吉本さんの本は翻訳されていない。翻訳されえないのではないかという展開もあった。吉本さんの思想は、西洋が普遍的ではなく、西洋に対して遅れたと言われる地域が、せりあがって来た時に、普遍性を持つものではないかと思う。

 同じことだけれど、「アフリカ的段階」の水脈を求めること。それは自身のテーマとしても引き受けたいもので、あの場を共有できてよかったと思う。紀伊国屋ホール。考えてみれば、吉本さんの「芸術言語論」の続編の講演もそこで行われたような覚えがある。それ以来の紀伊国屋ホールだったが、もう吉本さんの講演を追うことは叶わず、吉本さんについての語りを追うことしかできなくなったのはやはりさびしい。吉本さんがいないということを、改めて知らされた晩でもあった。



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