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2014/05/21

67.琉球弧の「位牌祭祀」

 ここは節をまたいで各島の「位牌祭祀」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)を見ていく。

 沖縄本島

 十五世紀には旧家で祀られていた、しかし上流社会でも一般的ではなかった。首里、那覇の政治、文化の中心地で定着するのは十七世紀(p.518)。

 その波及の仕方はかなり強制によるものではあったが、しかしそれでもなお徹底できなかった(p.520)。

 宮古諸島

 宮古島の位牌祭祀の経過をみても、結局沖縄本島と同じような足どりをたどっている。恵隆が位牌を持参して祀りはじめてたとしても、祥雲寺に位牌を供えてあったとしても、それは常民社会においては直接関係のないことであった。墓地さえも定かにしないという社会において、為政者が死者への孝行を説くとうことは困難なことであり、死者への畏怖感の強いところほど、死者のために祭壇を作り、位牌を祀るというのは無駄とも思える作業である。昭和になってもなお、位牌祭祀になじめなかった常民社会の底にある微妙な感情を、上層階級では十分に理解しえなかったようである(p.523)。

 八重山諸島

 八重山地方の位牌祭祀の特徴は他島とほとんど差はない。「桃林寺の存在に直接かかわりなく、十七世紀に首里から役人の手によってもたらされ、十八世紀になってもまだ位牌祭祀のないところもあったとみえ、その勧告を行っている。しかしそれでもなお、常民社会では幕末の頃にやっと定着するという経過がみられる」(p.526)。

 奄美諸島

 沖縄本島の位牌祭祀は大陸と大和の影響。奄美は琉球と大和の影響。

 特筆すべきは明治三年の廃仏毀釈。明治新政府が神仏分離を行おうとして躊躇しているうちに、鹿児島県は何のためらいもなくこれを断行した。海を越えて奄美諸島にもこの波は押し寄せてくる。明治九年に信仰自由の通達があるまでの数年間のうち、薩摩領内の寺領は没収され、梵鐘や仏像などは兵器や通貨に変え、藩の財政は大いに利益をあげた。「他の県では類をみないこの事件は、奄美地方の信仰形態を根底から揺るがせる結果となったのは当然である(p.527)」。

 在来の琉球色に彩られていた宗教色もまた、(中略)仏教色、浄土真宗の場合はとくにその影響をひそめ、代わって神社神道が大きな影響力を行使する(p.527)。
 しかし明治の不幸な事件に直面したとはいえ、位牌の成立の過程は、他の諸島と同じような足どりで変化してきていることが想像できる(p.530)。

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