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2014/05/17

63.「奄美大島小湊の墓制」

 「奄美大島小湊の墓制」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。

 モヤ(平地につくられた共同墓)。

・墓の管理は親族によってではなく、講集団によって行われた。
・庚申(かねさる)と墓制は、本来は直接関係はなかった。

 もともと洗骨、改葬の儀礼は恐れに満ちたものであったために、三、八月の最後のドンガに行ったものである。ところが祖霊信仰が高まってくるにしたがって洗骨、改葬を伴う墓祭りの日が引き上げられて、シバサシ、カネサルに行うようになった(小野重朗)。(p.477)。

 小湊の島立神話。
 昔、琉球からイーマランコラという兄妹の二人が小湊に漂着した。やがてこの兄妹二人が中心になって現在の集落が形成された。山頂のほとりに二つの巨大な石があり、その一つは昔、男神(エイリ神)が海から運んできたもの、他の一つは女神(ウナリ神)が運んできた。これが小湊の島立神石。この神石から真正面にむかったマー(ミヤ)という広場のあたりから部落が開けた(p.472)。


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