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2014/05/14

60.「沖縄本島の墓制」

 第五部、「琉球墓制の成立」。第一章、「墓制の諸現象」。「はじめに」、「沖縄本島の墓制」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。

 おそらく他の群島の墓制は、この沖縄本島の墓制を軸にして展開し、かつ変貌していったとみられる(p.435)。

 琉球最初の墳墓といわれる玉陵の構築が一五〇一年、伊江王子を祀る亀甲型の墓が一六九〇年頃の構築としよう。だとすると、およそこれらの時代を上限として、墳墓は祖先崇拝という名目に支えられ、その宗教的な価値を高めながら、まず王家、そして系図持の社会から流行のきざしを見せはじめ、一七世紀から一八世紀にかけて、武家社会では墓作りの最盛期であったと想像される。こうした傾向はやがて、無系の常民階級を刺戟し、階層的には上層から下層社会へ、地理的には首里、那覇附近から各地方に波及していくことになる(p.449)。

 破風墓(ヤーグヮーバカ)、亀甲墓(カメノクーバカ)。

 内地の場合は労働手間の賃借や婚姻、出産にはじまる人生儀礼の強力参加が重要な条件となっているが、沖縄の門中の機能は墓祭り、つまり先祖祭祀という、かなり限定した意味でしかその役割は果たさない(p.440)。

 現在の死者に対して抱く濃厚な関心、祖霊信仰に対する考え方が門中墓の形式に如実に示されてる。これは、始祖との関わりをもつと信じられる井泉や聖地を巡拝する「東詣り」や「今帰仁詣り」などの形となってあらわれる(p.440)。

 本島北部では大正期になってから。門中集団は中南部に濃い。
 奄美には門中という言葉はない。父方、ヒキ。母方、ハラ。沖縄本島、宮古・八重山でも広い範囲で使われる(p.442)。

 門中は血縁だけではない。これは与論のサークラも同じだ。

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