39.「豊饒と死」
「豊饒と死」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。
ニライ・カナイという聖地は、豊饒と幸運をもたらす来訪神のいます場所だというのが現在の私の考えであるが、それでは、その来訪神というのは、死者の延長上にある先祖のことであろうか、またはそれ以外の何かであろうか(p.292)。
死者の延長上の先祖とは直接的につながらないが、始祖として、あるいは祖霊として表象されるのではないだろうか。
「海なん死(もい)しゃる人や竜宮なんど御座(いえ)る」(野口才蔵・与論島)。「ニライ・カナイという海上の聖地は、死者の魂の最終的に留まる場所というように見える」。他界と認識された場所に霊魂は集まり、そこが他界の入口であれば、そこから来訪神も出現する。
(前略)琉球では死者の魂の赴くべき方向というのは、古くは存在しなかったのではないかとも考えられる。それは死霊への恐怖、墓制や位牌祭祀を拒否しつづけてきたことと考え合わせると、明確な後生感は必要としなかったのかもしれない(p.296)。
これは大胆でラディカルな見解だ。これは、漁撈採取の段階では、空間としての他界は存在しなかったことだけではなく、他界が存在しなかった時間まで遡及できるかもしれないことを示唆している。
弥生遺跡・木綿原の十二体の人骨は、方位はまちまちで「特性はまったくない」。「シャコ貝を人骨の上においた痕跡があり、これが海上他界を意味するとも考えられるが、私はむしろこれを死霊の鎮圧と考えた」(p.296)。
トーテムや魔除けの可能性はないだろうか。
酒井は、「死者の魂が浄化されて祖霊化し、それが来訪神となって豊饒をもたらすために部落に訪れる」(p.297)という考え方は間違いであると指摘している。これは同感だが、
私の考えからすれば、死者の魂は肉体の中に再生することはあり得ても、その住み家を、海上や山頂など肉体の外の特定の場所に設定することはないだろうということである(p.297)。
これは初期の段階でのことであり、時代がくだればそう設定されたのだと思う。
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