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2014/04/21

38.「霊魂と他界」

 第三章、「霊魂と他界」。第一節、「方位と原郷」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。

 酒井の論も本格化していく。ぼくが取っ組みあいたいことも同じことだ。

 豊饒をもたらす原郷と信じられているニライ・カナイは、どの方向か。

 伊波普猷。最初は北方だったが、三山統一後、東に変わった、とした。
 柳田國男。「それはただ新しい名の入用は以前からなかったまでで、ニルヤはそう簡単に北から東へ更え得られるような信仰ではなかった」(「海神宮考」)で、東方浄土観の確立を試みた。
 谷川健一。伊波と同様。

 酒井。「東方に対する聖地観念は、本来は常民自身のものであったはずである」(p.286)。


 折口信夫。洞穴に死者を放ったり水葬したりする二つの形が融合して「洞穴を彼岸へ到る海底の墜道の入り口という言ふ風に考へ出したものと思ふ」(「国文学の発生」)として、「最終的に死者の魂の赴くところは暗い洞窟の奥ではなく、二ライ、すなはち海上のはるかな場所に死の場所を想定された」(p.287)。

 柳田國男。「黄なる泉の流れるといふ土の底まで入っていく場合など有り得なかった」、「ニライ・カナイは「根本一つの言葉であり、信仰である」(根の国の話」)。

 両氏の考えにずれはあるが、最終的には地下でないことは一致している。

 谷川健一。死者の赴く場所がニッジャ、ニズラという地下世界という考えに立ち、冥府は地底を通って海に通じる。だから「太陽が東の洞窟から出て西の洞窟に沈み、地の底を通り、ふたたび東の洞窟に出るという円環を模したものである」(「常世論」)

 これらは宮古島の地下他界説に関連したもの。
 古い歌謡や神歌などいあらわれた根の国は、地下ではない。「河良原のフサ」は、「降りる」という表現からは地下ではなく天が示唆される。

 「それにもかかわらず宮古島ではとくにネーラが地下の洞窟でなければならないのは、これはたぶん洞窟葬の影響ではなかったかと私は思う」。

 アカマタ・クロマタ。山の奥、もしくは洞窟から出現。しかし、これは「後世になってからの変化という感がする」(p.288)。

 来訪神マヤノカミ(マユンガナシ)、(八重山川平)。マヤノカミは神そのものでjはなく、ニライ・カナイの神、ニランタウフヤンの「身代わり」。ニランタウフヤンは部落の滞在神。

 「おそらく々八重山地方の来訪神アカマタ・クロマタも、山の奥や洞窟は農作物の種播かれて収穫するまでの期間の仮の場所で、ほんとうは二ライを拠点として、そこから来訪する神であったに違いない」。

 それでなければアカマタ・クロマタをニロ神(ニライ神)と呼ぶ理由がない。これは沖縄国頭のシヌグ祭りに神が山からおりてきて、最後は海に送る行事で結ばれることも同じ原理であろう。宮古島でいうねーらという世界が「根
」の信仰に由来したもので、元の形は海上にあったとした柳田説に私が共感する根底がここにある。

 宮古島。二ライという言葉は影が薄いが、海上信仰はある。竜宮である。竜宮というと、海の底という感じがするが、これは沖縄本島でいうところの二ライ。宮古島でも海上聖地の考えは濃厚。竜宮が海上聖地であったとすれば、同時に太陽の出る方向を志向する。したがって、谷川が宮古に東方観念が存在しないというのは、実情と合わない。

 「いわゆる原郷観念というものは、地下世界ではなく、海上の、しかも東(あが)りの方であったことを示していると思う](p.289)。

 常民たちの生活の中には、日没と同時に横行する悪霊(ムン)への恐怖があり、これは太陽をまち望む心につながる。また内地にはみられぬほどの強烈な火の神信仰の存在は、これも太陽信仰の強さと関係があろう。つまり「王権の思想」以前に、太陽を軸とする信仰があって、これによって東方浄土観は支えられていたのではなかっただろうか(p.291)。
 こうして琉球列島における方位感の中で、原郷観念の問題を整理してみると、部落の位置で若干の相違はあっても、全体としては、東方海上への志向が濃厚で、部分的には南方への関心も見逃せない。川平のマユンガナシを祀る家が南風野(はえの)家であり、久米島最高の神女が君南風(ちんべえ)であることにも意味がある。私はさきに東方をもって人間未来の生活への憧れの地、南方を豊かであった過去過去の世界といったが、あるいは農耕社会の方位感は太陽を軸とする東方、海の平穏を期待する漁撈社会では南方の方位感が濃厚だという考えも捨てきらないでいる(p.292)。

 王権によって島人の信仰が容易く変わるわけではなく、かつ島人の信仰こそが重要であるとする酒井の視点にはとても共感する。

 琉球弧の島々に他界観念の方向がさまざまに存在するのは、それだけ時代ことに違う信仰を持った人の渡来があったということ、もともといた島人も漁撈社会から農耕社会への生産様式の変化によって共同幻想への関わりが変われば、信仰を変えることもあったこと、そしてアジア的社会の特質よろしく島人に根本的な改宗を迫ることは無かったことなどが混在の理由をなしていると思える。

 ここまでのところで、ぼくの考えをメモしておくと、最初の他界観念は洞窟だった。そこには光と闇の認識がある。光をもたらすものが太陽であってみれば、その段階で東方に対する信仰があっても不思議ではない。また、酒井が言うように、やってきたる原郷として南方を志向するのとも矛盾しないと思える。違う軸を持ち込んだのは、農耕をもたらした人々であり、彼らに東方への志向が強く、海上の島の他界観念はここで強化、定着されたのではないだろうか。

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