« 35.「舟葬とニライ信仰」 | トップページ | 37.「垂直他界」 »

2014/04/19

36.「平行他界」

 第二章、「方位にみる他界観念」。「はじめに」と「平行他界」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。

1.東方他界

・国王、聞得大君による「東御巡(あがりうあみ)り」。本島東南部の海に面した玉城は琉球発祥の神話を持ち、その沖の久高島は五穀発祥の伝承の地。
・与論シヌグの麦屋地区でもシヌグの最後の神送りには赤崎御願の下方で東方に向けて送る。「大東、大口」からアマミキヨが東方海上から来訪されると信じられていた。
・祝女の葬式のとき、東方への意識は鮮明に見られる。
・病人、産育のときも東方重視。

・死者は北枕、埋葬の時は頭は東(与路島)
・死者は西枕、僧侶がくると東向き(糸満)
・死者は南向き、僧侶の読経のとき東向き(宮古島砂川)

 「琉球の他界観念は、その特色としては東方浄土が強く意識されているという点は見逃すことはできない。ただ死者が浄められた状態で東方の豊穣の地に赴くという考えは、あるいは祖霊信仰の高まり、それは東方海上の二ライ信仰を背景にした死者への温かい配慮から、後世になってしだいい形作られてきたという考えも捨てきれない」(p.266)。


2.西方他界

 「事例からする限り、西方を死者の赴く場所と考える例が圧倒的に多い」。

・西枕の風習は内地はもちろん、琉球列島の南北のほとんどの島でこの風習がみられる。
・西方浄土は、仏教の教理を背景にしたものかもしれない。ただし、それ以前からあったとする説もある。


3.南方他界

 南に対する憧れ、一種の禁忌感の織り混ざったもの。日常生活や年中儀礼の行事のなかに頻繁に現れる。

・「真南風為すメガガマ」(宮古島神歌)。神をまつ心と恋人をまつ心の両方にかけた歌。
・「奥山の山のびど山の猪のまあ中」と南に向かって弓を射る(与論島シヌグ)。
・パイヌスマに向かって行う虫払い(宮古島狩俣)

・生きている人は東枕。死人は南枕(加計呂麻島嘉入)。
・枕は南向き、墓も南向き(徳之島徳和瀬)。
・死者は南枕。埋葬は西向きが多い(与論島)。
・死者は南枕(八重山川平)。

もし東方に対する浄土観の起因が太陽のアガリにあるとすれば、南へのそれは、民族の北上といかないまでも、やわらかな季節の訪れに伴う豊饒への期待がみられる(p.273)。


4.北方他界

 琉球列島では北の方をなぜニシというのか。

・アマミキヨの南下、ついで第一尚氏。「民族の北方観念は、これを機に東方に変わった」と伊波普猷は言った。「仮に他界観念が民族の原郷観念と結びつくとすれば、伊波氏の説をとる限り、琉球の原郷は北にある」(p.274)。

・死者はまず南枕、埋葬する時は北枕(与論島)。
・大体は西、稀に北枕(久高島)。
・宮古島における他界観念は北へ北へ志向している。

 「断片的ながら全島的に分布している」。「西と北は、つねに不毛の地」。


 要するに死者の枕の向きは東西南北どちらの向きにもあるということだ。そのうえ島ごとに違うだけでなく、島の中でも違う。もちろん、これは琉球弧の島人のおおらかさというより別のことを物語る。死者の枕向きをマッピングして眺めてみれば何を示唆してくれるだろう。もっとも、酒井の事例から伺えるのは、西、東・南、北の順になりそうである。

 聞得大君と与論麦屋の東方浄土観念を並べてみると、後者の性格もよく分かる。アマミキヨ信仰を受容したということだ。与論麦屋の島人が最古の島人の子孫であるとすれば、アマミキヨ伝承はもともとではなく、ある時期に信仰化したのだ。

 南北については、島人の出身に対する信仰。東西はアマミキヨ信仰と仏教信仰としてみると、いずれかの信仰の強度によって向きが決まっていると大ざっぱには言えるのではないか。もちろん、酒井が指摘するように西は、仏教の影響ばかりとは考えにくく、正確さを期すには繊細に見ていく必要がある。


|

« 35.「舟葬とニライ信仰」 | トップページ | 37.「垂直他界」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 36.「平行他界」:

« 35.「舟葬とニライ信仰」 | トップページ | 37.「垂直他界」 »