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2014/04/13

30.「モノ追いにみる死霊」

 「モノ追いにみる死霊」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。

 死の完成の手続きとしてのムン(モノ)排除。ムンは悪霊。大和口のモノ。内地では形骸化して、モノおじする、モノノケなどの古典的な表現のなかに、「辛うじてその余韻を残している(p.213)」。

 折口信夫は、「ものとは魂といふ事で、平安朝になると、幽霊だの鬼だのとされて居る。万葉集には鬼の字をものといふ語にあてゝ居る。物部氏は天子様の御神体に此倭を治める魂を附着せしむる行事をした」(「大嘗祭の本義」)として、もともとは霊魂そのものの意であったとしている。

すぢの守護から力を生じるとして、すぢを言はぬ世には、まぶり(守り)を以て魂を現した。体外の魂、正邪に係らずものと言ふ様になった。(「若水の話」)

 これに対して酒井は異を唱える。

 マブイは(中略)人間が正常であるために欠かせない一種の守護霊であり、ムン・モノは、これをどのように好意的に解釈しても、守護霊に通じる性質のものは見当たらない。(中略)。この両者はおそらくはじめから混合しえない明暗二つの霊魂で、その中で、ムンは、常に人生の暗黒の部分を支配している(p.214)。

 と、琉球弧の見聞から書いている。

 人間が、動物や植物などの他の自然と人間を区別していなかった頃は、霊魂の呼び名は同一だったと思う。それがムンであったかどうかは分からないにしても。人間が他の自然物と自分を区別して呼び名の違いと正邪の違いが起きた。マブイは「守り」を含意するとともに、人間と他の自然物との区別の標識になっているのではないだろうか。そういう意味では、折口のムン理解は射程を持っていると思える。


ムン払いの事例 

 葬送をすませると、親族は息を引き取った部屋で車座に座る。成人三人が円座の周りを七回廻り、外にかけだす。もう一人の男が「マブイはどこだ」と叫び、石を投げながら三人を追いかける。三人は「ここだ」と答えながら追いかけられ、海岸まで行って終える。四人の男は部屋に戻ると、円座を五回廻り、生前死者の使用したものなどを持って海に捨てに行く。これが終了してから親族も海岸に下りて足で波を蹴る。いわゆるシュケリ(昭和初期、糸満)。

 死の直接の原因と信じられている死霊の排除。「その排除の仕方が、いかにも琉球的である。ムンを得体の知れない悪霊として捉えるのではなく、これを擬人化して、往々にして目に見える霊魂として具象化している場合さえある(p.219)」

 酒井が「琉球的」というところを、ぼくたちは人類の初期に見られる自然の擬人化として普遍的と言いたいわけだ。

 酒井はまた、糸満の例のように、悪霊役がいるのが原初的ではないかとしているが、同感だ。

 モノはどこまで追っていくか。墓地、海辺、四辻、その他部落外。生活圏の外。

 それほどまでして生活圏から離れて遠くへ死霊を追い出そうとする背景には、モノに対する畏怖感がその根底になければならない。(p.222)
 すさまじい形相をしてホーハイ、ホ-ハイと叫びながら松明をかかげて走り廻る光景は、土地の人がみていても恐ろしいという(p.222)。

 酒井の島人の素朴な感情を重視した酒井の考察に、恐怖の共同性としての共同幻想の関与を指摘しなければいけない。モノ追いが追い出されるのは、空間的に疎外された他界の場所までだ。そしてそれを司っているのは、島の共同幻想である。だから、追いだす範囲は空間的な他界の場所を示唆しているはずである。

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