« 18.「屋内葬と屋敷神」 | トップページ | 20.「網の呪力」 »

2014/04/02

19.「擬葬と転生」

 「擬葬と転生」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。

 伊計島のグミカーウーユン。

 死者を墓に送った後、その夜は、死者を置いてあった座敷に、着物を重ねて死人の格好にみせかけておき、その周囲で近親の者は泣きまねをする。さらにその泣きまねをしている人達の周囲を松明をもった人が七回まわる。松明をもった人は、やがて浜に置いてその松明を捨てて手足を洗い、潮を三回はねて、道を変えて後をふり返らずに帰宅する(p.134)。

 酒井はこの例から出発する。「死者を置いてあった座敷に、着物を重ねて死人の格好にみせかけてお」くのはなぜか、と。そしてこのやり方の原形に向かって事例をひろいながら、「死者との添い寝」という形式を見出す。

・夜半に通夜が終わった後、女子だけは居残って死者と枕を並べて添い寝した(沖永良部島)。
・身内の者は死者と同じ部屋で寝るが、死者の廻りに寝る者はほとんど死者の子である(大島住用村)。
・死者を送りだした後で、その葬家では一同が集まって七日間夜伽をする(与論島)。
・ウイトギ(初伽)、死が近づくと親戚が集まり、ヤブーを呼んで祈ってもらう。ヨトギ、死亡した日に親族が集まって死者を坐らせ、その前で家族が死者が家族の名前を呼ぶ(与論島)。
・肉親の夜伽を「抱きとまうず」(死者を抱きながら泊る)と言う。夫婦の場合はその配偶者、もしくは母親が、故人と寝床を並べ、あるいは一所に添い寝しながら夜を明かす(宮古島砂川、友利)

 「死者との添い寝の中には一種のヌジファー、つまり霊魂の転移という意図も隠されているようだ」(p.139)。
 酒井は、折口信夫を引いている。

 以前は長い間、生死が訣らなかったのである。死なぬものならば生かへり、死んだのならば、他の身体に魂が宿ると考へて、もと天皇霊の著いてゐた聖躬(せいきゅう)と、新しく魂が著く為の身体と一つ衾で覆うておいて、盛んに鎮魂術をする」(折口信夫「古代人の思考の基礎」)

 酒井は、折口の言葉に対して、「天皇霊に限らず、すべての人間の魂は転移することが可能であったと思う(p.141)」と書いているが、これは当然、そうだ。

 「琉球列島ではとくに、内地にはみられない特異な形として、この考えが保存されている」。

・神女となるべき女が、いざ成巫するというとき、その女性は自家の一室を区切って一つの褥を用意して、二つの枕をつくり、そこで自分と神と添い寝する式(八重山地方)。ヤマダキ、カミスデ。
・「膝抱人(チンシダチャー)」。死者が出ると、長男が枕元に坐り、あとは年の順。通常の場合は、孫に当たる者が「膝抱人(チンシダチャー)」になる(浦添)。
・三男二女の構成が理想。長男は病人の頭部、次男は左背、三男は右背、長女は左膝元、次女は右膝元。二人の娘のことを「膝抱人(チンシダチャー)」呼ぶ(那覇)

 それは生命の充実した者、もしくは神秘な力をもつウナリ神(姉妹神)の手によって、危篤の人間の生命を補強をするというばかりではなう、これとは逆に、孫なり、その他の生命の中に死者の魂が再生していくという考え、すなわちスデル考えが潜んでいたのではないかとも考えられる(p.143)。

 死者と添い寝をする風習は、「危篤の人間に生者の魂を移して蘇生をはかる呪い」というより、「死すべき人の魂を生者が受け継ごうとするための呪いではないか」。「死者との伽の風習は霊魂の継承という意味で捉えたい」(p.144)。「殯(もがり)というものの古い習俗もこれと同じ形式ではなかっただろうか」。

 酒井は、「危篤の人間に生者の魂を移して蘇生をはかる呪い」と、「死すべき人の魂を生者が受け継ごうとするための呪いではないか」との二つの考えのうち、後者を強調している。というより、前者に傾きがちな解釈に対して、後者を対置しているが、その通りだと思う。

 酒井が引いた引用文の後を見ると、折口はこう続けている。

 中休みをなさつた聖躬が、復活なさらなければ、御一処にお入れ申した、新しく著く御身体に、魂が移ると信じた。死と生と、瞭らかでなかつたから、御身体を二つ御一処に置けたのである。生と死との考へが、両方から、次第にはつきりして来ると、信仰的には、復活するが、事実は死んだと認識するやうになる。そして、生きてゐた者が出て来ても、一度死んだ者が、復活したのと、同じ形に考へた。出雲の国造家の信仰でも、国造の死んだ時には猪の形をした石に結びつけて、水葬したが、死んだものとは、少しも考へなかつた。其間に、新国造が出来たが、宮廷に於ける古い形と等しく、同じ衾から出て来るので、もとの人即、死者と同じ人と考へられてゐた。従つて、忌服即喪に籠る、といふ事はないのである(折口信夫「古代人の思考の基礎」)。

 ここで転移する「天皇霊」は、魂といっても支配者としての宗教的威力を含むので、琉球弧の「添い寝」とそのまま同一のものと見なすことはできない。むしろ、「添い寝」の習俗があったからこそ、「天皇霊」の「鎮魂術」も成立したのではないだろうか。

 「生きてゐた者が出て来ても、一度死んだ者が、復活したのと、同じ形に考へた」のは、死が時間的な移行のみを指した「古代人の思考」がよく現れていると思う。酒井は、「添い寝」の対象が「女」であることに着目しているが、ぼくは浦添の例にある「孫」に惹かれる。与論島の童名であるヤーナーは祖父母から受け継ぐのと、同一だと見なせるものだ。

 死に際した「添い寝」は深い意味を持つと思う。大和の天皇の世襲大嘗祭と、琉球の聞得大君の御新下りでは、神との「共食」と「共寝」を祭儀の核心に置いている。この、権威継承における神との「共寝」は、生死における「添い寝」を母胎として生み出されたと見なせるのではないだろうか。

 

|

« 18.「屋内葬と屋敷神」 | トップページ | 20.「網の呪力」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 19.「擬葬と転生」:

« 18.「屋内葬と屋敷神」 | トップページ | 20.「網の呪力」 »