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2014/03/28

14.「洗骨習俗の分布」

 「洗骨習俗の分布」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。

 種子島の洗骨、トカラの中之島の洗骨は与論島、奄美大島からの移住者によるもの。したがって洗骨の北限は奄美大島。

 ただ、「大島でも地方によっては最初から洗骨しないところもある」(昇曙夢)。

 問題は徳之島。島を二分して、東部は洗骨を行わず、西部は行う。

 「洗骨習俗のもっとも濃厚だとする沖縄本島はどうであろうかというと、ここでも離島や僻地には洗骨習俗をもたない部落が点在する」(p.77)。

 国頭阿波は明治22年頃から洗骨行事を始めた。それ以前は、「海の近い村外れのアダンの茂みの中に納棺せずに放置して、以後なんらの処置はしなかった」(p.77)。久高島の北部にも洗骨の習俗はなかった。

 宮古島。「日を定めて義務として洗骨をするという例は少なく、異常死にのみ洗骨が適用される例がかなり多く、まったくしない例も目立つ」(p.79)。

 八重山群島は、「全島的に洗骨を行っていて、例外を認めることはできない」。ただ、「川平では家族墓ができてからの風習である」という報告は注目してよい(p.80)。

 洗骨地帯においても(中略)、離島まで死者を運んで葬るという伝承、もしくは実例のあるところにおいては、たぶん洗骨しないのが原則であったのかもしれない(p.80)。

 例。笠利の海辺にあるニヤデの小島。今帰仁のヤガンデ島。
 かつての加計呂島もそうだと思う。


 酒井の具体例抽出から言えることは洗骨は琉球弧に普遍的とは言えないということだ。


 

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