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2014/03/26

12.「洗骨と死穢」

 「洗骨と死穢」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』

 この節は与論島の例が多い。

 種子島に移住した与論人の発言。「われわれも土地の風によって土葬する。しかし先祖代々の風習にしたがって洗骨する」。「種子島の風習は埋めっぱなしだ。われわれは牛や馬ではない」。

洗骨文化圏に育った人たちにとっては、埋めっぱなしというのは死者の放棄にも等しいことで、死者に対する丁重な考えを示すその考えの具体的なあらわれが洗骨である。それは最近の火葬の普及によって骨化するというのではなく、時間をおいて、自分たちの手で確かに洗骨をすることが、死者に対する孝行だということである。洗骨にたずさわった人たちはたいてい、最初はためらいがあったが、いざ洗骨をしてみると感激であったと語るが、この実感は土葬地帯の人たちには容易に理解しえないものであろう。(p.69)
 死者は後生という死者の住む世界に安住するまで、まだ半ば生きている。とくに洗骨の場合、死者が自らを喪失して神格化する最大の条件は骨化することがだから、「どのあたりを歩いているか」の基準は、死者の腐敗解体の状況と一致する。(p.69)

 「死者(モイシャルチュ)や四十九日祭んたなや苦労しゅん」(野口才蔵)。
 五十日祭(今では三十日)までは「この期間は腐るために難儀をする時期なので、皆で拝して死者を力づける」ために供養する。(加藤正春)
 この祭りは、「床あげ」、「たなあげ」。これで「しあがる」という。「一段落ついた、ちょうどこの頃を見はからって、ヤブーに頼んで死者の口寄せをしtげもらう」(p.70)

 洗骨というのは、腐敗しつつある死者の肉を洗い清めるということではなく、完全に骨化された状態の死者を洗うことである。少しでも肉が腐敗したまま残っていると、この世にまだ未練があるのだと考えられて忌まれる。(p.70)
 死者が骨化するまでの、生と死の中間に存在する曖昧な期間ともいうべき腐敗解体の時期、およびその腐敗の状況について、当事者たちが抱くなみなみならぬ関心は、骨化は成仏するか否かを決定するだけに、これはたいへん強いものがある(p.71)。
 めでたいのは洗骨が当事者たちが満足できる状態で完了したときのことをいうので、行事そのものがめでたいわけではない。洗骨の日に自然現象に異常があると信じられている理由もこの附近にある。

 与論島では洗骨をする「クーヌカシンミヤー」の日が近づくと、必ず海が荒れる。


メモ
 死の段階を肉体の状況に対応に対応させているのは、地上葬から生まれた観念のように見える。同時に死の段階は後生に行く道程とも対応されている。

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