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2014/03/12

『アフリカ的段階について』Ⅳ

 この根本にある課題は文明的な環境が早く進んだ地域と遅く後を追っている地域とが、いずれにせよ均等化するところへ集約されることでは解決にはならない。なぜならアフリカ的な段階には人類の原型的な課題がすべて含まれていることを掘り起こしえなければ、たんに進みと遅れ、進歩と停滞、先進と後退の問題に歴史は単純化されてしまうからだ。人類は文明の進展やエリート層への従属のために存在しているのではない。人類が何であるかの課題はそんなところには存在しない(p.114 『アフリカ的段階について―史観の拡張』)。

 琉球弧の島人が散々悩んできたことも同じだ。

 現在の世界史についてのわたしたちの哲学がどうあるべきかはおのずからあきらかなことだ。内在(精神)史としてのアフリカ的段階をおなじ眼の高さから内在化する課題が、同時に外在(文明)史的な未来を認知することと同義である方法を、史観として確立することだ(p.126)。

 吉本は繰り返し、少しずつ言い方を代えて同じことを指摘する。門前でためらっているのでもなければ、もったいぶっているのでもなければ、じらしているのでもない。何度も体当たりしているようなものだ。この言い方が武骨に過ぎるしたら、あの手この手で察知を試みていると言ってもいい。

 アイヌ人を観察したイザベラ・バートの『日本奥地紀行』が評価されている。これに匹敵する琉球人観察記はあるだろうか。

 地域の天候、地勢、地形などの条件に育まれた固有性がアフリカ的な段階ではおおきく物を言う要素となることは、これらの自然条件が次第に外在(文明)条件に変貌した後とは比較にならない(p.141)。

 琉球弧の天候、地勢、地形などの固有の条件についても同じだ。太陽の近さ、夏を頂点としたゆるやか気候、台風、珊瑚礁、離れ島、白砂。

 固有アフリカの現在のさまざまな問題は、南北アメリカの固有史にもあるし、日本列島の原型的な固有性をのこしているアイヌや琉球や本土の固有の古典史にも存在している(p.145)。


 

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