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2014/03/31

17.「喪屋の構造」

 第二部、死霊祭祀の構造。第一章、遷居葬。第一節、喪屋の構造(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。

 モヤとは死者を置く場所、あるいはその場所で死者とともに身内の者が過ごす建物を指すのが通常の形式(p.103)。

 殯(もがり)。

 ムヤとは生と死の接点をかもしだす場所で、ムヤ以前にも、ムヤ以後にも、死を決定づける何ものもないと思われる(p.104)。
 トギ(伽)をする者も、トギをされる者も、洞窟の前庭に小屋がけをしたのではないか。「もちろん洞窟の中に死者をおくこともできるし、トギする者もその中で過ごせないわけではない。しかしそれでは腐敗が長びく」(p.104)。

 与論島の場合。洞窟の前に死者には筵などを被せておいて腐敗をまち、その後洗骨して洞窟の中に納める。金持ちは、石を四隅みにおいて、その上に棺をおいて骨化したらしい。「後生ぬ門や一門、阿弥陀門や七門、其り開きて、見りば親ぬ前」(昔イキトゥブシ)。一説には、家族の者が洞窟の前の棺を開けてみて、親の死体の腐っていくのを見ながら歌ったものだともいわれる。このときの人たちのことを「トォギ」と呼ぶ(p.110)。

 喜界島の喪屋も沖永良部の喪屋も、洞窟という形をとりながら、そして洞窟を最終的な葬地としながら、その前の段階で喪屋の存在があった。それは(中略)殯の形式を前提としたもので、その殯屋が消滅することによって、洞窟に喪屋という名だけが移行して残った(p.112)。
 喪屋は草屋根の方が作りやすい。しかし石垣で周囲を築くようになってくると、これは喪屋が部落ないに定着してくることを意味する。おそらく喪屋は死者のでないうちから、恒久的な施設として用意してあるのではなく、死者が出た時点で伽をするように臨時に設けられるのが本来の喪屋の特性であったと思う。それでなければ野ざらしの人骨などは存在しえないからである(p.115)。

 つまり、野ざらしの人骨のそばには喪屋があったということか。

 板石墓ももとは茅や竹の葉などで作りあげた喪屋。沖縄のカゲヤは奄美の喪屋の別名(p.118)。
 奄美では祝女や家人などの墓と言われるものはあっても、常民の墓の存在はまだはっきりしない時代が続いていた。その場合、消滅しやすい喪屋の位置も不確定である。共同の葬地がしだいに確立してくると、消滅しやすい喪屋は墓地にその名称を譲ることになる(p.118)。


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