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2014/03/02

「詩魂の起源」

 ぼくのモチーフは、琉球弧の精神史。その入口として真っ先に思い出すのは、吉本隆明の「詩魂の起源」という講演録だ。1987年の「現代詩手帖」に掲載されたのを切り取って持ってきた。ずっと気になりながら、放ってきてしまったものだ。もう27年になるが、そろそろ取り組めるかもしれない。


詩的な行為の上限と下限(宗教以前の宗教的感情)

上限。「詩とは魂のある気配みたいなものを、よく察知すること自体」

下限。「言葉を使って他人に対して、あるいは対象に対して、自分の魂の在りかを附けてしまうこと」


詩の精神の原型。

1.「魂とか心は身体をいつでも離れて彷徨い歩くことができると考えられていた」。
死んだら村里のすぐそばにある山の上に行く。また、山の上から迎え火を焚くような迎え方をするといつでも魂は帰ってくる。産土の神杜。七五三。

2.「(魂は)何回も転生できると考えられていました」。
繰り返し生まれ変わって誰かに附く。


詩の精神の行動の様式。

1.山の頂に自由に行き来できる。媒介は、「山、木、尖った棒」。
「詩の精神が「形態」というものについて、初めてある認識を獲得した」

2.海の向こうの島のようなある種の魂のある場所に自由に行き来できる。媒介は「鳥」。
「真上からの視線に詩の精神が初めて気付いた」

3.洞窟のようなものを通って向こう側のどこかの世界に自由に行き来できる。媒介は「太陽の光」。
「光と影の世界を詩の精神が初めて獲得した」


古さの順

3、1(2)、2(1)

1.「山に住む人と里に住む人、言葉を換えて言えば、平地で農耕をやる人達と山で狩をやったり木を伐採する人達との違いと交渉が始まった」ことが元にあって出てきた考え。柳田國男が追求。

2.「海の向こうから稲作を運んで上陸してきて平地に住み着いた人達の持ち運んできた認識とか感覚のパターン」。折口信夫が追求。

3.「人間の詩的精神が自然とか自然物とどんなふうに交感していたか、そしてその交感の仕方が無意識であった時期の詩的行動パターン」。


仏教は、この3つの詩的行動様式に対して継承と切断を行った。

「魂が彷徨い出てまた帰ってくるという行動認識の切断」。
魂は西方浄土へ往き、そこへ行ったらもう帰らなくていい。往き方は修練による。
僧侶の世界のことで、土着はできない。そのため、3つの行動様式も継承される面があった。

浄土教は、修練の否定を行うことで、仏教は土着。
親鸞。修練で往ける浄土はない。「いつでもそういう楽天浄土に往けるある場所を占めることができる」
「魂が往き来きる場所に意味があるとしたら、その位置にしか意味がない」


 吉本は詩的精神について語っているわけだが、そのまま魂のことだから、ぼくたちが考えたいことに直結している。


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