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2014/03/15

1.「海礁の柩」

 『琉球列島における死霊祭祀の構造』。第一部は「琉球葬制の諸現象」。第一章、「葬制の変貌」。第一節、「海礁の柩(かいしょうのひつぎ)」。

 伊豆青ヶ島の人たちは黒潮を「黒瀬川」と呼んだ。黒瀬川は、「私自身が戦後この島で聞いただけでもどれだけの命を奪ったかわからないほど、いたましい話をのみこんだまま、今もなお滔々として流れつづけている。濃紺というより、むしろ黒に近いこの海の色は、まさしく死を思わせる暗さが漂っている」(p.5)。死のイメージとしての黒潮。

 この黒潮の流れを、逆に遡って琉球列島までくると、この島の海のなんと美しいことか。霜枯れを知らない緑の島を包むようにして広がる海の蒼さは、雨の日などには幾重にも色を変える。台風のときを除けば常に静謐なたたずまいを見せていて、さざ波は衣ずれのようなやわらかな音をたてながら、干瀬のあたりまでくると、小さな襞をつくり、やがては透明となって乳白色の砂丘の中にとけこんでしまうのだ。この渚のほとりには、島の人たちの存在を意味づけるすべてのものがある。(p.5)

 琉球弧で、一転して変わる黒潮のイメージ。

昔、太陽をのせた死者の船が去っていった伝説の時代から、この海は今もなお、現生と後世のきれぎれの夢が結びあう接点となっている。例えば人びとは海に向かって豊穣を祈るかと思うと、虫送りに代表される悪霊もまた海に送る。新生児はその生きるしるしとして海におりて水撫でをするが、死者があればその親族は海に降りて泣きながら潮を蹴る。このようにしてまぶしい海の蒼さに抱かれた海礁のほとりには、生きとし生ける者の息吹きと、悲劇的な破滅の両者が共存している。それが琉球列島である。(p.6)

 海辺、浜辺で生と死が交錯する。これは琉球弧の定義であると言っていいほどかもしれない。

 (琉球弧の「死の構造」は-引用者)祖先崇拝という美しく飾られたものの中に隠されて横たわっている。もっとも基本的、かつ情緒的なもので、よそ者の信仰によって拘束されることのない、自分自身の習慣によって構成されたものである(p.6)

 酒井がまず紹介するのは、「いわゆる曝葬(ばくそう)ともいうべき、死者を地上にさらす葬法」、つまり「野ざらし」だ。

 「野ざらし」の葬法は琉球弧全域に見られた。「野ざらしの人骨は住民にとってはまだ身近な存在であったし、またありふれた風景でもあった。つまり日常生活のすぐ傍にある現実だから、これをとりたてて問題にする意図は感じられない」(p.13)。

 たとえば、与論で狼煙台跡と言われる西の崖には、昔、疫病で多数の死者が出た時、その崖から遺骸を投げ捨てたと、竹さんから聞いたが、それもやむをえなさや残酷という言葉だけでは片づけられないものだ。30年ほど前、場所は忘れたけれど、島の南、アダンや木々の茂る砂地の斜面を四つん這いで登っていた時、砂の白に馴染んで頭骨が横たわっているのを見たことがある。怖いとは感じなかった。

 この常民社会のベースがあったから、日本内地の昔話の影響を受けているのは否めない「歌う髑髏」の昔話も受容されていった(酒井によればこの昔話の南限は宮古島)。

 そこで、酒井の問題意識はこうだ。

 現在の琉球における濃密な祖先崇拝、その反面、放棄されたとみられる野ざらしの人骨、この両極端の現象はいったい何を意味しているのであろうか。(p.13)

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