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2014/03/11

『アフリカ的段階について』Ⅲ-5

 いずれにせよ最初の始祖は性交行為を知っていたが、子を生む方法としては知らなかった。子は村落の死んだ祖先の霊がやってきて村落の女性の胎内に入るという別の事柄だった。そういう共通説話からできている。性交行為と妊娠、出産との必然的なつながりを知らなかった段階を象徴しているものとおもえる。もちろん始祖の人間といえども性交の方法を知っていた。しかし子どもが生まれるのが性交行為の結果だという認識に達しなかった。その生理的な理由は性交と愛情から出産までのあいだに十カ月余の距たりがあるためにちがいない。もうひとつは輪廻転生の神話的な確信が祖先崇拝と強力に結びついていたからだとおもえる(p.102 『アフリカ的段階について―史観の拡張』

 これは与論民話(神話)でも同じことが言える。というか、この類型下にある。

 起源をめぐる神話が、セキレイの交尾から性交の方法を学んだとか、動物の性行為をみて性交を知ったとか、風上と風下にして風のそよぎによって妊娠したとかいうように、性交が妊娠とかかわることとしてかんがえられるかぎり、性交の方法を知らないように記述していることは、人(ヒト)の起源を動物生と異質のものとみなしたい最初のモチーフとうけとれる。なぜ人(ヒト)は起源神話として発祥が仮構されるのかといえば、この最初の動物生の否定のモチーフからではないだろうか。この否定のモチーフは物語をつくる原動力であり、ありうべかざることに合理性を与えうる能力の起源にちがいない。アフリカ的な段階の基底にあるこの否定の同一性が、人(ヒト)を差異の同一性という矛盾した類にしているものだ。

 人間は、植物や動物と同じという認識から、動物とは違うという認識まで辿る。そして動物と違うことを言うために、起源神話は、性交の方法を知らなかったという記述を生みだした。もっとも動物生を直接的に示す行為を、もっとも恥ずかしく思い、否定の動機が働いたということかもしれない。


 

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