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2014/02/20

与論史1 珊瑚世(うるゆ)

 ふつうは「奄美世」から始めますが、珊瑚礁抜きには与論のことは語れないので、珊瑚礁が島に積もった時から今の珊瑚礁ができるまでをひとつの時代として捉えてみたいのです。その時代を、「珊瑚世(うるゆ)」と名づけます。

 「珊瑚世」は更新世と呼ばれる時代に始まります。もとになっているのは立長層と呼ばれる基盤岩です。この基盤岩は水を通しませんから、今でも地下水は立長層の上を流れています。この、谷間も多くでこぼこした立長層の上に珊瑚礁ができて長い時間をかけて島に積もっていったのです。

 「立長層の上に」というのは、海面が今より上にあった時があるということです。海面が上ということは今の島の陸の部分でも海面下になったということです。そこで、珊瑚が育つのに適切な条件が整うと珊瑚礁ができます。その後、海面が上昇したり下降したりすると、残された珊瑚礁は石灰岩として堆積していくことになります。

 海面は色んな高さになりましたから、与論には大小さまざまな珊瑚礁が同心円状にできました。与論城から那間のある北東部分はそれがはっきり表れていて、六段の段丘が確認できるといいます。これは、六つの珊瑚礁があったことを示します。

 ただ実は、与論にあった珊瑚礁の数は六つを上回ります。たとえば、今ぼくたちが見ている珊瑚礁のひとつ前には、空港付近の一帯に珊瑚礁がありました。プリシアのあるハニブから遊歩道のビドゥ、そして与論港、供利港にかけてリーフがあり、その内側の陸地がイノー(礁池)でした。だから、城(グスク)を中心とした珊瑚礁以外にも別の形でできたこともあったのです。

 時代は、89万年前から39万年前にできた層があるのは確認されていますが、これははっきり言える範囲のことなので、実際には、「珊瑚世」はもっと前から始まっています。そんな気の遠くなるような昔から珊瑚が出来ては積もり、また別の場所にできては積もりを繰り返して基盤岩を覆い、いまある地形の原型を作っていきました。

 しかし、与論島の地形は基盤岩の上に珊瑚礁が積もってできたというだけではありません。小さく平坦な島なのに迫力もあるのは、南北と東西に入る断層があるからですね。与論城から島の南西側が見渡せるのは、南側と西側で地層が落ちているからです。ここが典型的なように、大きく見れば、島の東部に対して西部が、島の東部のなかでは南部に対して北部が落ちています。珊瑚礁の堆積だけではなく、断層もまた島の地形に一役買っているわけです。この断層によって、船から見る島影はあくまで平坦なのに、道々はアップダウンの激しい、ヨロンマラソン・ランナー泣かせの地形ができました。

 「珊瑚世」のなかで、与論は何度も海面下に没したことがありますが、最後に姿を現したのはいつのことでしょう。はっきりした時期は分かっていませんが、喜界島が海面上に姿を現したのは約10万年前ですから、それとの対比で考えると7万年前頃ではないかと推測できます。その頃は、氷河期で海面は下がっていったので、与論の陸地も次第に大きくなっています。そして氷河期のピークだった2万年前には、海面はなんと今より120mから140m、下だったと言われています。ということは当時、与論は標高200m以上の島になっていたわけです。

 そしてその頃には、人類は琉球弧にも到達しています。奄美大島、沖縄島、石垣島では、2万年前かそれ以上前の遺跡や人骨が見つかっているので、もしかしたら、与論島に初上陸した人類もいたのかもしれません。

 ただ、200m以上になったと言っても、沖永良部島や沖縄島の国頭とつながっていたわけではなく、小さな島であることに変わりないので、与論で生活できるにはもうひとつの条件が必要だったかもしれません。その条件とは、珊瑚礁ができることです。

 ここまで来ると、調査のおかげで年代ははっきりしていて、今のリーフの場所の海面下から珊瑚が成長し始めたのは約5千年前、そしてその珊瑚が海面に到達したのは約3千年前です。こうして「珊瑚世」を通して、島人が生活できる環境が整っていきました。

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