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2014/01/22

近代を真っ芯で引き受けた与論人

 1960(昭和35)年は、日米安保闘争で知られる年ですが、三池闘争の年でもあります。経営が悪化した三井炭鉱は人員削減案を出し、応じない者に指名解雇を通告します。これに労働組合が反発して無期限のストライキに入り、対立し衝突したのです。この闘争は、財界が三井を支援し、日本最大の労働組合組織だった総評が組合を支援したので、総資本対総労働と呼ばれるほど、大規模でかつ象徴的な事件です。

 ところで、この三池争議のなかで、与論人が組合の先端に立っていたことはあまり知られていないのではないでしょうか。

 「土百姓(どんびゃくしょう)にして世に慣れざるもの」の典型として過酷な労働条件を強いられていた与論人は、戦後、労働組合の前面に立つまでに変貌していたのです。
ここに至るまでには長い道のりがありました。

 過酷な条件に置かれていた与論人ですが、大正に入って、条件のいい場所を横取りすることの多かった地元組を、軍隊を除隊した若者たちを中心に結成した元組が制裁を加えて一目を置かせたり、荷役主任の横暴さに募っていた不満が爆発して、みんなで取り囲みこらしめて荷役主任から外させたりするようになります。

 昭和に入り、二世世代が与州同志会を結成すると、「服従ハスルモ屈服スルナ 常ニ自尊心ヲ持テ」という標語を掲げます。そして、変わらない条件の過酷さに対して、「従業時間の制限」、「老年工の優遇」、「昇給の道」、「残業米の支給」という本当に基本的なことを嘆願します。三井側はこの時、部分的にですが、条件を飲みます。

 なぜだったのか。実はこの時、与論側は要求が通らなければ、第三の与論村づくりを満州で行う決意を固めていたのでした。それを知って、三井側は慌てたのです。

 力を行使することに始まり、不当なことに対して主張し、それを通すことを通じて、与論人は自信をつけていきました。こうして、「世に慣れざるもの」を少しずつ脱していき、三池争議の頃には、労働者の前面に立つ者に変貌していたのです。

 ストライキは長期化すればするほど、労働者側はカンパが続かなければきつい状況になっていきます。三池争議でも同様で、組合員の生活はカンパが断たれ、苦しくなっていきました。そこで、三井側は会社が関与した第二組合をつくります。そうすると、それまでの第一組合から、好条件を出されていく第二組合へ流れていく者たちが出ます。

 三池争議の間、三井側は、最後まで第一組合に残るのはヨーロンだろうと推測していました。ヨーロンというのは与論人に対する蔑称ですが、それでも、「土百姓(どんびゃくしょう)にして世に慣れざるもの」という見なしから遠くへ来たことが分かります。

 しかし、与論人たちもこの問題に直面します。それは難しい問題です。会社側と対立することは学んで闘えても、島人同士での諍いは何より辛いはずですから。

 この時、興味深いことが起きています。三池闘争の理解を得ようと何人かが与論へ帰るのですが、島ではどう説明しても三池闘争の意味は伝わらず、ただ郷土人の分裂だけは止めてくれと、逆に説得されて戻るばかりだったといいます。理解を求めるつもりが、「郷土人の分裂だけは止めてくれ」と言われてしまったのは、さもありなんと思います。きっと島では、大牟田は「赤」になったと大騒ぎしたことでしょう。ここに、近代の荒波をその先端で受け止めている者と、珊瑚礁に砕けたさざ波として受け止めている者との差が歴然と現れたのでした。

 与論出身の西脇仲川さんは、三池争議のことを振り返り、こう語っています。

家族の励ましによって、第一組合に残った人。家族の説得によって、生活を守るために第二組合に行った人々。それぞれの家庭の事情があるんだから。
  人間というものは、どんなに落ちても上がっても、決して卑下したり、見下げて暴言を吐いたりするもんじゃないということはねぇ、あの三池争議ではっきりわかるです。(『むかし原発 いま炭鉱』)

 胸を打つ言葉ではないでしょうか。島人同士の対立という厳しい状況を潜り抜けていった人の言葉は優しいですね。

 口之津への移住を余儀なくされた与論人(ユンヌンチュ)とその末裔の人たちは、その後も一酸化炭素中毒をめぐる闘争などの試練を受けます。過酷な労働条件と貧困と差別と公害と。彼らは近代日本の荒波を真っ芯で引き受けて生き抜いたのです。無力と諦めに傾きがちなぼくたちですが、こうした先人がいることは大きな励みになるのではないでしょうか。大牟田の与論人の歴史をぼくは誇りに思います。

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