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2014/01/09

童名 アートゥ

 「与論町誌」を見て、茶花には「アートゥ」という童名があるのを知った(p.1057)。

 これは音の類似性から言えば、東恩納が挙げている童名の「アカト」に該当すると思う(「琉球人名考(1924年)」『東恩納寛惇全集 6』)。『与論島を出た民の歴史』には、口之津移住後に生まれた岩山アカトさんという名前が載っているが(p.127)、これは、ヤーナーのアートゥから付けた名前だと思われるからだ。ヤーナーは、母音に挟まれたk音が脱落したものだと見なせる(Akatu → Aatu)。

 東恩納は、後世は余り見なくなるが、

尚真王の童名、
 まあかとたる
と玉陵碑に出て居るのを、世譜には真加戸樽と訳してあるが恐らくは、後の真加戸とは全然別の種類に属するものであろう(p.430)。

 として、よく見られるようになるマカトとは区別している。

 与論で茶花に流通しているヤーナーだということは、これが新しく島に流入した童名であることを意味している。尚真の童名がアカトから来ているとすれば、グスクマの勢力が持ち込み、茶花への移住組のなかで続いたと想定するのが理解しやすい。

 しかし、ここではもうひとつ別の仮説を立ててみたい。

 というのも、何度か追ってきた北山由来の王舅が、その名の通り、遣明使だったとして、時期的に可能性のある三人の王舅のうち、アートゥの可能性を持つ名があるからだ。

12.1403年、03月09日、攀安知、善佳古耶、臣、方物、鈔・襲衣・文綺
13.1404年、03月18日、攀安知、亜都結制、__、方物、銭・鈔・文綺・綵
14.1405年、04月01日、攀安知、赤佳結制、__、馬・方物、鈔錠・襲衣
(cf.「王舅とは誰か」

 13の王舅名は、「アートゥ・ウッチ」と読めるのである。野口は、アートゥについて、茶花の女子につけるヤーナーとしてこれを挙げている。しかし、尚真の例に見られるように、これは、女子のみにつけられていたものではない。その意味でも、「亜都」はアートゥである可能性を持つ。

 「ピッチャイプドゥン」で、北山滅亡を機にした残党狩りを怖れて、子に親が誰であるかを告げられない悲しい昔話を見たが、この説話が事実かどうかはともかく、中山勢力によって、北山の生き残りは潜伏し抑圧される宿命を背負ったことは真実だろう。

 すると、王舅に由来するヤーナーを、女子に継ぐものとしてカムフラージュして後世に伝えたという可能性が考えられる。

 

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