« 与論移住史 三池争議メモ2 | トップページ | 与論移住史 田代メモ »

2014/01/19

与論移住史 満州メモ

 与論移住史のなかでも、満州開拓団のそれは悲惨で、避けて通りたくなるが、そうするわけにはいかない。

 敗戦とともに暴徒と化した満州人によって、入水自決、短刀自決に追い込まれた与論人たちがいた。その他、記述には現れない満州人、ソビエト兵との悲惨も背後には広がっているのだろう。

 八千人に膨れた島の人口は、またしても移住を課題とせざるをえなかった。そこへ、今度は大和を知る島の人も扇動した。責任者となるのを拒み続けた者もいた。満州開拓団になれば兵役を免れるという甘言もあった。日本軍の戦況はおもわしくなくいつ与論が米軍の攻撃に晒されるかもしれないという不安もあった。

 今回は、誰に騙されたというわけではないが、圧倒的に世界への認識が欠如していた。しかし、これとても、当時、誰がそれを持てたかと問えば、覚束ない。ただ、勢いに乗った言葉は、眉に唾して聞くのがいいという教訓は得られる。

 満州開拓団は、移住後、わずか一年でソ連の侵入、敗戦を受け、日本への逃避行を余儀なくされる。しかし、この間、敗戦間近な時期には、男性の関東軍への徴用も開始され、残された者たちの悲劇を拡大することになった。


大きな地図で見る

1943(昭和18)年8月 先遣隊
1944(昭和19)年2月 第一陣(4月到着)
1944(昭和19)年10月 最終陣到着

145戸、635人。盤山開拓団。

1945(昭和20)年4月 召集令状
1945(昭和20)年8月18日 敗戦を知る

22人、溜池に入水自決。26人、短刀による自決。死者56人、行方不明3人。

1946(昭和21)年5月24日 引き揚げ
1946(昭和21)年6月2日 博多上陸


 この満州開拓団のその後の流線のうち、徴用され、シベリア抑留の憂き目にあった山根純雄の軌跡を辿ってみる。

1945(昭和20)年5月13日 関東軍入隊
1945(昭和20)年8月 ソ連軍の攻撃
1945(昭和20)年8月16日 敗戦を知る
1945(昭和20)年10月 シベリア強制収容所
1947(昭和22)年10月 帰国指令
1947(昭和22)年11月21日 舞鶴港入港(ナホトカより)

 強烈な体験を刻印したのはやはシベリアの極寒。それは、与論に帰って何十年経っても、夢でうなされるほどのものだ。

 作業中に一瞬でも、じっとしていると凍死が待っているだけ。手足の指が痛みを感じなくなると、凍傷になる。その次に眠気が襲い掛かってくる。とても気持ちよくなる。二人組みで作業をさせるのは凍傷や眠気を防ぐ目的もある。「危ない」と思った時は、手で顔を打つ、体を揺する。気がつけば大丈夫。零下三十度を超えると、針で突くような痛みがある。皮膚の感覚がなくなり、心まで凍りつく。その後、麻酔を打たれたように気持ちよくなっていく。それは一月から三月まで、冬の間は毎日襲いかかる。(p.10)

 山根は生きて帰ることができたが、最初の冬には入院し、次の冬にも栄養失調に陥っている。その間、仲間たちとの別れも経験させられた。

 一月になると、寒さと飢えのため、栄養失調で毎日、戦友が死んでいった。とても残念で死体を運ぶのも忍びなかった。朝、起きる時間になって、隣の、手が届くところに寝ている戦友を、起こしてみれば、氷の如く冷たくなっていた(p.10)。

 馬の死体を食べたり、虫も食べた。「おいしかったのはストーブに入れる薪割りをした時に出てくる幼虫を少しあぶって食べるとおしかった」。毒キノコを食べて死んだ戦友もいた。ソビエト兵は、元日本兵をハラキリサムライと呼び、計算が不得手だった。「掛け算、暗算が鈍い。小学一年生よりも遅い(p.11)」。そのため点呼が遅々として進まない。共産主義の講和もあった。帰国に際し、ソビエトへの永住希望も募られている。山根は迷うが、いちど米軍統治下にある故郷の状況を確かめてからでもという先輩の助言を受けて帰国を決める。

 山根が生きながらえた理由のひとつには、若かったという体力的なこともあるが、その前に、ソ連の侵攻を前に、分隊長が言った言葉だった。

「自分の命を守り、ソビエト兵に立ち向かう武器も何もない。もうこれ以上戦いを挑んでも、犬死にするばかりだから、自分の命を守って逃げるがいい。君たち、この言葉は絶対秘密だ。生きていたら何か良いことがある」。分隊長は「この言葉は死んでも話すな」と言った。私は一生忘れない(p.8)。

 結局は、制度的なお題目とは別に、こうした自分の言葉を持てる人がいるかどうかで、生死が決まることがることを教えている。山根純雄は、『生きて帰って来い、必ずだよ』のなかで、不戦の訴えを繰り返している。


 

|

« 与論移住史 三池争議メモ2 | トップページ | 与論移住史 田代メモ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 与論移住史 満州メモ:

« 与論移住史 三池争議メモ2 | トップページ | 与論移住史 田代メモ »