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2014/01/28

琉球弧の「ありがとう」分布・補足

 中本正智の『図説琉球語辞典』(1981年)に依って、「琉球弧の「ありがとう」分布」を補足する。

ニヘー nihe: は本来、「*御拝」であるから、目上に対することばであったが、最近では目下にも使う。  ニヘーが目上に対してなら、カフー(果報)は目下に対してのことばであった。カフーシ(果報をして)のように用いた。平民同士は、目上に対してもシディガフー デービル(*孵果報でございます)という(p.418)

 分布図(p.419)では、シディガフー系は、宮古、多良間島、そして沖縄島の中城湾近くの新里にある。

ウボラハ系は徳之島に、ウブクリ系は喜界島に、フクラサ系は宮古と八重山に分布している。徳之島ではウボラハ ダレンといい、喜界島ではウフクン データ、宮古ではプカラッサ、八重山ではプコラーサ ユーのようにいう。この三系は、一つの系から派生したものにちがいない。これらは、*pokosa∫isa(誇らしさ)にさかのぼる。この語は『おもそろうし』では「ほこらしや」となるが、歓喜に満ちた心の状態を表すのである。

 「誇」系が、「歓喜に満ちた心の状態を表す」ということは、「孵」系と同じだということになる。

(「誇」系の-引用者注)次にニヘー系が沖縄を中心に分布している。北は沖永良部島まで延び、南は宮古を飛び越して八重山に分布している。八重山ではミハイ系を用いる。例えば、沖縄ではニヘー ヤイビータン、沖永良部島ではミヘ デーロ、八重山ではミハイ ユーのようにいう。琉球では「ほこらしや」が、喜びを表す語であったが、これが相手の御機嫌を伺う語へ発達し、北と南の全域に波及した。これは、15世紀以後のことである。

 なぜ、15世紀以後と断定できるのだろう。知りたい。

次にニヘー系は沖縄を中心に発達し、沖永良部島や八重山に波及した。ニヘーとミヘーは、二拝と三拝といわれるが、これは誤りで、「*御拝」が正しい。mihai →miΦe: →niΦe →nihe: のように変化した。ニヘーが首里王朝文化圏の広がりをもっていることから、恐らく15世紀前後に広がった語であろう。

 これはぼくたちの見立てと違わないが、ニヘーが15世紀前後で、「ほこらしや」が15世紀以後というのはなぜだろう。分布からいえば、「誇」系を先と見るのが自然に思える。

 中本正智の『図説琉球語辞典』は、琉球弧オタクにとっては、願ってもない一冊で手元に置きたくなるが、中古で23000円からとなると手が出ない。

 しかし、発見もあるが不足も目につく。「ありがとう」の項目では、与論の「とーとぅがなし」を拾い落としている。そして与論は、「ウダーヌミチ」とされている。初耳だが、どこで使われているのだろう。


◇◆◇

 これらによって、「琉球弧の「ありがとう」分布」を加筆、補足しておこう。


 「誇」系 ウフクンデール(喜界島)、フガラッサ(与那国島)、(フコーラサーン)石垣島、オボラダレン(徳之島)、オボコリダリョン(奄美大島)
 「拝」系 ミフェディロ(沖永良部島)、ニフェーデービル(沖縄島)、ニ(ミ)-ファイユー(八重山)
 「尊」系 トートゥガナシ(与論島)
 「頼」系 タンディガタンディ(宮古島)
 「孵」系 シディガフー(宮古島、多良間島)

201401


『図説琉球語辞典』


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